島嶼へ 3
「俺は……兵士だ。上の命令に従うのが兵士の務めだ。上が誰かは関係ない。誇りなんか必要ない」
「そうか。お前の選ぶ道に干渉する権利は私にはない。好きにしたらいい」
目を瞑り答えるラグ・レは少し軽蔑しているように見えた。
自分の半分も生きていない子供に何が分かるのかと言いかけたがあまりにも情けないのでやめた。
ロブは無理やり話を戻すことにした。
余談に走ると碌な事がなさそうだった。
「それで、何故お前はそんな情報を知っている? そして何故ブロキス帝の娘を攫おうとしているんだ」
「セイドラントは島嶼同盟の一角を担っていた。ブロキス王に妃がいたことは調べればすぐにわかる。そして妃が身ごもっていたことも調べればすぐにわかる」
「セイドラントはブロキス帝によって滅んだと聞いているが。成程な、お前はセイドラントの残党か。後継を担ごうとしているわけだな」
「私がどこから来たかは言わない。だが後半は否定はしない」
ブロキス帝の出自など興味もなかったので調べもしなかった。
ただその強大な力によりセイドラントを滅ぼし、単身で帝都にまで侵攻して先帝の首を取ったとは聞いていた。
そんな人間に逆らえるわけがないので従っていたというのがロブの言い訳の一つでもあった。
恐らく他の大多数の世の人間もロブと同じく皇帝に対し表立った反抗をしないのは皇帝の得体の知れない力を恐れているからだろう。
「なあロブ・ハースト」
「なんだ」
「私を見逃せ」
「馬鹿かお前は。無理に決まっているだろう、俺は兵士だぞ」
あっけらかんと言ってのける少女にロブはすかさず拒否をする。
しかしラグ・レは諦めなかった。
「最強の男なのだろう? 優秀な兵士だ。ならば分かっているはずだ。ブロキス帝のあのやり方では国などまとまるわけがないことを」
「…………」
それは誰もが分かっているだろう。全方位に喧嘩を仕掛けるブロキス帝のやり方では諸国に介入の大義名分を与えるだけだ。
それでも少女の口車に乗るほどロブは愚かではない。
自分がどう動こうと大きな時代の流れに逆らうことなど不可能なのだ。
「いいか、ロブ・ハースト。ブロキス帝政は必ず滅びる。このままではせっかく築いたゴドリックと島嶼諸国の繁栄が無駄になるのだ。そうなれば他の国も介入してくるだろう。泥沼だ。既にゴドリックと島嶼諸国は交戦状態になってはいるが、傷は浅い方がいい。だからブロキス帝の娘を預かるのだ。ブロキス帝は国を滅ぼしても娘だけは隠して連れてきた。よほど大事なのだろう。使わない手はない」
「お前が発しているその言葉は誰の受け売りだ? 子供を洗脳して、何の罪もない赤ん坊を人質にするのか。ブロキス帝がどうこう言えん、外道の極みじゃないか」
「ロブ・ハースト、子供扱いするな。私は戦士だ。属する組織があろうと自分の道は自分の意思で決める。ここへ来たのも自分の意思だ」
「そうか、では俺は組織に準じる者としてお前を連行しよう。いいかラグ・レ。組織とはお前の考えているようなごっこ遊びじゃない。自分の意思など和を乱す原因にしかならん。現にお前の行動はどうだ。お前の意思はお前の組織に迷惑をかけただろう」
「ロブ・ハースト、お前は分かっているのにそれでいいのか? お前はさっき自分で言ったぞ。上が誰かは関係ないと。ならばブロキス帝に義理立てる必要もないだろうに、お前は何に準じるのだ? 既に乱れている輪の中で、お前は何に従っている?」
「もういい。大体動機が分かった。連れて行く」
「大局を見ろ。己に従え、ロブ・ハースト」
「うるさい奴だな」
ロブはラグ・レを立たせると歩きを促した。
男はまだ何か言いたげな戦士の目を見ることが出来なかった。
少女に前方を歩かせ宿舎の帰路を辿る。
宿舎までは歩いても数分の距離だ。
歩く度にロブは息苦しさを覚えていた。
この光景は見たことがあった。
そして宿舎までもう少しという時、その異変はラグ・レにも伝わるところになった。
ロブの息遣いが荒くなっていくのを感じたのだ。
「おい、ロブ・ハースト。戦闘でも息を切らさなかったお前がどうした?」
振り向くとロブは震えていた。
汗をかき、息も絶え絶えだ。
終いには足の力が抜け座り込んでしまう。
敵ながら流石のラグ・レもこれには驚いた。
「お、おい。大丈夫か」
「……心配している場合か? 好機だぞ。逃げればいい」
ロブは震える唇でラグ・レを挑発する。
ラグ・レは真剣な顔で頭を振った。
「馬鹿者、こんな状態のやつを放っておいて逃げられるか。ちょっと待ってろ。軍宿舎の場所は知っている。今医者を呼んでくる」
「余計な事はするな! 暫くすれば収まる。だから……もういい、行け」
静かな森にロブの振り絞った小さな叫びが響いた。
ラグ・レは暫くまごついていたが、「そうか」というと森の中に消えていった。
少し時間を置いてロブの震えが止まった。
ロブは大きく息を吐き、一度だけラグ・レの去って行った方向を見つめるとそのまま何事もなかったように宿舎へと戻って行った。
上にはラグ・レの件を報告することはなかった。
その日、ロブは夢を見た。
それは二度と思い出したくもない過去の悪夢であった。
翌日、ロブはまた夜に森の中へと出かけた。
少女が気になっていたからではない。
もう少女のことはどうでも良かった。
日頃の慣習で槍の稽古をしに来ただけだ。
それなのに同じ場所へ行くとそこにはちゃっかりとラグ・レがいた。
ロブは呆れた。
「おお、元気そうだな。良かった」
「……おい」
「なんだ」
「せっかく逃がしたのに、なんでいるんだ」
「あんな意味のわからん逃がされ方をして納得する私だと思うか」
「知るか」
ロブはラグ・レを無視して槍の稽古を開始した。
ラグ・レはロブの槍捌きを暫く眺めていたがふいに話しかけてきた。
「あのな、昨日あの後アルバレル修道院に行ってみたんだが警備が固くて近寄れもしなかった」
「本当にお前一人だったのか。そりゃあ入れんだろうな」
槍を振りつつロブも返答してやった。
アルバレル修道院は一般の旅人の宿としても解放されているが心無い者が客を装って盗みを働くこともある。
故に民間の用心棒を雇い、特に夜は厳重な警戒が成されていた。
しかも荒野の真ん中にあるのでいくら夜でも近づこうとすればすぐに発見されてしまうだろう。
流石は元々は砦として建てられた施設であった。
「ああ。あれじゃ協力者でもいない限り入れない。だから行くぞ」
「なに?」
急に話が飛んだのでロブは稽古を中断しラグ・レを見た。
ラグ・レは至極当たり前のこと言っているような顔をしていた。
「だから、赤ん坊を連れ出すのに協力しろと言っているんだ」
「なんて奴だ。はい分かりましたと言うとでも思ったのか」
ロブはラグ・レの豪胆ぶりに呆れを通り越して笑ってしまった。
どこの世界に縁も義理も利もなく協力する敵がいるというのだ。
しかしラグ・レは真剣そのものだった。
「なぁロブ・ハースト。お前は軍にいるべきではない」
「何故だ」
「昨日の様子は明らかにおかしかった。お前の心はもう悲鳴を上げているんだ」
「馬鹿な」
どくんとロブの鼓動が高まった。
「私は聞いたことがある。戦場を生業にしていた兵士を戦場から遠ざけると、心が元の自分に戻ろうとして葛藤するんだ。お前はそれだ。そのまま宙ぶらりんの状態にあると壊れてしまうぞ。だから戻れるうちに戻るんだ。この国にいる限りお前はそれが出来ない」
「反逆が俺のためだと言うのか」
「そうだ。そうでもしなければお前の未練は断ち切れそうもない。お前たちは土地や自分の置かれている状況に縛られ過ぎている。それが自分を苦しめていることに気づいているだろうに。だからロブ・ハースト、ジウに来い。お前はもう充分に戦った。ジウは安息を約束する。お前は元のロブ・ハーストに戻るべきだ」
「…………」
「安心しろ。手を貸してくれればお前はもう私の同志だ。決して見捨てたりはしない。アケノーキナに誓う。私と一緒に来るんだ」
「ジウだと?」
ロブが低い声で反応した。
すかさずラグ・レが身構えてしまう程の、静かな感情の籠った声だった。
「お前を送り込んだのはジウか」
「……上に報告するつもりか?」
「お前に助力すれば、ジウに入れるのか?」
ラグ・レの質問に答えずにロブは独り言のように呟いた。
ジウは島嶼北側の国家であるアルマーナに隣接する永世中立共同体だ。
大賢老なる人物を中心に種族や信条の垣根を越えて世界中から人々が集っている場所である。
しかしその共同体に入るには何らかの資格が必要とされていた。
それ故にジウは世界中の国家から神聖視され、不可侵の象徴のように扱われていたのである。
流石のロブもラグ・レがジウの差し金だとは思いつきもしなかったのだった。
「なんだ、ジウに思い入れがあるようだな」
「……ああ」
ロブはラグ・レに話した。
ラグ・レは静かにロブの懺悔を聞き、そして納得した。
ロブはやはり穏やかなエキトワ領に来て心の傷を思い出した兵士の一人だった。
ロブは次の出兵で死ぬつもりだった。
自分で自分を裁こうとしていたのだ。
しかし心残りがあった。
その心残りが、どうやらジウにいるらしい。
ラグ・レはロブの頭を撫で、風の精霊の彫られた短刀を握りしめて頷いた。
「行こう、ロブ・ハースト。お前の魂はお前で救え。まずはアルバレル修道院だ。道中でその後の退路を話そう」
「ああ……少尉たちには悪いが……こんな機会はめったにないだろうからな。なにかの縁というやつだろう」
ロブは自らの階級章を肩から引きちぎった。
「修道院に忍び込む件だが俺に考えがある。俺が囮として修道院の正面で立ち回ろう。お前はその間に隙のある所から忍び込め。どこに赤ん坊がいるのかは知っているのか?」
「ああ、聞いている。特徴も知っている」
「問題はどうやって修道院に近づくまで気取られないようにするかだが……」
「それには心配ない。ほら」
ラグ・レが掌を見せながら上を向いた。
「雨だ」
天が味方しているのだろうか。
雨は次第に大粒となり、いずれ嵐となった。




