島嶼へ
ゴドリック帝国で最強の男と言われた兵士がいた。
矢玉飛び交う戦場で時代遅れの槍を手にして戦う男だった。
男は不思議と被弾することが少なく例え撃たれても足を止めなかった。
その苛烈なまでの突撃に味方は神の加護を見出し、敵は悪魔の姿を重ね震えた。
男は名をロブ・ハーストと言った。
階級は軍曹。
ゴドリック帝国本領ランテヴィア大陸の南東リンドナル地方より同盟島嶼部を経て東へ侵攻する方面軍の末席に属していた。
そして東の大国・信教ラーヴァリエとの戦闘において抜群の功績を上げ隊を勝利に導いていた。
しかしおよそ一年前に状況が変わった。
本国で政変が起こりジョデル・ゴドリック帝政が倒れ、一族郎党は根絶やしにされ代わりに島嶼国の一つにすぎなかったセイドラントの王が君臨してしまったのだ。
王の名はザニエ・ブロキス。
僅か半年足らずで暴君と呼ばれる男だった。
当時の方面軍団長は本国の危機に独断でラーヴァリエと停戦条約を交わし撤退した。
だが本国の混乱が異例の速度で鎮静化してしまい、方面軍は軍令違反の責を負わされ解体されてしまった。
その時ロブもまた比較的平和なエキトワ領方面軍へと左遷されてしまった。
そこでの待遇は不思議なものだった。
戦闘経験もない入団したての若い将校の下、時折発生する暴徒の鎮圧などが主な任務だった。
傍から見たら完全な更迭だがロブの部隊は秘密を抱えていた。
上官であるエイファ・サネスと部下のニファ・サネスの姉妹は化身装甲という帝国の新兵器の操者だった。
兵器の詳細は同じ隊の面々にも知らされず、当然ロブも知らなかった。
ただし機密というには箝口令などは敷かれなかった。
むしろ噂が広まるように仕組まれていたように思えた。
エキトワ領で謎の兵器が始動し、そこには最強の男もいる。
事実、噂は瞬く間に広がっていた。
決戦に投入される。
ロブは確信していた。
停戦によりラーヴァリエ信教国の出城ともいえるイムリント要塞の改修が進み難攻不落となってしまっていた。
今はそこにサネス隊を投入するための慣らし運転の期間なのだろう。
ロブは警邏の傍ら暇を見つけては隊員に持てる知識を叩き込んだ。
憶測を告げても隊員たちの反応は今一つだったがサネス姉妹とピーク兵長は真剣に師事した。
特にニファ・サネス一等兵はロブを狂信し、昼夜問わず教えをねだってきた。
ニファ・サネスには天賦の才があったようでその戦闘力は著しく飛躍した。
彼女は暴力を誰よりも恐れ、誰よりも悦ぶ心構えがあった。
ロブも負けてはいられなかった。
夜間の自由時間はロブの自主稽古の時間だ。
ロブを求めて徘徊するニファ・サネスを撒くのは相当骨が折れた。
隠れて管轄内ぎりぎりの森の隅まで出かけそこで槍を振るう。
それがロブの日課になっていた。
ロブは頑なに武器を変えようとしなかった。
銃の扱いが不得手ということもあったが、自らの凶事が遠く離れた所の名も知らぬ者の命を摘むことに抵抗を感じていた。
銃も矢も、凶弾が手元を離れたら人を殺したという業まで捨ててしまうような気がした。
だからロブは目と掌で相手の死を看取ることを選んだのだった。
ある日、研ぎ澄まされた感覚がロブに違和感を伝えた。
森の中に誰かいる。
初めは大型動物かと思ったがそれは野生の気配ではなかった。
ロブは憶測を巡らせた。
もしや、機密を探りに来た間者なのではないかと。
気配を殺し静かに近づくと相手の警戒心が高まるのが分かった。
それは人間で、そしてかなりの手練れだった。
ロブには相手の攻撃範囲が手に取るようにわかった。
それはロブよりも遥かに広かった。
恐らくは弓だ。
だが木々の生い茂る森の中では弓は圧倒的に不利だった。
月明かりが差し込み、ロブは先に闇の中で蠢くものを発見した。
長い外套を纏い何かを背負っているそれが手にしていたのはやはり弓矢だった。
矢は既につがえられている。
しかし後手になった弓など恐るるに足らない。
ロブは草木に隠れて最接近し右後方より襲い掛かった。
相手はそれを見越していた。
つがえていた矢を握りしめ、短刀のように構えてロブを迎えうつ。
ロブの放った槍は弓で絡められ、ロブ自身の慣性で矢が胸元に迫った。
そこで相手も気づいた。
ロブは片手で槍を放っていた。
空いた左手が矢を握りしめる手首を捕える。
相手はあまりの握力に矢を落とし、ロブはぎょっとした。
そのまま両者は倒れ込んだ。
下敷きにした相手と至近距離で目が合う。
手首の細さで気が付いたが相手は少女だった。
徒手格闘の倣いで身動きが取れないように覆いかぶさっているため少女は動けない。
対するロブは槍を離した右手が空いている。
少女は悪あがきで少し身をよじったがすぐに観念したのか呟いた。
「お前、最強の男だな?」
それがアナイの少女、ラグ・レとの出会いだった。




