希望の子 2
吹きすさぶ横殴りの雨が兵士たちの装備を濡らす。
余りの荒れ様に隣りに立つ者の声さえ聞こえないほどだ。
それでも兵士たちは一糸乱れぬ連携で確実に下手人を追い詰める。
高い練度を誇っていることは一目瞭然だった。
歩兵の中で唯一、黒い装備を身に着けているのは兵長だ。
彼が左手を横に動かすと、茶系装備の一等兵たちが交互に銃弾を装填し出した。
最初に構えて狙いをつけたのはまやかしだったらしい。
追い詰められた男は黙って様子を窺っていた。
騎兵たちは男が妙な動きをしないか戦列の後ろで馬を歩かせ警戒する。
その間に歩兵は銃口から発射薬を入れ、弾丸を込めて撃鉄を少し起こし、火皿に点火薬を入れ蓋を閉じ、撃鉄を起こした。
これで装填は完了だ。
あっと言う間の支度だった。
第一陣の装填が終わるまで、隣りの兵士は銃を逆さまに持って構えている。
対象が向かってきた場合に銃床が鈍器の代わりになるのだ。
隙を作らない戦術は見事なものだった。
瞬く間に準備が整い、何時でも発射できる態勢だ。
兵長は水平に伸ばしていた腕を上にあげる。
これが前面に振り下ろされた時が男の最期となるだろう。
しかし決断の時はなかなか訪れない。
皆が男を注視していた。
男は頑強な肉体の偉丈夫だった。
長い茶色の髪は雨で顔に張り付いているが、その隙間から覗く意志の強そうな緑色の瞳が不屈の炎を燃やしていた。
服装はいたって普通の民間人然とした恰好だが手にした槍は柄が太く穂先も大きく立派なものだ。
それは戦争の主力が銃に移行しつつある時世においても尚恐れられている名槍だった。
いや、恐れられているのは槍ではなく男か。
男は名をロブ・ハーストといった。
ゴドリック帝国陸軍の軍曹であり、軍関係者内では有名な猛者だ。
白兵戦で銃弾の飛び交う中を槍で突撃していく様は語り草である。
話に聞くだけなら無謀としか言いようのない所業だが、実際に目撃すれば誰もが彼の天賦の才を疑わなかっただろう。
その男が軍を追われていた。
追われ、追いつかれたということは機を逃したか。
槍を持つ反対の手には布にくるまれた塊を抱いている。
ロブはその塊を足元に置くと……蹴った。
ほどけた布の中から転がったのはいくつかの爆弾だった。
兵士たちが動揺し射撃態勢が崩れるのを見てロブは不敵な笑みを見せた。
今まで銃撃を控えていたのは布の塊に包まれている物を誤射してしまう可能性を危惧してのことだったがそれは正解だった。
火薬がどれだけ詰められているかは不明だが、万が一にも彼が捨て身の攻撃を考えていた場合、誘爆の被害は相当深刻なものになるだろう。
兵長は困惑した。
これ以上の判断は自分では下せない。
振り下ろす場所のなくなった手を所在なさ気に挙げたまま兵長は後ろの二人の化身甲兵を見た。
一方の化身甲兵の右肩には少尉の階級章が塗装されていた。
もう一方は一等兵を表す二本線の階級章が描かれている。
少尉の化身甲兵は一等兵の化身甲兵に行動開始の合図を送った。
一等兵の化身甲兵の関節部位から細かな雷光が迸った。
ロブは真顔に戻り槍を構え直す。
しかし一等兵は動かず放電を続けるのみだ。
これではいつ共鳴した本物の雷が落ちてきても不思議ではない。
何をしているのか、と少尉が咎める腕を伸ばしかけたその時だった。
一等兵は背負っていた鉄の棒をおもむろに掴んだ。
一瞬で鉄の棒は帯電する。
そしてそのままロブに目がけて鉄の棒を──投擲した。
それは落雷のように一瞬でロブに飛来し轟音と共に周囲を巻き込む爆発を見せた。
ロブはとっさに跳躍したが立っていた場所は消し飛んだ。
間一髪で爆破自体は躱したものの、瓦礫により脇腹を負傷したようで痛みと共に鮮血が溢れる。
少尉はやりすぎだと言わんばかりに一等兵の装甲を殴った。
爆発の範囲から察するに爆弾は偽物だったようだ。
もしも本物だったならば目も当てられない惨状になっていただろう。
少尉は一等甲兵の首根っこを掴むと邪魔だと言わんばかりに後ろへ引き倒した。
少尉は化身装甲の圧倒的な力と機動力でロブを拘束すれば良いと考えていた。
だから飛び道具は最後の手段だった。
一等甲兵にもそのように説明していたはずだったのに。
まさか最初から全力で殺しにかかるとは思わなかった。
軍令はハースト軍曹に逃げられ他国に渡られるくらいだったら殺害せよとのことだったが、法に則り裁けるならそうしてやりたい。
それがせめてもの温情だと少尉は思っていたのに連れてくる人選を間違えたようだった。
とはいえ軍には化身甲兵は自分を含めてまだ二人しかいない。
一等甲兵を連れて来なければ必然的にハースト軍曹を捕える役まわりは少尉本人がやるしかなかっただろう。
普通の人間では損害なく生かして捕えるのはまず不可能だ。
それが軍におけるロブという男の認識だった。