漁村より 6
皇帝の命とはいえ機密である検体が他部門へ盗られる。
研究者たちが口々に不満の声を漏らしていると検査室の扉が叩かれた。
間を空ける事もなく入ってきたのは機密区域前に立っていた兵士の一人だ。
兵士は皆に一斉に注目されていたことにぎょっとした様子であったがすぐに姿勢を正した。
基本的に研究者たちは自分の世界に没頭しているため扉を叩いて返事を待っていても永遠に待たされるだけだ。
研究者がこんなにも反応がよいことなど稀なので兵士の対応は正しかった。
しかし兵士もまさか友好的でない視線を向けられるとは思ってもいなかっただろう。
流石のアシンダルも誤解して口を尖らせた。
「衛生部の人間が来たのかい? ニファ君の移送準備は整ってないし、事前に連絡をよこすはずじゃなかったかな」
兵士はぽかんとして否定した。
「え? あ、いえ。サネス少尉殿に諜報部ヘイデン少佐殿からの使者がお見えです」
「エイファ君に?」
一斉に怪訝な顔を向けられてエイファは困った。
諜報部と聞いて面白く思わない者は多いだろう。
何故なら諜報部の仕事内容は敵や外部だけでなく味方にまで及んでいるからだ。
特に機密を扱っている者たちなら警戒するのは当たり前だった。
「あの、はい。実は私……私とサネス一等兵ですが、ハースト軍曹を追討する任務を受けたと同時にヘイデン少佐殿属下の独立大隊に転属したらしいです……」
アシンダルは驚いた。
そのような話は聞いていない。
歩兵科所属とはいえ仮にもエイファは技術部の機密保持者だ。
自分に異動の通達がないなど前例のないことだった。
「何も聞いてないよ。皇帝の命令? らしいとは?」
「私もよく分かっていないんです、中将閣下。皇帝は何も仰りませんでしたがヘイデン少佐殿が陛下の御前でそのように下知なされました。追討部隊は既に結成しているからここで待機せよとのことでした」
「早く言ってよ、そういうことは」
「も、もうしわけございません……」
アシンダルは顎を撫でながら足元の一点を凝視していたがすぐに頭を振った。
「私は許可できないな。ナッシュ中将も許可しないだろう。まずはナッシュ中将に話を付け、申請を通してからファーラン君に通達するのが筋じゃないかい?」
「んな悠長なことしてる暇なんかねぇんだよ、じいさん」
兵士を押しのけて入ってきたのは二十代前半くらいの男だった。
無造作に切られた短髪に鋭い目つきで、身だしなみにはあまり気を使うほうではなく服は皺だらけで踵によって踏み潰された裾がぼろぼろになっている。
男の登場にアシンダルは両手を広げておどける素振りを見せた。
「なんだ、ジメイネス君か」
「なんだってなんだよ」
アシンダルと男は面識があるようだが他の研究者たちは知らないようで顔を見合わせていた。
エイファも知らない人物だった。
「彼は?」
「君と同じ兵科部所属で東南リンドナル方面軍の機械化猟兵のバルトス・ジメイネス君だよ。ほら、私って他の課も兼任してるでしょ? そっちのほうでやりとりしてる子だよ」
機械化猟兵。エイファはその存在だけは知っていた。
装甲義肢という体の一部だけ化身装甲の応用を利かせた装備を身に着けた散兵のことだ。
化身装甲より能力は劣るものの持続力に優れているとされ、起動の遅い化身装甲と違って随伴歩兵を必要とせず個で動くことの出来る兵士だと言われていた。
その機動力の高さと中規模攻撃の汎用性の高さから配属先は必ずといっていいほど激戦区であり義肢の扱いの難しさも相まってなれるのは精鋭中の精鋭と言われている。
装甲との相性さえ良ければエイファのような戦歴のない人間でもなれる化身甲兵とは生身の能力が違う存在だった。
ジメイネスの後ろにはもう二人いた。
一人は年若い青年で、ジメイネスよりも若く見えた。
長髪を編み込んだ髪型に整えられた身だしなみからもだいぶ几帳面さがにじみ出ている。
しかし周囲にはあまり興味がないのか、機密区域を目で物色するジメイネスと違って俯いたままつまらなそうにしていた。
そしてもう一人は。
「あっ」
エイファはばつが悪そうに声を出した。
「酷いじゃないですか、少尉! 置き去りにするなんて」
皇帝の間で気絶し、そのままにしてきたビクトル・ピーク兵長だった。