戦いに臨む 10
繋世歴376年、イムリント撤退戦の死者を弔う大転進記念祭にて暴動が発生した。
皇帝の演説を以て暴徒と化した群衆は皇帝及び帝政派を襲撃した。
皇帝は応戦の後に不思議な力で忽然と消え、次の瞬間には帝都へと帰還していた。
帝政派は郊外にあるヘジンボサム邸へ撤退し籠城した。
この暴動の指揮者はダンカレム都長サリ・アバドと言われている。
アバドは皇帝を糾弾したことで都長選を勝ち抜いた男であった。
それが敵国の情報操作によるものなのか真に住民の反帝意識によるものなのかは不明だが、都長になったアバドは都長就任前の強硬な姿勢とは打って変わって皇帝の報復を恐れるようになった。
アバドは前線への輸送物資を着服し禁教を招き入れ、ダンカレムの都を私兵で占有しつつ皇帝殺害の機会を窺っていた。
そして大転身記念祭を迎えた。
時を同じくしてラーヴァリエの教義に染まった一部の同盟諸国の代表もこれに同調していた。
かねて民衆の間に禁教が広まっているとの噂を聞きつけていた帝都の諜報機関は潜入捜査員を送りこの実態を掴んでいた。
大転進記念祭の場で鳴りを潜め、皇帝の帰路にこれを襲撃しようと企てていることも掴んでいた。
国事には国家元首は特例を除き参じなければならないという法により皇帝は式典に出席する。
その行為は賛否両論を招いた。
とまれ、リンドナル入りに際して帝政はリンドナル旧主ヘジンボサム家に万が一の際の後詰を要請した。
ヘジンボサム家当主バンクリフ公はこれを受け嫡男トゥルグトを総大将として援兵を編成した。
この時バンクリフは兵を待機させず秘密裏に行軍させることをトゥルグトに命じた。
この判断が命運を分けることとなった。
記念祭本祭、暴動が発生。
帝政側要人はバンクリフ・ヘジンボサム公の別荘に籠城した。
別荘は一時的に取り囲まれたもののヘジンボサム公の領地マルセラムから駆け付けた援兵がこれを強襲し、暴徒は予想だにしなかった神速の増援により成す術もなく鎮圧された。
また鎮圧には帝国が誇る新兵器である化身装甲と装甲義肢も活躍したという。
この事件は翌日には諜報部と広報部によってゴドリック帝国全土の都市に伝えられた。
反帝側の死傷者は数千人に対し帝政側の死傷者は十数人であり、全ては皇帝が敵をあぶり出すために自身を囮にした壮大な計画であったと喧伝された。
ただし敵味方双方の死者の中には招待された要人が含まれており被害は甚大であった。
以下は政府により発表された要人の生死である。
リンドナル旧主バンクリフ・ヘジンボサム公は無事を確認。
バエシュ領主ジルムンド・レイトリフ大将は撤退時に孤立し死亡。
エキトワ方面軍マーカス・ナッシュ上級大将は無事を確認。
ダルナレア共和国族長ヘンリエッタ・アストラヴァは無事を確認。
アナトゥルバ王子オグポラ・トゥルバ、モサンメディシュ外交代表バンタシェ・デルキウィリ、およびガニライ族戦士長ランデル・ディアマクタはアバド都長の片棒を担いで皇帝を襲撃するもナバフ族戦士長オロによって討たれ死亡。
ナバフ戦士長オロは傷を負うも軽傷にて無事を確認。
そして襲撃の首謀者サリ・アバドはヘイデン独立大隊サネス隊のエイファ・サネス少尉によって討伐され死亡。
以上は帝政の公式な発表であった。
皇帝の権威は地に落ち各地で暴動の火種に火が付くと思いきや民衆の反応は真逆だった。
名のある人々が裏切り、または犠牲になったことで国民は裏で糸を引いていたとされるラーヴァリエをより一層憎み、噂の新兵器に胸を躍らせ、我が皇帝万歳と唱和したのだ。
一方ラーヴァリエは関与を強く否定したがロデスティニアやノーマゲントほか他国から通商に来ていた商人の証言もあり国際社会からの制裁を受けることになった。
ラーヴァリエの処遇を決める世界会議の場にはブロキス帝も参じた。
列強が取り仕切る世界会議にゴドリック帝国が参入するのはゴドリック始まって以来の快挙であった。
その件も民衆は好意的に受け止めブロキス帝を称えた。
列強はラーヴァリエに島嶼諸国から撤退するように圧力をかけた。
一方ブロキス帝は島嶼諸国が未だに国際社会の認知を受けていないことを問題として提起し、ラーヴァリエに制裁を加える代わりにウェードミット諸国の国家承認を列強に訴えた。
列強はこれを受諾し、島嶼諸国は話し合いを行い今まで曖昧だった国境を定めた。
この話し合いは紛糾し一年近くかかった。
結果、多くの地域は独立国として世界に承認された。
ただしダルナレア共和国およびナバフ族領地は両国の希望によりゴドリック帝国に併合され、アナトゥルバ王国およびガニライ族領地はラーヴァリエの自治国として半独立となった。
モサンメディシュは当初は独立国として列強の承認を受けたが近隣諸国からの風当たりが強く、暫くすると結局ラーヴァリエに願い出て併合された。
そして今まで緩衝地帯となっていたサロマ島は正式にゴドリック帝国領となり国境警備隊が置かれることとなった。
かくして島嶼は三年以内にすべての集団が国家として承認された。
長きに渡ったラーヴァリエとの紛争はとりあえずの収束を迎えたことでゴドリック帝国は軍事費を節約でき、表向きの独立国たちは独立後も帝国との通商に依存していたので帝国国内は好景気に見舞われた。
イムリント撤退戦の雪辱を晴らす事は叶わなかったものの人々は皇帝のこの采配を歓迎した。
ブロキス帝は今まで暴君と謳われていたが故に一層この人道的な采配が人々の心に響いたようだった。
全ては良い方に向かっているかのように見えた。
そして十一年の時が過ぎた。
繋世歴387年。
ジウの大樹の先端の枝に黒髪の少女が立っていた。
先端といってもジウの枝は一般的な大木の幹よりも太い。
少女は遠く水平線を見つめていた。
少女は幼さの中に凛とした気品を感じさせつつも、擦りむいた肘や鼻の頭についた泥が活発さを感じさせる容姿をしていた。
その少女の元へ女性が駆けつけた。
女性は不思議な外見をしていた。
濡羽色の長髪に鼻筋の通った美人だが、眉の代わりに赤い塗料で線を引き左右の口角には黒丸の刺青を入れていた。
艶やかな肢体を包むのは民族的な衣装であり背には鞍を背負っている。
鞍には風変りな刺繍が施されており、それは風の精霊を象った刺繍だった。
「リオン」
女性に声をかけられた少女が振り返る。
その少女の瞳には力強い輝きが湛えられていた。