漁村より 3
扉を開けた姿勢のまま右手を伸ばして室内に入ってきたのは痩せた老人だった。
左腕は肘関節を曲げ、手首は重力に任せた不思議な仕草をしている。
ただでさえ小柄なのに寄る年波か猫背か一層小さく見える。
その不審者然とした男の登場に研究者は一斉に立ちあがって敬礼を送った。
「おかえりなさいませ、博士。どうでしたか?」
「ただいま! 要約しよう、予算は──ああエイファ君、いたの」
ひょこひょこと上下する足取りで近づいてくる老人にエイファは背筋を伸ばして敬礼した。
「アシンダル中将閣下、お久しぶりです」
「久しぶりって……この間も会ったでしょ」
「もう二か月も前です、閣下」
「まぁ時間の感覚は人それぞれだよね」
相も変わらない風変りな言動にエイファは何故か癒されるのであった。
トルゴ・アシンダル中将は機械課の長だ。
中将の肩書でいえば本来なら技術部長と呼ばねばならないだろうが、彼以上に化身装甲を管理出来る者がいないため昇進して尚も専属として機械課長職に留まっていた。
昇進前には特別な処置として特佐の階級を設け在官させようとの声もあったらしいが異端を嫌がった本人の希望によりなるべく現行の法律に沿った処遇が取られるようになった。
そのため技術部では一課長職にすぎないアシンダルが実は将官で、上司である各技術部長たちは頭が上がらないというややこしい現象が起きていた。
「この度は閣下より賜りし化身装甲をこのように大破させてしまい誠に申し訳ありません。なんとお詫びすれば良いか……」
「まぁニファ君も命が助かったから良かったんじゃない? 反省するなら次の活躍で見せてね。一般成人の生涯年収の百人分の税金を着ているという自覚だけは常に持っておくようにね」
謝罪の言葉を述べるエイファを中将は適当にあしらった。
中将の言うとおりだった。
謝るより立派に行動で示すのが本来の謝罪といえるはずだ。
次の機会が訪れてくれるという保証はなくともだ。
化身装甲は金食い虫だ。
操れる人間が限られている上に出動出来るのは短時間のみである。
しかも毎回検査と修理が必要でその費用は莫大だ。
存在意義は国の栄華と威信を誇示するためだけのような兵器といっても過言ではなかった。
わらわらと研究者たちがアシンダルの周りに集う。
皆が聞きたいのは今回大破してしまったサネス一等兵の化身装甲の修理予算が降りたかどうかだ。
現状の機械課の予算だけでは対処できない壊れ方をしてしまった。
中将は課を代表して皇帝にお伺いをたてに行っていたのだった。
これで予算が降りなければ化身甲兵の運用は一人分が凍結状態となり、ニファは不要な存在となる。
それだけはエイファも避けたかった。
不安げな皆の表情を察してか老人はもったいぶって一つ咳払いした。
そして得意げな顔をして笑った。
「とりあえず、今回発覚した装甲の弱点を報告してさ、予算を申請したんだけど、皇帝、多めにふっかけたのに二つ返事で許可出してくれたよ。適当だよね、彼。でもさ、これでお金、結構浮くんだよね。だからさ、ね、軽迫撃砲、作ろうよ。軽量化と威力と耐久力を限界まで引き出してさ、えげつないやつをさ!」
「博士! 税金を使っているっていう自覚は持ちましょうよ!」
わっと歓喜に沸く研究者たちに混じりエイファも胸を撫で下ろした。
これで一等兵は存在理由を失わなくて済んだし、腕も元通りになる見込みがありそうだ。
隣にいた研究者からも良かったですねと声をかけられた。
エイファが微笑み返すと研究者は目を白黒させながら別の方角を向いてしまった。
「さてと、そういえば誰かエイファ君にニファ君の状態の説明はした?」
「あ、ああ俺がしましたよ、博士」
「よしよし。流石だね、ダロット君。じゃあエイファ君、そういうことなんだ。どういうことなんだ?」
「えっ?」
いきなり質問されてエイファは面食らった。
このアシンダルという男はよく過程を飛ばして喋る癖があるようでエイファは毎度慣れなかった。
そういうこと、とは一等兵の怪我のことを指すのだろう。
ではどういうことなんだとは一体どういうことなのだろうか。
「報告書にはなかったけど雷でも落ちたのかい?」
エイファは中将の質問に目を見開いた。
一等兵が軍曹との一騎打ちで絶体絶命になった時、一等兵の装甲から黒い雷のようなものが迸った事は誰にも秘密にしていた。
しかしアシンダルには何か勘付くところがあったようだ。
「分かりますか」
「そりゃ分かるよ。ずいぶん奇妙な状態になっていたからね」
皇帝も何かに気づいていた様子だったし、エイファはアシンダルたちにあの出来事を話す事にした。
エイファの報告を聞くと次第にアシンダルの顔が険しくなっていった。