戦いに臨む 8
「やはりどさくさに紛れて命を狙って来たか」
「それは貴方だろう。他の誰かをけしかけて、自分は安全なところにいて。貴方は昔からずっとそうだ。自分は賢いと思って、馬鹿の一つ覚えのように同じことを繰り返す」
レイトリフの左目に銃口を押しつけヘイデンは淡々と毒づいた。
表情は冷めきってはいるが内から湧き起こる高揚が隠せずにいるようだ。
それが滑稽でレイトリフは笑った。
そして勝ち誇った顔でヘイデンを見た。
「繰り返される馬鹿の一つ覚えを暴けなかったか」
「暴いたからこそここにいる」
「こういう無理やりな手を使うならばいつでも出来たはずだ。私を逮捕できるだけの証拠がついに見つからなかったからこうせざるを得なかった。違うか?」
「貴方と問答するつもりはないよ」
「知恵比べは私の勝ちだな。君は未来永劫私に勝つことが出来なくなるわけだ。君を捨てた私が憎かったか? その裏には認めて欲しいという切望があったのか」
「私はもうそんな次元の低い所では生きてはいないんだ、レイトリフ殿。あなたは暴徒によって殺される。貴方の死は国政の手札になった偉大なる地方領主として陛下の糧となる。それが貴方の人生だ」
「……悪くない」
あくまでも見下してくるレイトリフの発言にヘイデンは苛立った時だった。
その時近くから人がやってくる音がした。
「少佐……!」
索敵していたヘイデンの部下が小さく叫ぶ。
ヘイデンは一瞬撃つか撃たないか迷ったが銃を握った手を上から下に振り降ろし全員に隠れるように合図を送った。
「こんにちはー! きたよー!」
通りの角から現れたのは血まみれの大男だった。
片手には血塗られた短刀を持ち、もう片方の手にはひしゃげた鉄の棒を持っている。
目を輝かせて笑う顔はさながら悪鬼のようだ。
悪鬼は角の先に誰もいないことにきょとんとして短刀を持った手で頭を掻いた。
「あれ? 誰もいねえ。爆発ってここ……だよなあ?」
物陰で男を確認したヘイデンたちはその男の声と顔に覚えがあった。
酔いどれクランツだ……何故ここに!?
男はテロートの港町で官憲をやっているはずのアルバス・クランツであった。
奴はイムリント撤退戦を生き延びた兵士ではあるが所属していたプロツェット隊は歴史の暗部に放り込まれているので式典には招待されていなかったはずである。
まさか休暇を取り自費でわざわざやって来たというのか。
それとも噂のようにレイトリフとの繋がりがあったのか。
ヘイデンたちはクランツの言動に注意を払った。
招かれざる客であるクランツは辺りを見回すと壁を背にして座る老人を見つけた。
老人は頭に怪我をしているだけでなく内臓を損傷していた。
紺色の軍服が血を目立たなくしているが顔色からして重傷だろう。
クランツはずけずけと老人に近寄るとその顔を覗き込んだ。
「あれ!? あんた知ってるぞ!? バエシュ領主のレイトリフさんでしょ? どったのこんな所で!」
「……誰だね、君は?」
「俺? アルバス・クランツ。酔いどれクランツって知ってる?」
「……君の武勇は有名だ。リンドナル撤退の折には一時的に我が娘カーリー・ハイムマンの部隊に編成されたこともあっただろう」
「そうそう、だから今日来たの……」
二人の会話を聞きヘイデンは周囲に撤退の合図を出した。
部下が信じられないという顔をする。
ヘイデンのそばにいた部下が小さな声でヘイデンに進言した。
「少佐……! まだ標的を沈黙させておりません!」
「じゃあ今から出ていくか? あの気狂いに理屈は通用せんぞ」
「レイトリフ殿が我らのことをあの男に話します!」
「……構わん。我らは今別の所にいる事になっている。口裏も合せてある。酔いどれの言い分など誰も信じまいよ」
「本当に宜しいので?」
「止めをさせなかったのは残念だがな。だからと言って奴が死ぬまでにはまだ時間がかかりそうだ。ここに釘付けになっていてはヘジンボサム公たちが心配だ」
ヘイデンが再び合図を送ると一団は物音を立てずにその場を撤退した。
「なんとも歯切れの悪い幕引きだが……まるでお前の人生みたいでお似合いだな、親父。お前は何も手に入れることが出来なかった。おめでとう」
ヘイデンは最後に吐き捨てるように呟き去っていった。
「とっつぁん、行ったぜ」
「ふふふ……まさか君が来るとはな……」
「ごめんよー。ちょっと遅れちゃった。気分はどう? やばい? 死にそう?」
「なんて聞き方だ……。うむ、まあもう助からんだろうな……。先ほどから既に痛みはない」
「ああそう」
「それにしても何故ここに? プロツェット隊は全滅扱いのはずだったが」
「え。俺ってほら、実はガイスト隊所属だったらしいじゃん? ハイムマン隊下のさ。だから久しぶりーってガイスト隊の奴らと抱擁しに来たの。めっちゃ怪訝な顔されたけどね」
「ふっ……君はいつまでも君のままだな」
「あのさ、ちょっと聞いちゃった。……親父って、あんたら親子だったの?」
「……そうだ。娘に家督を継がせるために廃嫡した長男だよ、あいつは」
「あらまあ立派になっちゃって。今じゃ皇帝の右腕だ」
「…………」
レイトリフはいよいよ血を失い過ぎて眠くなり項垂れる。
望んだ形ではないが痛みもなく死ねるならば及第点だろう。
返事を返さないレイトリフに対しクランツは口を尖らせ頬を軽く叩いた。
叩かれたレイトリフは再び顔を上げる。
「なあとっつぁん、遺言を伝える人間はいるか? おともだちのよしみで伝えてやるよ」
「ふ……そんなもの……」
いるわけがない。
自分は自分が成り上がるために全ての人間をいつでも切り捨てられる駒のように扱ってきた。
共闘関係にあったアバド都長らの命運は今日で尽きているし、ロブ・ハーストや亜人らジウの者たちも計画が潰えた以上はレイトリフとは無関係であったとしらを切り通すだろう。
例え自分の身に危険が及んでも無条件で協力してくれるような間柄など作ってこなかった。
偶然にもクランツに会えて最期を看取られているだけでも奇跡のようなものだった。
だがその時。
脳裏に自分を慕う青年の顔がよぎった。
皮肉なものだ。
尻尾切りに利用していた雑輩の中の一人である青年の顔を今際の際に思い出すとは。
彼とは僅かな時間しか共にしていないが楽しかった。
家督を継がせるために厳しく育ててしまった娘への懺悔か。
娘に家督を継がせるため冷遇し養子に出した息子への贖罪か。
いいや、彼と自然に接することが出来たのは他人の子だからだろう。
なんのしがらみもなく接することが出来た青年に対しレイトリフはいつしか無意識に期待を抱いていたようだった。
「ティムリート君……」
「誰よそれ」
「ナダル・ブランバエシュ公の御嫡男に……今から言う言葉を伝えてくれ……」
「どうぞー」
「ありがとう……クランツ」
レイトリフは直前まで考えていた。
何を伝えるべきか。
打倒皇帝への檄。
カーリー・ハイムマンが知ったであろう皇帝の秘密に関する私見。
しかしどれも眠気を堪えるには時間が足りない気がした。
だからレイトリフは僅かな言葉をクランツに託す。
そして静かに息を引き取った。
「さあてと、脱出はいつでも出来るとして……どうしようかなー」
クランツはレイトリフの瞼に手を添えて目を閉じさせ階級章をむしり取った。
立ち上がり大きく伸びをして、行く先に適当な目星をつけて歩き出す。
向かう先は未だ怒号と銃声の鳴り響く区画だ。
それはだんだんと近づいてきていたので調度良かった。
ニファ・サネスは出遅れていた。
姉の化身装甲の稼働から一足遅れ、かつ周囲の暴徒を文字通り叩き潰すのに時間がかかってしまった。
蜘蛛の子を散らしたように逃げる暴徒たちを徹底的に追いかけたのは姉を泣かせたからだ。
それは許してはいけないことだった。
しかし途中で止めた。
ロブ・ハーストの魔力を感じとったのだ。
ずいぶん焦らされたがまた彼と戦うことが出来る。
ニファは歓喜した。
あの嵐の夜の死と隣り合わせの緊張と痛みを思い出すと下腹部が熱を帯びてくる。
だが自分自身を慰めたくても装甲を纏った状態ではままならずもどかしい。
そのもどかしさがますますニファを悦ばせる。
ニファは最大速度で周囲を破壊しながら軍曹の元へ急行した。
気配を感じた場所に到着するも軍曹はいなかった。
あったのは破壊された一帯に散らばる無数の人々の肉片と、姉の化身装甲のみだった。
姉はとっくに稼働限界となり装甲を捨てて何処かへ行ってしまったのだろうか。
ニファは姉の化身装甲の前に立った。
お姉さま?
装甲の腹部に大きな穴が開いている。
覗き込みたいが化身装甲の構造上かがむことは出来ない。
なんとか穴に手を突っ込むと感触がある。
引っ張り出してみるとそれは内部に残っていた中途半端な肉片だった。
お姉さま、どこですか? 軍曹さん?
ニファは暫くそれを眺めていたが振り払うと周囲を探し始めた。
結局彼女は稼働限界を迎えるまでその場から動かなかった。
後にヘイデンたちが駆けつけた時も彼女はそこにいた。
彼女は自分の装甲を脱ぎ捨てて姉の化身装甲にもぐりこみ、姉が戻ってくるのを指をくわえながらじっと待っていたのだった。