戦いに臨む 3
皇帝の演説が終わった。
そこにいる殆どの者が絶句していた。
皇帝が語ったのは果たして今語るべき内容なのか。
今発するべき声明なのだろうか。
普通ならすぐにでも糾弾の声がそこかしこから上がってもおかしくない理不尽極まりない演説だった。
しかし状況にそぐわぬあまりの内容に暫く理解が追いつかず誰も口を開くことが出来なかった。
皇帝のその異様な風貌が。
暴君としての風説が。
壇上に立つ男の圧倒的な身勝手を補完する。
皇帝の言葉に現実味を帯びさせる。
しかし大衆は愚かだった。
隣り同士の者と見合わせた目と目が同調を感じた時、根拠のない自信に後押しされてしまった。
次第に湧き起こるどよめきが雪崩のように怒号へと変わっていく。
大広場は瞬く間に怒号の嵐で吹き荒れた。
「おいおい……なんだよあれ。今日日ガキでもあんな攻撃的な演説なんかしねえぞ」
演題の袖で状況を見守っていたバルトスも引くほどの内容だった。
「そもそも今のって演説って言えるのかな」
「戦争で死んでいった人たちのことをどうでもいいって……。酷い……」
「少佐。本当にこれで良かったんでしょうか?」
エイファたちも口々に疑問を呈する。
「勿論だ特務曹長。陛下はあれでいい」
しかしヘイデン少佐だけは不敵に笑みを浮かべていた。
飄々とするヘイデンに対しエイファは掴みかからんばかりの勢いで吠えた。
「良いわけないわ! 酷過ぎる……! あれじゃあ誰も浮かばれない……。陛下だって一層敵意を向けられるだけじゃないですか!」
「それでいいんだよ少尉。禍根というものは中途半端にやるから生じるのだ。さあ、もはや群衆に火がついたぞ。いよいよ仕上げと行こうじゃないか!」
エイファは釈然としない。
エリスはエイファの肩を叩き小さく首を横に振った。
ヘイデンは民衆の心理をよく理解していた。
ブロキス帝が何をしようが必ず悪しざまに伝聞される今の状況をよく理解していた。
例えばブロキスが普通の演説をしたとしても人々は面白おかしく誇張し結局は理不尽な暴君であったと言動を創り上げるだろう。
火消しする努力など不毛であり、それならば最初から人々の望むように振る舞ってやれば良いのだ。
批判する者は何をやっても批判する。
そのような者に理解を求めようと腐心するよりは、逆風からも己の利を見出して着いてきてくれる者を大事にしたほうがよほど建設的である。
謂わばブロキス帝による挑発はただ単純に感情論で現帝政を嫌う者を振るい落とすための策だった。
実がある批判ならば忠言として受け入れるというブロキスの言葉に気づけるかどうかが重要だった。
その時、皇帝の後ろでナバフ族の戦士長オロが怒りの形相で動く。
彼の腰には儀礼用の短刀が忍ばされていた。
「改宗を求める?」
式典の前夜、拠点にしている宿でエイファたちは最後の軍議を行っていた。
警備の場所は大広場へ続く小路から大広場の要人警護になった。
持ち場を直前に切り替えることが出来た事から察するに最初からそのつもりであったのだろう。
本命の戦力をぎりぎりまで秘しておくのは戦術においてよくやる手法だ。
ヘイデンの計画は燻っている皇帝不信の火種に油を撒いていっそのこと大炎上させてしまおうというものだった。
そのため帝政側は記念祭の本祭で反帝の実力行使が行われると踏んでいるように今まで見せかけてきた。
敵はその裏をかき本祭ではなく帰路に皇帝を殺害しようと画策していた。
だから逆に帝政側が本祭で混乱を起こしこれを出し抜いてしまおうというのである。
ハースト軍曹は逃亡の策を提案してきた。
しかし襲われてから逃亡に成功しても謀られて命からがら帝都に逃げ帰ったという不名誉が残るだけだ。
帝政側が一枚上手であったと世間に知らしめなくてはならない。
ただし慰霊の場で争いを起こしたとあれば非難は免れないという懸念もあった。
だから手を出してくるのは必ず反帝側が最初でなくてはならない。
襲われたというより襲わせたという体にしなくてはならないのだ。
それならばとヘイデンは考えた。
ブロキス帝の暴君としての風説を利用しようではないか、と。
もともと大転進記念祭はその名称からも帝政へのあからさまな皮肉が込められていた。
粛々と式典をこなしても難癖をつけられて批判されるだけだろう。
だから皇帝には場違いであろうとも強気の姿勢を崩さないようにとヘイデンは進言していた。
理不尽も貫けば偉大なる統率者として神格化されるのだ。
「そうだ。陛下には要人に対し式典の場で改宗を求めて頂く。最初に非があるのはお前たちだ、全て知っているぞとかまをかけるのだ」
「なんだよ改宗って」
「島嶼の要人に精隷信仰とか自然信仰を止めさせるってこと?」
「いやそうじゃない。ここに派遣しているうちの特派員が掴んだ情報だがね、どうやらこの都にラーヴァリエの教義が入り込んでいるようだ」
エイファたちは驚いた。
ラーヴァリエは選民思想を持った信徒が救済を名目に各地で問題を起こしている宗教である。
その母体であるラーヴァリエ信教国は世界中で危険視されているならず者国家だ。
だが各国は既に一定の信者を抱えてしまっており公然と敵視出来ない存在となっていた。
古くからラーヴァリエと島嶼の土着信仰のせめぎ合いを間近で見ていたリンドナル王国らランテヴィア大陸東部の諸国はこれを禁教として流入を防いでいた。
大陸を席巻したゴドリック帝国も踏襲してこれを禁じていたはずであった。
それが不法に入り込んでいるのならすぐさま検挙すべきではないか。
エイファ達の疑問にヘイデンは指を立てて制した。
「そこで問題は、誰が関わっているかというところになる。大転進記念祭はこれを暴くのに調度良かった。リンドナル近隣の要人の殆どが集まるからな。都長様様だよ。彼が公約にしてくれたおかげで現帝政はより堅固なものとなる」
「一般人叩いても大して意味ねえもんな。でも誰がラーヴァリエの信者になってるのか確証はあんのか? 知らぬ存ぜぬで通されたら赤っ恥じゃねえの?」
「統治責任を問うて処罰するって方法もあるけど」
「それだと統治責任者はある意味被害者になってしまいますね」
「そうはさせない。陛下をだしにして民衆を扇動する者には厳罰を与える必要がある」
「おめえもイボじじい使って色々やってんじゃん」
「私は陛下に進言し許可を得ている」
「で、誰が信者なんですか?」
「まずサリ・アバド都長は間違いなくラーヴァリエと繋がっている。陛下を批判しているうちに目を付けられ取り込まれたのか、それともラーヴァリエに取り込まれた市民たちによって担ぎ上げられ信者にならざるを得なかったのか、それは分からんがね。あとは島嶼の要人の中にもちらほらと疑わしき者がいる。島嶼諸国に関してはそれが国をあげての裏切り行為なのか今回の件の後の対応を見れば分かるだろう」
「証拠は?」
「物的証拠はない」
「だめじゃん」
「だから市民の力を使うのだ」
「どういうこと?」
「改宗を迫られた都長たちを助けるように市民を扇動して暴動を起こさせる。暴動が起きてしまえばアバドたちは自分たちもそれに加わざるを得なくなる。何故か? 自分は知らぬ存ぜぬを通し壇上で黙って市民が鎮圧されるのを見ていてみろ。暴動が成功しても失敗しても、日和見、臆病者、背信者として糾弾されるのは目に見えている。そしてラーヴァリエの教義からいえばそういう者は間違いなくいずれ殺されるだろう」
「あー、なるほど。えげつねえな」
「その道を選んでしまったのは彼らだ。同情の余地などない」
「そういえばレイトリフ殿は? レイトリフ殿もラーヴァリエの信者なのかしら」
「いや、あの男はそんなものには傾向しない。入信しない姿勢にラーヴァリエからの不興は買っているだろう。共謀してもお互いがお互いを捨て駒だと思っているだろうな」
「醜い話だね」
「策士、策に溺れるという。策を捏ね回すと反って付け入られる粗が生じるものだ。奴は保険をかけすぎた。出来ればあの男も今回の騒動で逮捕出来ればと期待しているんだがね」
「ちなみに軍曹はどちら側なんでしょうか?」
「ハースト軍曹か? 彼は……分からない。逃走の経路からすればレイトリフ殿と繋がっていると考えられるが、リンドナル方面軍時代にラーヴァリエとの繋がりが出来ていたという線も捨てきれない。だがもはや軍曹を捕えるかどうかという問題ではない。因縁はあるだろうが捨て置くように」
「そういうわけにはいかないわ。お子さんはどうするんですか」
「子供?」
ヘイデンの何気ない返答にセロが目線をあげた。
「ああ、我が娘アーリーのことか。それなら特派員と別働隊に手配済みだ。敵の拠点はもう割り出してあるし、記念祭の暴動が始まったら双方の拠点に同時に突入して娘を奪還する手筈になっている」
「そっか……上手くいくといいですね!」
「…………」
「ありがとう少尉。……なんだね、ディライジャ上等兵。こんな大事に私が私情を優先させるとでも?」
「いえそういうわけでは。別に、なにも」
ヘイデンはアバド都長の邸宅で皇帝と軍曹が密談を交わしたことをエイファたちには黙っていた。
それを教えてしまえばエイファたちについてきた嘘がばれてしまうからである。
確かにヘイデンにはアーリーという娘がいるが娘は平穏無事に帝都で暮らしている。
皇帝に娘がいるということは皇帝最大の弱味であり、誰にも知られてはならないことなのだ。
セロはヘイデンが、軍曹に攫われた自身の娘がこのダンカレムの何処かに捕らわれているという設定を一瞬忘れていたことに気づいた。
娘がいること自体が嘘なのか、嘘だとしたら何故そんな回りくどい嘘をつくのかまでは分からなかったが、何かを隠しているということはよく分かった。
策士策に溺れるとレイトリフのことを評したヘイデンであったが奇しくもヘイデンにもその気質があった。
エリスから精隷石を取り上げたこと、ロブ・ハーストの立ち位置を黙っていたこと、ニファを野放しにしてしまったことが皮肉にもそれをすぐに裏付けていくことになるのである。