巨星を集い 9
リンドナル領ダンカレムはサリ・アバド都長の邸宅にて。
客間の一室で物憂げに座り何をするわけでもなくぼんやりと天井を眺めている者がいた。
豊満かつ健康美溢れる肢体からは女性と断定できるがその者は人間ではない。
豹の頭部を持ち、発達し太く大きくなった前腕部を持つ亜人・オタルバは暇を持て余していた。
そこへ扉を叩く音が聞こえる。
外から聞こえた入室確認の声はロブ・ハーストのものだ。
部屋に入ってきたロブは風体を隠すために着ていた砂塵除け用の外套を無造作に脱ぎ捨てる。
ロブはふてくされているオタルバに屋台で買ってきた珍しそうな食べ物を差し出してご機嫌を取った。
「暇そうだな」
「当然さね! 町の中は兵士だらけだし、アバドには庭にも出るなって言われちまうし。暇過ぎて体が鈍っちまうよ!」
食べ物程度では肉体派の腹の虫は収まらない。
オタルバは目立つので町を散策することが出来ず、庭で身体を動かそうにも周囲に亜人がいることがばれてしまう懸念からずっと部屋に引きこもるしかなかった。
大転進記念祭は既に半分が過ぎたとはいえ残りの日数もこのままなど気が滅入りそうだ。
喋る相手もロブしかいないので必然的に八つ当たりされてしまうのだがロブにもどうすることも出来なかった。
「なら頭を使おう。見ろ、今の所こんな感じになっている」
ロブはそういうと懐に折りたたんで入れていた紙を机の上に広げる。
紙はアバド都長から貰ったダンカレムの都市割だ。
大まかではあるが重要拠点と道路が描き記されておりその上からロブが加筆してある。
オタルバはそれを眺めたが不服そうに喉を鳴らした。
「実際に町中を見たわけじゃないからねぇ。これだけじゃ何がなんだか分からないよ」
「見ろ。かなりの堅実な部隊配置だ。警備の厚い場所や逃走経路として不向きな場所には斜線を引いておいてある」
「なんだい良く見たら全部の道が駄目じゃないかい」
「そうだ。この都市で雨燕の精隷石を奪取するのは不可能ということが分かった」
都市は至る所に兵士が詰めており付け入る隙がなかった。
何か事を起こして発覚したら逃げられる保証はないだろう。
特にサネス少尉たちの持ち場は次第に一般人の人出が減ってきたとはいえ、警備兵の本部が近くにあり多くの応援兵士たちの持ち場に囲まれている場所にある。
サネス少尉はともかく他二名の若者は実戦経験があるのか飄々としているように見えて常に気を張っており油断がならず、雨燕の精隷石を持つ標的の女性の索敵勘もなかなか手強かった。
「更にだがもっと不味い状況になった。俺の視力を奪った兵士がいた」
「それって……ニファ・サネスとかいう小娘かい? いなかったんじゃなかったのかい」
「そう思っていたんだがな、訂正する。いた。あれは非常に厄介でな。恐らく感覚でだろうが俺の魔力を察知する術も身につけている。魔力の気配を消せるようになっていたから良かったものの、それでも危うくばれそうになった」
「戦況は悪化の一手かい。困ったねえ。じゃあどうすんだい。まさかとは思うけどねえ、このまま都長のそばにいてずっと過ごすのかい?」
「それなんだがな……それしかない。今は何事も起こさないのが肝要だ」
「なんだいそりゃあ! じゃあなんのためにこんな所まで来たんだかね!」
「それは仕方ないだろう。ここに来ざるを得なかったのは俺たちがどっちつかずの行動を取らないようにレイトリフが策略を仕掛けたからだ。これに乗らなければレイトリフはジウの協力体制を疑っただろう。今回の任務はレイトリフに疑われないように皇帝に接近しなくてはならないんだ。だから……」
「諭されなくたってね、分かってるさね!」
オタルバは怒っていた。
身動きが取れない不自由さにもそうだが一番はロブの態度にである。
不謹慎かもしれないがせっかく二人きりになったというのにロブは普段と変わらなかった。
ジウではオタルバの寝所で愛の言葉を告げてくる大胆さがあったというのにそれから何もないなんて一体どういうつもりなのか真意が見えなかった。
実際は単なる言葉の捉え方の違いでしかなかったのだが、好いた惚れたの事柄に関しては生娘並みの耐性しかないオタルバは誤解をこじらせてしまっている。
そんなわけでオタルバは怒ることで自分を奮い立たせていた。
「オタルバ、落ち着いてくれ。言っただろう、頭を使う時間だと。俺にはもう何も思いつかん。お前の知恵を貸して欲しいんだ」
「ロブ。あんたさ、この任務が終わったらどうするつもりだい」
「なんだ急に。今はそんな……」
「大事な話さ。どうするんだい」
「……大賢老に学べと言われた魔法もだいぶ身につけてしまったしな。とりあえず今のところ目標はない。そんなことは帰ったら決めればいい」
「じゃあ、じゃあさ……う、うちで暮らさないかい? いっ、いろいろお互いのこと、知らないといけないし」
既に魔法はオタルバよりも使いこなせるので彼女に学ぶことはないが、ならば門番の仕事を学べということだろうか。
もしもそうなら居候の誘いはありがたい。
大樹の中に借りた部屋からジウの入口までは意外と距離があって毎日通うとなると面倒そうだった。
どういう風の吹き回しかしらないがオタルバ自身が良いと言うのであればあの洞穴は暗くて落ち着くし、厚意に甘えるべきだろう。
「いいのか? じゃあそうさせてもらう」
ロブの返事に対し無言で二度頷いたオタルバの顔を見てロブは怪訝に思った。
獣然としたオタルバの顔が普段と違ってしおらしく、かつ妙に愛らしく見えたからだ。
例えるならそれは野生動物と愛玩動物の表情の違いといった感じか。
いつの間にか一人の女に愛されてると知る由もないロブは実に酷い男であった。
「よし、じゃあ先の方針は決まったな。だったら次は今の方針を決めよう。オタルバ、何か手立てはないだろうか?」
「そんなことはね、なんとかなるもんさ」
「おいなんだその生返事は」
出会ったばかりの殺伐とした空気はどこへやら、最近は特に身の入っていないオタルバに流石のロブも溜息をつきたくなった時だった。
入室確認もなく勢いよく部屋の扉が開く。
驚いた二人が見るとそこにはアバド都長が青い顔をして立っていた。
手には密書が握られていた。
「皇帝が……来る」
息も絶え絶えな都長の台詞に思わずロブがオタルバを見るとオタルバは苦笑いしていた。
「ほら、なんとかなるもんだろう?」
絶対予想などしていなかったはずだ。
ロブはようやく溜息をついた。
ブロキス帝に敵は多い。
親皇帝派の軍人を集めたリンドナル領においてもそれは変わらず、皇帝への批判を掲げて当選したサリ・アバド都長の存在からしても民意は反政権に傾いていた。
また皇帝は今回の大転進記念祭の加害者とも言える存在でありそんな者が国の行事とはいえ出席するならば良からぬ事を企む者も多いだろう。
よってレイトリフもロブたちも皇帝は記念祭の最後の慰霊式典まで現れないと踏んでいたのだがそれは覆されることになった。
アバド都長が持ってきた密書には皇帝が既に帝都を出立している旨が書かれており三月の最終日に来賓を集めた晩餐を開くようにと通達してあった。
書簡の最後には皇帝の直筆と諜報部の印が押されている。
皇帝の右腕として知られる諜報部のヘイデン少佐は既にダンカレム入りをしているとの噂があってから数日が経過しているが、果たしてこれを持ってきたのは誰だろうか。
順当に考えればヘイデン少佐が時間をずらして通達してきたと考えるのが自然だが、そうなると皇帝が帝都を出てからダンカレムに到達するまでの移動時間が長すぎた。
何が本当で何が嘘だか分からないようにしているのは皇帝の道中の動きが読まれて襲撃されないようにするためだろう。
しかし晩餐会に皇帝が参加する意志があることだけは事実だ。
つまりもしもこの時に襲撃などの乱行があれば完全にアバド都長による漏洩だと分かるわけである。
最終日に皇帝に会わなければならない事を恐れていたアバドはその前にも会わなければならない必然性が生じたことにより乱心寸前であった。
「殺されるんだ……!」
悲痛な叫び声が都長から放たれる。
大転進記念祭を国事に制定させ慰霊碑の前で皇帝に謝罪をさせると公言していたかつての自由主義者は自分の言質によって追い込まれていた。
ブロキス帝はよもや自分が批判されると知った上で大転進記念祭の草案を認可するとは思っていなかったし、あまつさえ来訪するなどとは予想だにしていなかった。
広い額に浮き出た脂汗を拭うことも忘れ都長はしきりに段鼻を指でこすっていた。
「都長殿、お声を落としてください。誰に聞かれているか分かりません」
「ああそうだな! そうだとも! 貴様は他人事だからそんなことを言えるのだ!」
「ご安心ください。ここリンドナルは皇帝にとって意地でも民意を掴んでおきたい地です。だから皇帝は自身の醜聞になろうとも世論を支持しこの大転進記念祭を許したのです。ここで皇帝が都長殿に手をかけるようなことがあれば皇帝はいよいよ求心力を失います。よって皇帝自ら手を下しにくるなどありえないのです」
「軍曹風情が、政治を語るな!」
何を言っても駄目だ、とロブとオタルバは顔を見合わせ肩をすくめた。
「じゃあ何しにあたしたちに報せに来たんだい」
「決まっているだろう! 貴様らはレイトリフ殿から使わされた私の警護だぞ! 今日からしっかり私の傍を離れるな! 晩餐会でも私から離れてはいけないんだ!」
「晩餐会ってことは軍の連中とか島嶼の来賓連中とかも来るんだろう? 指名手配中のロブはもちろん、あたしだって人前に出れるわけないじゃないか。変装したって誰かに不思議に思われたらおしまいだ。あたしたちに表の警備をさせるのは得策じゃないねえ」
「黙れ黙れ! 獣が人と同等のつもりになるなあああ!」
叫んでからはっとして都長は急に哀れな声を出し始めた。
「ああ……違う、違うんだ最強の兵士よ。ジウの遣いよ。お前たちだけが頼りなんだ。あの残虐非道な暴君から私を守れるのはお前たちしかいないんだ。お前たちは人の上に立つ者の苦悩をしらないから平気で人の神経を逆なでする。本来ならばその態度はありえない無礼だ。だから……いや、だがそれは許そう。私が許すのだ、感謝せよとは言わない。聞かずとも分かる……だから私の警護に励むのだ」
「都長殿」
「いい、ロブ。あたしゃ気にしちゃいないよ」
獣と侮辱されたオタルバを慮り静かに怒るロブだったがオタルバに制される。
亜人に対して偏見を持つ人間は少なくなく、そんな者にはいくら弁を尽くしても分かり合えないことはオタルバはよく知っていた。
それに都長はいま死の恐怖に溺れるあまり取り繕うことさえ出来なくなっているのだ。
冷静に相手をするだけ無駄であった。
「……了解した。では交代制で警護に就こう。邸宅内外に関わらず変装の許可は頂けたものと認識させて頂く」
「では行くぞ……。私は政務に戻らなければならないんだ。お前たちのように暇じゃないんだ……」
幽鬼のように部屋を出ていく都長の背中を見てオタルバが唾を吐く真似をした。
「密書を忘れて行ったね」
「一応俺が預かっておく。まぁ、なんだかんだで好機が訪れたもんだ」
「晩餐会で皇帝に時間を作らせればわざわざ無理して精隷石を奪う必要がなくなるねえ」
「ああ。そこらへんの計画は当日までに詰めていこう」
「何をやってる! 早く来ないか!」
都長の怒号が廊下の先から聞こえたのでロブは急いで部屋を出て行った。
後に残ったオタルバは考える。
交代制ということは殆ど被る時間がないだろうが、あったとしてもそれは皇帝の対策の時間に消えるということか。
せっかく勇気を持って一歩を踏み出してみたのにぜんぜん二人きりらしい時間を過ごせないなんて、まるで運命に邪魔されているかのようだとオタルバは少し拗ねた。