魔力を知る 3
「さぁ、赤ちゃんにおっぱいあげなきゃだわァ」
合議が終わるとまずはイェメトが上体を起こした。
「…………」
「シュビちゃんも、行きましょお?」
「!」
声をかけられたシュビナはようやく口の端に笑みを覗かせた。
「じゃあねェみなさん、おやすみなさァい」
「ぎっぎっ!」
イェメトは再び光となって一気に大樹の頂へと移動し、後を追うようにシュビナが飛んで行った。
「……大丈夫なのか?」
二人がいなくなったところでロブは心配になり大賢老に聞く。
大賢老はまだオタルバの肉体に宿ったままだ。
『何がだね』
「赤ん坊だが……イェメトが授乳するのか? 他に乳の出る者はいないのか?」
あの女の乳を赤子に飲ませるのはなんだか悪影響なような気がするロブだったが大賢老は笑ってそれを否定した。
『今は他に子を育てている者はいない。それに大丈夫だ。あれはきちんと子を育てるよ。彼女の乳で育った住人も多いが皆立派に育っている』
「彼女の発する呼気というか、汗の匂いというかもかなり危険な匂いがしたが……」
『確かにイエメトは催淫性のある香りを放つが色欲を覚える前から共にいれば反って耐性が付くだろう。問題ない』
「それはいいのか? ……俺はもう知らんぞ」
『さて、戦士たちよ。皆も今日はもう寝るが良い。ブランクもロブも、長旅で疲れているだろう。ロブはオタルバと共に生活するのかね?』
「まだ聞いてないが、たぶんそうなるんだろうな」
ルーテルの耳が大きくなり、エルバルドは雑談には興味がないという具合に軽く挨拶をして立ちあがった。
「決まった以上はあんたもジウの住人だ。合議前の言葉は水に流してくれ」
去り際にエルバルドはロブに話しかける。
ロブは気にしていなかったので頭を振った。
「気にするな。俺がお前の立場でもああしていたかもしれない。これから宜しく頼む」
「ああ、宜しく」
ロブが差し伸べた手をエルバルドは握り返した。
ひんやりと鱗を感じる手だった。
「じゃあロブ、明日は俺もあんたがオタルバにしごかれてるの見に行くぜ! 暇な時間が出来たらジウの中の案内をしてやるよ!」
「ああ、ありがとう」
「私も行くぞロブ・ハースト。門番としての仕事をさっそく覚えようではないか」
「ああ、頑張ろう」
「それと……」
「ん?」
「良かったな。ジウに会って、お前は新たな目標を手に入れた。もうお前は兵士ではないぞ」
「……ああ」
ラグ・レは出会った時のロブの様子をずっと気にかけていたようだ。
まだ清算しなくてはならない事は沢山あるがそれでもここまで来ることが出来たのは彼女がきっかけを作ってくれたからだった。
ノーラとブランクとラグ・レは三人揃って神殿を後にする。
「ラグ・レ!」
その背中にロブはまだ言い足りなさを感じ声をかけた。
「なんだ?」
「……お前と出会えて良かった。ありがとう」
ロブは心から感謝する。
ラグ・レは目を丸くしたが、少しはにかんで小さく頷くと何も言わずに歩いて行った。
ノーラはラグ・レの頭に軽く手を乗せ、ブランクはロブを見て微笑み軽い足取りで二人の後に続いた。
後には大賢老とロブにオタルバ、そしてルーテルが残った。
「さて、じゃあ俺も行くか。オタルバ?」
「冗談じゃないよ」
ジウの気配は玉座の枯骸に戻り、瞑想でもしているかのように静かな静寂に包まれていた。
依り代になっていたオタルバは自由に喋れるようになり、第一声でロブを拒否する。
オタルバは少し疲れているようだった。
イェメトとの会話の通り依り代になるということは体力を消耗することらしい。
「あんたはどこか空き部屋を借りな!」
「空き部屋があるのか。それならそれでいいが、歩けるか?」
「なめるんじゃないよ! そう言って付いてくるつもりだろ!」
「肩くらいは貸す」
「結構だ! 馴れ馴れしくするんじゃないよ、まだあたしは返事してないだろ……」
「返事?」
「と、ともかくだ! とっとと寝な! 明日は日の出からしごいてやるから覚悟するんだ! 合議で決まったことも進めていかないとだし、時間はないんだよ!」
「日の出からか。起きられるか分からんしやっぱりお前の家に厄介になったほうがいい気がするが」
「貴様! しつこい……ぞ!」
後ろで二人のやり取りをずっと聞いていたルーテルが大声を出す。
ルーテルにとってはしつこい口説き男からオタルバを救う絶好の好機だった。
こてんぱんにやられたとはいえルーテルは未だにオタルバの事が諦めきれていない。
ここでオタルバを守れは逆に自分を受け入れてくれるのではないか、と邪な感情が昂っていた。
「オタルバが嫌がっているではない……か!」
「夜だ、ルーテル! うるさいよ!」
「えっあっはい」
牙を剥かれてルーテルは途端に大人しくなった。
「空き部屋の場所はルーテルに聞きな。あたしは疲れたから一人にして欲しい。……明日は起きた時間にあたしの所にくればいいから。それじゃあ、ね」
もう喋りたくないと言わんばかりの弱々しさだったがこれ以上構うと余計に体力を使わせかねない気がする。
ロブは引き下がりオタルバの背中を見送った。
後に残ったルーテルはロブの前を遮ると血走った目を顔面に近づけていた。
薄く光る輪郭でしか見えないがそれでもかなりの迫力だった。
「貴様……最初から同棲拒否とは……オタルバにいったい何を……した!?」
前科のあるルーテルはロブが出会ったばかりの当日に既にオタルバに粗相をしたと思い込んで怒りと軽蔑の眼差しで見下していた。
場合によってはぶちのめす気満々だった。
「何もしていないが……ずっとあんな感じだ」
ロブもわけが分からないので素直に答えるしかない。
その裏表のない声色にルーテルは途端に上機嫌になった。
「そ、そう……か! なるほどな、わかったぞ! 貴様、生理的に嫌われたのだ……な! わはははは!」
「何が面白いか分からんが空いている部屋に案内してくれないか?」
「わはははは! 断……る! そこらへんの地べたで寝るが……いい!」
「嘘だろ」
ルーテルは高笑いをしながら出ていった。
一人残されたロブは頭を掻いた。
少し困ったが幸いにもまだ日は沈んで久しく起きている住民もいるだろう。
誰かに空き部屋の事を聞こうと思い歩き出そうとしたロブであったが……。
その前に気づいた。
「……これ、俺が片付けるのか?」
そういえば敷かれたままの藁も芋を食べたあとの木皿も、誰も片付けた様子がなかった。
つまり残った自分が片付けろということのなのだろうか。
これが新参への洗礼か。
そういえば自分は会議に集中し過ぎていて芋を食べていなかった。
――すまないね。ロブ、君が片付ける必要はない。今日の食堂の給仕担当が今しばらくすれば片付けにくる。
「ん。ああ、大賢老か。食いっぱなしというのも気が引けるな」
――役割だよ。そのうち慣れる。
ロブは折角なので食べるのを忘れていた芋を頬張った。
冷めてはいるがしっとりとしていてとても美味しい芋だった。
「美味い」
――大樹の裏にある畑で採れた野菜はどれも気脈の影響を受け立派に育つ。イエメトの魔法は野生生物が畑を荒らさないようにするためのものでもある。
「それを聞くといきなり所帯じみた能力に感じるな」
暫くロブは芋を堪能し、大賢老は静かに沈黙していた。
再び大賢老と二人きりの時間を得られた。
ロブは周囲に人がいない事を気配で探り口を開いた。
「なあ、大賢老」
――なんだね?
疑問が沢山ある。
どこまで答えて貰えるか分からないがロブはとりあえず聞いてみることにした。