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【2】間違っても猫にお酒を与えてはいけません

 お昼休みの出来事である。

「せっかくですから、私が作ってあげます」

 全てはこの言葉にはじまった。


 この日、既に学校が春休みに入っていたということもあり、アツヤ少年が事務所に顔を出しに来ていた。間もなく進路の選択を迫られる高校生という割には随分と可愛らしいこの少年も、一応事務所のデスクを与えられてはいる。けれども、通学や機材の関係で普段の業務は専らオンラインでこなし、稀に出勤しては予算の増額をお願いしていた。コンピュータの進化は日々目覚ましいのだ。

 だが、肝心の社長はお出掛けで昼過ぎまで戻ってこないらしい。

 

 さて、その可愛らしい彼が昼食に弁当を買いに出ると言うので、奈美が腕まくりをしたのだった。

「いや、大丈夫ですよ」

 アツヤ少年がこのように言ったのは、彼女の料理を食べたくないとか、そういうことではない。あくまでも当然の社交辞令としてであり、むしろ彼は心のうちで、この申し出をとても嬉しく思っていた。

「遠慮なんてしないでください。それに、自分一人分のご飯だけを作るのって、結構寂しいものなんですよ?」

 そう言って、何か食べたいものがあるか、食べられないものや食べてはいけないものがあるかを問う。少年ははじめ「何でも(食べられるし、何でもよい)」と答えたが、奈美が勿体ぶるものだから、結局「中華」をリクエストし、後は任せようと考えた。


 何か一騒動や人物の意外な一面の垣間見えることを期待される読者方としては、厨房から爆発音がするだとか、料理を運んでくるときに転ぶだとか、その料理が産業廃棄物のようであることだとかを予期するかもしれない。

 けれども、そこは長年お勤めを果たしてきたメイドである。厨房からは小気味のよい包丁の音が聞こえ、食への官能をくすぐる香り、手際の良さ故すぐに料理が運ばれてきた。

「特製、五目天津飯です! 」

 一目で判る。米に覆いかぶさった玉子は間違いなくふわふわのトロトロだ。黄金のドームのなんと艶やかに輝いていること。ただ一点、五目と称しておきながら、表に具材が見えないのを不思議に思った。

(ご存知の方も多いと思うが、天津飯は日本生まれの料理である。だが、例えそうであったとしても、天津飯は確かに中華料理なのだ)


「奈美さん、いただきます」

 お行儀よく、餡と卵とご飯とをレンゲに掬い取ったアツヤ少年は理解した。米がまるで炒飯の如く、五目の具材と炒められていることを。

 なるほど、これはさながら餡掛け炒飯なのだ。少し味付けが濃い気もするが、ふわふわの玉子に騙されてしまえば手が止まらない。

 その様を満足げに眺めた奈美は、自らも食事を始めた。特別大食いだとかそういうこともなく、身体の大きさに比例して、気持ち少なめという程度。


 そして、アツヤ少年が頭の中で纏め終えた感想を伝えようと、手を止め顔を上げたときである。彼女の顔が幾らか上気しているように見えたのだ。

「ん? どうかしましたかぁ? 」

 何とも腑抜けた上がり調子の返事。それを聞きつけた真理がどこからともなくすっ飛んできた。

「んぁ、真理さぁん。どうかしましたかぁ?」

 明らかに異常だった。つい先程まで何ともなかった筈の奈美の呂律が怪しくなっている。その猫目からも、いつもの鋭さが失われていた。

「もしかして……」

 何か思い当たることがあるのか、真理は奈美の使っていたレンゲで、奈美の食べていた天津飯から餡だけをすくって口にした。

「やっぱり……、奈美っ! あんたまたアルコールをちゃんと飛ばさなかったでしょ! 」

 アツヤ少年も確かめるようにもう一口をじっくり味わってみたが、言われてみれば口の中にじんわりと広がる感覚がある。だがそれでも、言われてみればという程度で、とても酔っ払ってしまうほどのものには思えなかった。

「あなた、ひょっとしてわざと? 」

 奈美はわざとらしく首を傾げて見せた。ニマニマと、幸せそうな顔をしている。


 何だ何だと、登殿津博士や戸畑も現場にやってきた。

「あっ! チョコレートじゃないですかぁ。ひっとつ〜♪ わったしにくっださいなぁ♪ 」

 とうとう暴走を始めた奈美は博士の手にしていた「洋酒チョコレート」に飛びついた。

「お父さんっ! あげちゃだめ!! 」

 真理の必死の叫びも間に合わなかった。彼女はまんまとせしめたチョコを一つと言わずに、二つを一度に放り込んだのだ。

「何でよりによって洋酒チョコなの! 」

「いや、だって季節終わりで安かったもんだからさ……」

 親子喧嘩を余所に、すっかり出来上がってしまった奈美はにゃあにゃぁと真理の腕に頬擦りしたり、そのまま彼女に全体重を預けてぶら下がったり、果てにはその場で寝転がり始めたりと自由そのものである。


「一体全体どうしちゃったんですか? 」

「そうか、アツヤくんにはまだ話してなかったわね。この子はね……、それはもうお酒に弱いの。そのうえお酒自体は大好きで二日酔いもしないっていうんだから、一滴でもアルコールが入ってタガが外れちゃうと、それはもう質の悪い酔っぱらいと化すのよ」

「あれ、でも奈美さんっておいくつでしたっけ」

 少年の疑問は尤もだった。彼女は旗から見たら中々に可愛げのあるアツヤ少年と比べても、それと同い年ぐらいに見えたからだ。未成年者飲酒禁止法も改正されていないままのはずである。

「この子は今月で21よ。とてもそうは見えないけどね」

 含みのある溜息を一つ。それから真理は戸棚の上に隠されていたウォッカを取り出すと、それを自分の娘とも大して離れていないように見える少女に飲ませた。こうして完全に潰してしまうのが一番安全なのだ。

「全く、あなたはどうして酔っ払っちゃうのかしらね」

「ごしゅぢんさまがそうお望みになったからでしゅ……」

 そうしてすぐに、奈美はスヤスヤと寝息をたてはじめた。 

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