魔術師棟へ
召還する準備が整ったと、連絡があったのは構想を相談してから10日後だった。指定された宮廷魔術師のいる棟へと向かう。
「おや、これはまた可愛らしい」
侍女を連れて歩いていると、わたしに気がついた誰かが行く先を塞ぐ。少しうねりのある長いくすんだ金髪をした背の高い男性だ。とても華やかな空気とどこかだるそうな不思議な空気を纏っている。宮廷魔術師の服装をしているので、この棟の住人だということはわかる。
「お嬢さん、ここから先は遊び場じゃないからね。遊びなら僕が付き合ってあげる」
反論する間もなくするりと手を取られた。慌ててその手を振り払おうとするが、意外にもがっちりと掴まれていて手を握られたままになる。どうしようかと眉を寄せれば彼は低い声で笑った。
「ふうん。男慣れしていなそうだ。どう? 僕がこれから色々教えて……」
「触れるな」
がつんと大きな音がした。その音が聞こえたのと同時にわたしの手が自由になる。
「エイベル様」
「遅いから心配した」
エイベルはかすかに笑みを浮かべて、わたしの手を取った。
「あれ、もしかしてエイベルの婚約者になった子?」
男は痛そうに頭を撫でながら、上から下までじろじろとわたしを眺める。その目が観察しているようでとても居心地が悪い。その視線から逃れようと、エイベルの後ろにそっと寄った。
「へえ、結構可愛いじゃん。あのクソ殿下が振った女だと言うから、どれほど傲慢でつまらない令嬢だと思っていたけど」
振られたわけじゃないし。
内心ムッとしながらも、反論できない。だって胸の大きさで気に入られなかったなんて知られたくなかった。どうせわたしはお子様体形よ。
「オーガスタ、それ以上彼女を侮辱するのは許さない」
「侮辱しているつもりはないけどね」
オーガスタと呼ばれた男はひょいっとエイベルの後ろに隠れているわたしを覗き込むようにして視線を合わせてくる。にこりとほほ笑まれて、その色気にくらくらした。昼間からこれほど色っぽい空気を醸し出している人に会ったのは初めてだ。
「気分を害したのなら悪かったね。僕はオーガスタ・タルコット。エイベルと同じ宮廷魔術師だよ」
「え、ええ。レティーナ・ハイデルです。よろしくお願いします」
エイベルは不機嫌にわたしの手を引いて魔術師棟へと向かう。何故かその後をオーガスタもついてきた。
「ついてくるな」
「え、だって面白そうじゃん。何するの?」
「お前、今日の仕事は?」
嫌そうな顔を隠すことなくエイベルが仕事のことを振った。オーガスタはにやりと笑う。
「残念だったな。実はもう仕事はおしまいなんだ。僕は夜勤だったからね」
「だったら早く家に帰って寝ろ」
「やだよ。面白そうなことがありそうなのに」
エイベルの舌打ちが聞こえる。わたしは二人の気安い会話を聞いて少し楽しくなった。エイベルの日常が少しだけだが垣間見える気がしたのだ。いつもは優しいお兄さんの顔をしているので、とても新鮮。
「ねえ、レティーナちゃん」
レティーナちゃん。
初めての呼び方に目が丸くなる。
「勝手に名前を呼ぶな」
「じゃあ、レティって呼ぶ」
「却下」
むかむかしているのか、エイベルが冷たく言い放つ。オーガスタは少しも堪える様子もなく、くすくす笑っている。
「そうか、婚約者だもんな。部屋に籠ってやることは一つしかないか」
うんうんと何かに納得したかのように頷いている。その内容にパッと頬が染まった。
え、嘘。そんな風に思われてしまうものなの?
確かに魔術師棟にあるエイベルの部屋に行くのだ。侍女もいるとはいえ、普通の人は恋人の逢瀬だと思うものかもしれない。
「違う。今日は魔獣を召喚するんだ」
「魔獣?」
オーガスタの空気が瞬時に変わる。先ほどまでの気怠い色気がなくなり、すっと冷たい空気に変わった。エイベルは顔つきを変えたオーガスタを一瞥した。
「リアム殿下の許可は貰っている。これでいいか?」
「よくないよ。魔獣召喚するなら僕も参加するよ」
「いらない」
どことなくヒヤリとした空気が流れる二人の会話に思わず口を挟んだ。
「どうしてエイベル様一人ではいけないの?」
「魔獣はね、人に懐きやすいものとそうでないものがいる。一人で召喚した場合、従えない魔獣が召喚された場合危険だからだよ」
こんなことも説明していないのかと、オーガスタがエイベルを批判の目を向けた。エイベルは肩をすくめた。
「そんなことにならないように、小さな召喚術にするつもりだ」
「エイベル、召喚する理由は?」
オーガスタはエイベルの言葉を無視して、理由を聞いてくる。エイベルは自分の部屋にたどり着くと立ち止まってため息を付いた。
「ここまでだ。問題にならないようにきちんと許可ももらっている」
「そこまでして言いたくない、そしてここにはレティーナ嬢がいる」
オーガスタは腕を組み、扉を開けさせないように寄りかかった。背の高い彼に見下ろされて少しだけ圧力を感じた。
「答えはレティーナ嬢が知っているよね?」
どこまでこたえていいのかわからなくて、問うようにエイベルに視線を向けた。エイベルは答えなくていいと首を左右に振る。
「ねえ、レティーナ嬢。知っているかな? 魔獣を召喚するのには極上の魔力が多くあればあるほど質のいい魔獣がやってくるんだ」
「質のいい魔獣」
とても魅力的な言葉だ。わたしの計画を実現するには質のいい魔獣は必要不可欠である。
「レティーナ、聞かなくていい。俺一人で大丈夫だから」
「エイベル様」
魔力についてはあまり詳しくないので、どう判断していいかわからなかった。
「おや、何を揉めているんだい?」
パッとその声に反応する。
「え、どうして王太子殿下が……」
「楽しそうなことを計画していたからね。エイベルから話を聞いて、私も少しは手伝おうと思って」
エイベルが許可をもらうためにわたしの計画をリアムに説明しているのは当然だとしても、手伝いって何???
「リアム殿下、僕も立ち会いたい」
「うん、いいんじゃないか? どうせなら完成度の高いものにしたいし」
「え?!」
あっさりと許可を出したリアムに思わず声を上げてしまった。エイベルはため息を付いた。
「レティーナ、諦めよう」
「でも、いいのかしら?」
「いいんじゃないのか? リアム殿下はこの国一番の魔術師だ。リアム殿下がいるなら、妥協せずやりたい放題できるぞ」
早々に二人を受け入れることにしたエイベルに、きっと何を言っても聞いてくれない人たちなのだと理解する。
「それではどうぞ」
エイベルは自分の執務室へと迎え入れた。