学校の構想
学園にするための敷地と城は元々は王家から侯爵家に嫁いできた王女の持ち物だった。3代前の国王が娘の持参金として王領の一部を分け与えたものだ。昔はちょっとした遊びをするときに使う離宮だったそうだ。
それを侯爵家からジョセフとの婚約を機に王家に戻し、さらにわたしと結婚した時にジョセフに譲渡される予定だった。侯爵家でも誰も使わない離宮だったので維持費もかかるため手放すことは侯爵家にとってメリットしかない。
その土地と城を使って貴族向けの学園を作る準備をしている最中だ。
わたしが代表になっているが、何も知らない小娘だ。様々な方面の有識者と会い、意見を聞き、商人と交渉する。15歳の時に指示されたのでかれこれ3年近くやっていた。初めは大変であったが、色々な人が手を貸してくれるので今ではこの事業に関われてよかったと思っている。
その思入れのある完成間近の城がお父さまとお兄さまのおかげでわたしの元に戻ってきた。
エイベルは王太子付きの王宮魔術師なので直接かかわっていなかったが、この学園のことについてすでに知っていた。細かな説明は省き、先ほど見直した書類を渡した。エイベルの部屋の長椅子に二人並んで座って、新しく作った書類の内容を説明した。
「というような浮気への警告機能を持った学園にしようかなと考えたの」
一通り、書類に目を通したエイベルはため息を付いた。
「これって……」
「うふふ、気がついた? これね、巷で大人気の夏の怖いお話を下地にしているの」
「でも夏以外にも作動するんだろう?」
「もちろん。ああいうビッチ好きの王子みたいな人を精神的に追い込んでおくのはちょうどいいかなと思ったの」
婚約破棄される前ならば考えることもなかっただろうが、あのように自分自身が冤罪をかけられてみて恐ろしいと思ったのだ。性に興味を持ち始めた年齢の男女が集まるのだ。いくら貴族であっても、学園という特殊な空間に後先考えずに羽目を外すこともあるはずだ。だからこそ、責任をもって学園内の浮気は防止する。
「その警告が有効かどうかというのもあるが、書かれていることを実現するのもいくつか課題がある」
「そうね」
実現するには問題が多いことはわかっている。素直に頷けば、エイベルが指を一本立てる。
「一つ目。どうやって浮気を判断するのか」
「婚約者以外の異性との接触回数と思っているけど」
「ダンスの時は?」
「もちろん、数えないわ」
当たり前のようなことに応えれば、ため息を付かれた。ぐっと突然手を引っ張られて二人で立つと、ダンスをするように腰を抱かれた。
「これはダンスだ。では、ダンスしながらのこれは?」
そう言って軽く体を動かしながら、背中が怪しく撫で上げられた。
「ひゃああ」
こそばゆさと恥ずかしさに声が上がる。なんだかとてもいけない気分になってくる。顔を赤くして俯けば、くすくすと笑われた。
「ほらね。ダンスとはちょっと違うだろう?」
「ううう。そうね。少し考えるわ」
もうやめてほしくて頷く。ダンスはジョセフと踊ることが多いのだが、彼とのダンスは一種の格闘技だ。こちらのことを考えずに見栄えだけを考えて振り回すから、ついていくのに精いっぱいだった。
決して私が下手なわけじゃない。ジョセフと密着して体を預けるのが嫌だから、向こうもムキになってわざとしているところもあった。
エイベルはそれ以上はせずに元の長椅子に座らせてくれた。
「二つ目は警告の内容を何にするか、だ」
「内容は決めているの。初代国王の像を走らせる、誰もいない部屋からすすり泣く声が聞こえる、トイレで髪を引っ張られる、階段が増える、歴代の国王の肖像画が血の涙を流す、廊下を歩いていると後ろからついてくる足音が聞こえる。これで6つ」
「見事に本の通りだな」
エイベルが呆れたように呟く。わたしも少し微妙とは思っていたが、こういうのは巷で噂されていることを実現するのが一番現実味を帯びると思うのだ。あくまで警告。浮気相手との逢瀬に行こうするときに何度も不可解な警告を受ければ、会いたいと思わなくなるはずだ。
「本通りでいいのよ。根も葉もない噂がもしかして、となるとすごく怖いじゃない」
「なるほど。では実現方法は何を考えている?」
質問されて、こてんと首を傾けた。じっと隣に座るエイベルを見つめる。
「なんとなく魔道具?」
「……レティーナ」
唸るように名前を呼ばれて、誤魔化すように笑う。
「魔物を召喚して取り付かせるのもいいと思うの」
「学園でそれ、やっていいのか?」
「入学時の制約をつけておけば大丈夫でしょう?」
問いに問いで返せば、エイベルが黙り込んだ。眉間にしわが寄っているところを見れば、忙しく頭の中で何かを考えているのだと思う。こういう時は何も話しかけない方がいいのだ。エイベルが話すのをじっとして待った。
「浮気判定だけ契約した魔物にさせようか」
「そんなことできるの?」
「ああ。人の観察が好きな魔物もいる」
どんな魔物か、想像がつかない。召喚魔法で呼ぶ魔物は数多くいるけれど、人の観察が好きって聞いたことがなかった。
「どんな魔物?」
「お楽しみだ」
どこか楽しそうに笑うエイベルを珍しいものを見るように見つめた。幼馴染として接していた時も笑顔くらい見せてくれていたと思うが今の笑顔と少し違って見える。
王太子の覚えもめでたく、爵位を得られないが伯爵家の血筋。背も高く、顔立ちも整っている。さらりとした短めの黒髪に琥珀色の目をしていて、とても女性には人気があると思う。
「エイベル様はどうして結婚しなかったの?」
「気になる?」
「うん」
エイベルは伯爵家の3男で宮廷魔術師だ。それもかなりの実力者になる。ただ本人があまり出世をすることを望んでいないから、どちらかというと地味な研究を続けている。その研究もそれなりに実用化につながっているから、魔術を使う人たちからは尊敬されているようである。これはお兄さまの受け売りだ。
エイベルは少しだけ悩むように髪をかいた。
「……その話はまた今度な」
「えーっ! 聞きたい」
「今は学校の方が先だ」
誤魔化すようにぽんぽんと頭を叩かれた。拗ねたように唇を尖らせてみても、取り合ってくれない。エイベルは笑いながら書類をわたしに渡す。
「召喚には立ち会う?」
「もちろんよ」
「準備ができたら連絡するよ」
結局この日は学校の話だけで終わった。
もうちょっと何かあってもいいと思うんだけど。
扉までの短い距離をエスコートされながら恨めしそうに彼を睨めば、エイベルは少しだけ屈んだ。
「あまり一緒にいるとタガが外れるからな。結婚するまでは我慢するよ」
「エイベル様」
恥ずかしくて顔が熱くなった。視線が合わせられずにうろつく。チュッと頬にキスされてますます落ち着かなかった。
エイベルにキスされると心臓が煩いくらいだ。ジョセフと接した時にはなかったドキドキに慌てつつも、嬉しくてにやけた。