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XX.それから



「恐ろしい話もあるのね」


 女性専用の教室に向かいながら、彼女は友人である伯爵令嬢の話に頷いた。


「なんでもこの学園は婚約者だった侯爵令嬢が不当に冤罪を着せられ辱めを受けたことによってできたといわれているの」

「ふうん」


 気のない返事をするが、伯爵令嬢の話は止まらない。この学園は男女の棟が分かれており、交流会と称したお茶会や夜会などがない限り、男性と会うことはない。だがそれは学園内の話であって、外に出ればそんなことはないのだ。学園の敷地の外には気楽に足を運べるカフェがあったり、貴族用の店も沢山ある。だからそこで出会っていれば、学園での接触などなくてもいいのだ。


 現に彼女もこの学園の外で彼と出会った。彼は伯爵家の長男で婚約者がいるが、それでも外で会えばそれなりの反応を見せてくる。彼女は薄く笑みを浮かべた。男爵家の3女でまだ婚約者がいないが、この機会を逃すつもりはなかった。


「……この話をしたのは先生からお願いされたからなの。貴女、伯爵家の方を狙っているみたいだけど、彼には素敵な婚約者がいるわ」

「そんなの、関係ないでしょう?」


 彼から破棄を願えばどうにでもなるはずだ。確か相手の婚約者は子爵家の令嬢だから、上位貴族からの申し出を拒否することはできない。


「二人はとても仲が良いの。見ている方が幸せになるくらい。だからそこに割り込むような真似はやめてほしいのよ」

「だったら余計にわたしが近寄ったところで問題ないでしょう?」


 大したことのない女が邪魔をするなと言われているようでむっとした。ツンとした態度でいい返せば、伯爵令嬢はため息を付いた。


「とりあえず、忠告したから。気を付けてね、何か異変があったらそれは貴女が危険な領域に踏み込んだ印だから」


 よくわからないことを言ってから、伯爵令嬢は去っていった。同じクラスだからそれなりに親しくしていたが、もしかしたらこれで距離を置かれるのかもしれない。確かに婚約者を持つ男性に言い寄っている友人などいらないだろう。


 だが、彼女にしても条件のいい結婚をするためには手段を選んでいられないのだ。この機会を逃せば、きっと金を持っている平民と結婚することになってしまう。そんな結婚よりも爵位を持つ相手と結婚したい。友人関係など、後から作ればいい話だ。


 勝手にそんなことを考えていると、ぽたりと何かがうなじにかかった。不思議に思い手をうなじに回せばぬるりとした感触がある。慌ててその手を見れば、赤く染まっていた。


「ひっ……!」


 痛みがないことから、自分が怪我をしたわけではない。そっと天井を見れば、そこからはぶら下がった何かがあった。ぶらぶらとしたそれはゆっくりと回転して次第に何であるかがわかる。くるりとこちらを向いたのは女の死体だった。


 しかもその顔が。


 自分の顔であることにすぐに気がついた。恨めしそうに目を見開き、髪は乱れ、足からつるされているせいで両手をぶらぶらとさせている。


『手を引け』


 死体の自分がしゃがれた声で告げる。すっかり腰を抜かした彼女は恐ろしいのに視線を外せないでいた。


『このままなら、お前は近いうちにこの姿になるだろう』

「嘘よ、そんなことできるわけがないわ」


 否定するように声にすれば、死体の女が嗤った。


『あーはははははははは………!』

「黙んなさいよ!」


 腰を抜かしたまま、強気に言い返しても嗤いは止まらない。


『あーはははははははは………!』

「消えなさい!」


 突然、嗤い声が途絶えた。同時に、すっと死体の女も消える。


「なんなの、一体」


 ああ、そうか。


 彼女は突然ひらめいた。これは嫌がらせだ。忠告を伯爵令嬢を介してさせるぐらいなのだから、婚約者である子爵令嬢がやっているのだ。


 のろのろと立ち上がると、怒りがこみあげてきた。彼の婚約者はこんな嫌がらせをするような女なのだ。奪ったところでそのうち周囲も認めるはず。


 彼女は自分の間違いに気がつくことなく、決意を新たにした。









「どうして」


 あの異変があってから、一か月後。

 学園から退学を命じられた。勝手に学園の使用人がやってきて、部屋にあった荷物を手早くまとめてしまった。しかも実家に送られてしまい、手荷物はとても少ない。


「どうして、というのはどういうことでしょう?」


 厳しい顔をした教師がそう聞いてきた。彼女は茫然とした顔をしていたが、はっとしたと思えば怒りの表情になった。


「あの女ね! なんて嫌な女なの!」

「あの女が誰かは存じませんが、貴女の行為が退学条件と合致しました」

「そんなわけないわ!」


 教師はため息を付いた。


「学園の規約です。一つ、婚約関係にある男性に言い寄らない。二つ、もし婚約関係にある男性と気持ちを通わせた場合、速やかに申し出て家を交えての話し合いを行う。三つ、勝手な判断で近寄った場合、退学に処する」

「そんな。彼だって……彼だってわたしの方がいいはずよ」


 外で会うたびに目が合うし、時折微笑んでくれた。気があるのは明白だ。


「そうでしょうか? ですがそのような話は聞いておりません。そしてあなたの言う彼、つまり伯爵令息ですが、彼は婚約者である子爵令嬢と早く婚姻を結びたくて飛び級を狙っております。もちろん、子爵令嬢もそれに応えるべく努力中です」

「え?」

「それに、貴女に気があるとは思えません。そのように思える時に一緒にいた相手に向けたものとは思いませんか?」


 そう言われて思い返せば、忠告してくれた伯爵令嬢が一緒にいたことを思い出す。忠告を受けた後、話すことがなくなってしまったため急に彼と会うことがなくなったのだ。その事実に気がついて、愕然とした。


「理解していただけてよかったです。それでは、幸ある未来をお祈りします」


 こうして学園を退学になった。




◆◆◆



「今年は一人だけでしたね」


 教師が複数の教師が仕事をする執務室に戻ると、学園長が声をかけてきた。声をかけられて教師は学園長の机の前へ立った。

 おっとりとした老年に差し掛かった年配の女性で、学園長と言いながらも今は名誉職である。白髪は綺麗に結われ、年を感じさせない。そしてその膝の上にはウサギのような魔獣がいる。


「ええ。大抵は忠告を受ければ気がつくものですが。彼女は嫌がらせだと思ったようでした」

「実際、嫌がらせだから。年数を重ねて、だいぶ当初とは違うものになってしまったけど……」


 学園長が優しく膝の上にいる魔獣を撫でる。気持ちよさそうに目を細め、その手に自分の耳をこすりつけている。


「このままでいいのでは? 十分に機能していると思います」


 真面目な顔で告げれば、学園長は笑った。


「そうねぇ。これからわたしがいなくても、お願いしてもいいかしら?」


 魔獣は嬉しそうに頷いた。


「レティーナはいるだろうか?」


 話が終わった頃、扉が開いた。杖を突いて入ってきたのは初老の男性だった。杖を突いていても背筋がよく、優しい表情をしている。


「エイベル様」


 学園長は嬉しそうに笑顔を浮かべ立ち上がった。


「終わったかい?」

「ええ」

「では帰ろうか」


 二人は教師たちに挨拶をして出て行った。







 まことしやかにささやかれる噂。


『学園には魔物が住んでおり、仲の良い恋人を引き裂く相手には警告する。警告を無視した者は一生不幸になる』




Fin.


 

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