婚約破棄されました
5歳の時に婚約した第二王子ジョセフはものすごく好みだった。
好みだったというよりも、この時にとても好きだった絵本の王子さまにそっくりだったことに幼いわたしはとても舞い上がったのだ。
金髪に碧眼、とても綺麗な顔立ちをした王子。
初めて会ったバラ園に黙って立っていた王子はきらきらしくて、絵本から出てきてくれたのかと本当に思ったものだ。
だから、勝手に勘違いした。
絵本の中の王子さまはとても優しくて思慮深かった。民のために働き、不満を聞いてそれを解消するために沢山悩んで、沢山助言を求めた。国の外れに住む魔女の所に解決のヒントをもらいに赴いたり、悪さをするドラゴンをやっつけたり。賢者と言われる老人にも会いに行っていた。
絵本の中の王子さまと似ているから、性格も似ていると思っていたのだ。
ところが18歳になったジョセフは絵本の王子さまとは全く似ず、絶世の美貌を持った阿呆になった。見た目がいいのに、貞操観念はゆるゆる、第二王子であることをいいことに公務など放って遊び惚けている。権力も使い放題。
遊びを覚えた15歳の頃はそのことを注意したが、半年もたたずして止めた。注意したところでいい顔をされないし、彼がわたしを避けるようになったのだ。
遊び始めて一年ぐらいしたころから、最小限の夜会のエスコートしかしなくなった。しかも顔を合わせてもお互い会話することもなくだんまりだ。いや、目がさっさと失せろという言葉にならないことを雄弁に語っていた。
ああ、でも。
言わずにおこうと思っていても、気がつかないうちに注意しているかもしれない。
とにかくジョセフはお堅い性格の王族にはありえないほどのはっちゃけぶりだ。夜会など参加する時には見栄えがいいがそれだけだ。
皆が同情の眼差しを向けてくるが、わたしはすでに彼の性格を直そうとか生活習慣を改めてもらおうという気持ちはない。もちろん婚約した当初は彼に好かれたかった。結婚するならば、政略結婚でもお互いに愛し合える関係になった方がいいに決まっている。
そう思っていたけど、彼が知らない女とキスしているのを見た時にその気持ちはすっとなくなった。あの後、どこかの部屋に向かったからそういう関係なんだろうと察した。一度だけじゃない。いつも夜会のたびに相手を変えて彼は一夜の関係を繰り返していた。それが夜会だけでなく、昼間でも女性と親密にしていると噂されるようになった。
ジョセフの女遊びも誰もが知っているほどの噂になり、両親も我慢がならなかったのか、婚約解消してほしいと何度か王様に申し入れた。わたしもジョセフと夫婦関係を築くことは難しいと思っていた。ジョセフには注意するからと王様は白紙に戻してはくれなかった。
そのたびに侯爵である両親が荒れたが王様も必死だった。王妃様は側室の息子であるジョセフが大嫌いだから、わたしと結婚させて後ろ盾をつけようとしているのだ。
王様はジョセフ限定でかなりの過保護だ。あの顔に弱いだけだと思うのだが、ジョセフの功績を作ろうと貴族向けの学園を作るようにとわたしに命じた。
王妃になるわけではないから教育など15歳になった時にはすでに終わっていたので、時間的にも大変でも何でもなかった。
内心、わたしの苦労を夫になる予定のジョセフの手柄になるのがどうにも納得いかなかったが、王命だからと我慢した。
それなのに。
目の前にはますます阿呆になったジョセフがわたしを睨みつけている。久しぶりにちゃんと見てもらっている気がする。
「レティーナ・ハイデル侯爵令嬢! 貴様の暴虐には耐えられん! 婚約破棄する!」
と、暴挙に出た。
この展開、実はかなり前から聞いたことあった。
隣国で流行っていた夜会での婚約破棄宣言!
まさか自分が受けるとは思っていなかった。きっと笑ってしまうだろうと思っていたけど、本当におかしい。
なんていう間抜け面なの。
あれほど美しいと思っていた顔が、とてつもなく阿呆に見える。
「理想の王子さまだと思っていた幼いわたしが一番バカなのよね」
そんな呟きが思わず漏れてしまった。もう言い返すのもバカらしいので、理由も何も聞かずに軽く頷いて承諾した。
「承知しました。では、ごきげんよう」
「え、あ! おい、待て! これからが重要なところなんだ」
ちらりとジョセフを見てからため息を付いた。
「説明はいりませんわ。どうせ物を壊された、隠された、水をかけられた、意地悪された、突き落とされた。そのあたりではございませんか?」
「やはり貴様がやったのだな! この性悪女め!」
わたしはふふふ、とおかしくて笑ってしまう。そのまま口元を見せるのも下品なので、さり気なく扇で隠した。怒気に染まったジョセフの顔を真正面から見つめた。じっと見つめてやれば、少しだけジョセフが後ずさりした。
何か後ろめたいことがあるのかしら?
「いえいえ。かなりの方が知っていると思いますけど、夜会での婚約破棄の寸劇には何通りかの組み合わせしかありません。今、わたしが言った組み合わせはこの国、いえこの大陸で一番人気ですのよ」
「何を言っている!」
「あら、ご存じない? そちらの市井出身の令嬢なら知っているのでは? バレないようにするならば、是非とも8番目の組み合わせをどうぞ。不人気なので誰もすぐには気がつきませんわ」
ああ、でも。
「一か月洗っていない発酵済の靴下を投げつけられる、靴に生きた虫を入れられる、砂糖入りの温いお茶をかけられる、泣くまでしつこく物まねをされるとなったら流石に貴族の行動としては微妙ですわね。そう思えば、何のひねりもありませんが、一番人気を選択してしまうのは仕方がありませんわ」
では、ごきげんよう。
何も言い返せずに口をパクパクしているジョセフを一瞥してから、夜会会場を後にした。
車寄せまで淑女ではやや早い速度で歩き、馬車に乗る。御者に自宅へ向かうように告げてからようやく気持ちを楽にした。
やった! なんか知らないけど、婚約破棄できたみたい。