第九話 ラティスと編み物
やっと家へと戻って来れた。馬車の中ではどんな事があったか、誰と何を話したか、等と質問攻めでクタクタだ。貴族と会話した事を言えば、おじさん達は驚く程気色悪い笑みを浮かべた。
本当は温泉に入ってゆっくり休みたいが、今日から春が来るまで家の外に出てはいけないので、諦める。春が来たら、まず一番に温泉に入りに行こう。
私は、心の中で力強く誓った。
「さあ、アイシャ、こちらへおいで。」
「いいえ、おじさん。私はあの小屋で過ごします。冬籠りの準備もしましたし、自分の荷物もありますから。」
「何を言うんだい、アイシャ。そんな事、お前がしなくていいんだよ。荷物は後で使用人に持ってこさせよう。さあ、私達と一緒に行こう。」
キッパリと断っても、夫婦は引き下がらなかった。どうしようかと悩んでいたら、家から人影が見えてきた。
「お帰りなさいませ、お父様、お母様。」
「…お帰りなさいませ、父様、母様…。」
「ああ、今戻ったよ。」
「…ラティス?」
ギードとラティス、それに使用人達が出迎えにやって来た。しかし、ラティスはあからさまに沈んだ表情をしている。
「姉様…。」
「これ、ラティス。その様な薄着で出ては風邪を引くだろう。」
「早く家へお入りなさい。」
「ごめんなさい、でも…。」
何かを言おうとして、だけど言葉が出る事は無くラティスは口を噤む。朝に見た彼女は、とても元気に送り出してくれた。それなのに、夜に帰ってきたら沈んだ表情で何かを言いたそうにしている。
「ラティス、何かあるなら言って。どうかしたの?」
「姉様…。あの、私…!」
私の言葉に、意を決したのかラティスは前を向いて喋り出そうとする。
「話なら屋敷の中でしなさい。このままでは本当に風邪を引いてしまうよ。」
「…分かりました。ラティス、一緒に小屋の方へと行きましょう。」
「アイシャ。いい加減にしなさい。お前は私達と屋敷の方に行くんだ。」
「いいえ、おじさん。元々の約束を違える事になります。私はお屋敷の方へは行きません。」
初めて此処に来た時、彼等は言ったのだ。自分達が手を貸すのは、成人する春まで小屋を貸し出す事だけだ。その後は直ぐにでも出て行ってもらう、と。決して小屋以外の敷地に入らぬよう、魔法を使った契約書まで交わした。
「そんなモノ、今直ぐにでも破棄しよう。契約を交わした本人と書類があれば、あっという間に終わる。」
「私は契約を破棄する気はありません。当初の約束通り、春が来たら直ぐにでも此処を出ます。」
「アイシャ。今までの事で怒ってるのかもしれません。私達も悪かったと思っているのですよ。幼い貴方を一人であの小屋に押し込めてしまった事を…。今からでも、私達と一緒に歩みだしましょう?」
おじさんとおばさんは、これだけ言っても諦めなかった。言ってる言葉と私に向ける瞳が、全く違う。彼等の目は、私の事を人ではなくお金を生み出す道具の様に見ていた。
私はどうすれば諦めてくれるか、一生懸命考えていた。その時、小さなくしゃみをしたラティスを見て、思い出した。
「そう言えば…ラティス。朝もそうだったけど、今日はマフラーとニット帽、着けないの?」
「…!!」
その言葉に、ラティスは大きく目を開けた。そして、開かれた瞳から、ポロポロと大粒の涙が零れてきたのだ。
「姉様、ごめんなさい…!」
「えっと、ラティス、どうしたの…?」
「姉様から頂いたのに、私、私…!」
「そうだ、アイシャ。お前がラティスに作ったマフラーとニットボウなんだがな…。」
泣き出したラティスを抱きしめ、落ち着かせようと声を掛けた。しかし、その後に夫婦から出てきた言葉は、信じられないものだった。
「どんな物か気になって、昨日の夜にラティスから借りたのだ。それで、どうなってるか知る為に少し切って調べたらボロボロに解けてしまってね。」
「……は?」
「殆ど元の毛糸の状態に戻ってしまったので、毛糸ごと捨てたのだ。」
「毛糸の様な糸くず、幾らでも買って差し上げますから、新しく作っては貰えないかしら?」
「何、それ…。」
彼等は特に悪びれた様子も無く、それどころか沢山作れと言って来たのだ。私は腕の中でごめんなさいと謝り続けて泣くラティスを見て、完全にカチンと来てしまった。
「お断りします。私は、貴方達の様な人に何かするつもりはありません。」
「…アイシャ?」
「私がラティスの為に作った物を取り上げた上に、ゴミにして捨てるような人間には、何もする事は無い、と言ったのです。」
「な、何だと…!」
夫婦の顔が一気に怒りに染まったが、私は気にせずに言い続けた。
「そもそも、今まで何もしてこなかったくせに、私が珍しい物を作った瞬間に態度を変えるなんて、どうかしてると思うのが当然でしょう。私もラティスも、貴方達の道具ではありません。いい加減にして下さい!」
「まあ!今まで家に置いてやった恩を、何だと思っているのかしら!」
「置いてくれた事には感謝していますが、それだけです。私はそれ以外に、貴方達から何かしてもらった覚えはありません。契約にもちゃんと従ってきました。」
「アイシャ、お前…!」
「自分の娘の物を取り上げて捨てる様な人間と、私は一緒に居たくありません!春が来たら此処を出て、もう二度と係わりを持ちたくないです。」
その言葉を聞いた夫婦は、顔を赤くして私を睨んでいた。言いたい事は言ったし、此処までされて私を連れて行こうとするほど馬鹿ではないようだった。勝手にしろ!と、怒鳴り声を上げて家の方へと戻っていく夫婦を見て、私も小屋へと帰る事にした。
「姉様…。」
「ラティス、顔をそんなにグシャグシャにして…。私は気にしてないから、もう泣かないで。」
「だけど、姉様…。」
「今日はもう遅いし、体を壊したら大変だから屋敷へと戻って。もし来れるなら、冬籠りの間にもう一度おいで。ラティスに、作り方を教えてあげるから。」
「…え?」
「ギードさん、ラティスをお願いします。」
「…分かった。」
ラティスを待っていたギードは、私に軽く頭を下げると、二人で屋敷の方へと帰っていった。ギードは、良くも悪くも素直だから、きっとあの親にアレコレ言われてその通りに動いているのだろう。根は良い子かも知れないが、きっと私とはこれ以上係わりを持つ事はないと考える。
だけど、彼にとってラティスは可愛い妹の筈だ。決して邪険にはしないだろう。
「はあ…、疲れた…。」
小屋へと戻った私は、そのまま布団へとダイブした。今日はもう魔法を使う気にもなれない。行きたくもない婚活パーティーに行ったらまさかの貴族からのお誘い。家に帰ってからハーベリー夫妻とは言い争いをして、泣き出したラティスを慰める。
今日だけで、色々と起き過ぎじゃないだろうか…。
私は、あそこまで怒りの感情を表に出したのは、久し振りだった。前世ではもういい大人だったし、若女将と言う立場ではどんな嫌な事も顔に出してはいけないからだ。
「父さん、母さん…。」
甘えも許さない厳しい母が時折見せる優しさは、とても嬉しかった。滅多に触れる事の無い父がギュッと抱き締めて褒めてくれた時は、とても心地良かった。
数少ない触れ合いの場だけが、私が素直に感情を出せる時だった。
「会いたい…、会いたいよ…。」
もう叶う事は無いけれど、出来る事ならもう一度だけ会いたかった。二度も家族を亡くした私は、もう同じ目には遭いたくない。ラティスは妹のように可愛がってはいるが、家族ではない。春になればこの家を出るから、係わること自体が無くなってしまう。
私の家族は、どこを探しても居ないのだ。皆、死んでしまった。私だけ残して。
もしもラティスが私のとこに来れたなら、最後の餞別として編み物の仕方を教えてあげよう。きっと、そうすればあの夫婦に邪険にされる事も無いだろう。彼女は私に懐いていたせいで、よく両親に怒られていたから、少しでも仲良くなれるようにしなくてはいけない。
出来れば、成人してもまた会えたらいいな、って思う。けれど、その時に彼女が私のせいで辛い思いをしてほしくはない。
そうして、私の事なんか忘れて、幸せに家族で暮らしていてほしい。…いや、忘れるのは寂しいので、頭の片隅にでも追いやるくらいでお願いしたい。
初めて出来た妹の様な彼女を、私は自分が思っているよりも可愛がっていたのかもしれない。離れるのが寂しい、と思うくらいには気にしていた。
「ラ、ティス…。」
彼女の事を考えながら、段々と瞼が閉じていく。今日はもう駄目だ、明日にしよう…。襲い来る眠気に、私は抗う事は出来なかった。
次の日、コンコンとドアがノックされた音で目が覚めた。私は急いで身支度をすると、扉を開ける。
「姉様…。」
「ラティス、いらっしゃい。寒かったでしょ、中においで。」
「…はい。」
「ごめんね、今起きたばっかりで。」
シッカリと着込んでやって来たラティスは、私が中に入るよう促すと、おずおずと小屋の中に入った。
「昨日は大丈夫だった?」
私はラティスと自分の分のホットミルクを用意する。少しだけハチミツを入れてあるので、とても甘くて温まる筈だ。
「…はい。兄様が、父様と母様にお話をしてくれたので、余り怒られはしませんでした。」
「おじさんとおばさんは何だって?」
「その…、姉様から出来る限りの物を取ってきなさい、と…。」
きっと、実際はもっと酷い言い草だったろう。ラティスが考えながら話すので、私を何も言わずそれを察した。
「ま、そうは言っても、教えるのは編み物ですけどね。毛糸、まだ沢山あるから、編みながら覚えましょう。」
「は、はい…。姉様、本当にごめんなさい。父様と母様が…。」
「別に、ラティスのせいじゃないんだから、気にしないで。元々、春にあったら家を出る約束だったし。」
「でも…。」
今にも泣きそうな顔をするラティスは、ひたすら私に謝り続けた。彼女は何も悪くないんだし、そんな気にする事ではないけど…。
「ほら、ラティス、コレ飲んで。落ち着くよ。」
「姉様…、頂きます。」
こくり、と小さな音が鳴った。ラティスはホットミルクを一口飲むと、ふぅ、と息を吐いた。
「ありがとうございます、姉様。少し、落ち着きました。」
「それなら良かった。それ飲んで、少しだけ待っててくれる?軽くご飯食べるから。」
「でしたら、姉様。私、お昼を持って参りましたの、一緒に食べましょう?」
「ありがとう。それじゃ、一緒に頂こうかな。」
「はい!」
昨日の朝振りのラティスの笑顔だ。やっぱり、ラティスは笑った方が可愛いな。
「それじゃあ、頂きます。」
「頂きます!」
二人で持って来てくれた食事を取る。私は朝食も兼ねているが、ラティスにとっては少し早めの昼食だ。後で小腹が空くかもしれないので、適当に用意していたお菓子をいつでも持ってこれるように準備する。
「ご馳走様でした。ありがとう、ラティス。」
「お粗末様でした。姉様に喜んで頂けたのなら、嬉しいです。」
「とても助かったよ、嬉しい。それじゃ、始めようか。」
「はい。宜しくお願い致します、姉様。」
食べ終わって直ぐに片付け、私は毛糸を沢山持ってきた。元々冬籠りの間に暇つぶしとして編もうと思っていたので、毛糸は沢山ある。私は、指を使って編むやり方を、ラティスに教えた。本当は色々なやり方があるのだが、私が教えたのは基本の編み方だけだ。細かい物は編めないが、マフラーや帽子くらいなら緩めに編んでも使えるので、冬の防寒具として売りに出せばいい儲けになるだろう。
まあ、ずっと後の話になるとは思うが。
私達は二人で一日中編み物に夢中になっていた。気が付けば日が暮れていて、ハッとした様にラティスが驚いていた。
「編み物って、とても難しいですが、楽しいですね…。時間が過ぎるのがあっという間でしたわ…!」
「一度ハマると、止まらないんだよね。」
今日の成果として、夫婦に報告しなければならない為、ラティスは編みかけのマフラーを持って小屋を出て行った。また来ると笑顔で屋敷の帰って行ったので、少しは元気が出たのだと、私はホッと息を吐いた。
気が付けば次の日も、その次の日も、ラティスは毎日のように私の小屋へと通っていた。