第七十三話 ラティスの相手
今回はラティス視点です。
アイシャさんが中央都から帰ってきた。夏季休暇と冬期休暇がある時はこのユレイドの町に帰ってきて、一日だけだけど、私とも一緒に遊んでくれる日を作ってくれる。それが、私にはとても楽しみだった。
「うふふ、今日は何を着て行こうかな…!」
アイシャさんが学園に通うようになってから、年に数回しか会えなくなったのは寂しい。だけど、お手紙ならたくさん書いたし、返事も来る。去年の事があって、あまり深く付き合う事が出来なくなったけど、それでも絆が消えたわけではない。
兄様の言う通り、私もアイシャさんに迷惑を掛けるのは嫌だもん。
「随分とご機嫌だね、ラティス。」
「兄様!」
コンコン、と数回のノックの後に、扉が開かれる。そこに居たのは兄様で、私を迎えに来たのだと直ぐに分かった。
「ねえ、兄様、どちらが良いと思いますか?」
私は使用人が持っていた服を、兄様に見せるよう目配せする。直ぐに前に出て、その手にある服を兄様に見てもらう。
「うーん、そうだね…。今日は一日中天気は良いけど、気温はそこまで高くない。右のだと少し暑く感じるかもしれないし、左の方が良いんじゃないかな。」
「それなら、兄様の言う通りこちらにしますわ!直ぐに準備致しますね。」
私は兄様に選んでもらった左の服を着る事にした。薄手のピンクのワンピースに、白いカーディガンを着せてもらう。それとは別に、リボンがついた帽子を被れば、日除けもバッチリだ。
暑くなったらカーディガンを脱げばいいし、これで準備完了。
「兄様、お待たせしました。」
「ラティス、もういいかい?」
「はい!行きましょう、兄様。」
兄様の手を取って、屋敷を出ようとする。その時、玄関で父様と母様に声を掛けられた。
「ああ、ラティス。アイシャと会いに行くのね。」
「いいか、今度こそアイシャから話を聞いてくるんだぞ。」
「それから、夜は早めに帰って来なさい。貴方の婚約者について話をするわ。」
「えっ…!?」
母様の言葉に、私も兄様も驚きの声を上げた。
「…どういう事ですか、お父様、お母様。」
「ラティスもあと数年で成人の儀が行われるわ。今ならかなりの良縁を作る事が出来る。貴族の方と縁付くなら婚姻が一番だもの。」
「例え妾だとしても、我々平民が貴族の方に近付ける事は滅多にない。少しでもいい相手を見繕う為、ラティスはシッカリと着飾り、アイシャから話を聞いてくるんだ。」
「め、かけ…。」
父様と母様の話が、うまく頭に入って来なかった。私だっていつかは家の為に結婚すると思ってたけど、それは昔から馴染みのある同じ商家の家の人達だと思ってたんだもの。
妾と言うのはいわば愛人、私以外に本命のお嫁さんがいて、私と同じ愛人さんがいるかもしれない。
アイシャさんの様に、好きな方から熱いまなざしを向けられる恋に憧れてた。多数の方に告白されたいとかは思ってないけど、たった一人で良い。私だけを愛してくれる方と一緒になりたかった。
勿論、政略結婚みたいなものだからそうなるとは限らない。だけど、一夫多妻が当然の貴族ではなく、一人だけと結婚する同じ平民が良いと思ってた。
そして、出来ればその相手は…。
「全く…。アイシャが大人しくこの家に居れば面倒にはならなかったが…。」
「そうすれば確実に貴族と縁付く事が出来たというのに…。ほんと、使えない子だわ。」
「……行ってきます。」
兄様が私の手を引いて歩きだしたから、考え込んでいた気持ちがハッと浮上した。そのまま外に出ようとしていたので、私もお挨拶だけ残して家を出た。
父様と母様は、アイシャさんと会う時、いつも同じ事を言う。その後は、毎回アイシャさんの事を悪く言言い続ける。父様と母様が先にアイシャさんを追い出した筈なのに、父様と母様は全てアイシャさんが悪いと言う。
自分の両親を悪く言うのは嫌だけど、アイシャさんの事を悪く言われるのも嫌。それに、さっきの話を聞いて、私自身が悲しい気持ちになった。
どうして、こうなってしまったのだろう…。
「ラティス、大丈夫か?」
「兄様…、私…。」
「家に帰ったら、僕から言ってみる。…ほら、そんな顔ではアイシャも悲しむよ。」
「……そうですわよね。折角アイシャさんと会えるんだもん、さっきの事は忘れて、楽しまなくちゃ勿体無いです…よね。」
「ああ。…さあ、待ち合わせ場所まで行こう。」
「はい。」
兄様が励ましてくれた。今日の夜については憂鬱な気分だけど、今からアイシャさんと会えるのだから、このままじゃいけないわ。少しでも長くアイシャさんと一緒に居たい。
ちょっと落ち込んだ気持ちが、兄様のおかげで上向いた。そうだよね、滅多に会えなくなったんだもん。会える時に楽しまないといけませんわ…!
兄様に手を引かれ、アイシャさんとの待ち合わせ場所へと向かう。歩きながら街を見回せば、どこからも賑やかな声が聞こえてくる。
「ラティス!」
「アイシャさん…!」
どうやらアイシャさんは先に付いていたらしい、待たせてしまったわ…。
「ごめんなさい、待たせちゃって…。」
「私もさっき来たところだから気にしないで。ギードさん、こんにちは。」
「ああ、アイシャ、久し振り。今日もラティスの事、宜しく頼むよ。」
「はい!ほら、ラティス。沢山遊ぼう。」
「アイシャさん…。ありがとうございます。兄様、行ってきますね!」
「ああ、今日は遅くならない内に帰ってくるんだよ。」
兄様に手を振って別れると、アイシャさんは私の手を取って歩き出した。
「ラティスは何かしたいことはある?」
「えっと、そうですね…。毛糸を見に行きたいのと…、アイシャさんのお話が聞きたいですわ。」
「私の?」
「はい。学園はどんな所なのか、とか。今は何をしているのか、とか。」
「話すのは良いけど、あまり面白い話はないかもしれないよ?」
「構いません!」
自分で思ってたよりも、大きな声が出てしまった。アイシャさんが少し驚いてて、私も恥ずかしい…。
「それじゃ、先に毛糸見てからにしようか。お昼になったらお店に入って、ゆっくりしながら話そう。私も、ラティスの事聞きたいな。」
「…はいっ。」
アイシャさんが提案してくれたので、私はその通りに動く事にした。少しだけ、自分の事が聞きたいと言われてドキッとした。家での事を思い出して、胸がギュッと痛んだから。
でも、アイシャさんに余計な心配は掛けたくない。これは我が家の問題であり、アイシャさんにとっては嫌なことばかりの家だったから、聞きたくも無いはずだもの。
「ラティス、行こっか。」
「はい、アイシャさん!」
優しい笑みを浮かべて声を掛けてくれるアイシャさんが、大好きだ。いつも私の事を気遣ってくれて、兄様みたいに助けてくれる。今はそう呼べないけど、私にとっては本当の姉様みたいな人なの。
「沢山買っちゃいました…。」
「ふふ、楽しかったね。」
「はい!」
アイシャさんと一緒に毛糸を買ってたら、いつの間にかすごい量になってしまったわ。お店の人に家まで配達してもらい、今はアイシャさんが行きたいと言ってたカフェへと向かってる途中。
「そこのお店ね、お勧めだって教えてもらったんだ。ラティスはそこでも平気?」
「はい、勿論です!」
「良かった。それじゃあ、行こうか。」
二人で手を繋いで歩くのは、とても嬉しい。何だか昔に戻れたみたいで、アイシャさんがずっと傍に居てくれるような気がして。
実際はそうはいかないのだけど、今この時だけでもこの思いを大切にしたい。
カフェに向かって行けば、すれ違う人や建物の外観が変わっていく。私が普段行く様な平民の使うお店じゃなくて、もっと大きな商家の家や貴族の方が行くような、とても煌びやかな街並みに変化する。
「あ…!」
「ラティス?」
チラリと、人影の中にあの人が見えた。アイシャさんがどうしたのかと声を掛けてくれてるのに、あの人から目が離せない。
周りに何人も人を連れてるけど、一体どういう人達なのだろうか。何をしにここへ来ているのだろうか。そう言えば、あの人は誰かと結婚しているのだろうか…。
「ラティス!」
「ひゃ…!」
「大丈夫?どうかしたの?」
気が付けば、あの人の姿は見えなくなっていた。ちょっとボーっとし過ぎたかも知れませんわ…。アイシャさんが私の体を揺らして大きな声を掛けてくれて、やっとハッとした。
「ラティスってば、急に止まるからびっくりしたよ。何か気になるモノでもあったの?」
「い、いいえ!何でもないのですわ、アイシャさん!」
「本当に?何かあったのなら、ちゃんと言ってね。」
「は、はい…。あ、それよりも、ほら!カフェはどのあたりですのっ?」
「えっと、もう直ぐそこだよ。」
何とか話題を逸らす。アイシャさんに連れて来られたのは、貴族の方も使うような敷居の高いカフェだった。こういうカフェは数える事しか入った事なくて、今までは少しドキドキしてたけど、アイシャさんが一緒だったから何も怖くない。
以前だったら絶対にこんなとこに行かなかったのに、今のアイシャさんは普通に入っていく。やっぱり、学園での生活で色々と変わってしまったのかしら。
「アルベルト様とジェイク様が、ここのケーキは凄く美味しいんだって教えてくれたの。ラティスと来てみたかったんだ。」
「まあ…!そうだったのですね。それは、とても楽しみですっ。」
まさか、アルベルト様方のお勧めだったなんて。貴族の方が褒めるケーキなんて、期待が高まってしまう。
店内はすべて個室での案内となっているらしく、他の客に会うことは無かった。普段行くようなカフェとは違う雰囲気で、アイシャさんがいなければ緊張で倒れてしまいそうだったわ。
案内された部屋へと入れば、可愛らしい小物が沢山あって、ここは女の子専用の部屋なのかと思った。
「ラティス、何頼む?私は教えてもらったケーキセットにするけど。」
「私もアイシャさんと同じもので。」
「分かった、注文しちゃうね。」
アイシャさんがササっと頼めば、余り時間が掛からずにパッと出てきた。ケーキから香る匂いに、私はワクワクとした気持ちで一口目を口に入れる。
「美味しい!」
「ほんと、美味しいね。流石アルベルト様達のお勧め。」
果物の美味しさを損ねない様、調えられた味。瑞々しい果実の甘さが、口の中でいっぱいに広がる。アイシャさんの言う通り、とても美味しいケーキだった。
だけど、コレを食べた時、私の中にあった記憶から、随分昔のモノが蘇った。
「確かに凄く美味しいのですが…。アイシャさんが作ったお菓子の方が美味しかったですわ。」
「えっ。いやいや、私のなんかよりも、このお店の方が美味しいって。アレは自分の好みに合わせてパッと作っただけだし。」
「そんなことありません!アイシャさんのお菓子は、本当に美味しいのですよ!」
「もう、ラティスったら。でも、ありがとう。」
私の中で一番美味しいお菓子は、アイシャさんの作ってくれたお菓子だった。小さな頃から、たまに作ってくれるアイシャさんのお菓子が大好きだった。
食べた事も無いような不思議な味で、だけど、とても幸せな気持ちになるお菓子。私にとってアイシャさんがくれる物は、特別なモノばかりだった。
「ねえ、アイシャさん…。」
「何、ラティス?」
「……アイシャさんは、その…。」
もしも、アイシャさんがアルベルト様やジェイク様…貴族の方と結ばれたら、もうこんな風にお出掛けする事すら出来なくなるのかしら…。
結婚って、一体どういうものなのだろう…。
「アイシャさんは、どなたとお付き合いするのか、決まりましたか?」
「えっ…?」
少しいきなり過ぎた話題に、アイシャさんが驚いた表情になった。
「…結婚って、どういう感じなのか、アイシャさんはどう考えてますか?」
「随分と急だね…。ラティス、どうかしたの?」
「私、今夜に自分の婚約について、父様と母様からお話があるのです。」
「……。」
「父様達は、今なら貴族の方とも縁が作れるから、早い内に体裁を整えたい様で…。」
私は、家を出る時に聞いた話をアイシャさんにしましたわ。すると、とても難しそうな顔で私を見つめる。
「ラティスは、どうしたいの?」
「私は…。」
出来る事なら、あの人と。
危ない所を、まるで物語の王子様みたいに助けてくれたヴォルフさん。ただの一目惚れだったし、決して叶わないと分かってはいたけれど。
もう少しの間だけ、夢を見ていたかったと思う。
「ヴォルフさんは、良いの?」
「……!」
アイシャさんからその名前が出てきて、心がドキンと跳ねた。
「何となく、そうじゃないかって思ってたんだ。…あのね、ラティス。ヴォルフさんは、その…。」
「アイシャさん、私は、父様と母様に逆らえないのです。家の為になる婚姻を結ばされることは、ずっと分かってましたわ。それでもいいと、ずっと思ってた…。」
「ラティス…。」
「でも、アイシャさんを見て、少しだけ羨ましいと思いましたわ。私も、自分が好意を寄せてる方から、愛の言葉が欲しいと。」
それが無理だと分かっていても、夢を見る事だけはさせてほしかった。
「例え政略結婚でも、平民同士ならまだ私の事を愛してくれる方だったかもしれません。だけど、貴族の方の妾なんて、私には…。」
口に出せば不敬としてとらわれ、処罰されてしまうかもしれない。だから、心の中で思うだけですわ。貴族の妾と言うのは、基本的に男よりも若い女が選ばれるんですもの。
つまり、自分よりもずっと年上が相手になるかもしれない。そんな事、今の私には考えられません…。
「…ごめんね。」
「アイシャさんが、何故謝るのですか?」
「私が編み物を教えなければ、こんな状況にはならなかったかもしれない。そもそも、私が居たから、ラティスは…。」
「そんな事言わないで下さいませ…!私はアイシャさんに会えて、凄く嬉しかった。一緒に居られて、とても楽しかった。それに、出会わなくたって、政略結婚になるのは、変わりませんもの…。」
そう、変わらないのよ。私は結局、父様と母様の言う相手と結婚しなくちゃいけない。それは、アイシャさんのせいじゃないわ。
「…ねえ、アイシャさん。もしも、全然違う身分になったり、係わり合いの無い間柄になったとしても…。アイシャさんは、お友達でいてくれますか?」
「勿論、当たり前だよ…!私にとってラティスは、今も昔も、妹のように可愛い存在なんだから。家族ではないけど、とても大切な子。それに、まだ決まった訳じゃないでしょ?」
「ありがとう、アイシャさん。そう言ってくれるだけで、私はやっていけるような気がしますわ。ひょっとしたら、アイシャさんのように私だけを愛してくれる方が現れるかもしれませんものね!」
「そうだよ。もしもラティスを蔑ろにする様な相手だったら、私が助けてあげるから。」
ああ、アイシャさんは本当に優しい。その言葉で、何だか憂鬱な気分が晴れた気になる。
「ふふ、ありがとうございます。アイシャさんに話してみて、ちょっと気分が晴れました。」
「幾らでも相談して。解決策が出せるかは分からないけど、私に出来る事ならラティスを助けてみせるから。」
「ええ!アイシャさんがいてくれて、本当に良かったですわ。」
その後は、普段のアイシャさんの話が聞けてとても楽しい時間を過ごしたわ。家に帰ったらまた色々あるけれど、今だけでも、この時間を過ごせることに感謝しなくてはね。
後ほんの少しだけだけど。あの人を想う事を、許してほしい。もうちょっと夢を見させてほしい。
今夜には無くなっちゃうかもしれないけど、まだ駄目だと決まった訳ではないものね。




