第七十二話 あくしでんと?
夏の試験が終わり、数日。夏休みが始まった。本当は明日ユレイドの町に帰る予定だったのだが、アルベルトとジェイクの家の事情で急遽、今から帰る事になった。
二人は明日に別で送ってくれると言っていたけど、元々準備はしてあったし私も早く帰れるのは嬉しいので共に帰る事にした。
町に着いたのは夕方で、私は真っすぐに家へと戻り、荷物を部屋に置いていった。
「ふぅ、ちょっと疲れたなぁ…。」
あの魔法陣を起動するのは、かなりの魔力を消費する。幾ら二人が構わないと言っても、そう何度も使うのは大変だろう。
私はアルベルト達の申し出を断り、一緒に帰って来たんだけど…。
「やっぱり、急いで帰るのはキツかったかも。」
家まで馬車で送ってくれると言ってたけど、流石にそこまでお世話になる訳にはいかない。彼等は、用があって早く帰らなくちゃいけないのだから。
途中で降ろしてもらい、荷物を持って家へと帰ってきた。
「温泉旅館も、大分進んでるなー…。」
冬に帰って来たよりも、かなり出来上がっている。内装はまだまだだけど、大本の部分は出来てるから後は細かい所を仕上げていくだけかな。
後日、ルドルガ達との話し合いがまたあるだろうから、そこで色々と現状を聞いて、これからを話し合えばいいだろう。
「取り敢えずは、温泉だ!」
一緒に帰ってきた一番の目的である温泉に入るため、私は荷物を全て自室に置いて脱衣所へとやって来た。
「はぁぁ…、生き返る…。」
チャプチャプと言う水音が心地いい。体が芯から温まるこの感覚に、思わず幸せを感じる。学校の部屋で入る小さな浴槽では味わえない、広い露天風呂の解放感は最高だ。
これで桶に浮かべた日本酒でもあれば更に良いのだけど、流石にそれは自重した。
「んー…。しかし、コレは…気持ち良い…。」
やはり温泉は良い、帰ってきて疲れた体を癒してくれる。
「ふぁぁ…。幸せ過ぎ…。」
余りの気持ち良さに、ウトウトとし始めた。ああ、ちょっとマズい…。このまま入っていたら眠っちゃいそう…。寝たら逆上せるし危ないから駄目だ。
そうなる前に温泉から出ないと。
……ああ、でも…。
「うぅん…。」
ポカポカしてて、何も考えられない…。
「……シャ。…ア…シャ…!」
「んんぅ…。」
「おい、アイシャ!」
「うむぅ…。」
「ああ、もう、仕方ねえな…!」
誰かが私を呼んでる声がする。フワフワとした意識が、段々とハッキリしていく感じだ。ゆっくりと開かれた瞼から、光が差し込んでくる。
「うーん…。」
「アイシャ、気が付いたか?」
「……あれ…?」
ルドルガ…?何で…。と言うか、私、何してたっけ…?
「大丈夫か、アイシャ?取り敢えず水でも…。」
「ルド、ルガさん…?」
「あ、馬鹿、起き上がるな…!」
「えっ…?」
クラクラと頭が揺れているのは何でだろう…。取り敢えず、どうしてルドルガが居るのか分からないけど、何故か横になっている体を起こそうとした。
その時、パサリと何かが落ちる音がして、急に体が震える。
「……え?あ、あれ…!?」
「は、早く拾えっ!」
クルリと身体を翻して、急に後ろを向いたルドルガ。私は寒くなった体を見て、思わず叫び声を上げそうになった。
な、何で何も着てないの…!?
「え、えぇっ!?何で…、あれ…!?」
「アイシャ、説明してやるから早く隠せ!」
「は、はいっ。」
取り敢えず、下に落ちていた服を拾い上げて体に被せた。…これ、多分ルドルガの服だ。
「ルドルガさん、隠しました…って、うわ…!」
「…アイシャ!大丈夫かっ?」
「すみません、急にクラクラして…。」
「ほら、水あるから飲め。」
「ありがとうございます。」
コレはもしかして、私、逆上せてた…?そう言えば、家に帰って来て直ぐに温泉に入ってた筈…。
「ルドルガさん、私、温泉で倒れてました…?」
「…そうだ。俺が忘れ物を取りに入ったら、誰かが入った形跡があったんだ。アイシャが帰って来たのかと思って、一言くらい言っておこうかと思ったんだが…。」
「ああ、そうしたら温泉で逆上せてる私を発見した、と。」
「扉越しに声を掛けるだけでいいかと思ったら返事は返ってこないし、物音すらないからもしかして、と思って…。」
そう言ったルドルガは、バツが悪そうに口籠った。そう言えば、さっきから私の顔を見ようとはしない。チラチラと気にしてはいるようだけど、明らかに避けている。
私も、ちょっと気まずい気持ちになる…。
「あー、えっと…。あの、ルドルガさん、ありがとうございました…。」
「いや…。その、無事で良かった…。」
暫く沈黙が続く。大した時間ではない筈なのに、それが長い間に感じてしまうのは、何故だろうか。私は少しでもその場の空気を換える為、コップに残ってる水を一気に飲み干した。
「少し楽になりました。ルドルガさん、本当にありがとうございます。」
「それならいいんだけどよ。本当にもう平気か?」
「はい。大丈夫です。ルドルガさんにはお世話を掛けました。」
「いや、別に俺は良いんだ。寧ろ、俺で良かったというか、その…。」
「ルドルガさん?」
「ああ、何でもないっ。気にするな。」
「はい…?」
最後の方はブツブツと言っていたので良く聞こえなかったけど、取り敢えずキチンとお礼を言わないといけない。
逆上せるなんて、私らしくない…。久し振りの温泉でテンションが上がり過ぎて、疲れもあったせいか眠くなっちゃったのかな。うーん、失敗した。
「アイシャ、温泉が好きなのは分かるが、気を付けろよ。流石に倒れ込んでたら心臓に悪い。」
「本当にすみません。急遽夕方に帰って来たばかりで、ちょっと疲れてたんだと思います。」
「そうだったのか。身体、大丈夫か?無理してないだろうな。」
「無理はしてないですよ。まあ、勉強疲れってのはあるかもしれませんが。」
「ちゃんと休めよ。向こうに行ってる間は、俺じゃ何も出来ねえんだから。」
頭を優しくポンポンと撫でられる。かなり心配を掛けてしまったようで、優しい目つきで見られると少し照れちゃうな…。
「…って、あ…。」
「どうかしたか?」
「いえ。やっとこっち見てくれたなぁ…と、思って。」
「……は?」
変な目で見られてしまった。もしかして、無意識だったのかな?
「ルドルガさん、さっきから凄い避けるような感じだったんで…。ちょっと気まずかったです。」
「ばっ…!そ、そりゃ、その…。」
あ、またそっぽを向いてしまった。恥ずかしいのはあるけど、視線を合わせてもらえないのは悲しい。
「わ、悪かったな、アイシャ。その…、見ちゃって…。」
「気にしないで下さい、ルドルガさん。不可抗力ですよ。それに、助けてもらったんですから。」
「あー…、でもよ…。」
「余り気にされると、私も、その…。どんどん恥ずかしくなってくるんで…。」
今までだったら、そこまで気にしてなかったかもしれない。家族と温泉に入るとかよくある事だし、ルドルガの事は兄の様に思ってたから。
ただ、現在はルドルガやアルベルト達に恋をしてるし、年相応の羞恥心と言うのもある。裸を見られれば、やはり気にはなるモノだ…。
と言うか、言葉にすると複数人に恋をするって、かなりおかしいよね。
「まあ、そうだな…。役得とでも思っておくか。」
「そうですよっ。役得…になってるのかはよく分からないですけど、人助けなんですから、そこまで気にしないで下さい。」
照れたように笑うルドルガを見て、少しホッとした。気まずいままでは居たくないもんね。
「それより、今回は随分と急だったんだな。」
「はい。本当は明日ゆっくりと帰る筈だったんですけど、アルベルト様とジェイク様が家の用事で急に呼び出されたそうで。支度も終わってたんで、別に帰るのも手間だったし、一緒に戻って来たんです。」
「ふーん。貴族手様って、やっぱり大変なんだなぁ。」
私もそう思う。アルベルト達で自由がある方だって聞いた事もあるし、普通の貴族はもっと大変なんだろうなー。
「明日にでもルドルガさんや棟梁さんに連絡しようと思ってたんですよ。今日はもう遅いですから。…って、そう言えば、時間大丈夫ですか?」
「ああ、そう言えば帰んないとな。」
「ごめんなさい、迷惑掛けて…。送っていきますか?」
「ばーか。女のお前が男の俺を送ってどうすんだよ。」
…ご尤もです。でも、危ない所を助けてもらったんだし何かお礼しないと…。
「忘れ物も持ったし、俺はそろそろ帰るよ。アイシャも疲れてるんだしな。」
「あ、待って下さいっ。せめて、助けてもらったお礼を…。」
「別にいいってば。アイシャも気にすんなよ。」
「だけど…。」
温泉で倒れるって事は、一歩間違えれば命の危険だってある。もしもルドルガが来てくれなかったら、そのまま目が覚めなかったかもしれない。
言うなれば、命の恩人だ。何もしない訳にはいかない。
「こう…、せめて、私に何かできることは無いですか?何でもしますから!」
「だから、いらないってーの。偶然なんだし、アイシャに何も無かったんだからそれでいいんだよ。」
「でも…。」
頭をグシャグシャに撫でられる。少しでも気にしないようにしてくれてるのかもしれないが、やはり私の気が収まらない。
その事を察したのか、ルドルガは溜息を吐くと、急に真面目な目つきで私を見た。
「ルドルガさん…?」
「アイシャ、本当に何でもするのか?」
「はい、私に出来る事で良ければ。」
「そうか…。」
黙ったまま考え込むルドルガに、私は首を傾げた。そんな大した事は出来ないし、少しでもルドルガの役に立てるなら、と思ったんだけど…。
そんな考える程、難しい事なのかな…?
「よし、アイシャ。決まったぞ。」
「は、はいっ。」
思わず、緊張して、声が裏返ってしまった。
「はは、お前なんだよ、その声。」
「だって、ルドルガさんが急に考え込むですもん。どんな難題を言われるのかと思って。」
「難しい事なんか何もねーよ。アイシャはただ、そこに突っ立ってればいいだけなんだから。」
「…立ってるだけ、ですか?」
「そうだ。」
うーん、立ってるだけで良いって、どういう事だろう?訳が分からず、取り敢えず背筋をピッと伸ばして姿勢を良くしてみた。
「そんな身構えなくても良いっての。ほら、アイシャ、少し目瞑ってろ。」
「は、はい…。」
いざとなると、凄いドキドキする。な、何をするつもりなのだろうか。目を瞑れって、も、もしかして…。
「……。」
「ルドルガさん?」
優しく体が包み込まれ、温かい。暫くそのままだったが、私が想像していた事は起きず、ただ身体をギュッと抱きしめられただけだった。
うわぁ、何かすっごい恥ずかしい…。何を想像してるんだか、私ったら…!
「ん、ありがとうな、アイシャ。」
「い、い、いいえ!お、お役に立てたなら、その…!」
「そんなに慌ててどうしたんだ?」
「な、何でもないです!ちょっと、あの、恥ずかしかっただけで…。」
「あー、そっか…。急に悪かったな。」
抱き締められていた体が離れる。思わず自分の想像を誤魔化そうとして、適当に言葉を並べたら、顔を赤くしてルドルガがそっぽを向いた。
その様子に私までも顔が赤くなり、恥ずかしかったのは自分の想像が、とは言えなかった。
「ほら、俺ってアルベルト様やジェイク様と違って、中央都にいる時はお前の傍に居られるわけじゃないし…。その、ちょっと羨ましいと言うか、ズルいと言うか…。」
「あ、あの…。」
「俺も、少しくらいはアピールしないと、と思って、だな…。」
「そ、そうなんですか…。」
アレ、コレ、何か恥ずかしい。凄い体が熱くなる。
「悪かったな、急に…。」
「いいえ、大丈夫ですっ。い、嫌では無いですから…。」
「……アイシャ。」
もう一度、今度は直ぐに離れたけど抱き締められた。
「ありがとうな。少し、焦ってたんだ。アイシャがアルベルト様達に取られる様な感じがして。」
「…私は、モノじゃないですよ?」
「分かってるよ。ただ、今まで俺のいた場所が無くなるんじゃないかと思って、ちょっと…な。」
「ルドルガさん…。」
「まあ、俺だってあの二人に負けてられないって事だ。貴族が相手でも、絶対に諦めたりしないからな。」
そう言ってニカリと笑うルドルガの笑顔に、私の顔は真っ赤になる。
「そんじゃ、今度こそ帰るよ。」
「あ、明日、お店に行きますね。」
「分かった。待ってるな。」
あの後、私は自分の服に着替えて、羽織っていた上着をルドルガに返した。ドアのところまで見送り、姿が消えた所で家の中へと戻る。
「うぅぅ…。」
真っ直ぐに寝室へと向かうと、取り敢えずベッドへとダイブした。
さっきの事を思い返せば、自分の想像が恥ずかしすぎて死にそう…!いや、まあ、そうですよね。普通はちゃんと付き合ってもいないのにキスするとか、しないもんね。
幾ら好意を寄せてるからって、相手の承諾も無しにそんな事、する筈が無い…。
考えれば考える程、自分の思いに恥ずかしさでいっぱいになる。
「あぁあぁぁ…!」
ちょっとだけ、自分の中でそう言う行為を期待していた。私ってば、なんて恥ずかしい思考をしてるのだろうか…。
「……。」
暫くベッドの中で身悶えていた私だったけど、思っていたよりも体が疲れていたらしい。いつの間にか、そのまま眠っていた。
次の日、目が覚めた時にはとてもスッキリとした目覚めだったので、昨日の事はちょっとした気の迷いだったことにしよう。
自分がそんな破廉恥な思考だったとは、認めたくないのです…。
温泉をテーマにしたのは、これがしたかったからです。個人的に、とても満足しました。




