第六十七話 婚約
馬車から降りても、二人の手に惹かれてエスコートされる。去年の様などよめきは無いけど、やはり視線が痛い。
それにしても、よくこんなヒールの付いた靴で皆は踊れるよね。下駄なら兎も角、ヒールの付いた靴ってあんまり履いた事がない。普段の学校生活では低めのヒールだから平気だけど、ドレスに合わせたこの靴は、かなりヒールが高い。
うーん、今更ちゃんと踊れるか不安になってきた…。一応この靴を履いて練習もしてきたけど、不安なモノは不安だ。
チラリと周りを見てみれば、女生徒は全員が当たり前の様な顔で立っている。私もフラついたりはしないけど、どうにも慣れないんだよなぁ…。
「アルベルト様、ジェイク様。ごきげんよう。アイシャも、似合ってるじゃない。」
「メアリー様も美しいです。ありがとうございます。アンナ様とライラ様もですが、皆様のドレス、素敵です。」
「当然ですわ。今日の為に誂えたんですもの。」
「アイシャのドレス姿は初めて見たけど、随分似合ってるじゃない。余り平民には見えないわね。」
メアリー達の目から見ても、似合ってる様で安心した。今だけ私、お貴族様みたいな気分だ。…いや、気分だけじゃなく、その通りに振舞わなくちゃいけないんだけども。
「さて、これよりパーティーを始めるが、その前に話をいくつかさせてもらう。」
少しの間メアリー達と話していたら、上の階から小さくベルが鳴り始めた。私達だけでなく、周囲の人達もお喋りしていた口を閉じ、シン…とホール内が静まり返る。
どうやら、先生達の話が始まるようだ。
「君たちはこれから多くの社交パーティーに出席する事になるだろう。その時、誇り高き貴族であることを忘れず、毅然とした態度でいるように。」
「成人の儀式を終えた其方等は、既に大人であることを重々承知の上、己が振る舞いをシッカリと考え、この国の為に励みなさい。」
「既に参加した事のある生徒もいるだろうが、社交パーティーは主催者の挨拶が終われば、後は自分達の意思で動き始めます。どの順番で挨拶をするのか、誰と親交を深めるのか。今回の席では最低でも五人以上の相手を対応し、社交の経験を積む事が第一です。よく考えて行動するように。」
話が終わった瞬間、さっきよりも大きな音でベルが鳴る。直ぐにホール内は綺麗な音色の音楽で満たされていく。
つまり、パーティーと言う名の授業開始の合図って事か。
「さて、それでは始めましょうか。」
今回の授業は、相手とダンスをして会話をする事で社交を積む事。それを五回繰り返し、その様子を教師が確認しながら採点する。ダンスに関しては二人で行う事だが、その後の会話は別に二人きりでなくても構わない。
要は、ダンスだけ無事に終えた後、アルベルト達を交えながら話をすればいいだけだ。
「アイシャ殿、まずは私と踊って頂けますか?」
「はい、ジェイク様。」
打合せ通り、最初にジェイクとダンスを始める。本来なら階級の順番でアルベルトから踊り始めるものなのだが、もしも注意人物に誘われてどうしても断れなかった時、アルベルトが前に出て代わってくれるのだそうだ。
その為、アルベルトは最後の五人目になるまで、メアリー達と踊っていくのだそうだ。故に、私達は六人で固まって行動する事になる。
「アイシャ殿、緊張してますか?」
「…そうですね。ちょっとドキドキしてます。」
「ふふ、大丈夫ですよ。…私に、任せて下さい。」
ジェイクに手を引かれ、ダンスが始まった。普段とは違う顔つきで微笑むのだから、ちょっとドキドキしてしまう。
「上手ですよ、アイシャ殿。」
「は、はい…。」
音楽に合わせて踊る私達に、周囲の視線が突き刺さる。他に踊ってる人もいる筈なのに、何故か注目されている。間違えたりしないか、凄い緊張しちゃうんですけど、コレ…。
「アイシャ殿、私だけを見てて下さい。」
「ジェイク様…。」
「大丈夫ですから。自信を持って。他の方の視線が気にならないよう、私に夢中にさせてみせます!」
「……!」
そう言ってニコリと笑うと、ジェイクが少し手を強く引っ張った。ビクリと驚いたが、表情に出ない様に何とか押し留めた。
「じぇ、ジェイク様、その…!」
「アイシャ殿、どうか今だけでも、私を見ていて下さい。この時だけは、誰にも邪魔させません。」
さっきよりもずっと距離が縮まった。練習でもこんなに近付いた事はない。もしかしたら、完全にくっ付いているように見えるのではないだろうか。
恥ずかしさの余り周囲を見回したくなるが、ジェイクはそうさせてくれなかった。踊りながら顔を近付けてくるジェイクは、耳元でゾクリとするように呟いた。
その言葉はまるで魔法の様に、私の視線を奪ってしまった。満足気に微笑むジェイクだけが、目に映る。
「この時が、永遠に続けばいいのに。何て、思っちゃいますね。」
「ジェイク様…。」
そんな時間は、あっと言う間に終わってしまう。音楽が途切れると、私とジェイクの動きは止まった。
「ああ、終わってしまいました…。」
「そう、ですね…。」
何だか、名残惜しい気持ちになる。もっと、一緒に踊っていたい。思わず、そう考えてしまいたくなるほどに。
「お二人共、素敵なダンスでした。」
「アイシャったら、中々やるじゃないの。」
「ありがとうございます、アルベルト様、メアリー様。」
ダンスを終えると、アルベルト達がこちらへとやって来る。どうやら、予定通りメアリーと踊っていたようだ。この後はジェイクがメアリーと踊り、アルベルトはアンナと踊る。そうやって順番に踊って行って、最後に私とアルベルトで終わる。
このまま、何事も無ければいいんだけどな…。
一曲踊ってその後は会話し、また次の音楽で踊り始める。つまり、それまでに踊る相手を見繕わなくちゃいけない訳で。
メアリー達はジェイクに任せ、私はアルベルトと二人で次のダンス相手を探す為に会場内を歩き始めた。
「アルベルト殿、アイシャ殿。良ければ、共に話しませんか?」
「バルドー殿。ええ、喜んで。」
私達へ最初に話し掛けてきたのはバルドーだった。チラチラと視線の集まる中、私とアルベルトは一緒に話し始める。他愛もない会話で時間を過ごし、そろそろ今の曲が終わる頃合いをみてアルベルトはチラリとバルドーを見る。
その意図を直ぐに察したようで、バルドーは私にダンスの申し込みをしてきた。
「アイシャ殿、良ければ私と踊ってはくれませんか?」
「私でよければ、喜んで。」
誘ってもらう為に近付いたので、私は勿論その申し出を受ける。
「それでは、お手を。」
「宜しくお願い致しますわ、バルドー様。」
丁度音楽が変わり、バルドーが手を差し出してきた。そっとの手を取り、二人でホールの中央へと移る。アルベルトは私が申し出を受けたことで、それほど離れていなかったジェイク達の元へと戻り、アンナとダンスを始めた。
「…先程のダンスを見て思いましたが、本当に平民とは思えない動きですね。」
「まあ、光栄です。必死に練習致しましたから。」
「これなら、いつでも社交界に出れそうですよ。」
「私の様な者が出ては、折角の社交界が台無しになってしまいますわ。」
「ふふ、ご謙遜を…。」
幾ら私が上達したとはいえ、流石に本物の社交界に出られるほどの技量はない…と、思う。誘われても行きたくはないので、アルベルト達を理由に断っているが、これからはお茶会だけでなく社交界の誘いも増えそうだ。
私、ただの平民ですから、呼ばれても粗相する未来しか見えないんですけど…。
「そう言えば、件の事ですが、進捗はどうでしょう?」
「ええ、順調ですわ。アルベルト様とジェイク様のおかげで、来年の春には開けると思います。」
「それは楽しみですね。」
「詳しくは、今年のヴァレス祭で発表が出来ると思います。」
元々決めてあった話しても差し障りの無い内容で、何とか会話を進める。バルドーも余り情報が手に入るとは思ってなかったのか、深く追求するような事はない。
「完成した暁には、是非とも我が家に声を掛けて下さいね。」
「勿論です。ただ、最初にお声掛けするのは、女性の方が多くとなりますわ。」
「おや、そうなのですか?」
温泉なら、どちらかと言えば女性の方が食いつきが良いだろう。リピーターを増やす為に、最初は女性客を中心に招待しようと考えている。
「勿論、男性の方にも気に入って貰えるよう、様々なおもてなしは用意しています。ですが、恐らくは女性の方が受け入れやすいでしょうから。」
「ふむ…。多少の話は聞いているが、詳しくは知らないからな…。」
「女性の方が多いのを気にならないというのであれば、ぜひお越し下さいませ。アルベルト様とジェイク様に、お話しておきますから。」
「ええ、お気遣い感謝しますよ。父上と話し合ってきます。」
ニコリと微笑み合い、会話が途切れたのも束の間、いつの間にか音楽が止んでいた。私とバルドーはアルベルト達のいる場所へと歩いていく。
「バルドー殿、アイシャ殿。お二人のダンス、素敵でしたよ。」
「ああ、ありがとう、アルベルト殿。おかげで、良い話を聞かせてもらった。」
「ふふ。是非、楽しみにしていて下さいね。」
「勿論。…ああ、そうだ。折角この場にいるのだし、メアリー殿達も、私と踊ってはもらえるかな?」
「まあ!わ、私達が、バルドー様と、ですか…!?」
「ええ。お嫌かな?」
「そ、そんな事はありませんわ!よ、宜しくお願い致します!」
満面の笑顔で、メアリー達は楽しそうに話し合っている。そう言えば、バルドーってアルベルトの家よりも上の公爵家だったっけ。そりゃ、はしゃぐよね。
次はジェイクと一緒に別の集団へと向かっていく。バルドーと踊った後だからか、周りのギラついている目が少し怖い。あわよくばダンスに誘って話を聞き出そうとしているのが、見て取れる。
幾つかの集団が少しでも声を掛けやすいようにと、こちらの近くへと寄ってくる。その中でも、シャーロットのいる集団が、凄い怖い。
会話が弾んでいるのか、シャーロットの顔は常に満面の笑みだが、気が付くとこちらへと視線を向けてくる。何とか視線を合わせない様に気を付けて、私とジェイクはリストに載っていた人のいる集団へとやって来た。
ここでも少しの会話の後、ジェイクが視線で相手に訴えかける。バルドーと違いほんの少し悩んだ表情を見せたが、直ぐにハッとした顔になった。
無事に誘いを貰えたことで、私はニコリと微笑みダンスを始める。
内容はさっきと同じだったが、彼は少しでも多くの話を聞きたかったのか、バルドーよりも更に話に入り込む。
笑顔のまま私がこれ以上の事は言えないと告げれば、そこはサッと引いてくれた。
流石、二人の作ったリストに入ってる人物だ。引き際を弁えてる。
「とても良いお話を聞けました。ヴァレス祭が楽しみです。」
「ありがとうございます。是非、その際は宜しくお願いしますわ。」
無事に三度目のダンスを終え、ホッと一息つく。後一回、誰かと踊れば後はアルベルトと踊って終わりだ。私は皆がいる場所へと戻り、少し休憩する事にした。
「ふぅ…。何とか、踊り切れそうです。」
「このパーティーも半分を過ぎました。ゆっくり休んで下さい。」
私が踊らないので、当然アルベルトとジェイクもお休みだ。その間に、メアリー達は他の人達と踊ってダンスを終わらせようとする。
こんな立て続けに踊れるなんて、貴族女性って凄い…。私は既に足に来ていて、ちょっとキツイ。座る場所が無いのが、社交パーティーの嫌なところだよね。逆にお茶会は座ったままだけど…。
「アイシャ、少しいいかしら。」
「…シャーロット様。」
三人でゆっくりと休んでいた筈なのに、休めなくなってしまった。どうやら、メアリー達が居なくなったのを見て、こっちに来たらしい。
シャーロットの微笑を見て、胸がざわつき始めた。…何だか嫌な予感がしてくる。
「友人のアイシャには、話しておこうと思ってね。私、今度レイド様の第一夫人になる事になったのよ。」
「……え…?」
確か、メアリー達と遊びに行った時、そんな話を聞いた。だけど、家族に第一夫人どころか、妻にする事自体を反対されていると、言っていた筈だ。
「うふふ。卒業したら、直ぐにでも式を済ませるの。その時は、是非いらしてちょうだい。」
「……レイド殿。今の話は正式に決まったのですか?」
「ええ、そうですよ、アルベルト様。シャーロット殿と二人で、家族に懇願しやっとお許しを頂いたのです。」
「私、余りの嬉しさに舞い上がってしまいましたの。今回のドレスや装飾品は、レイド様や皆様がお祝いの品に、と。」
「そう、ですか…。それは、おめでとうございます。」
ほんの少し、驚いた表情をしたアルベルトだったが、直ぐに笑顔でお祝いの言葉を告げる。ジェイクと私も、シャーロットとレイドに対して祝辞を述べた。
「結婚してしまえば、私はずっとレイド様と暮らす事になってますの。こうして皆様とお慕い出来るのも、無くなってしまいますわ。」
「シャーロット殿が望むなら、こうして共に会う事は幾らでも出来るけどね。」
「レイド様もシャーロット殿も、お心の広い方々ですから。我々も嬉しいです。」
「ええ、ですから…。」
シャーロットのその目は、身震いするほど恐ろしかった。
「是非、アルベルト様やジェイク様とも、踊りながらお話したいと思ってましたの。」
笑っている筈なのに、彼女の笑顔が怖い。私は、その言葉を聞いた途端、眩暈がした。
ちょっと更新遅れました。申し訳ないです。




