第三十二話 騒動
初めての相談があった次の日、いつもの様に迎えに来てくれた二人と私は学校へと登校した。どうやら、ジェイクはメル酒をかなり気に入ったらしい。ほんのりと甘みのあるメル酒はとても飲みやすかったようで、この数日間に二人で半分くらい飲んでしまったようだ。
寮の食堂で飲んでいた為か、他の男子生徒が興味深く質問してきたそうだが、秘蔵の酒だという事で他の人に教える事も無く内緒にしたそうだ。
おかげで、その日から数日が経った今では、男子寮で凄い注目の的になっているらしい。アルベルトが言うには、ジェイクがソレはソレは美味しそうに飲んでいて、上機嫌でアルベルトと話をしているため、周りが気になって仕方が無いのだそうだ。
人のモノって普通よりも良く見えるもんね。
「明日は初めての選択授業ですね…。私、とても緊張します…。」
「ふふ、大丈夫ですよ。メアリー殿達が、一緒ですから。」
「アイシャ殿は、安心して勉強して下さい!何かあれば、私達も直ぐに行きますから!」
どうやら、メアリー達は彼等にクッキーの事を聞きに行けないままの様だった。流石に気安く話し掛けられる相手ではないし、周りの人にも言わない事で自分達だけの秘密にして、優越感に浸っているっぽい。
「ありがとうございます、お二人共。私、一生懸命学んできますね!温泉旅館の為ですから!」
「その意気ですよ、アイシャ殿。私達も、シッカリと学んできますから。」
由緒ある侯爵家のアルベルトや、代々騎士を輩出する伯爵家のジェイクは、周りの期待もかなり高いモノだ。プレッシャーもある筈なのに、彼等はそれを表に出す事もしない。
ジェイクに関しては私と出会うまで騎士になるのを怖がっていたようで、ずっと真面目にやってこれなかったらしい。私に会って心の整理がついてからは、今までの分を取り返す為に一生懸命頑張っている…と、チャックに聞いたアルベルトから教えてもらった。
「よし、午後からの授業も頑張らないと…!」
「今日は語学と算術の授業ですから、アイシャ殿はそこまで苦労はしないでしょうね。」
「座学ならば、私でもなんとか着いていけますから…。」
「私は算術が少し苦手です…。でも、兄上の様にある為、頑張ります!」
「ふふ、二人がそんなにもやる気では、私も負けてられませんね。」
食事を終え、学校内にあるサロンでゆっくり話していると、綺麗に靡く赤い髪を見付けた。
「アルベルト様。ジェイク様。こんにちは。」
「こんにちは、シャーロット殿。」
「シャーロット殿もご休憩ですか?」
「ええ。」
私がシャーロットを見付けた様に、彼女も私達を見付けていた。こちらの姿を確認すると、彼女とその取り巻き達は真っすぐとやって来る。
やっぱり私の姿は彼等の目には入っていないようで、目線を向けられる事も無くスルーされた。
「少し、ご一緒しても宜しいかしら?」
「…アイシャ殿が良いのなら、私達は構いませんよ。」
アルベルトがそう言うと、やっと彼等の目線が私へと向く。どこからどう見ても蔑むような視線。無視されるのと下に見られるのでは、どちらがマシかなんて、私には分からない。
ただ、平和に勉強できれば、それでいい。
「勿論、私は構いませんわ、アルベルト様。」
「ですが、それだけの人数では、全員が座る事は出来ませんね。」
「では、私とレイド様だけ、失礼致しますわ。皆様、申し訳ありませんが、少々お待ち頂けますか?」
「シャーロット殿を待つのは当然です。我々は向こうの席でお待ちしてますね。」
「うふふ、ありがとうございます。」
私達が座っていたテーブルは、五人座るのがやっとの大きさだ。何人も周りで侍らせている彼女達全員が座れるような広さではない。ジェイクがそう言えば、シャーロットは直ぐに言葉を返した。
表情をしゅん…と曇らせ、申し訳なさそうに俯く彼女は、とても愛らしい。周りに居た男の子達は笑顔を作り、シャーロットの話が終わるまで待っている、と言っていた。
「明日は初めての選択授業ですわね。私、とてもドキドキしております。」
「シャーロット殿は何を選んだのですか?」
「私は家政科ですの。少しでも、皆様といて恥ずかしくないような淑女になりたくて…。」
「おや、シャーロット殿は既に、十分魅力的で素敵な淑女ですよ。」
「いやですわ、レイド様。お恥ずかしい…。私なんて、まだまだですもの。」
私から見ても、シャーロットは確かに素敵な女性だった。その笑顔を向けるのが男性のみでなければ、の話だが。
「そう言えば、レイド様から伺いましたの。アルベルト様とジェイク様は、何やら素敵な物をお持ちだとか。」
「さて、何の事でしょう?」
「アルベルト様、お隠しにならないで下さいませ。寮で秘蔵のお酒を飲んでいる、と聞きましたわ。」
「ああ、その事ですか。」
「ジェイク様がとても美味しそうに飲んでいると、レイド様や他の方々からもお話を伺いますの。」
「はい、とても美味しいです!」
ジェイクが満面の笑みでそう言うと、シャーロットの目がギラリと揺れたような気がした。
「私、とても気になってましたの。…宜しければ、私にも少し、頂けませんか…?」
瞳を潤ませ、ジッと上目遣いでアルベルトとジェイクを見るシャーロット。甘え上手だな、何て私が思っていると、隣に居たレイドは頬を赤らめている。
ああ、確かに可愛らしい。前世の世界にも、こういう子いたなぁ…と、私は静かに思い出していた。どこの世界にも、似たような子はいんだね。
「申し訳ありません、シャーロット殿。あのお酒は私達も初めて頂いた物でして、余り量も無いのでお裾分けする事が出来ないのですよ。」
「…一体、どなたから頂いた物なのでしょうか?」
「それは秘密です。私達も滅多に手に入れられない物ですから。」
いいえ、まだ残っているので欲しければ差し上げられますよ、とは言えなかった。まあ、私としてもシャーロット達に渡すくらいなら、メアリー達にあげた方が良いと思ってる。
「……どうしてもですか?」
「アルベルト様、シャーロット殿がこんなにも頼んでいるのですから…。」
シャーロットの必死のお願いにも、アルベルトは申し訳なさそうな表情で断るだけだった。レイドは頑なに彼女の思いを無下にするアルベルトに、少し苛立ったように話し始めた。
「何故ですか、アルベルト様…!シャーロット殿がこんなにも頼んでいるのに!」
「れ、レイド様、落ち着いて下さい…!」
「ジェイク殿、貴方はどうなのですか!彼女が必死に頼んでいるのに、その思いを無下にするのですか!」
「レイド様、しかし…。」
「貴方がそれだけ美味しいというのなら、彼女だけには分けて頂けても良いではありませんか!貴方はそのように強欲なのですか!」
「……!!」
アルベルトではなくジェイクに向けて強い言葉を発したレイドは、ギッと睨み付ける。ジェイクは驚いた様な表情をすると、何も言う事が出来ず静かに俯いてしまった。
幾らなんでも言い過ぎではないだろうか。ジェイクは落ち着かせようとしただけなのに、あの言われよう…。
流石に私もイラっと来た。私が渡せば平和的に収まるのかも知れないが、もうその気も起きなかった。身分差なんて関係ない、文句でも言ってやろうと口を開きかけたその時。
「レイド殿。」
アルベルトの、酷く冷たい声がサロン内に響いた。レイドが大きな声を上げた時、騒がしかったサロンは静まり返っていたのだ。集まる視線の中、アルベルトの言葉にレイドはハッとしたような表情になった。
「あ、わ、私は…。」
「幾らレイド殿でも、少々口が過ぎたのではありませんか?」
「も、申し、訳…!」
「言う相手が違うのではないですか?」
ヒヤリと背筋も凍る様な言葉に、レイドはたらりと汗を流す。決して崩れる事の無いその笑顔が、とても怖い。私までも、ゾクリと悪寒が走ってしまう。
「じぇ、ジェイク殿…。その、申し訳ありませんでした…!」
「あ、いえ、レイド様!どうか、顔をお上げ下さい…!」
「ですが、私は…。」
「その、お気になさらず。私は大丈夫ですから…。」
なんとかニコリと微笑んだジェイクを見て、レイドはアルベルトの方へと視線を移した。
「…ジェイク殿がそう言うのなら、コレでお話は終わりにしましょう。そろそろ、午後の授業が始まってしまいますからね。」
「あ、アルベルト様…。」
「この件は、もうおしまいです。私達は、教室へと戻りますね。レイド殿、シャーロット殿。それでは、また。」
先ほどの様な冷たさは無く、優しく微笑んでみせたアルベルトは、席を立つとホールの入口へと向かった。私とジェイクも席を立ち、二人に挨拶をして後を追う。
「あの、アルベルト様、ジェイク様、大丈夫ですか?」
教室へと戻って来た私は、二人にそっと小声で話した。
「アイシャ殿、心配かけてすみません。大丈夫ですよ。」
「私も大丈夫です。それより、アイシャ殿の方こそ平気ですか?」
「えっと、私はただ話を聞いていただけですから…。」
レイドがジェイクに怒鳴ったりしなければ、あそこまで拗れる前に、私は別にあげても構わなかった。現に、クッキーをメアリー達にはあげてたし。
だけど、まさか自分の作った物であんな事になるとは思わなかった。私はただ自分が欲しかったのと、アルベルト達が喜んでくれれば、それで良かったのだ。
「お二人には申し訳ない事を致しました。レイド殿も、普段はあんな風に感情が高ぶる事は無いのですが…。」
「い、いえ…!私が差し出がましい事を言ったせいですから…!」
「アルベルト様こそ、お気になさらず…。私は別に構わなかったのですが、どうしても駄目だったのですか?」
「……シャーロット殿に、知られたくなかったのです。」
ボソリと、小さな声で呟いた。それは、私達にしか聞こえない様に、本当に小さな声。
「彼女とは、出来れば関係を持ちたくありません。シャーロット殿と共に居る貴族は、既に結婚なり婚約なりしている方ばかりです。それなのに、彼等は彼女の虜の様になっています。」
「そう言われれば…。確かに彼女は魅力的ですが、既に相手がいる方があそこまで執着するものなのでしょうか?」
……知らなかった。彼女の取り巻き、相手の子がいる人ばかりだったんだ。そりゃ、他の女の子達は嫌な気持になるよね…。
同じ平民だからと逆恨みされる可能性があると知って、この間話していた事を思い出す。これからは嫌がらせがエスカレートするかもしれない、と。
アルベルトが私の立場をハッキリとさせ、自分達の庇護下にいる事を知らしめるために、着物を作っているのだと。
「何だか、彼女の周りは様子がおかしいのです。ですから、出来るだけアイシャ殿に係わりを持ってほしくありません。」
「…アルベルト様がそう言うのなら、きっとそうなのでしょう。私も出来る限り周りに気を配って、アイシャ殿をお守り致します。」
「……ご迷惑をお掛けします。」
二人に頼ってばかりなのは心苦しいが、私ではどうしようもない問題だ。平和に勉強したいだけなのに、面倒臭い事に巻き込まれてしまいそうだ…。
「アイシャ殿も、どうかお気を付けて。選択授業では、決してメアリー殿達から離れないように。」
「はい、分かりました。」
メアリー達にクッキーを渡して良かったかもしれない。どう頑張ったって、私一人では出来る事に限度がある。それも、ただの平民である私が、だ。
一緒にいる時は平気でも、離れた途端何かしてくる可能性はある。
「少なくとも、親交パーティーがある日までは、気を付けて下さい。パーティーさえ終えれば、彼等の見る目が変わりますから。」
自信満々にそう答えるアルベルトを、私は不思議に思った。幾ら珍しい和服でも、着ている人間が平民の私では、今と大して変わらないのではないだろうか?
寧ろ、逆に目立って悪化するのではないか、と。
「そうですね。パーティーまでの辛抱ですよ、アイシャ殿!」
「は、はい…。」
だけど、ジェイクまでもがそう言うので、思わず返事をしてしまう。まあ、私のせいで二人に迷惑が掛からないようになるのなら、それが一番だ。
私が考えても貴族の事は分からないし、二人がそう言うのなら大丈夫だろう。
教室に戻って来てからは、他愛のない雑談を始める。
「よし、午後の授業を始めるぞー。」
ガラリと音を立てて、教室のドアを開けた先生が入って来た。私達は話を区切り、授業へと気持ちを向ける。
「今日はこの間やった続きから始めます。」
ホワイトボードに魔法で記入していく先生を見て、私はシッカリとノートに写していく。ちゃんと寮に帰ったら復習しないといけないので、出来るだけ丁寧に分かりやすく書いていく。
ああ、学生時代を思い出すなぁ…。ほんと、懐かしい…。
せっかく勉強できる機会に恵まれたのだから、きちんと学ばなければ。温泉旅館を立てる為にも、他の面倒事に首を突っ込む気は無いのだから…!




