第二話 フィルダン大工店
「棟梁さん、おはようございます。」
「おう、アイシャ。今日も頼むぞ。」
「はい。」
私はお世話になっているフィルダン大工店へとやって来た。この町では小規模の大工店だが、棟梁やお弟子さん達の腕はとても良いと評判で、人気のある店らしい。そんな大工店で私が働けるのは、偏に前世の記憶があるからだ。
私は大工の下働きと言っても、建物を建てる訳ではない。主に受付業を担当している。何故普通の接客業ではないかと言えば、それは夢の為としか言えない。
老舗旅館の若女将としてやってきた私は、そこら辺の人間よりも大抵の仕事は上手に出来ると思う。今までやって来た習い事や取った資格は、全て旅館を継いでいく為のモノだ。華道や茶道は勿論、料理についての知識、温泉についての知識、旅館や経営についての知識。ありとあらゆる物を学び、家の旅館の為にその人生を捧げてきた。
私自身は大好きな温泉があるので、辛くはあっても諦める事は無かったが。
「アイシャは子供なのに随分と仕事が丁寧だな。」
「そうですか?」
「ああ、おかげで助かってるよ。ウチに居るのは、大工としての腕は良い奴等だが、接客となると中々上手くいかねえからな。」
「それなら良かったです。」
職人気質、と言うやつだろうか。棟梁を始め、この店の人達は中々に頑固な人達が多かった。と言うか、大工店以外でも職人が多いお店では、余り受付を重要視していないみたいだった。
私が来る前は棟梁の息子であるルドルガの仕事だったが、彼も余りやる気のあるタイプではない。
「親父、準備出来たぞ!」
「おう!そんじゃ、始めるか!」
「棟梁さんもルドルガさんも、お気を付けて。」
「行ってくるぜ、アイシャ!」
ヒラヒラと手を振って、仕事現場へと行く二人を見送ると、私は事務仕事を始める。受付業と言っても、一日ずっとやっている訳ではない。私は空いている時間を使って、少しずつ溜まっている事務仕事も片付けていくのだ。始めて三カ月も経てば完全に慣れてしまって、ひょいひょいと仕事を片付けていく。
お店に来客があればそちらに対応して、それが無ければ事務仕事。私の仕事はそれが全てだが、この仕事は一番重要な部分が分かる。大工店で一番重要な仕事と言えば、当然建築である。溜まっている書類の中には今まで建築した物の設計図や、細かい作業内容が書いてあるものがある。私はその中で自分に必要な個所を覚えていく。この為に、大工店へとやって来たのだ。知識はシッカリ持ち帰らなくてはいけない。私は、成人したらあの家を出て、自分の家を作るのだから…。
そう決意してから、四年の時が過ぎた。
「お疲れ様でした、皆様。」
「アイシャちゃん、お疲れ様!」
「皆様、良かったらどうぞ。」
仕事を終えると、従業員達は必ず此処へと戻ってくる。直行直帰と言う概念が、この世界には無いのだろうか。それとも、此処だけなのだろうか。どちらかは分からないが取り敢えず、フィルダン大工店では必ず此処から仕事に向かい、此処に戻ってくるので、私は仕事終わりの皆に冷たいお茶を差し出す。
「プハー!仕事終わりの一杯は最高だな!」
「これが酒だったらもっと良いんだけどなー。」
「すみません、流石に私が買いに行くわけにはいかないので…。」
「気にすんなって!アイシャちゃんが注いでくれるなら、お茶だって最高の一杯さ!」
そんな調子の良い事を言うくらいには、大分気を許してもらえている。此処で働き始めてあっと言う間に四年が経った。つまり、後一年も経たずに成人の儀式だ。そうしたら直ぐにでもあの家を出る事になるだろう。
これからの事を少し考えていると、仕事を終えた彼等は魔法で身綺麗にして、次々とお店を後にする。棟梁とルドルガだけが残った所で、私も帰り支度を始めた。
「今日もお疲れさん、アイシャ。」
「お疲れ様です棟梁さん、ルドルガさん。」
「アイシャのおかげで、俺もシッカリと大工仕事が出来てるぜ。本当助かったわ。」
「そう言ってもらえると、私も嬉しいです。大工仕事が出来ないのに、大工店で働かせてもらえるのは、ありがたいですから。」
大工仕事にも、魔法が使われている。私の少ない魔力では、直ぐに枯渇して大した仕事は出来ないだろう。受付業や事務仕事があって、本当に良かったと思う。
彼等は事務仕事ですら魔法を使うらしい…。正直、魔力の無駄ではないかと思うが、きっと私の魔力が少ないからだろうと勝手に結論付けた。
「アイシャが居なきゃ、今でもコイツは大して大工仕事を出来んかったからな。あの頃は俺もそろそろ教え始めなきゃ、と思ってたし、丁度良かったんだ。あの時のお前、大分熱がこもってたしな。」
「どうしても大工店で働きたかったもので。…すみませんが、お先に失礼致しますね。」
「おっと、もうこんな時間か。気を付けるんだぞ。」
「お疲れ、アイシャ!」
「お疲れ様でした。」
私は挨拶をして、お店から出ていく。ただし、魔法で体を綺麗にせずに。お店の中で事務仕事をしていた私は、他の人達と違ってそこまで汚れていない。仕事に関しても魔法を使う事は無いので、私の魔力はまだ余っている。
私は、その足で町から出て山の方へと向かった。
「今日はちょっと遅くなっちゃったから、出来るだけ急いでいかないと…。」
ポツリと独り言を漏らして、足早に移動する。初めてこの森へと入った時は、とても怖かった。町を出てしまえば、凶暴な魔物に襲われるからだ。
町には危ない魔物が襲ってこない様に、特別な装置が各所に配置されている。そのおかげで町の中に居る分には安心して暮らしていけるのだが、外に出てしまえばいつ襲われるか分からないのだ。
私はアイシャとしての記憶の中で見た、あの恐ろしい光景を忘れてはいない。父も、母も、兄や姉の死も。普通に考えればトラウマモノだし、まず町の外に出ようとはしないだろう。だけど、私にはどうしても我慢出来なかったのだ。最初の内は恐怖が勝っていて、町から出ようとは思わなかった。けれど、それから何日も日が過ぎていくと、恐怖よりもお風呂に入れない事のが我慢出来なくなっていたのだ。
瑞希馨としての記憶が強いせいだと思う。だけど、温泉は無理でもせめてお風呂には入りたい。その気持ちが強くなっていけば、それは段々と使命のようにも思えてきた。私は意を決して山の中へと入っていった。
「ああ、私のオアシス…!」
私は目の前にあるモノを見て、恍惚とした表情を浮かべる。私がコレを発見したのは、この世界で生活し始めて三カ月の事だ。お風呂の無い生活に耐え切れなくなった私は、森の中を探索する事に決めた。
あの小屋でお風呂に入れるだけの水を出してお湯に沸かす、なんて事は、私の魔力ではとても出来るものではなかった。水を出すだけで限界になった私は、家にお風呂を作る事は諦めた。
それならばと、次は井戸から水を運び出す事を考えたが、それも無理だった。井戸にあるのは大きなバケツ程の桶で、お風呂に入れるだけの水を汲むのに、小屋と何往復もしなくてはいけなくなる。魔力も無いが、体力も子供並みの私には二、三回往復するのが精一杯だった。
そこで考え着いたのが、山の中にある川の近くならば水を汲む労力も少ないし、貯めた後は沸かすだけなので、魔力も大丈夫という事だ。何カ月もお風呂に入れていないという事に、私の中にある恐怖はスッカリと消え去っていた。出来るだけ町から離れないように気を付けながら川を探している時、偶然見つけてしまったのだ。
うっすらと白い靄が立ち込めるその場所を。
「よし、大分綺麗になってきた…。後少し頑張ったら完成だ…!」
モヤモヤの正体は、なんと湯気だったのだ。最初に見付けた時はとても大きな水溜まり程度だった。そこに手を突っ込めばちょっと熱いくらいの温度だったので、水を足せば良い感じの温度になるだろうと考える。
そして、私はハッとした。天然の源泉を見付けた事に感激して迷わず手を入れたが、落ち着いてから見ればそこには葉や土だけでなく、大小様々な虫の死骸が浮かんでいて、一気に興奮が冷め、サーッと鳥肌が立った。
直ぐに魔法を使って綺麗に洗いはしたが、数日間はあの光景が思い浮かんで気持ち悪くなった。
私は今まで覚えていた知識を使い、頭と魔法をフル稼働させ、沢山の時間と労力を掛けて温泉として入れるように整備して来た。取り敢えず露天風呂の様に石で周りを囲み、簡易的な屋根と塀も付けた。虫が入って来ない様に徹底的に整地をしてから虫が嫌う植物を周りに用意したし、繁殖出来ないように土ではなく石畳の様に温泉の周りにビッシリと石を敷き詰めた。
旅館を経営していた時もそうだが、如何に気持ちよく入ってもらえるかを色々と考えていた物だ。落ち葉なら兎も角、虫の死骸がプカプカ浮かんだ温泉になんて、誰だって入りたいものではないだろう。景観を損ねない様に気を配るのは、とても苦労したものだ。
後に、虫除け等は魔法でどうにかなるのだと分かった時、あの時の労力は何だったのかと落ち込みもした。まあ、温泉内の見た目を自由に変えられる様になった思えば、少しは気分も上がったが…。
後はここに来るまでの道の整備をして、気軽に町と行き来できるようにした。殆どの人が町から出る事も無いので、まず誰かが来ることは無いだろう。そもそも、この世界の人間はお風呂に入る習慣が無いのだ。見付けたとしても、ただのお湯溜まりに興味は持たないだろう。
私としては、是非興味を持ってほしいのだが…。
「今日はこれでおしまい、っと。此処まで来るのに、四年も掛かっちゃった…。」
自分の体力と魔力の無さに愕然としていた最初の頃と比べ、最近は体力がシッカリついてきたのか、そこまで疲れが溜まる事も無くなっていた。
後もう少しで、私は温泉に入れる…。天然温泉だ、数年振りの温泉だ…!
「はぁ…、楽しみ…。」
ワクワクとした興奮が抑えきれず、帰り道はいつも笑顔だった。何度か我慢出来ずに、温泉に浸かってしまいそうにもなったが、私はグッと耐えた。どうしても無理な時は足だけを入れて、足湯を堪能する。水を入れて温度を調節すれば程よい温かさになり、その気持ち良さにウットリしてしまう。一度入るといつの間にか日が暮れ始めてたりするので、出来るだけ気を付けるようにしているが、どうしても治らない。
「ただいまー。」
小屋へと帰ってきた私は、誰も居ないのについ言ってしまう。私は、もう少しで十五歳になる。そうなれば、この小屋ともおさらばなのだ。
初めて此処に来た時、ハーベリー夫妻と魔法契約を結んだ。成人になった瞬間、この家を出る事。自分の事は全て自分でする事。決して彼等に迷惑を掛けない事。専用の紙に魔力を流して行う魔法契約を初めてした時は、ドロリと流れる魔力の感覚に驚きだった。
正直、ラティスと別れるのは少し寂しい。だけど、仕方のない事なのだ。私はこの家にとって厄介者だから。幼い頃から私に懐いている彼女は、よく夫婦から注意を受けていた。
せめて別れる前に、何か贈り物でも出来たらいいな、とは考えている。しかし、何を贈ればいいかな、と悩み続けていた。成人の儀式を行う頃は冬になっている筈だし、温かくなれる物が良いかもしれない。
毛糸だったら余程良い物でない限りは高くないし、針が無くても指で編めるマフラーとかいいかもしれないな。
少しでもラティスに気に入って貰えるように、頑張って編んでいこう!
そう意気込んだ私は、次の日には出来るだけ肌触りの良い毛糸を買って、チマチマと編み始めたのだった。