第十二話 足湯
あの日から数日が経った。ついに約束の日が来てしまったのだ。私は迎えが来るまでフィルダン大工店の中で事務仕事を手伝っていた。今日は休みになってしまった為、ルドルガが代りに事務仕事をしていた。
「ごめんなさい、ルドルガさん。私の代わりに。」
「気にすんなって。貴族に言われたら、俺達平民にはどうする事も出来ねえからな。」
そう言って、ルドルガは仕事をこなしていく。
「それにしても、お前一人で本当に平気か?」
「…出来る事なら、余り関わり合いは持ちたくないんですよね。貴族の相手なんて、私なんかに務まる筈が無いですし。何が気に障るか分からないですから…。」
「俺も、流石に貴族の事は分かんねえからな…。ウチに来る注文は富裕層の商人であって、同じ平民だし。」
このフィルダン大工店は今、町の中でかなりの人気となっている。中規模店ながら仕事は早いし腕も確か、そして何より受付がシッカリと対応してくれる為、安心して任せられる大工店となっているらしい。
貴族や大商人御用達の大店以外、大体の店は職人達が嫌々受付を行ってる場合が多いので、私が居るだけで一気に信頼度は上がっていると棟梁が言っていた。
「取り敢えず、無事に過ごせるように気を付けます…。」
「俺にはどうする事も出来ないけど、話位なら聞いてやるからさ。無理すんなよ。」
「ありがとうございます、ルドルガさん。」
そんな話をしていたら、軽くノックされた後に扉が開かれた。
「こんにちは。アイシャ様はいらっしゃいますか?」
「アレフ様。こんにちは。」
「お待たせ致しました、どうぞこちらに。」
「はい。……それじゃ、ルドルガさん、行ってきますね。」
「ああ、気を付けてな。」
現れた貴族に、ルドルガの表情に緊張が走った。いつもよりも背筋をピンと伸ばし、アレフさんに向かって頭を下げる。
私は手を引かれて店の外に出ると、大きな馬車が止まっていた。物凄く目立っている。
「アイシャ様、どうぞ。」
「ありがとうございます、アレフ様。」
馬車の扉が開かれて、中へと入る。すると、中にはアルベルトとジェイク、そして見た事の無い男の人が居た。
彼がジェイクのお兄さんかな?
「こんにちは、アイシャ殿。お久し振りです。」
「アイシャ殿、こんにちは。」
「再びお目見え出来る事に、感謝を。お久し振りでございます。」
「彼は私の専属護衛でジェイク殿の兄である、チャック殿です。」
アルベルトから紹介された彼は、やはりジェイクのお兄さんだったようだ。
「チャック・フィン・ドリアです。宜しくお願い致します。」
ニコリと微笑みを向けられて、私も宜しくお願い致します、と返事をした。ジェイクの言う通り、チャックはとても女性にモテそうな好青年だった。
整った顔立ちに、ラティスとは違った輝きのある金髪。翠色の瞳にスラっとした長身。これは確かに女性が放っておかないだろう。
しかし、私には関係のない事である。惹かれると言っても、それは一般的な女性の場合だ。彼はジェイクよりも年上だが、精々十八歳くらいだろう。前世の私に比べると、かなりの年下だ。見てる分には良いが、将来の相手に、と考えるような人ではなかった。
「アイシャ殿は、何故森で暮らしているのですか?」
「…辛くは無いのですか?」
彼等の言葉は尤もだろう。家族が殺された森に暮らすなんて正気の沙汰じゃないかも知れない。ルドルガにも似たような事を言われたし。
「最初は、町を出るのも苦しかったです。だけど、このままではいけないと、私は森の外へと足を踏み出しました。そして、見付けたのです。」
「見付けた?」
「はい。亡くなる前に、父さんや母さんが言っていた、温泉というモノを。」
「オンセン、ですか?」
私は出来る限り相手に気に障らないよう言葉を選びながら、温泉の素晴らしさを説いた。うっかり暴走でもしてしまえば、首がどっかに飛んでいくかもしれない。そんな事にはならない様に、気を付けて話し続けた。
いつの間にか馬車は町を出ていて、森の中へと入っていた。暫くすると私の家が見えてきたので、アレフさんが私達を呼んでくれた。
「此処が、私の家でございます。」
「アレがアイシャ殿の家…。随分と変わったモノがありますね。」
「あの液体が張ってあるところが、温泉です。毎日掃除して、綺麗なお湯が張られるように気を付ております。」
「フム…。」
少し揺れた後、馬車が止まった。アレフさんが扉を開けると、護衛であるチャックが先に外に出る。その後にアルベルトが出ていきジェイクが出た。私も下りようとした時に、アルベルトがサッと手を差し伸べてくれた。私はお礼を言うとその手を掴み、馬車を下りる。
流石に自分に向けられた手を拒否する事は出来なかった。触れるのと触れないのでは、どちらが失礼か、何て分かりはしない。それなら、取り敢えずは向こうの意思に従ったほうがいいだろう。
「アイシャ殿、先にあのオンセンというモノを見せてもらっても良いですか?」
「はい、構いませんよ。」
もしかして、温泉に入ってみたくなったのだろうか?それなら大歓迎なんだけどなぁ…!貴族の人が気に入ったら一気に浸透するかもしれないし、皆が温泉の素晴らしさを分かってくれたらとても嬉しい。
「私も毎日入っていますが、とても気持ちが良いのですよ。」
「毎日、ですか?」
「はい!仕事が終わった後に浸かると、一日の疲れが汚れと一緒に落ちていくんです。ほっこりと癒されて、もう、最高に気持ち良いのです!」
「へえ、そうなんですか。アイシャ殿は、オンセンが大好きなのですね。」
「はい!大好きです!」
アルベルトの言葉に、元気よく答えた。ニコニコと笑って楽し気に私を見ていたが、その後ろではチャックが驚いた様な顔をしていた。
し、しまった…!ちょっと調子に乗ってしまったかも…。
「し、失礼致しました…!アルベルト様に興味を持って頂いて、とても嬉しかったので…。大変申し訳ありません。」
「いえ、お気になさらず。それだけ好きな物があるというのは、良い事ですよ。」
「あ、アイシャ殿!その、少し、オンセンに触れてみても良いでしょうか?」
「ジェイク!」
「あ、す、すみません、兄上…。」
ジェイクが温泉に触れたいと言ったら、チャックが大きな声をあげて止めた。何がいけないのだろうか?私は温泉に興味を持ってもらえるなら何だって嬉しいのだが。
「構いませんよ、チャック殿。私もどういうモノか気になっていたので。ジェイク殿、先にお願いしますね。」
「は、はい!」
「申し訳ありません、アルベルト様…。」
アルベルトに先に触れてほしいと言われたジェイクは、嬉しそうに温泉の傍までやって来た。そう言えば、ジェイクは護衛という建前で一緒に来てるんだっけ。つまり、任務をほったらかして勝手な事を言ったから怒られたのか。
「そ、それでは失礼します…!」
恐る恐る、温泉へと手を入れる。指が軽く触れてジェイクはビックリとした表情になったが、そのまま思い切り腕まで突っ込んだ。
「あ、温かい…。」
「…大丈夫そうなら、私も…。」
「あ、アルベルト様…!」
チャックの制止の声も聞かずに、アルベルトも温泉に手を突っ込んだ。
「確かに、温かいですね…。アイシャ殿の言う様に、これはとても気持ち良いです。」
「えっと…、靴を脱いで足だけ浸かるのも良いんですよ。足湯と言って、全身浸からなくても温泉が楽しめるのです。」
「フム…。」
私の言葉に、アルベルトは履いていた靴を脱いだ。
「アルベルト様、一体何を…!」
「アイシャ殿がお勧めするから、ぜひ試してみようと思って。そのまま足を入れたらいいのですか?」
「あ、今座れるように敷物持ってきますね。」
「ありがとうございます。」
「わ、私もお願いしたいです!」
「コラ、ジェイク!」
私は急いで家の中から茣蓙とタオルを三枚ずつ持ってくる。琉球畳の様な見た目のソレは、座り心地と見た目を考え、耐水性もバッチリ。何と使用後に洗えるのだ。今ある温泉の次は足湯を作ろうと思っているので、チマチマと作り続けている。
「どうぞ、こちらを下に引いて下さい。」
「…これは?」
「茣蓙と言います。水に濡れても大丈夫な様に作ってあるので、足湯用の敷物にしようと思ってます。」
「座るにはちょっと固いですね…。」
「クッションだと濡れて駄目になってしまいますからね。それに、個人的趣味です。」
私は旅館で育てられた為、洋物より和式の物を好んでいる。此処では不思議な物かもしれないが、自分の周りくらいは慣れ親しんだ物で纏めたい。庭園とか、いつか作ってみたいなぁ…。
「ふふ、そうなんですか。アイシャ殿は、不思議な物を色々知ってるんですね。」
「どれも家族から教えられた物ですが。私には、コレくらいしか繋がりがないので。」
この世界には、私の知ってる物は殆どない。アイシャとして生きてはきたが、彼女の記憶にある物は少ないのだ。どうやら、余り外に出るタイプではなかったらしい。母さんの手伝いをしながら、家でのんびりと暮らしていた。
「それでは、失礼します。」
「私も…!」
「その、チャック様も、宜しければどうぞ。」
「…いえ、私は護衛がありますので。お心遣い、ありがとうございます。」
一応チャックの分も持っては来たのだが、彼はいざと言う時に動けないと困るから、と断った。どうせなら彼にも足湯の良さを分かってほしかったが、仕方がない。
「コレは…確かに気持ちいいですね。」
「本当です…!暑い日に水浴びをする事はあっても、温かいお湯に浸かるというのは無いですから…。とても新鮮です。」
「何だか、ホッとするような心地良さです。足だけでコレなら、全身浸かったらもっと気持ち良いのでしょうね。」
「気に入って頂けて、光栄です。」
足を動かせば、チャプチャプと水音がする。ジェイクは面白そうに足を揺らして、足湯を楽しんでいる。アルベルトは足を動かしたりはしないが、ジッと温泉を見つめていた。
どうやら足湯は気に入ってもらえたようだ。このまま、温泉が広まってくれればいいんだけどなぁ。
「アルベルト様、そろそろ…。」
「ああ、すみません、チャック殿。つい、満喫してしまいました。」
「ジェイクも、いい加減にしなさい。」
「あぅ…。申し訳ありません、兄上…。」
チャックの言葉に、アルベルトはスッと立ち上がった。私は直ぐにタオルを二人の元へと持って行く。
「どうぞ、こちらを。」
「ありがとうございます。」
「すみません、アイシャ殿…。」
怒られたジェイクは、しょぼんとした顔でタオルを受け取った。もしかして、これって私が彼等の足を拭いた方が良かったのだろうか?でも、勝手に触るような事は出来ないし…。
本当、貴族はどうしたらいいのか分からないので面倒だ。もっとこの世界の常識を知らなければ、旅館を始めるのは難しそう。
「足湯、とても気持ち良かったです。急に我儘を言ってすみませんでした。」
「いいえ、お気に召して頂けたなら光栄です。」
「少し、名残惜しい感じがしますね。アイシャ殿が言う気持ちが分かったような気がします。」
「嬉しいです、ジェイク様。」
彼等が支度を整え靴を履くと、私は家の方へと案内する。アレフさんは馬車の見張りをするので、外に待機するそうだ。
この世界の建物は魔法で鍵を掛けているので、家主か許可を得た者でなければ開けられない。扉を開けて、予め整えておいた応接室へと招いた。貴族が来るという事で、一番初めにこの部屋を整えた。おかげで寝室以外の部屋は、未だ空室のままなのだ。
「どうぞ、こちらへ。」
「では、失礼致します。」
「今、お飲み物をご用意致します。」
氷室から準備しておいた飲み物とお菓子を取り出した。お盆に乗せたら手に持って部屋に戻り、彼等の前へと置いていく。
「アルベルト様、失礼致します。」
「ええ、お願い致します。」
チャックが飲み物とお菓子を、それぞれ一口ずつ食べる。お菓子を食べた時、一瞬だけ驚いた様な顔をしたが、直ぐに消えた。
護衛って毒見も兼ねてるんだ…。って、あれ?でも、もし毒見して毒でやられたら護衛できないよね?どうするんだろう…?普段は別に毒見役の人が居るのかな?
「問題ありません。どうぞ。」
「ありがとうございます。頂きますね。」
私の疑問を余所に、アルベルトはそれを口に運ぶ。その様子を見たジェイクもクッキーを食べた。私もパクリと一つ食べる。うん、美味しい。
「…これは、とても美味しいですね。」
「ありがとうございます。」
「クッキー、ですよね?何だか、いつも食べてる物と違う感じがします。」
「私は貴族様がどの様な物を召し上がっているのか分かりませんので何も言えませんが、その様に言って頂けて、とても嬉しいです。」
「…失礼、アイシャ殿。平民はいつもこの様な甘味を食べているのですか?」
「いいえ。私は母に教えてもらったレシピで自作しているので、多分お店で売っているものとは少し違うと思います。」
チャックの質問に、私は当たり障りの無い様に答えた。少し考え始めるアルベルトとチャックの隣で、ジェイクがモグモグと食べ続ける。
「アイシャ殿は、料理がお上手なのですね!」
「ふふ、ありがとうございます、ジェイク様。」
ニコニコとクッキーを食べるジェイクは、本当に可愛い。護衛の仕事を忘れて楽しんでるのは、きっと怒られるのだろうけども。チャックとアルベルトは表情から感情が読めないので、少し苦手に感じてしまう。
弟にするなら、ジェイクみたいな子が良いなぁ…。チャックが少し羨ましい。
「アイシャ殿。お聞きしたい事があるのですが、いいでしょうか?」
「はい、アルベルト様。私にお答え出来るものでしたらいくらでも。」
普段のにこやかな顔付きから、真面目な表情になった。きっと、ここからが本番だ。




