表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
温泉物語  作者: 蒼乃みあ
1/73

第一話 目覚め

「……っ…!」


 目が覚めた。体が動かない。何かに固定されてるみたいだった。


「先生、目が覚めました!」

「よし!このまま続けるぞ!」


 意識がボーっとしてて、よく周りが見えない。先生と呼ばれた人の手が私の体に触れると、ズキリと痛みが走った。


「……!!」


 ああ、そうだ。私は、瑞希馨(みずきかおる)は事故に遭ったんだ…。


「後少しだ、頑張るんだぞ。」




 私の家は、代々続く老舗温泉旅館だった。幼い頃から厳しく躾けられ、様々な習い事をして、資格を取った。二十五歳になり、下働きを終え若女将へとなれば毎日が苦労の日々だった。将来の女将となるべく母さんから色々な事を教えられ、その通りに実行してきた。辛い時もあったし、泣いてしまう事もあったけど、私がここまで頑張れたのは温泉があったからだ。


 私は、温泉が大好きだ。仕事終わりに入る温泉は、最高に気持ちが良い。旅館から少し離れた所にある私の家には、露天風呂がある。疲れた体を癒してくれる温泉を独り占め出来るのが、一日の中で最も至福の時だ。



 若女将になって一年が経った。その日はお祝いとして、両親と食事に出かけた。旅館はお祖母ちゃんに任せてしまったが、久し振りの家族水入らずだった。私は沢山お話がしたかったけど、食事中に喋る訳にはいかないので帰宅中に話そうとその時を楽しみに待っていた。


 美味しい食事を済ませ、車に乗り込み、出発する。そして、家に帰る途中にそれは起きた。



 家族との会話中にいきなり強い光が差し込み、目が開けられなくなる。キキィー、と響くブレーキ音。ドンと衝撃が体に来ると同時に、酷い痛みに襲われた。何とか目を開けると、辺りには赤い水溜まり。前を見れば横たわるトラック。どうやら対向車線から飛び出してきたトラックと衝突したらしい。

 父さん、母さん、と声を出そうとしたら、代わりに口から赤い液体が流れてきた。息が上手く出来ない。前の席に視線を向ければ、ピクリとも動かない両親の姿。周りからは沢山の人の声が聞こえる様な気がするけれど、私にはもうそんな事を気にする余裕が無かった。ガソリンが漏れているのか、車からは嫌な臭いがする。


 私は、そのまま瞳を閉じて、意識を飛ばしたのだった。



「…う、んん…。」


 どうやら、また気を失っていたみたいだ。目が覚めると、痛みはあるものの体が動いた事に安堵する。よいしょ、と声を出して起き上がると、何だか変な感じがする。


「おぉ、目が覚めたかい、アイシャ。」

「……?」


 目の前には四十代くらいの夫婦と、白衣を着たお医者さんっぽい人が居た。


「お嬢さん、意識はハッキリしてるかい?私達の事が分かるかな?」


 …お嬢さん?私は既に二十六歳だし、いくら何でもお嬢さんはおかしいのではないだろうか?そう思って声を掛けようとしたら、ふと自分の手を見てしまった。……小さい。


「アイシャ、お前だけでも無事でよかったよ。私達が分かるかい?ほら、昔ウチに遊びに来た事があるだろう。」


 上手く頭が働いてないからなのか、それとも事故のせいなのか。目の前にいる夫婦のカラフルな頭を見て驚いてしまった。こんな人達、初めて見た…。


「大丈夫かい、アイシャ?」


 先程から呼んでいる、アイシャとは誰だろうと考えた瞬間、頭の中が一杯になった。それは、アイシャと言う少女が今まで生きてきた十年間の記憶。


 私の、記憶。


「大丈夫です、おじさん、おばさん。」


 目の前にいるのは、遠縁の親戚である夫婦だった。私は彼等に向かって、返事をする。口から出てきた声は今までの私の声よりも少し高めで、とても可愛らしい声だった。



 私の名前はアイシャ。父と母、兄と姉と私の五人家族。裕福ではないが貧乏でもない、良くある普通の家だった。私の十歳の誕生日、家族皆でお祝いの為に出掛けた帰り道、魔物に襲われたのだった。

 一番下だった私を守るように、皆が逃がしてくれたのだ。父が、兄が、母が、姉が、命を掛けて守り抜いてくれたのが私で、ボロボロの体で住んでいた町へと戻って来たのだった。


 それが、この世界での私だった。


「騎士団の方々が討伐へと出た時には、お前の家族は皆息絶えていた。何とか死体だけは運び、お前が目覚めぬ間に供養された。あの日から既に十日経っている。」

「…そうですか…。」


 アイシャとしての十年間の記憶よりも、瑞希馨としての二十六年間の記憶の方が強かった。そのせいか、自分の家族が死んだと聞いて思い出したのは、車の中で全く動かなかった父と母の姿だった。


「父さん、母さん…。」


 ポロポロと涙が零れ落ちる。傍に居た夫婦は当然の事だろうと私に声を掛ける事も無く、そのままお医者さんと話し始める。

 何故、思い出したのか分からなかった。いくら同じ境遇に遭ったとしても、普通に考えてこんな事は有り得ない。前世の記憶を思い出す筈が無い。私は、自分が誰だか、分からなくなってしまった。


 瑞希馨としての記憶も、アイシャとしての記憶もある。けれど、その二つが混じった私は、一体誰なんだろう。今ある体の持ち主であるアイシャ?それとも記憶が強い方で瑞希馨?一つになってしまった私は、どうすればいいのか、頭の中がグチャグチャになってしまう。


「それで、アイシャ。君が良ければ、ウチに来ないかい?」

「……え?」


 少し考え過ぎていたせいか、いつの間にか涙は止まっていた。それを見た夫婦が、お医者さんとの話を終え、私に声を掛けてきた。


「この国では十五歳になって成人するまで、子供だけでは暮らしてはいけない法律だろう。君は必ず、誰か大人と過ごさなくちゃいけない。ならば、ウチに来て一緒に暮らさないか?」

「私…、でも…。」

「大丈夫。君の両親が残したお金があるだろう。それを私達が管理して、君を育てよう。何も心配はいらないよ、安心しなさい。」


 その言葉を聞いた時、私は夫婦の目を見て、自分の中にあった彼等への感情はガラリと変わった。


「ありがとうございます、おじさん。でも、お金は唯一私に残った家族の物だから、自分で管理します。」

「えっ!いや、だけど、君の様に小さい子が持っている訳にはいかないだろう。」


 お金の話を出した瞬間、彼等の目が変わったのだ。それはさっきまで見せていた優しげで、悲しんでいるような目から、酷くドス暗い感情の籠った目に。

 残されたお金目当てで私を引き取ろうとしているのが、一目で分かった。


「心配してくれてありがとうございます。でも、私は大丈夫です。自分の事は、自分で出来ます。住む場所だけ頂ければ、それで十分です。」

「……。」


 私の言葉を聞いた夫婦の顔が、あっと言う間に嫌な顔に変わった。眉間に皺を寄せ、ジロリと私を見る。さっきまでの態度は何だったのか、彼等はとても冷たい声で話し始めた。


「そうか…。」

「取り敢えず、他の親戚の人達にも話を聞いてみましょう。家には子供もいるし、他の方が引き取りたいと言い始めるかもしれませんから。」

「そうだな。アイシャ、お前は治るまでここで治療していなさい。」

「……はい。」


 明らかに変わった態度に、私は静かに息を吐いた。夫婦はお医者さんに一礼をして出ていくと、退院の日まで会いに来る事は無かった。


 アレから、何人か親戚が来てはお金目当てに私を引き取ろうとしたが、お金が手に入らないと分かると直ぐに嫌な顔をして去って行った。結局、親戚の中で一番お金に余裕があるという理由で、あの夫婦の世話になる事になった。彼等の名前はハーベリー夫妻。この町で商いをしていて、アイシャの家庭よりもずっと裕福な家だった。

 この町の名前はユレイド、大陸の南の方にある大きな町で、王族や貴族の人達もいるらしい。私は取り敢えず、体の持ち主であるアイシャとして生きていく事にした。この十歳の少女の体は、とても扱いにくい。急に十歳以上も若返ったのだから、思う様に動いてくれなかった。


 まず、この世界には魔法があるという事に驚いた。人間だけではない、全ての生き物が魔力を持っているらしい。此処には普通の動物はおらず、全てが魔物と呼ばれる生き物らしい。大人しい魔物もいれば、凶暴な魔物もいる。家畜の類も魔物だ。どうやら動物と変わらない立ち位置っぽい。

 日々の生活は魔法を使って過ごしている。私の平均以下の魔力では、一日が終わる頃には魔力がギリギリになってしまっている。何とか節約していけるように、気を付けなくては。



 私が一番驚いたのは、この世界の人間はお風呂に入らない、という事だ。体を綺麗にするのも魔法を使うらしい。

 ……あの至福の時間が無いなんて、私には信じられなかった。アイシャとして生きた十年間は、何と悲しい人生だったのだろう…。


「アイシャ、此処が今日からお前の住む場所だ。くれぐれも面倒は起こさず、大人しくしていなさい。」

「はい、おじさん。」

「お前が自分の事は自分ですると言ったのだから、私達に迷惑は掛けるんじゃないよ。あの離れで、お前は一人で生活するんだよ。」

「はい、おばさん。」


 彼等に連れて来られた大きな敷地内の端っこに、小さな掘っ立て小屋があった。明らかにボロボロではあったが、雨風が防げるだけマシだろう。日本に居た頃とは違う環境に最初は嫌になっていたが、人間幾らか時が経てば慣れるものである。アイシャとしての記憶がある分、慣れるのは早かったと思う。


 私がハーベリー夫妻のお世話になり始めた頃、彼等には二人の子供がいた。一人は私よりも四つ年上の兄、ギード。もう一人は私よりも五つ年下の妹、ラティス。私は特に彼等と関わる気は無く、ギードも両親から言われたのか、私の事を居ない者としていた。しかし、出会った頃のラティスはまだ幼く、姉が出来た事を純粋に喜んでいて、幾つになっても私によく近付いてきていた。


「姉様、今日は、このご本を読んで下さい。」

「ラティス、また来たのですか。おじさんとおばさんに怒られますよ。」

「…父様と母様は、何故姉様だけ仲間外れにするのですか?」

「それは、私が貴方達の家族ではないからですよ。」

「…でも、姉様は私の姉様なのでしょう?」

「私は世話になっている身で、この家の者ではないと、何度も言っているでしょう。」

「…一緒に住んでるのに、家族じゃないの、分かんない…。」


 ラティスにとって、一緒に暮らしていたらそれは家族らしい。今の私は末っ子だったし、前の時は一人っ子だったので、年下の兄弟には興味があった。だけど、私が彼女と関わるのを良しとしない家族は、再三注意をするのだが、ラティスはそれを無視して私に寄ってくるのだった。


「…はぁ……。まあ、来てしまったのは仕方ありません。今日は何の本ですか?」

「姉様…!あのね、今日は、コレを読んで下さい!」

「分かりました、そこに座って下さい。」


 初めて出会った頃の幼いラティスは、まだ上手く字を読む事が出来なかった。当時五歳になったばかりだった彼女は、本を持ってきては私に読む様にせがんでくる。ハーベリー夫妻は家の商いが忙しく、ギードも将来後を継ぐ為に一緒に仕事をしていた。今まで世話係以外に構ってもらった事が無いラティスは、何だかんだ言いつつも最終的には折れてしまう私に、とても懐いているらしい。何年か経って自分で字が読めるようになっても、未だに私の下へとやって来るのだ。


「飲み物とお菓子、置いておきますから、好きに取って下さいね。」

「はい!」


 この小屋に住み始めたその日から、私は徹底的に掃除をした。アイシャとしての記憶を使って魔法の使い方を覚え、瑞希馨としての知識を使ってピッカピカに磨き上げたのだ。流石に完全に綺麗にするのは数日掛かったので、正直、最初の間は汚過ぎて落ち着かず、眠った気がしなかった。

 掘っ立て小屋の中には小さな台所があり、お手洗いもあったので、私はこの屋敷に来てから本家の方に行く事は無く過ごせたのだ。


 お風呂が無いのが、本当に悔やまれる…。


「姉様のお菓子は、いつもとても美味しいですね。」

「それは良かった。」


 ニコニコと可愛らしい笑顔を浮かべて、ラティスはパクパクとお菓子を食べる。病院に居た時はアレが病院食なんだろうと思って我慢していたが、どうやらこの世界の食事は私にとって微妙な物らしい。日本に居た頃とは似たような食材の筈なのに、何故か出された物はどれも物足りない味だった。自分で作ってみればそれっぽい味になったので、調理方法に対する概念が違うのだと思う。私は、それ以来は自炊するようにしている。


 自炊もそうだが、この小屋を整えるのも大変だった。中にあった物はボロボロで役に立たず、必要最低限の物は買い揃えなきゃいけなくなったのだ。

 家族が残してくれたお金は、きっと父さんがもしもの時の為にとコツコツ貯め始めていた物だったんだと思う。残された家族四人で数年暮らす余裕はあるくらいの額だ。子供一人が暮らしていくには十分過ぎる程の金額だった。

 そりゃ、これだけのお金を子供が持っていたら横取りしたくもなるよね。


 因みに、この世界のお金は銅貨、銀貨、金貨の三種類。それぞれ小、中、大とあり、十枚で次の貨幣に変わる。小銅貨十枚で中銅貨一枚、大銀貨十枚で小金貨一枚、という風に。


 この世界では、子供でも働いている。私は自分の野望を叶えるために、少しでもお金を使わないで済むように極力節約している。けれど、それでは減る一方なのだ。

 此処で生活し始めて一月が経ち、大分慣れてきた頃、私は小屋から出て町の中心地へと向かっていった。そこで私は大工の棟梁にお願いをして、下働きをさせてもらっている。小さな子供、それも魔力の低い女の子である私が出来る仕事は少ないけれど、毎日一生懸命働けば少しずつ黒字になっていく。


「はい、今日はお終い。もうそろそろ仕事に行かなくちゃ。」

「わ、もうこんな時間…!姉様、今日もありがとうございます!」

「余りここに通っては駄目ですよ。せめて、程々にしないと。」

「えへへ、姉様、いつもアレコレ言うけど、最後には構ってくれるので大好きです!」


 うっかり、キュンとしてしまったのは何度目だろうか。どうして妹とはこんなにも可愛いモノなのか。


「それでは姉様、お仕事気を付けて下さいね!行ってらっしゃいませ!」

「ありがとう、ラティス。それではまたね。」


 手を振って部屋を出ていくラティス。私は着替えて、いつもの様に仕事場へと向かった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ