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[非推奨]:旧作品

一期一会

作者: うたの

一期一会


しです


縁という名の「つながり」も。

やがて終わりがやってきます。


遠く離れて転勤で

一緒に趣味をしなくなる。

そうして二人が遠くなり。

そうして、手紙も交わさずに。

縁がだんだん薄くなり、

私の記憶も薄くなる。


暮らしを仕事で埋められて

暮らしがそれにしかならず。

寂しさ募り、省みて

昔の友に文を出す。


ある日ポストに返り来た

自分の文見ふみみて、呆然と。

彼の行方が分からない。

彼の行方が分からない。


探しに探したその先は、

彼のお墓のその前で。

彼への思いがあふれ出て、

彼への悔やみがあふれ出る。


涙を拭いて、整理して

思うは人とのつながりで。

思うは彼とのその逢いで。


残した心の後悔は

どうしてこれほど深いのか。

思い思って、たどり着く。


私は彼に何をしてあげられたのだろう。



終わり


メモ

ふぃくちょんです。

感覚で書きました。

作法は分かってません。

詩のようなものは初めて書きました。

というか、書いたら詩のようでした。



別れと、心残りがもたらすもの。もっと深く踏み込むと、暗黒面に飲み込まれそうなので、ここまでに止めました。やりすぎると心が悲鳴を上げます。


さて、題名が全てを表していますが、「会うのはこれが最後かもしれない」という気持ちで相対するという考えです。

物書き、読者向けなので、「今この人に嬉しい気持ちを伝えられなければ、失われてしまうかもしれない」と思ったら、伝えた方がいいと私は思っています。そして、「ありがとう」と気持ちを積極的に伝えると良いです。「ごめんなさい」があればそれもね。

方法的には「思いを形に」を見ていただけると良いかと思います。

ちなみに私の基本スタンスです。実行できているかはまた別ですが、こうありたいと思って姿勢を正しております。


前にもちょっと語ったのですが、後悔のほとんどは、自分が精一杯出来なかったという心残りから発生すると思っています。

心残りがほとんど無くても、後悔はします。でも、精一杯やったとすれば、少なくて済みます。あまりに多くの後悔は人の心を壊しますので、普段から後悔しないようにじたばたしてるつもりです。


内容のふみですが、手紙のことです。


いまだとメールとかいろんな手段で連絡が取れるので、昔の友達と連絡を取ってみるといいのではないでしょうか?

方法がたくさんあっても実は相手のことをほとんど知らないということもあります。個人情報の壁はある意味人を隔絶していることに気づくでしょう。


メッセージで終わりにしたかったので、書きませんでしたが、後悔した人の心は時間と儀式を経て回復します。

(仏教しか分かりませんが)儀式とは、通夜とか、告別式とか初七日とか一周忌とかですね。そこで胸のつかえ、自分の中の整理が出来る。親交がない人の葬式は他人事扱いですが、本当に大事な人だと、そういうことを経て修復されます。

その人を知る周りの人と話す事によって、大事な人を介して、新たな縁が出来たりします。それで終わりではないのです。


よし、あと(あ)がき


終わりましたが、物書きというより人生訓みたいな感じなりました。

結局のところ人。


あなたは物書きを増やしたいんじゃないの?といわれるかもしれませんが、別にそういった意図はありません。

人を成長させるのに、自由意志で交流を促しているだけです。その結果は物書きでなくてもいいんです。

小説を書いたり読んだりするところですから、物書きは尊敬すべき、という風潮があるのかもしれませんが、それは属性に過ぎません。その人の全てではないと思います。

素晴らしいと思うことはまっすぐですが、一面を全てと見て妄信することは愚かです。

だから、よく考えて、多面からものを見ることを考えようと言ってるわけだったりします。


ちょっと逸れました。逸れついでにひとつ。

どの職業でも同じだと思いますが、誇りを持つことは大事ですが、プライドというのは誰かを奮起させるものでなければ、単なる自己満足だと考えています。踏ん張りどころで自分を鼓舞するために使用するのはいいと思いますが、自分が悲鳴を上げ続けているのにプライドを使うのは自殺行為かと。精神、肉体が限界ならば、壊れる前に自分で守るのも自己防御のうち。


「私には代わりがいない!」

そう思うかもしれませんが、意外と回るものです。

上と相談してみましょう。医者に診断書を書いてもらうのも手です。家族に自分がどう見えるかも聞いてみると良いでしょう。

別に属性がひとつふたつ無くなったところで、死にはしない。死ななければまた上るために努力が出来る。壊れたらその夢も見れなくなります。

そうでなければならない、という言葉に自縄自縛になってないか。自分自身の状況を紙に整理してみて、未来を考えてみること。

それで、自分の思う最善を「選択する」。このとき、私は私自身がこれを「選択」した。と宣言する。紙に書くでもいいと思います。。

重要なのは「あなたが決めた」ということ。他人によって「決めさせられた」ではないこと。

自分が自分の未来を決めるということの自覚を持ってほしいと思う。

後悔しても、自分が決めたのなら、人に当たることなく、自分でまた歩き始めることが出来るから。


同じことを言っている気がします。要素的には一番最初の「指標と感想の効能」を細かく分けている感じです。気にすると倒れそうなので止めておきます。

残せるものはわずかですが、見た人が何かを感じとってくれたらな、と思います。

私の視点はミクロ(庶民)だと思っているので、マクロ(国を動かしたりする人か?)の人の意見は知りません。

そんなえらそうなのはごめんです。


色々語りましたが、

見識を広め、議論をして学ぶ。

仲間と一緒に色々な感情を共有し、分かち合う。

大切な友達(恋人)を作ろう


人との交流から発生し、それが人生を豊かにする。ということは今の世代でも変わらないと思うのです。


以上1


得たものを失うのは怖い。絶対失いたくないという気持ちは分かるけれど、歯止めをかける。

砕けた話にしてみます。

母:「ラーメンを食べねば死ぬ」

娘:「お母さん、餃子でいいよ」

重さも背景も全然違うけれど、要らないこだわり(プライド)を捨てれば別に餃子でも支障は無い。

それでもそれに固執するならば、止めない。自分で選択した未来ですからね。


と、突き放したいけれど……。

良く考えてみよう。あなたの家族はあなたが選択した事によって、体を壊したら、どう思う?相談することは大事だと思う。

家族にも、職場にも。友人にも。でも、最後に決定するのはあなたです。

もう少し。前にも書いたけれど、あなたはあなた自身であって、他の人の大切なあなたになっている。それを考えて欲しい。

だから、年齢を重ねると身動きが取れなくなるというのはあるけれど、重ねた縁の分だけあなたの味方になってくれる人は多い。

頑張れ。


こんなところに、人が来るとは思えないけれど、思いの丈は伝えたと思う。

「受」は伝えたいけれど、他の人に任せる。調べてあるし、実践もしてるけれど、伝え方を間違えたら、かなりマズいので中止。

入り口は今までの文章内にある。とりあえず棚の上へ。


それでは、以降は、小話とかを亀更新していくと思います。


家族にとっても「あなたには代わりがいない!」のです。って言ったほうが良かったですね……。

以上2


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