魔法薬学
今回、説明文が長めになってしまい、読みにくかったら申し訳ありません…
その日から、新人宮廷魔法使いたちの忙しい毎日が始まった。
一ヶ月間は、それぞれ歴の長い宮廷魔法使いに付き仕事を学ぶ。そして研究所内の構造や仕事内容を覚えると共に、付いた魔法使いの補佐兼雑用となる。
シャティエルが付いたのは、医療系魔法と薬草学に通じているハクレンという魔法使いだった。
四十三歳の彼は寡黙で、ひたすら研究に没頭する真面目な男だったので、シャティエルは特に指導してもらえることもなく、研究所内の仕事などについては、ひたすら彼の後について行って覚えた。
ハクレンは、シャティエルを邪険にしているわけではないようだというのも、徐々に理解し始めた。単にとんでもなく無口なのである。シャティエルが話しかけてもほとんど返事は返って来ないが、返事をするべき質問だと思えば、とても短い返答が返ってくる。そして何より、ハクレンの医療魔法と薬草についての知識や技術は素晴らしく、シャティエルは尊敬していた。
シャティエルの父は剣士を辞め、今は医者をしている。その医術や薬の知識は、全て家にあった母の書斎から得たものであり、母が父に医術を教えていたが、母が亡くなってからは独学と、後は実践で培っていた。それでも今ではかなりの技術を持った医者となっている。そんな父とずっと暮らしてきたシャティエルも、薬草や医学の知識はある程度持っていた。時には父の助手も務めていたのである。それだけに、ハクレンの研究や技術には並々ならぬ興味があった。
そしてハクレンも、自分の補佐についた少女がかなり医学に精通していることに、程なく気付いた。
彼女の質問内容や、薬草を調合する時の手慣れた様子から、相当知識があると察した。また、寡黙で研究所内の魔法使い達からも敬遠されているハクレンに、長以外で気兼ねなく話しかけてくるのもシャティエルだけだった。彼女は何故か、ハクレンの言いたいことがすぐ分かるようである。彼が探している薬草や道具を察して、すぐ準備してくれる。そして、自分が返事をしなくても勝手に納得して研究を続ける。
ハクレンは程なく、シャティエルを信頼し、議論を交わすまでの間柄となった。
「そこはユグの種を使用してはどうだ」
「でもあれ、副作用あるんですよ。炎症には効果覿面ですけど、激しい頭痛を伴いますし」
「では種を茹でて毒素を煮出せばいい。時間がかかるし蒸気にも毒素が発生するので注意は必要だが、そうすれば使用したい成分だけを種に残せる」
「なるほど。煮出す時の毒素も、それこそ魔法の出番ですね。私、空気中の毒素を個体にする魔法をどこかの文献で見たことがあるんですよ」
「ほう、そんな興味深い方法が」
ここは研究所内の食堂である。
毎回食事の時間になると、王宮の料理人の内数人が、宮廷魔法使いのために食事を作りに来てくれている。
そんな食事に舌鼓を打ちながら、魔法使いたちは議論に花を咲かせたり、分厚い魔導書を読み耽りながらものすごい速さで食べたりする。
議論をする魔法使いたちはたくさんいるのだが、シャティエルとハクレンの様子は全員の注目を浴びていた。
片や無口で他の魔法使いとほとんど繋がりを持たないハクレンと、今大注目の若き魔女シャティエル、その二人が、魔法使いの業界でもマイナーな薬草学の話で盛り上がっている。それは他の魔法使いたちにとって、なかなかに興味を引く光景なのである。中には「ハクレンさんがあんなに喋ってるの初めて見た…」と言っている魔法使いもいた。
しかし当の本人たちは周りの視線も気にせず、食事を続けながら、「ところで今月の魔法薬学概論増刊号の記事を読んだかな?」「えっ、まだです。何か興味深い記事が?」と、非常にマイナーな本のマイナーな会話に入ろうとしていた。
そんな二人に声をかけたのは、ハクレンに気兼ねなく接する人物その一だ。
「おや、仲良くやっているようだな」
「あっ、長」
シャティエルは席を立って挨拶しようとしたが、長はそれを手振りで止め、シャティエルの隣に座る。
「随分と気が合うようだな」
「ええ。シャティエルはかなり薬草学に精通していますし、私が知らない薬学や医学の知識もあるので勉強になります」
「そんな! 勉強させてもらってるのは私の方です。私の知識はあくまで父の独学によるものですし」
独学、と聞いて長とハクレンは瞠目した。ハクレンはもちろん、魔法使いたちの管理者に当たる長も、シャティエルが医学に通じているのは知っていた。だがその豊富な知識が独学というのは驚きである。
「前から気になってはいたのだが、君の父親はどういった人物なんだ? 元は剣士で、その後独学で医者になるなんて」
「ああ、何と言うか、まぁ…。私にとっては普通の父親ですが、他の子の父親を見ていると、ちょっと変わってるのかなと…。剣や医学もそうですけど、家事が好きで、この服も父の手作りなんですよ」
「えっ、それはまた…」
変わっている、という言葉を、二人はかろうじて飲み込んだ。男は仕事をし、女が家を守る。それが多く見られる一般家庭の形だ。家事が好きで、しかも年頃の娘の服を、高度な刺繍まで施して作る父親など聞いたことがない。
しかしシャティエルは気にした様子もなく笑った。
「やっぱり変わってますよね? でもいいんです。私にとっては理想の男性そのもので、両親は理想の夫婦です」
そう言ったシャティエルの笑顔は輝いていた。
一ヶ月間の補佐の仕事が終わると、ようやく新人たちは独り立ちを認められる。そしてその頃には、唯一の女性であるシャティエルに対して否定的だった男尊女卑傾向のある魔法使いたちのほとんどが、シャティエルの存在に慣れてしまった。
中でも、シャティエルと同期で年齢も近いアンドルは、シャティエルとよく話した。二十歳のアンドルは、癖のある赤毛に緑の瞳を持つ、ハンサムとまではいかないが人懐こい印象を与える青年である。彼は初めこそ、シャティエルのことを目障りだとさえ思っていたのだが、彼女の仕事ぶりは、魔術の徒と呼ぶに相応しい勤勉さで、アンドルだけでなく宮廷魔法使い全員が、シャティエルを認めるのにそう時間はかからなかった。そして、いつも明るく笑顔のシャティエルに対して、アンドルの中で恋心が芽生えるのにもやはりそう時間はかからなかった。
「シャト」
シャティエルが読んでいた魔導書から顔を上げると、飲み物が入ったゴブレットを二つ持ったアンドルが立っていた。
「お疲れ。良い薬草見つかったか?」
そう言いながらゴブレットを差し出したアンドルに、シャティエルは笑顔で応じる。
「うーん。なかなか良さそうなのがないんだよね」
シャティエルは首を回しながらそう言った。
現在シャティエルは、ハクレンとともに十数年前から行われている研究に加わっている。
目標は「人間が動物に姿を変える魔法の開発」。
十八年前に、王の前で伝説の大魔女がドラゴンに変じて国を救ったことで、この研究が始まった。
現状では、いくつかの条件付で変化が可能となっている。
魔法を行使する本人しか変化できないこと、自分より体積の大きい動物には変化できないこと、多くの魔力を使うため、個人差はあれど長時間の変化は難しいこと。
かなり長い期間をかけても難しい術式であることから、大魔女がいかに規格外かがよくわかる。
ハクレンとシャティエルは、薬学の観点から、服用するだけで動物に変じることの出来る薬の開発を目指している。
アンドルは真剣なシャティエルの様子に、思わず苦笑を浮かべた。
「シャトは根っからの魔女だな。いつも研究のことばっかり考えてないか?」
「え、そうでもないよ。最近体動かしてないから、誰か剣や組手の稽古に付き合ってくれないかな、とかも考えてるよ」
「ああ、お前の魔法具は剣だもんな。…シャトって強いの?」
その問いに、シャティエルは首を傾げた。
「どうかなぁ? 父から稽古受けたけど、勝ったことは一度もないからなぁ」
「そりゃ、元剣士だったらな。親父さん、そんな強いの」
「強いよ。医者になったのがもったいないくらい。…あっ、この方法いいかも」
魔導書を捲っていたシャティエルの手が止まり、すごい早さで文面を読んでいる。
「お、いいの見つかった?」
「うん。…この薬草はここにはないな。城下のアンさんとこの薬草屋ならありそうだな」
一人で結論を出し、機敏な動作で立ち上がる。
「ちょっと行ってくる! アンドル、長に言っておいて!」
「了解」
シャティエルが突然の行動に出るのはいつものことなので、もう皆慣れていた。
戦や急ぎの仕事がないときは、宮廷魔法使いは比較的自由がきくのである。
簡単に見支度をして飛び出して行くシャティエルを見送り、アンドルはため息をついた。
「…ちょっとは年頃っぽい恋愛方面のことも考えてくれねぇかな…」
次回は新キャラ登場予定です!