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2017年 夏文集『STIPES』  作者: 西南学院大学文芸部
3/7

『猫』

作:浦島コタロー

 私が彼に出会ったのは、暖かい春の日、通学中の道端での事だった。でっぷりとした体に足が隠れる状態で彼は座っていた。同じ学校の学生たちが急ぎ足で歩く中、思わず立ち止まり、その呑気な姿に見入ってしまった。


「お隣座ってもいい?」


 小声で彼に断って隣にしゃがみ込む。彼は私をチラリとも見ずに日の光を浴びていた。


「私はさ、特に何になりたいとかもないの。」


 猫相手に何を言っているんだろうとは、確かに思う。だが、彼はどうせ私の話なんか聞いちゃいない。そう考えると、独り言の様に口にしてしまっていた。


「ただ何となく周りに合わせて大学を受験して、就職に少しは役立つかなって今の学部を選んだの。大して仲良くもない友達に話を合わせながら授業を受けて、放課後は課題やらバイトやらに追われてる。夢も目標もない。ただ何となく過ごしているだけ。」


 言葉は湧き水のように止まってくれはしなかった。自分の中にずっと潜んでいた漠然とした感情が一度空いた穴からどんどん流れ出てくる。気づけば家庭の問題まで話していた。その間も彼は私に視線を向けることはない。


「君はいいね。何にも縛られず、何にも考える必要がない。のんびり日向ぼっこできるなんて羨ましいよ。」


 関心を持たれないのをいい事に話しだしたのにただ真っ直ぐに前を向いている彼の眼を見ていると、段々自分が惨めに思えてきて、半ば八つ当たりのように吐き捨て、立ち上がる。その場を離れようとした時、


『お前もすればいいだけの話じゃないか。』


 低く、どっしりとした声が返ってきた。振り返るとさっきまで少しも合わなかった目がはっきりと私を映している。


 この時は不思議と驚きはなかった。この非現実的な出来事よりも、彼の言葉の方に心を捉われていたからだろう。


『やらなきゃいけない事を増やしているのはお前自身だろう? ならそれを少し削ったり後回しにしたりする決断を下せるのもお前自身だけだ。』


 その言葉が胸の奥の方にストン、と落ちてきたような気がした。


 その通りだ。大学で勉強をすると決めたのも自分。今のバイトを選んで、続けるという選択をしたのも自分。今の友達と一緒に行動する事を決めたのも自分。全部自分で決めた事なんだ。周りの人や物事は常に私に選択肢は与えているけれど、その答えのどちらか一方を強要はしていない。上手くいかない時の言い訳に思い込んでいただけなんだ。


 誰の言葉よりも穏やかで、直球で、力強い彼の言葉に惹きこまれた私は事あるごとに彼に教えを乞うた。彼は口数こそ少なく、自分からは話さないが、私が問うた事には答えてくれた。


『自分を殺してまで群れる必要がどこにある? 群れるのは身を守るためだろう? 自らを傷つける群れなど、存在する意味がない。』


『自分の領域はしっかり守れ。誰でも入れるなんてみっともない事をするな。』


『相手に媚を売りすぎるな。親愛を込められる人だけにしろ。』


『気を使いすぎるな。』


『一人の時間を持て。』


 彼から教わることは全て私を生きやすくしてくれた。実践することで周りに変に気を使うことも、見栄を張ることもなくなり、心が軽くなった気がする。


 彼から最も強く教わったのは


『自分が心地いいと思う方を選べ。』


 だった。これは彼がはっきりとそう言って教えてくれた訳ではない。彼は自分が心地いいと思う場所に行き、心地いいと思うポーズで座り、心地いいと思うものを周りに置いた。そこに正解なんてない。ただ本能の赴くままにそうしているだけだった。


 ある日、彼はいつものようにこちらを見ずに口を開いた。


『涙を流す時と死ぬ時は、仲間の前から姿を消すべきだ。』


「どうして?」


『涙は見た相手を無理やり同情させてしまう。そうすると少なからず相手に無理を強いる事になる。


 死ぬ時に姿を消すのは仲間に少しの期待を持たせるんだ。目の前で死ぬとその死は現実として仲間に襲いかかる。だが姿を消せば、死んだと思いながらも一抹の期待を持たせる事ができるだろう?


 そうして泣いたり、死んだりする事を曖昧にして仲間が次の日もいたって普通の暮らしができるようにするのさ。』


 こんなに饒舌な彼は初めて見た、と驚くと同時に、私の中にモヤモヤとした不安が生まれた。


 そして、それは的中した。彼はその数日後、姿を消した。彼が行くと思われる場所全てに足を運んだ。だが、彼の姿はどこにもなかった。


 最後に考えついた場所に行き、いない事を確認すると、彼の死を受け止めることができた。でも、不思議と涙は出てこない。漠然としていて、悲しいだとか、辛いといった感情が少しも湧いてこない。


 ああ、そうか。彼の最後の教えはこういう事だったのか。彼は自らの死期を悟って、私に教えてくれたのか。そう納得すると、その場所を後にした。家に帰ってもベッドに入っても涙は出てこなかった。


 次の日、私はいつものように学校へ行く。のんびりと歩き、自分の好きな席で授業を受ける。昼は日向ぼっこをしながらゆっくりと好きな物をたくさん詰めたお弁当を食べる。学校が終われば学校の近くの公園で休憩し、家に帰る。何気ない一日に彼の死は、そっと溶けていく。


 彼の死を受け入れた日から数ヶ月が経ち、私はいつも通りの日常を過ごして帰途についていた。家のすぐ近くでにゃあ、とか細い声が聞こえ、辺りを見回すと、ダンボール一匹の子猫が入っていた。彼と同じ、真っ黒の体。それだけで懐かしさが込みあげてくる。


「久しぶり。」


 その子をそっと抱きかかえ家のドアを開けた。



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