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五杯目 依頼

 赤い、赤い、赤い。

 衝撃の余韻に視界が瞬く。その中でも、赤だけはやけにはっきりしていた。


「あぁ、あぁ……」


 胸に触れれば触れるだけ、赤は手にべったりと付いた。その先には、無慈悲に見下ろす一人の少女。倒れた俺を、見下ろす少女。

 --ふざけるな。

 胸に沸き上がったのはその一言だった。「大丈夫か⁈」と駆け寄ってきたユーリカを払いのけ、立ち上がり。


「よくも、よくも……」


 そして、俺は吼える。


「よくも俺の辛味噌をぉ!」

「黙りなさいよこの味噌頭!」


 腹に小さな拳が突き刺さる。口から逃げ出す吐息の代わり、ユーリカの一言が滑り込む。


「なるほど、ダスクより妹殿の方が強いから、心配無用だったのだな」


 断じて違う。断じて違う……はずだ。


 ◇◆◇


 外見にそぐわずみすぼらしいワンルーム。盆に二つのカップを乗せて、少女がこちらへ振り返る。


「はい、どうぞっ!」

「あぁ、ありがとう。美味しそうだ」


 このボロ机が壊れてしまうんじゃないか。そんな勢いでカップを置く妹。全く気にせずに笑みを返すユーリカに、多少面食らったようである。

 なんだかんだと必死になだめ、家に入ったのはいいのだが。妹はまるでゴブリンに接するがごとくユーリカを避け、最低限のもてなしをした今では、部屋の外から顔だけを覗かせている。まぁ、構わないと言えば構わないのだが、俺たちの家に部屋は一つしかないわけで。外からは不審者然としたルナの姿がさぞよく見えることだろう。


「恥ずかしがり屋なのだな、ダスクの妹殿は」

「いや、まぁ。……まぁ、それでいいか」


 ただの白湯でしかないのだが、疲れもあったのだろう、ユーリカは満足げに息をつく。

 妹は貴族が嫌いだ、そう伝えた方が良いのだろうか。家の隅に積まれた本や編み針、あれらはあいつらの数少ない遺品であり、妹にとって墓の代わりだ。毎日それに手を合わす妹の、両親を裁き、殺した貴族への恨みは根が深いものだった。とても時間が解決するとは言えないほどに。

 けれどそれは、《貴族》を好きにならないのであって、《ユーリカ》を好きにならないのとは違うはずだ。

 だったら変なことは言わなくていいだろうと、俺は白湯を飲み干した。


「それにしても神威カムイとは、やはり君が作ったのか?」

「いや、あれは売り物だよ。あんまり高いものだから、飲み物もこんなに粗末になっちゃうのさ」


 空のカップを振って見せた。ユーリカは何か言おうとして、しかし口をつぐむ。視線は壁際の棚の上、普段は布切れをかぶせている場所へ向かっていた。

 --神威。

 臨界状態に達したマナと術式を封じ込め、投げつけたり潰したりして効果を発揮する、淡い白光を発する球体。その効果は様々で、妹が俺に投げつけたものは爆風を巻き起こすものだった。犯罪の横行するこの場所では、それがなければ妹を一人残してなど行けない。


「妹殿は、聖術が使えないのか?」

「妹は聖別を受ける前、聖刻を刻む前だったからな。それより--」

「それより?」

「なんでユーリカは、俺が聖術を使える前提で話すんだ?」


 ユーリカの顔に、不敵にというか、妖艶にというか、同じ十七歳とは思えない笑みが浮かぶ。

 神威に封じるのはマナと術式。どちらも聖術師でなければ扱えないのに、ユーリカは作れるのかと聞く。


「俺のことを調べたなら、知っているはずだ。俺にあいつみたいな聖術の才はなかった」

「ダスク、嘘をつく必要はない。返り血に身を染める赤魔導士、有名な噂だ」

「噂は噂、俺のことじゃあない」


 血を嫌う聖術師どもが付けた、戦いに生きる聖術師の忌み名、赤魔導士。尾ひれはひれが付きまとった噂に文句を言いたくもなるが、重要なのはそこじゃない。

 ユーリカを見ていると忘れそうになるが、俺が向き合っているのは紛れもなく、王命の伝達者である。王命と言ったって、そこには貴族どもの思惑が絡みついているはずなのだ。赤魔導士を忌み嫌うやつらの思惑が。絶対にろくなものではない。


「魔王討伐なら、この前上級ハンターをかき集めた征伐隊が出たばかりじゃないか」

「よく知っているな」

「当たり前だ。おかげで仕事がよりどりみどりだからな」

「そうか、なら話は早い」


 ユーリカはわずかに相好を崩し、あの書状を取り出す。偽物であってくれと願っても、机の上に置かれた紙は明らかに高級で、装飾過多で。やはり書かれているのは、魔王討伐の依頼である。


「実は、その征伐隊と連絡が取れないのだ」

「……は?」

「魔の領域と言われるジス山脈の向こう側、その手前のシェルノートまでは連絡があったのだが、その先が分からない」

「いやいやちょっと待って。まさかそれって--」


 慌てて身を乗り出す俺。対するユーリカの顔は真面目そのもので、ウソをついているのではないのだと、短い付き合いでも分かった。わかってしまった。


「ダスクに頼みたいのは、その安否確認と、最悪の場合の魔王討伐だ」

「はぁ⁈ なんで何百人規模でダメなのに、俺一人なんだよ」

「何百人規模だからだ。また大げさに国が動けば、必然それは国の失態をさらすことになる」

「はぁ⁈」


 今度の声は、俺のものではない。戸口にいた妹が転がり込んできて、棚の上の神威をひったくる。


「失態って、失態って何よ! そんなのに、そんなのにお兄ちゃんを使わないでよ!」

「妹殿、使うのではない。ダスクの力に敬意を表し、恥を忍んで頼みに来たのだ」


 涙目で声を張り上げるルナ。神威を投げようとして、振りかぶって。

 その動きが止まった。

 呆然とする彼女の目の前で、神威が光を失う。ユーリカのかざした左手が吸い取っているのだ。


「無理は承知だ。しかし私達には戦闘の経験がない。国に残ったハンターでは、実力が足りない」

「そんなこと言ったって……」

「無論、協力は惜しまない。非力ながら、私も同行しよう」


 抵抗の力を奪われて、ルナは両手をきつく握ってねめあげる。ユーリカは目で謝って、こちらに向き直る。

 --これは、彼女の本意であって、本意ではないのだ。

 申し訳ないと、彼女の謝意が、どうか頼むと、彼女の愛国心が、その表情から伝わってくる。

 だが、だめだ。俺には妹がいる。俺は俺たちを捨てたあいつとは違うのだ。


「ダスク、君の成功の暁には」


 違わなければならないのに、ユーリカはまっすぐに、俺の心を揺さぶる。


「君と妹の《ジス》の名は、取り消そう」

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