李世(りぜ)
「ハルシオン! 聞いてくれ!」
オレゴンは茫然とするハルシオンを正気に戻す様に両肩を掴んだ。
洗濯物はまだ散らかっている。片付けなければ……とオレゴンも心の中で思いつつも、魂が抜けたようなハルシオンを放っておく事は出来なかった。
両肩を掴まれたハルシオンの表情に感情が戻っていく。
「え? あ、はい!」
急にオレゴンが接近した事にハルシオンは動揺するように驚きつつも、目を見つめて答えた。
ひとまずオレゴンはそこに安堵。そして本題を告げる。
「とりあえず俺は、あの四大貴族の元に助けを求めようと思う。付いて来てくれるか?」
首を傾げるハルシオン。まだ思考は正常に働いていない様子だった。そこで少し考えた後、ハルシオンはすぐに立ち上がって言う。
「も、もちろん付いて行きます!」
そうしてオレゴンとハルシオンが訪れたのは、人が交差する騒がしい街並みだった。既に日は完全に暮れていると言うのにその活気はまったく衰えず、周囲は談笑や大道芸人が奏でる音楽が賑わせている。
装飾された街燈が赤い煉瓦の道路の両端に規則的に並び、そのうちの一つがチカチカと点滅していた。
「学園外にも簡単出られるようになりましたねー」
オレゴンと手を繋いで歩くハルシオンはその綺麗な街並みに目を奪われながらも言った。
「……そうだな。それなりに頑張って来たからな。特に四大貴族の依頼を受けた功績が大きい。学園も認めてくれた証拠だ。それも……お前が居てくれたからだ」
オレゴンは今までの過去を思い出してしみじみとする。一方ハルシオンは、オレゴンのさり気なく告げられた最後の言葉に、頬を赤く染めていた。
嬉しく思う。しかし照れくささが勝ってしまうのか、上手に返答が出来なかった。
「……リ、リーダーが頑張った成果ですよー」
これだと先のオレゴンの言葉を復唱しただけじゃないか、と言った後に気付くハルシオン。
オレゴンは笑う。
「そう言ってくれるのはお前だけだ。……今、こうして横に並んで歩いてくれて居るのが、本当にお前で良かったと思うぞ」
こんな事をさらっと言って恥ずかしく無いのだろうか、とハルシオンは熱く火照る耳を余る片手で掴んだ。その手に伝わる温度から、きっと真っ赤になっているんだろうなと容易に想像できる。
もうどうにでもなれ、とヤケクソ気味にハルシオンはオレゴンの腕に抱き付いた。
「ハ、ハルシオン!?」
当然オレゴンは驚くが、ハルシオンは離れない。
「たまには良いじゃないですかー。こ、恋人なんですからー。少しだけー……ね?」
「あぁ、そう言う事。わざわざあなたがここへ訪れて来たものだから、何事かと思っちゃったわ」
活発な街の中心。そこに女性の屋敷の一つがあった。
さすがは四大貴族の内の一人なだけはあってその屋敷は大きく、門前には警備の者が配置されているほどだった。
最初こそ、警備の者に足止めされていたオレゴンとハルシオンであったが、なんとか取り合って貰って今の状況に至る。
「そうなんです。僕は何とかしてジョーカーを止めたい。再びアンソウシャブルに向かう方法は無いですか?」
「……あるわよ」
シックな雰囲気の応接間に案内されたオレゴンはソファに腰掛け、向かいの女性と会話を進めていた。
その隣ではハルシオンが暇そうにしている。
「本当ですか!」
「もちろん。でも今のあなたが再びアンソウシャブルに向かっても、何も出来ず犬死する未来しか想像できないのだけど?」
女性の率直な意見に、浮ついていたオレゴンは黙り込む。
考えてみればそうだ。ジョーカーを止めると簡単に言ってはいるものの、実際にはそれがどれほど難しいものか。
果たして今のオレゴンにジョーカーを止める実力が備わっているかと尋ねられれば、熟考するまでも無く、首を横に振るしかなかった。
「それは……」
「そうよねぇ。少し厳しい事を言うけれど、もう少し身の程を弁えた方がいいわ。でないと早死にするわよ?」
俯いて意気消沈するオレゴンに、女性は微笑む。
そしてニヤリとした笑みに変化させて続けた。
「けど折角のあなたからのお願いだもの。私も善処したいと思うわ」
そしてハルシオンに視線を移す。
ハルシオンは怪訝そうに首を傾げた。
「見ればあなた達、特別な繋がりを持っていそうねぇ……。けど悲しいわ。あなた達はその繋がりを無下にしている。それは立派な力なのに……」
「貴族さん。それはどういう意味ですかー?」
「私の名前は李世。そうねぇ、私ならその力を使いこなせるようにしてあげられるわよ? って事。率直に聞くけど……その力、利用したくはないかしら?」
オレゴンとハルシオンは顔を見合わせる。
オレゴンからすれば力を得られる事は望ましいが、桜渦の存在を考えると素直に、はいとは言えなかった。
ハルシオンからしても、折角オレゴンによって押さえられている呪いを再び表面上に引っ張り出してくるのは避けたかった。
そうして言葉を失い続ける二人に、李世と名乗った女性は溜息を付いて言う。
「デメリットに付いて考えているのでしょうけど……。そうねぇ……ここで私の誘いを断れば、私があなた達を殺すわよ? だってこのままアンソウシャブルに向かわせても死んでしまうもの。同じでしょ?」
李世は満面の笑みだった。
「とりあえずはあなた達の身体能力を見てあげる」
それはあまりにも突然だった。
徐に立ち上がった李世がそう言って地面を踏みつけただけで、ソファやテーブルだけでなく、部屋全体の置物、そしてオレゴンとハルシオンが
地面から伝わる衝撃によって浮き上がる。
そして目前で漂う二人の胸部を、片手ずつで軽く押した。
それだけで二人は風を切って、吹き飛ばされて行く。
「さぁ、立ち上がって。次はあなた達が私に攻撃を仕掛ける番よ」
受け身を取って立ち上がる二人は、佇む李世を睨む。今の状況が理解できなかった。
ハルシオンが尋ねる。
「どういうつもりですかー?」
「そんなに怪訝そうな表情をしないで。これはただのテストなのだから。……けど、まだその気になれて居ない様だから、私から行くわね」
有無を言わさずして駆け出す李世にオレゴンとハルシオンは構えを取る。
そして次の瞬間には二人の間で、オレゴンとハルシオンの片腕を掴んでいた。
「はい、気を抜かないで」
そのまま軽い動作で二人を交差するように投げ飛ばす。
そして楽しげに微笑んで言った。
「うふふ。少しはやる気が出たみたいね」
体制を立て直したオレゴンとハルシオンが、挟み撃ちするように駆け寄っていた。
李世は動かない。
そこへハルシオンが足払いを、オレゴンが李世の後頭部へ飛び蹴りを仕掛けた。
「あぁ、甘いわ」
李世は足払いを軽く跳ねて回避すると、宙に浮きながらも体を丸めるようにしてオレゴンの飛び蹴りをも避けて見せる。
そしてそのままハルシオンの頭に手を伸ばして支えにすると同時に、足を伸ばして宙に浮くオレゴンの片足を蹴り飛ばした。
その結果、オレゴンは体勢を崩し地面に落ちて行き、ハルシオンをそのまま地面に抑え込む事に成功する。
「あなた達の絆を感じる素晴らしい攻撃だったわ。……これならあれの習得も一日掛からないかも……」
ハルシオンを開放した李世がぼんやりと、立ち上がるオレゴンを見て言った。
そこへハルシオンがまた足払いを仕掛ける。
ゴキッ。と生々しい音が鳴ったのはその直後だった。
オレゴンも息を飲む。
「あぁ! ごめんなさいね。反射的に……今のは無意識なのよ」
李世はそう言って踏みつぶしたハルシオンの足から靴底を除ける。
折れていた。李世が屈んでその足を撫でる。苦痛に歪むハルシオンの顔。
オレゴンも無意識だった。
「痛いわ。でも素敵よ」
気が付けば、李世の頬を力の限り殴り飛ばしていた。
李世もそれでありながら、しっかりとオレゴンの瞳を見て言った。
「古代旋転魔法『ヘイトレドペンタロン』」
その魔法も無意識に放っていた。
広げられるオレゴンの両手から黒い渦が李世に放たれる。
「古代魔法なんて、随分と古風な魔法を扱えるのね。あなた」
そう言って李世は腕を払うと、散らうように黒い渦を綺麗に消し去り、
『渦刃『ヴォーテックス』』
木目模様の灰色の刀を握って迫るオレゴンの瞳を恍惚とした表情で眺めながら続ける。
「そんなあなたの苦痛に歪む表情が見てみたいわ」
李世は自ら飛び掛かり、オレゴンによって肩から横腹に掛けてバッサリと斬られてしまう。
その返り血を浴びた所で、オレゴンはハッとして刀を落とした。それは床に触れるなり、黒い風となって消失する。
「俺は……何を……」
後退りをしながらも李世を見る。その顔はどう言う訳か、笑っていた。
そして李世は腕を伸ばしてオレゴンの肩に指先で触れると、そのまま横腹に掛けて移動させていく。
まるで自分の傷跡を、オレゴンの体に沿わせるように。
「次はあなたの番」
李世がそう言った直後だった。オレゴンは口から血を吐いて膝を付く。
そして霞む視界で自分の体へ視線を落とすと、先程の李世のように血を吹きだしていた。
「痛い?」
楽しげな李世の声。
四大貴族は皆狂っていると、どこかで聞いた事があったが、その通りだと今なら思える。
そしてその内の一人に協力を仰いだのが、そもそもの間違いだったと後悔するオレゴン。
既に傷一つ無い李世へ視線を移す。何か話しかけているが、もう何も聞こえなかった。視界も暗くなっていく。
その中で一つ不安に思うのが、李世の背後でハルシオンが立ち上がり、釘を握っていた事だった。




