別れ。乱暴
「くそが……せめてあいつだけでも……」
赤髪の少年は夢見から逃れ、再びオレゴンの部屋へ戻って来ていた。
そうして命辛々にリビングに着くと、壁に片手を付いて辛うじて立ち上がるハルシオンと目が合った。
そこで唐突に赤髪の少年はハルシオンに抱きつく。
最初こそ体に自由がきかない中、攻撃されたと硬直するハルシオンだったが、少年の様子がおかしい事に気が付いた。
なぜか鼻息を荒げている。
そして少年はその調子のままで言った。
「はぁはぁ、微睡ハルシオンっ!」
首元に顔を埋めて何度も息を吸っている。
それに気付いた瞬間、ハルシオンは強烈な不快感と共に、下手に攻撃されるよりも断然強い怒りを感じた。
「な、なに!? 気持ち悪い!! 離れてー!!!」
押し飛ばしたいが体が一向に言う事をきいてくれない。
そうこうしている内に、少年が胸に手を伸ばしてくる。
なんとかそれを阻止しようと暴れるが逆に自分がバランスを崩して倒れてしまい、腹部に馬乗りになられる状態になってしまった。
少年が両手のひらを精一杯に広げてハルシオンへ近付けていく。
鼻の下を伸ばした少年の表情が不愉快で極まりなかった。
絶対に決めたくない覚悟を決める。と同時に脳裏には思い浮かべたくないのに嫌と言うほどオレゴンが思い浮かび、そして申し訳無い気持ちが溢れ返った。
また、それは自然とハルシオンの涙をも溢れさせる。
ぼろぼろと溢れる涙はこめかみを伝い、そして水色の髪の中に消えていった。
それを見て、少年の手が直前で止まる。
「な……に泣いてんだよ」
ハルシオンは無言で少年を睨んだ。
このまま免れたいと言う淡い期待を抱く。
するとなぜか少年がハルシオンから手を引き、僅かにハルシオンを安心させた。
絶対に安心出来る状況では無いのは分かっていたが、それでも心は少し落ち着いた。
が、その期待もすぐに崩れ去る事になる。
あろう事か、少年はそのまま背後に手を伸ばしたのだ。
最初こそ意図が掴めなかったハルシオンだったが、太ももに伝わる不愉快な生暖かい感覚に、再び絶望の中へ落ちていく。
「どうしてそんな事をするのー?」
オレゴンへの思いを押し殺し、ハルシオンは諦めの心境で聞く。
少年はハルシオンの太ももの感触を楽しむように一回り撫でると、少し満足したのか、手の動きを緩めて答えた。
「……お前の事がずっと好きだった。ずっと昔からお前を見ていた」
唐突に放たれる告白の言葉。
その嬉しくも何ともない……それどころか不愉快でしかない言葉を聞いて、ハルシオンはこの少年がエルの彼氏だと言う事を思い出す。
やっぱり最低な男だと思いつつもこの少年に心当たりが無いが考えたが、そんな昔と言われる時に出会った記憶なんてものは無かった。
「私は……あなたの事なんて知らない」
「なぜなんだ……。」
失望する少年は、そこで徐々に声を大きくしながら続ける。
「はずっとお前を見ていたと言うのに……! 俺はお前がオレゴンと出会う前から見ていたと言うのに!!!」
逆上する少年。
ハルシオンのスカートを捲り上げようと裾を掴んだが、そこで手を止めてしまった。
「お前……居たのか……?」
少年は窓際を見つめて漏らすように呟く。
するとそこにはエルが立っていた。
「ハルシオンちゃんを助けようと思って帰ってきたら……」
「どこから見ていた……?」
「抱き付く所から……」
少年は思わず立ち上がり、後退りをする。
「ち、違うんだ! 今のは……! そう、こいつを一番傷付ける為の演技だったんだ!!」
「いつも演技下手なのに、今回はやけに上手だったね……」
「本当なんだ! 俺はお前を――」
そこで少年の声を遮るようにエルが叫んだ。
「――もういいよぉ!! もうやめて!!」
そして震えながら続けた。
「ほんとは分かってたんだよ!! ほんとは君が僕の事をなんとも思って無い事なんて……! 都合の良いように使われてるって!! でもね?! 寝る前に愛してるって言ってくれる君を信じたくて……! それがどれだけ僕の……僕の救いになった事か……」
涙を流すエル。
「ち、違う……。違うんだ」
「違う事なんて何も無い!! これが真実だよ! ……ただ君から本当の事を聞けて良かった。これで僕は……もう自分の体の事で君を騙す必用が無くなった」
「だ、騙す……?」
エルは腕を伸ばすと、手の先を黒く変色させる。
そしてそのまま木の枝のように裂けさせ、枝分かれさせた。
「もう僕は普通の人間じゃない。だからね、まだまだ未来のお話だったんだけど、もしね? 子供が欲しいってなった時にどうしよかなって、悩んでいたんだよ?」
「お前……俺とそこまで考えて……」
「うん……。けど、もう君とは今夜が最後」
そして落ち着いた声で続けた。
「さようなら」
少年がなにかを叫んだが、それはエルには届かなかった。
何故ならその枝分かれした腕から
黒い球体が飛び出し、それが少年を包んでそのまま消し去ったからだ。
動けないハルシオンは首を起こして訊ねる。
「殺したのー……?」
エルは首を横に降って答えた。
「ううん。どこか遠いところに飛んで貰ったんだよ。今のは僕の力じゃなくて、体を改造されたときに付けられた緊急時、逃げる為に使う道具。体に埋め込まれていたものだからもう使えないけどね」
そしてそのまま倒れ込んでいるハルシオンに深く頭を下げて続けた。
「今回の件、本当にごめんなさい。裏切りに近いこともしたし、許され……無いよね……。ここは止める覚悟だよ。償いは出来る限りさせて」
ハルシオンはすぐに返事が出来なかった。
重い頭を下ろして天井を眺め、誤魔化すように言う。
「私は難しいこと分からないので、リーダーと相談ですねー」
中庭からの騒音も気が付けばおさまっていた。
「微睡、どうしよー……!」
部屋に戻って来た夢見は帰ってくるなり早々、閉まらない扉とフローリングに開いた穴へ目まぐるしく視線を移し、困った表情をして言った。
そのまま穴を飛び越え、慌ててリビングへ駆け抜ける。
するとそこにはぐったりとするハルシオンに肩を貸すエルが居た。
「エルちゃん……」
さすがにそれには夢見も反応に困っていると、エルの隣からハルシオンが飛び付いてきた。
「おねーちゃんっ……!」
慌ててハルシオンを支えて様子を見ると、ひどく悲しんでいる様子だった。
目の回りは赤くなり、泣いていた事はすぐに分かる。
「ど、どうしたのー!?」
「私、汚されちゃった……」
エルが俯く。
そしてそこで夢見は赤髪の少年をしばらく見ていない事を思い出した。
中庭で倒した少年達は、保安組織を呼んで連行して貰ったばかり。
まだ鮮明な新しい記憶では、その場に赤髪の少年らしきら人物は居なかった。
嫌な予感がする。エルが俯いてから一向に顔を上げようとしない事がその予感をより強くする。
「微睡……! あなた、体どうしたの?」
そこへエルが俯いたまま答える。
「麻酔薬で体の自由を奪われて……。僕は……」
「黙って見ていたのね」
ずっと優しく話しかけてくれていた夢見が珍しく冷たい声で言った。
それにエルは言葉を失って後退りをする。
「おねぇちゃん……。違うのー。エルちゃんは悪くない。エルちゃんも被害者なんだよー」
夢見は音がなるくらいに歯を食いしばると、優しくハルシオンを抱きしめる。
「乱暴……されたの?」
「されちゃったー」
ハルシオンを抱きしめる夢見の力が強くなる。
「……なにをされたの?」
「抱き付かれた。……それで馬乗りになられて太ももに触られた」
ハルシオンは一つ一つ夢見に打ち明けていく内に、少しずつ冷静になっていけた。
洗いざらい言ったところで、まだ被害は浅かったなと遅れて安心する。
ハルシオンを強く不安させていたもの、それは恐怖とオレゴンに対する罪悪感だった。
「された事はそれだけなんだけど……すごく怖かったの」
結果的に被害はこれで済んだものの、もしこれ以上進まれていたら自分はどうされていたのか。そう考えただけで恐怖が甦る。
「それにリーダーに合わせる顔が無いよー……」
夢見の肩に顔を埋めてまた泣き出してしまうハルシオン。
夢見はハルシオンの背中を撫でながら言った。
「怖かったね。もう大丈夫よ。私こそごめんね?そんな時に側に居てあげられなくてー。……オレゴン君なら……オレゴン君はそんな事で微睡の事を嫌いなったりしない」
「まだっ……好きで居てくれるかなー……」
途切れ途切れになるハルシオンの声。
オレゴンに対する罪悪感がハルシオンをこれ以上に無く苦しめる。
それを感じ、それを少しでも緩和させてあげたいと思う夢見は、暗い雰囲気を紛らすように微笑みながら答えた。
「馬鹿ねー。あの人恥ずかしがりなだけで、微睡の事大好きなんだよー? それはそれはもう、私にも嫌と言うほどに伝わって来るくらいにねー。だから心配さなくても大丈夫だよー」
当然、その言葉に確証は無かったが落ち込むハルシオンを救うにはこれ以上に無く効果的だった。
ハルシオンからの返事は無かったが、それを実感出来た夢見。
次に夢見は、ハルシオンを抱きながらもずっと硬直しているエルに視線を移した。
それだけでエルの表情が強張る。
「あの……」
ビクビクとしながらもエルはなんとか話そうとする。しかし夢見からの視線と、何もせずハルシオンを傷付けてしまった事による罪悪感で思考回路が占領されてしまい、続きの言葉が出なかった。
そんなエルに夢見は優しげに言う。
「怒ってないよー。ちょっと私も混乱しちゃってて。あなたに罪は無いよ。悪いのは……」
そこで夢見は口を閉じてしまう。
何故なら次に言おうと思った言葉は、エルの彼氏の事だったからだ。
エルも被害者だと理解する夢見は、わざわざここでエルが傷付くような事を言わなくても良いと思った。
しかしエルは夢見の続きの言葉を察して代わりに言った。
「彼氏が……迷惑かけてごめんなさい」
やってしまったと後悔する夢見。
ただでさえ部外者の夢見は二人以上にこの状況を好ましく思う事は無い。
出来れば早く仲睦まじい関係に戻りたかった。
そう考える夢見が次に取った行動は、
「あなたが謝る事じゃないってばー! ただその気持ちがあるなら、今からここの掃除手伝ってくれない?」
笑って掃除を提案する事だった。




