アンソウシャブル
「アンソウシャブルがどんな場所か、あなたなら伝えるまでもかしら?」
「すみませんが行ったのは幼少期で……。工業が盛んな場所だとは聞いてます」
「あらそうなの? だったら楽しみにすれば良いわ」
夜の海辺。そこには砂浜と言ったものは無く、防波堤によってきっちりと隔てられていた。
女性の後を追いかけるオレゴンはその狭い足場の上から揺らめく黒い水面を見下ろす。それなりの高さがあって、もしここに落ちてしまっては一溜りも無いのだろうと怖い想像を膨らませる。
「この音は……?」
水平線の遥か先、そこに高くそびえ立つ壁が見えた。真っ白の壁には至る所にヒビがあり、円形の形になる壁の回りには金色の長い長いパイプが大量に絡まっている。
オレゴンは恐らく、そこから聞こえてくるのであろう花火を打ち上げるような重く響く音に疑問を抱いた。
「衝撃波よ」
女性はその白い壁を指差して続ける。
「外部の者を簡単に近付かせない為、高い壁を作り、そして一定間隔で衝撃波を発生させている。もし無暗に近付こうものなら……そうね、一瞬でバラバラよ。それはそれで素敵な光景なんでしょうけど……知らなかったのかしら?」
「それは初めて知りました……。しかしどうやってそんな場所に行くのですか?」
女性は防波堤の奥、その一番端で吹かれる潮風に衣服をはためかせながら言った。
「そうね、方法はいくつかあるのだけど……昔はここからずっとアンソウシャブルまで続いていたのよ。細い細い足場を走って衝撃波から身を守る中継ポイント、鋼鉄の小屋で休憩を挟む。懐かしいわね」
女性はそこで背後に振り向くと微笑みながら続ける。
「人は自分の想像を越えたもの、そしてそれが自分を脅かすものとなると非常に強い恐怖を感じるの。現にあなたは得体の知れない巨大な壁、そこから発せられる衝撃波、そこへ向かわなければならない事実に恐怖を抱いている。そうね?」
女性の言ったように、オレゴンには笑顔を作る余裕すらも無かった。
その引きつったオレゴンの表情を見て女性はさらに笑みを大きくすると、そのままオレゴンの背後に回り込みまるで首根っこを掴むようにオレゴンを持ち上げる。
そして今から投げますよと言わんばかりに、腕を引いた。
「ちょっと待て! どう言うつもりだ!!」
オレゴンはじたばたと暴れるが、女性にはまったく効果が無かった。
そんなオレゴンに女性は思わず笑いを漏らす。
「ふふ、良い反応ね。別に怖がらせるつもりは無いのよ。ただこれが一番手っ取り早いと思って」
その言葉を最後に、女性はオレゴンを海の中へ叩き付ける様に投げ捨てた。
夜中に響くオレゴンの絶叫が、水面に沈むや否や水音と共に静かに消える。
女性はそこから飛び上がると、オレゴンの後を追いかけるように海の中へ姿を消した。
「な、なんだこれは……!?」
まず驚いた事が息が出来ると言う事。今思えば空気を求めて暴れていた自分が恥ずかしい。
次に海の中の水流に乗るようにどこかへ流されて行っているのか、魚や海藻が次々にオレゴンを横切っていく景色。地の底には金属パイプが這うようにいくつも並んでいた。
オレゴンはそこで体が自由に動かせる事に気付く。
「驚かせてしまったかしら?」
遅れて女性がオレゴンと並ぶように現れる。不思議な事に、女性の髪も衣服も濡れていなかった。慌てて自分の衣服を確認するが、やはり綺麗に乾燥している。
視線を再び女性に戻すと、女性の背後に薄らと透明の壁が存在する事にオレゴンは気が付いた。それを目で追いかけていくと、どうやらそれは自分達の周りを一周しているようだった。
そこで忙しない様子のオレゴンは察する。自分たちが透明なパイプの中を高速で移動している事を。
その事実にオレゴンが思わず言葉を失っていると、その様子を見て女性は笑顔を浮かべた。
「ほんと新鮮な反応ね。可愛らしい。これは学園が開発している真空列車のもう一つ先の技術よ。乗り物さえも不要にしてしまうほどの科学がアンソウシャブルには存在する。素晴らしいでしょ? 閉鎖的なのが残念だけど」
女性の話を黙って聞いて目を輝かせるオレゴン。
「あなたこの手の話は好きそうね? 良い経験が積めたわね。これからも期待して良いと思うわ」
そして先を指差して続けた。
「あっという間の時間だったけど、もうすぐ着くわよ」
女性がそう言ってオレゴンは浮力を感じ始める。気が付けばパイプが上を向いて進んでいた。
そして景色は海から、金属的な物に変わる。
「もうアンソウシャブルの内部よ」
オレゴンが慌てて下を見下ろすと海が、周りを見渡せば歯車や鉄板で構成された壁が高速で流れていき、上を見上げると光が差し込んでいた。
そして目まぐるしく変わる景色の中、オレゴンと女性は打ち上げられた。
さっきまでは夜中だったの言うのに、赤い夕焼けが二人を照らす。雲だと思ったものは、無数に存在する煙突から吹き上げられていた煙だった。
そこでオレゴンは自分が高く高く宙を舞っている事実を知る。
「うわぁぁぁぁ!!!」
絶叫するオレゴン。女性はまたオレゴンの首根っこを掴むように衣服を握るとそのまま落ちて行き、二人が発射されたと思わしき発射口の隣に着地した。
そうしてぽとりとオレゴンを落とす。
「何が起こったんだ……?」
四つん這いになるオレゴンは咳き込みながらも発射口を覗き込む。
高所恐怖症と閉所恐怖症には辛いであろう深い穴だった。
「ここは……!?」
思わず立ち上がって周囲を見渡すと、四方の壁には沿うように至る所に歯車とパイプが配置されていた。天井や屋根と言った物は無く、代わりに部屋の半分を覆うようにパイプが絡まり合っている。歯車はガチャガチャと音を立てて回り、パイプからは空気が流れてる音が聞こえる。総じて騒がしい場所だった。
床も壁も無機質なコンクリートで唯一柔らかい印象を与える物はその床に敷かれた赤いカーペットくらいしか無く、湿気が高いのかなんとも息苦しい。
オレゴンが見るにここは小さな部屋だった。それも人が住んでいる家。部屋の中心には木製の机があり、その上には地球儀が回っている。そしてその奥、そこに古めかしい黒い革のソファに、ずっとオレゴン達を睨む人物が腰掛けていた。
「学生服……?」
オレゴンがその人物の容姿についてぽつりと呟くが、その視線はその人物からその背後へ移った。
その人物の背後に窓枠だけのガラスも何も無い窓がある。その遥か先にはパイプと歯車、金属板等で構成された建物があった。その建物がオレゴンにはこの上なく珍しく、目を奪ってしまう。
具体的には高く高くそびえ立ち、その頂点はまるで木の枝ように枝分かれしている。そしてそこで人が活動していた。
今も木で言う幹の部分に備え付けられた手摺も何もない階段を上がっていく人を目を追いかけるオレゴン。
そんなオレゴンをこちらに引き戻すように、ソファから立ち上がる人物が言った。
「学生服だと? そんな物と同じにされては困る」
若い青年だった。エンブレムの付いた制帽を机に置き、赤黒い短髪を露にして青年は口を大きく開いてはっきりとした口調で続ける。
「言わばこれは軍服だ。古の時代から続く魔人との戦争に打ち勝った名誉の証。その志を重んじて学園がこの服を似せた物を普及させたのだろう。故にお前たちが着る物とは背負っているものの大きさが違う。恥を知れ」
強い口調とは裏腹に、冷ややかな視線を送る青年。オレゴンはその紅い瞳に圧巻されていると、女性が間に入って言った。
「あらあら。年下に本気になってみっともないわよ、アンソウシャブル」
アンソウシャブルと呼ばれた青年が黙って女性を指差す。
それと同時にどこからとも無く現れた無数の刀が女性を包囲するように浮き、その刃を向けた。
しかし不思議な事に、その刀は何れも半透明で色が無かった。
「一度落とした信用を戻すのは難しい。そんなお前がここへ何しに来た?」
女性に歩み寄るアンソウシャブルが宙に浮く刀の一つを手に取った。
するとその刀は色を得、実態を明らかにする。
黒い刀身に紅く鈍く輝く刃。それをさらに女性に向けて続けた。
「何か企んでいるのだろう? 我々がそう容易く思い通りになると思わない事だ」
女性は笑顔を崩さず返す。
「企む? そうね、一つ企む事があるとすればどうやってあなたから信用を取り戻そうかって事。少なくとも連れて来たこの子は信用して良いと思うわ」
「なぜそう思う?」
「この子はオレゴンよ。あなたが溺愛する時計。それを作った方の孫。この人に侵入者を探して貰おうと思って」
青年は懐から懐中時計を取り出し、手元に視線を落とす。そして白い手袋越しに時計を撫でながら言った。
「あぁ、この時計は素晴らしい。いや、この時計に問わずあの方が作る物に悪い物は無い。今もこの地に大きな時計台を作って貰っている途中だ」
「今も……? 祖父がここに居るのですか……?」
オレゴンが漏らす様に呟いた。
「そうだとも。そうだな……今から会って貰おうか、それでお前が本物の孫かどうか見極めさせて貰おう」




