新たな依頼
「う、美味い……!」
オレゴンがまだ湯気を放つ卵焼きを口に運び、頭の上に感嘆符を浮かべてからしばらくしての事だった。
ただ一言、そう呟く。
「卵焼きは僕が作ったんだよっ」
切れ目の無い卵焼きを箸で裂きながら笑顔を浮かべるエルは言った。
オレゴンは大きく頷くと小皿の上の卵焼きの、その横の焼き飯にスプーンを通す。
そして一思いに掬うと、一気に口に運んだ。
「これも美味い……!」
「それは私が作ったけどお口にあったー?」
夢見から確認の言葉が出る。しかしその言葉とは裏腹に、夢見の表情からは自信が溢れていた。
そしてオレゴンが黙って何度も頷くのを確認すると、腰に手を置いてさらに得意気な顔をする。
「どうだー」
「失礼な事を言うがまさか二人がこんなにも料理が上手だとは思わなかったぞ……」
真剣な表情をするオレゴンの背後から不意に声がする。
「良い匂いー」
匂いに誘われて目を覚ましたハルシオンだった。そのままオレゴンの肩に顎を置く。
夢見は、そのまだ目が開ききっていないハルシオンを見かねて言った。
「微睡の分もあるから冷める前に食べなさい。おねぇちゃんが作ったんだよー」
「おねぇちゃんの手料理久し振りー」
ふらふらと席につくハルシオン。
その時、不意にチャイムがなった。
「……依頼か?」
オレゴンは呟き、みんなを見渡す。
昨日、ハルシオンと話したうろ覚えの内容を思い出したオレゴン。
レムの捜索は一度中断して依頼を受けようか悩んでいた。
オレゴンが夢見へ視線を向ける。
その夢見からの許可さえ貰えれば受けても良いと考えていた。
オレゴンにとってそこが心残りだった。
「受けちゃえばー?」
意外にもこれ以上に無くあっさりと返ってきた。
オレゴン自身も驚いたのか、少し間をおいてしまう。
そして慌てて玄関へ向かおうとするオレゴンは夢見に言った。
「あ、あぁ。そうだな!」
そして忙しなく玄関へ向かったオレゴンの後をなぜか追いかけ始めるハルシオン。
「リーダー待ってー」
残されたエルが不思議そうに夢見の顔を見ると、馴れた様子で夢見が言った。
「あの子、寝惚けてるのよー」
「あらあら、やっぱり」
玄関の扉を開けた先、マンションの中庭を背景に赤いドレスの女性がにっこりと微笑んで言った。
その女性が放った言葉の意味が理解出来ないオレゴンは思わず眉をしかめる。
そんなオレゴンの背中にハルシオンがへばりつくように現れた。
そしてオレゴンの肩に顎を置くハルシオンが女性を見て、何かを言おうとする。が、ハルシオンより先に女性が二人を一瞥しながら続けた。
「確かあなたたちはいつかの勇敢な少年に、心優しき少女では?」
そこまで言われてもオレゴンにはしっくり来ていないようだった。
その証拠に今も眉をしかめ続けている。
しかしハルシオンはその女性に心当たりがあるのか、寝惚けた顔をはっきりさせて言った。
「あなたは確か貴族の子供に怪我をさせられたー……」
以前、エルと共に貴族の息子を探していた時、その息子に腕をナイフで刺された女性だった。
それを聞いてオレゴンは、怪我をした女性よりも息子を優先しようとしてハルシオンに怒られた苦い過去を思い出す。
そして思わず苦い表情して言った。
「あ、あの時の! あれから状態は良くなりましたか?」
「えぇ、すっかりこの通り」
女性は腕を軽く回して見せる。
オレゴンが「それは良かった」と頷いていると、女性は首を少し傾げて言った。
「今、お時間大丈夫かしら? 迷惑でなければお仕事をお願いしようと思って」
「喜んでー」
女性の問いにそう答えたのは気の抜けた顔のままのハルシオンだった。
「『アンソウシャブル』と言う場所はご存知かしら?」
夢見とエル、そしてハルシオンが食器を洗う音を立てる中、オレゴンにコーヒーを差し出された女性が言った。
それを聞いて、そのまま女性の向かいの椅子に腰掛けるオレゴンが驚いた表情をする。
「アンソウシャブルと言えば……この世界で唯一完全な鎖国状態にある島……。一つの国と自ら称して学園からの干渉を一切受け入れない場所ですよね?」
女性はコーヒーを口に運ぼうとするが自分の問いにオレゴンがすらすらと答えた事に驚き、カップに唇をつける寸前でその動きを止める。
「詳しいのね。その年で勤勉なのは素晴らしいわ」
「まぁ……実は完全鎖国と言うのは誤りなんですが……」
女性が再びコーヒーを口に運ぼうとするが、またもやオレゴンの発言によってその手を止めてしまう。
「……どうして? どうしてあなたがそんな事まで知ってるのかしら?」
「一度そこへ行った事があるんですよ」
それを聞いて女性は椅子に深く腰掛けると、溜息を付いた。
そして一思いにコーヒーを口に運ぶ。その熱い感触が喉の奥を通り抜けた所で、女性は微笑みながら言った。
「行った事があるのでしたら出鱈目を言ってる訳でも無さそうね。それにしても驚いたわ。貴族でもなんでも無いあなたが、まさかあんな所へ訪れた事があるなんて。その経緯は教えて頂けるのかしら?」
「祖父が有名な時計職人で、その作品がアンソウシャブルで地位の高い人に気に入られたらしく……。僕も幼少期に行ったもので記憶はあまり無いのですが……」
女性はコーヒーカップを目前の机に置くと首を傾げる。
「ところであなたは、アンソウシャブルがどうしてそう呼ばれているのか……ご存知?」
「えぇ、一応。その島国を統率した人物がアンソウシャブルと言う名だと聞いております。そこから来ているのですよね? 今でもその家系の者がそこを仕切ってるとかなんとか」
女性は思わず立ち上がる。
「そこまで知っていると言う事はやっぱりそうなのね……! あなたがオレゴン……?」
女性の言動が腑に落ちないオレゴンは眉をひそめる。
「そうですが……それはどう言う意味でしょうか」
「今日は本当に素晴らしい日だわ。感動するくらいにね。でもあなたの言った事には一つ誤りがある。それはアンソウシャブルがあの島国を統率してから今までずっと一人で仕切っている四大貴族の内の一人って事よ。そしてあなたの祖父の時計を気に入ったのも、そのアンソウシャブル。ずっとオレゴン印の時計の自慢話ばかり聞いていたもの」
オレゴンはそこで少し間を置いてから答えた。
「アンソウシャブルと言う方と会話をした事があるのですか……?」
女性はそこでにっこりと笑顔を浮かべる。
「えぇ、もちろんよ。だって私も四大貴族の内の一人……だから。そこであなたにはもう一度、アンソウシャブルへ訪れて欲しいのよ。これが私からの依頼」
「な、なぜ僕が……」
「私はそのアンソウシャブルに出入りする事がそれなりに許されているのだけど……ちょっと手違いと言うか私の傲慢と言うか……言ってしまうと関係無い人を中に入れてしまったのよ」
女性はそこで大きな溜息を付いて再び椅子に腰掛けると、悩ましげな表情をして続けた。
「それでアンソウシャブルからの信用を落としてしまったのだけど、信用回復の為に中で逃げ回るその人物を探したい。でも一人では中々に大変でね、かと言って一度信用を落とした私が見知らぬ助っ人を中に入れる事は出来ない。そこでアンソウシャブル自身が気に入ってるオレゴンの孫なら許してくれると思って」
「な、なるほど。事情は分かりましたが、僕なんかで良かったのですか?」
「むしろあなたなら喜ばれるに決まってるわ。あ、でも中に入れるのはあなた一人だけどね」
そこで台所から盗み聞きをしていたハルシオンがオレゴンに駆け寄りながら叫んだ。
「えー! リーダーと離れ離れになっちゃうのですかー?!」
そしてオレゴンの手を握り、女性に向けて続ける。
「喜んでー。って言いましたがやっぱり喜ばないです!」
「あらあら、寂しい事言うのね。見返りはあなた達にとって小さくは無いはずよ。……そうね、言うなれば四大貴族からの依頼を受けた事による名誉と地位。そしてあなたたちが喉から手が出るほどに欲しがっているレムと言う方の情報。あと端ものだけど金品も少し。ね? 素晴らしいでしょ?」
後から現れた夢見がタオルで手を吹きながら言った。
「微睡、良い事ずくめじゃない。行かせてあげなさいよー」
「おねぇちゃん……」
確かに夢見が言うように、有益過ぎる話だった。故にハルシオンもそれを考えると軽率に反論出来なかった。
それにハルシオンは昨日、オレゴンとした会話を思い出す。そこで依頼を受けても良いんじゃないかと助言した事を思い出すと尚更、何も言えなくなってしまった。
ハルシオンはしばらく黙り込みオレゴンを引き止めたい気持ちをぐっと押さえると、決心したように頷く。
「リーダー、早く帰って来て下さいねー。絶対浮気しちゃ嫌ですよー。微睡がここでずっと待ってるんですからー」
言葉とは裏腹に、ハルシオンは思わずオレゴンを胸元に抱きしめていた。
夢見が微笑み、エルが顔を赤くしている。女性も少し驚いた表情をしていたが、一番驚いて一番顔を赤くして一番嬉しげに微笑んだのはオレゴンだった。
「浮気なんてする訳ないだろう。すぐに帰ってくる。心配するなハルシオン」
ハルシオンは自分が取った行動に自分で驚きながら離れると、笑って静かに言った。
「はい、リーダー」




