授業と依頼
「いやー。腕も直って、またこうしてリーダーの部屋でうたた寝出来るなんて、私は幸せ者だったと改めて実感しましたよー。あの時は死を覚悟しましたからねー」
ハルシオンは相変わらず欠伸をしつつ、ソファに寝転びながら言った。
コーヒーを口にしていたオレゴンは、そのコーヒーを机に置いて返事をする。
「すまないな。俺のせいで辛い目に合わせてしまって」
「なーに辛気臭い事言ってるんですかー。それに一桁級の人と会う事も出来ましたしー。こんな経験滅多にないですよ。それはそうと依頼、また届いていたんですよね? 行きますよね? 元気出してくださいよー」
「そ、そうだな。俺たちはあんなリスクを覚悟した上でこの仕事をしているんだったな。リーダーである俺がくよくよしていては駄目だったな」
「そーですよ~。それで、次の依頼はなんですか?」
オレゴンは再びコーヒーを口にすると、落ち着いて言った。
「それがこの後、俺には授業の予定が入っているんだ。悪いが依頼はその後だ」
「へー。授業ですかー……。この辺で為になりそうな授業なんて行われているんですかー? どうしてもこの辺って田舎臭いので、まともな授業なんて開かれないイメージなんですよね」
「まぁ、そう言うな。各地で開催される授業に自主的に参加するこのシステムのおかげで、俺たちはこうして自由な時間を確保できているのではないか。それに偏狭な地で行われる授業ほど中々にマニアックなものが多く、それがまた面白いのではないか」
「物好きですね~。だったら私もついて行って大丈夫ですか? どうせ枠は余っているでしょうし」
ハルシオンはゆっくりと立ち上がると、お気に入りのカーディガンを着て支度する。
そうして二人は部屋を後にした。
「なんだか退屈な授業ですね」
ハルシオンは、折りたたみ式の長机に持たれ掛けながら言った。
その横に座るオレゴンは真剣な姿勢で、教卓の前で授業する先生の話を必死にメモに取っている。そして流し気味にハルシオンに言った。
「高速移動する物を静止させる魔法だぞ? 一見、需要があるように感じるだろ。だが、意外と使い所が無くてな。その使い所が難しい魔法を学ぶのが良いんじゃないか」
「けど静止させれるのって一瞬だけなんですよね? その後はすぐ動いちゃうのですよね?」
「だから使い所が難しいのではないか」
「まぁ、そうですけど。そうなると需要もあまりないような……。それにこの魔法、難易度は低くないですよ? ピンポイントですが、割と学びやすい難しさで銃弾を完全静止させる魔法なら私知ってますよ」
「ちょっと今忙しいんだ。話は後にしてくれ」
「つれないなぁ」
ハルシオンはそっと立ち上がり、オレゴンを置いてこの教室を後にする。
そして廊下を出てすぐに、走る何者かにぶつかられ、尻餅を付いた。
「おっと、悪いね。廊下に出る時は、前だけじゃなくて左右も確認してくれよな」
その何者かは立ち止り、尻餅を付くハルシオンに手を差し伸べる。
「ぶつかっておいて、失礼な言い草ですねー」
ハルシオンはその手を払いのけ、その者を凝視する。
少女だった。黒いとんがり帽子に、黒いマント、黒いドレスといかにもな服装に、胸元まで伸びる金髪が特徴的だった。しかし服装のイメージとは違い、表情は明るく、話し方も相俟ってかどこか男勝りな雰囲気を持っているようだ。
「私だって好きでぶつかった訳じゃない。まぁ許せ。そんな事よりお前はこんな所で何をしているんだ?」
ハルシオンは自力で立ち上がり、答えた。
「あまりにも授業が退屈だったので、抜けてきただけですよ」
「ふーん。マイペースな奴だな」
「あなたには言われたくないですよ。それにあなたこそ廊下を走って何をしているのと言うのですか?」
「まぁ、なんだ。私の事はどうでもいいじゃないか。それと退屈凌ぎと言っては何なんだが、私が来た方向から複数の人間が走ってくる。それを撃退してくれ」
「あーなるほどー。あなたは追われていたのですねー」
「まさかそんな事あるわけないじゃないか。私は足が速いからな。追いかける事もまま出来ないから、それは追われるとは言わない」
少女はハルシオンから後退りをするように言った。
対してハルシオンは、その開いた距離を埋める様にじりじりと近付いて返事をする。
「残念ながら、見知らぬ人間に頼むべき依頼ではありませんねー。むしろあなたの邪魔をしてみようかな~……」
「仕方ないなぁ。お前の暇つぶしに少しつきやってやるよ。言っとくけど私は喧嘩も強いと思うぞ?」
少女は先手を取るようにハルシオンに殴りかかる。
「喧嘩っ早いですねー」
ハルシオンはそれを、片手で受け流すとそのまま足を高く上げるように蹴り返した。
しかし少女もまたそれを回避すると、片足状態のハルシオンに足払いを掛ける。
思わぬ反撃を受け、地面を転がるハルシオン。
少女は追い打ちを掛けようと、天井ギリギリまで飛び上がり、ハルシオンを踏みつぶそうとする。
「強化魔法『ドーピング』」
ハルシオンは魔法を素早く詠唱すると、寝ている姿勢から腕だけの力で飛び起き、そのままバク宙をしてその攻撃を回避した。
「させませんよー……!」
そしてハルシオンのすぐ前に、少女が着地する。すると、その威力で床が破壊され、細かい粉塵を散らした。
「魔法の詠唱も無しにこの威力……?!」
ハルシオンが呆気にとられていると、少女のさらなる追い打ちの蹴りがハルシオンの腹部を強打した。
生々しい音と共に、小さな少女に蹴られたとは思えないほどに吹き飛ばされるハルシオン。その威力が弱まってきた所でやっと受け身を取って立ち上がる。
「な? 喧嘩は強いって言っただろ?」
これほど暴れて教室からの野次馬は一人もいなかった。よほどの防音なのか、この地域では喧嘩など特に珍しいものでは無いのか、ハルシオンには判断できなかった。
「確かに喧嘩は強いみたいですねー……」
ハルシオンは腹部をさすりながら言った。しかし、そこで一度区切りをつけると、今度は少し笑って続ける。
「しかし、頭は良くないみたいですね」
ハルシオンの背後から、複数の人間が走ってくる。それも警備服に身を包んだ者達ばかりだった。
「何を言う。私は足が速いからな。さっきも言ったが別に追われているとかじゃないぞ」
少女はどこからともかく箒を出現させると、それにまたがり、逃げる様に細い廊下を颯爽と飛び去って行く。
「変わった人だったなー」
ハルシオンがため息混じりに呟くと、
「おい!」
背後から、オレゴンが話しかける。
「なぜ、床が破壊されているのだ?」
「いやー。なんででしょうねー」
「まぁ、良い。面倒事に巻き込まれる前にずらかるぞ」
「え、授業はもういいのですか?」
「必要な事は全てメモに取った。あとは自主練でなんとかなるだろう」
「へー。すごいですねー。それで今から依頼受けに行くのですか?」
「あぁ、そうだ。依頼者はあのキノコ狩りの女だがな」
「と言う訳で、またもや悪趣味な家にやってきました。庭で例のキノコが栽培されている事にはつっこみを入れないで行きましょう」
ハルシオンはそう言うと、扉を軽くノックする。
するとまたもや、扉の横の小窓から黒髪少女が勢い良く飛び出て来た。
「あら、また来たの?」
「あんたが依頼したんだろ?」
「あれ、そうだっけ? まぁ、この際なんでもいいわ。それで肝心の依頼内容なのだけど、堕落者の巣窟に私を連れて行って欲しいのよ」
黒髪少女が窓枠に肘掛ながら言った。
それに対して、ハルシオンは間髪入れずに返事する。
「え? それって、護衛任務という事ですか?! 残念ですけど、私たちのグループはまだ民間依頼での護衛任務は許可されていないのですよー」
「分かってるわよそんなこと。誰がどう見てもそんな大きなグループに見えないわよ。私が言ったのはあくまでも連れて行って貰うだけ。案内さえして貰えれば、後はバイバイよ」
「失礼な奴だな……」
「あら、私の家を悪趣味とか言っちゃうのは失礼に価しないのかしら?」
オレゴンは何も言い返せなかった。
また、要らない所で揚げ足を取られる要因を作ってしまったハルシオンも何も言えなかった。
「まぁ、この際、そんな事は水に流しましょう。もちろん、引き受けて貰えるんですよね?」
「仕方ない。今から出す質問の答え次第では受けよう」
「へぇ……。それで?」
「あんたの目的はなんだ? 堕落者の巣窟に何のようだ? 興味だなんて答えると、異様な依頼として学園に通報するぞ」
「まっさかー。生憎様、私はそんな暇ではないのよ。私の大切な物が、堕落者によって盗まれた。それを取り返したいだけよ」
「それはなんだ?」
「これ以上、プライベートな事にはお答えかねますわ。まぁ、言うなればおばあちゃんの形見って所かしらね」
「おばあちゃんの……形見か」
オレゴンは不意に内ポケットから懐中時計を取り出すと、それを少し眺め返事をした。
「分かった。その依頼受けよう。だが、条件がある。お前を送り出した後、俺たちの行動に一切指示をいれない事だ」
「……分かったわ。契約成立ね」
上りきっていた太陽がようやく落ち着いた頃、3人はリニアモータートレーンに揺られながら会話していた。
「俺たちの学園外への外出の許可を簡単に取れるほどの権力を持っているとは、かなり高貴な貴族みたいだな」
「そうだと分かったなら敬語くらい使いなさいよ」
オレゴンは不服そうに「はい」と返事をし、続けた。
「……。それで聞いてなかったと思うんですが、あなたの名前は何と言うのですか?」
「下手くそな敬語ありがとう。気持ち悪いから今まで通りでいいわよ」
対して黒髪少女は嫌味な笑みを浮かべて返した。
そのあまりにも悪い空気を、少しでも緩和させようとハルシオンが話を変える。
「と、ところでその形見を盗んだ堕落者の巣窟はどうやって見つけ出したんですか? これだと、私たちが付いて行く理由が無いんですけど……」
「そうね、あれには相当の価値があるの。そしてそれを欲しがる堕落者が居る事も知ってたわ。だからとりあえず、それを欲しがっている堕落者共の中で、私の知り得る一番大きな集団に向かっているのよ……」
「はぁ……。それだけですか? それだけでは理由にならないと思うんですけどー……」
「……だ、だから言ってるじゃない……。初めから案内だけでいいって……! 私はリニアモータートレーンの乗り方なんて知らないのよ。文句ある? 仮に一人で行って、もし目的地につかなかったらどうやって帰れって言うのよ」
「……あーなるほど。通りでさっきから方角を示すだけで、どのリニアモータートレーンに乗るか決めなかったのはそのためだったのですね」
「そうよ。ただそれだけであなた達は報酬が貰えるんだから、ありがたく思いなさい」
黒髪少女は腕と足を組んで、深く腰掛け、不愉快を態度で体現する。
またもや悪い空気にしてしまったハルシオンは焦った様に言った。
「も、もうすぐ駅に付きますよー! 言っていた目的地はこの周辺ではないですか?」
「そうね。次の駅で降りて、あとは歩くことにするわ」
そうして三人は周辺を探索するため、駅を降りた。