クイーンオブハート
ハルシオンとオレゴンは両手を広げ空を見上げる青年を睨んで動かなかった。
その調子で青年は嘲笑い声をかける。
「私を睨んでも仕方ないわよ~? 大人しく撤退したらどうかしらー? それにもしぃ私への命令が変わって殺して良くなったら……」
そこから青年はゆっくりと頭を傾け二人を睨み返して、
「あなたたちをすぐにでも切り裂いちゃうわ」
低く腹に響く声で言った。
二人は青年の迫力に圧倒される。
しかし丁度そのタイミングで、オレゴンの所持していた小型の通信機に連絡が入った。
オレゴンは青年から目を離さず通信機を耳に当てる。
そして呟くように言った。
「退くぞ。大混成魔法が成功したようだ」
オレゴンが視線を空へ向けると、流星の様に無数の人物が街の中心へ飛んで行く。
また同じタイミングで青年も携帯電話を耳に当てて言った。
「あらぁ、そう。はぁ……。なるほど。つまり……殺して良いのね?」
その言葉を聞いた瞬間、オレゴンはハルシオンの手首を掴み背後へ駆け出す。
しかし同時に青年がオレゴンの肩を掴んだ。
「残念。遅かったわね」
青年がそう言うと掴んでいる肩を上から押さえ込み、オレゴンは苦しそうに屈まざるを得なくって地面にひれ伏していく。
ハルシオンはすかさず青年の顔へ釘を刺そうとするが、青年はいとも簡単にハルシオンの手首を掴んで止めた。
悶え苦しむハルシオンは青年の手首を、重ねる様に強く握り返す。
「意外にも女の子の方が力が強いのね。薬のおかげかしら」
青年はそう言うと、ずるずると二人を引きずって明るく光る街の中心の方角へ移動する。
「さぁてこの二人、どうやって痛みつけてあげようかしら」
カチ……カチ……と義足で歩く無機質な音が響く中、二人はバタバタと必死に抵抗するがまったくの意味がなかった。
それどころか青年はその二人を横目で見て、にやぁと嬉しそうに笑う。
「んふぅ……」
青年は思わず溢れだしてしまう恍惚な声を押し殺しながら、二人をとある建物の外に設置されている螺旋階段まで引きずって行った。
そして今度はガタガタガタと二人を無理矢理、上へ上へと連れて行く。
それから時折、青年は気持ちの悪い笑みを浮かべながらも屋上へ上がりきった。
「ここよぉ」
青年はそのまま二人を引きずったまま、屋上の端へ向かって行く。
ハルシオンとオレゴンは思わず青年の向かっている方へ視線を向けた。そこにはフェンスなどなく、青年がこれからしようとしている事など容易に想像できた。
コツコツと歩く速度も心なしか早く感じる。それが二人を余計に焦らせた。
オレゴンとハルシオンは無理と分かっていながらも、強烈な力で抑え込まれている中、必死に暴れて抵抗する。
「むふぅふぅ……ふふぃ」
すると抵抗のかいがあってか、青年のポケットからさきほどの携帯電話が落ちた。
青年は一瞬だけ歩みを止めるが、めんどくさそうに携帯を一瞥するだけで再びを前進しようとする。
しかし携帯から聞こえた声に、思わず足を止めた。
『気を付けろ! クイーンオブハートがそっちに向かってしまった!』
「クイーンオブハート……? なんですって!?」
青年が焦った表情でそう叫ぶと同時にオレゴンとハルシオンは解放された。
それは驚愕した青年が思わず離してしまった訳では無い。その証拠に今も青年の腕はしっかりと二人を掴んでいた。
「ああああああ!! 私の腕があああああぁぁ……!!」
それは突如、宙から流れ星の様に飛んできた人物に腕を剣で切り落とされたからだった。
オレゴンとハルシオンは、切られても尚掴み続ける腕を虫を払うように投げ捨てる。
「大丈夫か、君たち。たまたま街へ向かう途中、襲われている所を目撃してね」
ひげを生やした男は、周囲を照らすオーラを纏いながら言った。
「た、助かりました……」
「すごい……。これが大混成魔法ですかー」
「あぁ、大混成魔法『オーラ』と言って、並のドーピング魔法を遥かに凌ぐ」
男が説明をしていると、その隙を付いて青年は義足で蹴りをするが、男は視線を青年に向ける事無く簡単に回避する。
そしてそのまま視線をハルシオンとオレゴンに向けたままの状態で青年の腹部を剣で突き刺した。
相変わらず表情一つ変えない青年。そのまま剣が深く刺さってでも男の方へ近付こうとする。
さすがに男も怪訝そうな表情を浮かべたが、それもハルシオンとオレゴンに向けてだった。
「元気な方だね」
男はそのまま剣を薙ぎ払った。
その勢いで屋上の端まで吹き飛ばされる青年。仰向けで頭だけが屋上から飛び出している。
そこへ男は青年の胸に足を乗せて言った。
「君はここで、あの二人をどうしようとしたのかな?」
青年は起き上がろうとするが足で抑え込まれ、身動き一つ出来なかった。
諦めた青年は大人しく返事をする。
「さぁね」
「まさかここから落とそうとしてたのかな?」
「さぁ? そんな事より油断し過ぎよあなた」
「なに?」
次の瞬間、宙から突如現れた巨体の生き物に男は腕を引き千切られた。
野太い叫び声が響き渡る。
「私と同じ痛みはどう?」
青年は嬉しそうに聞くが当然男にその質問に答える余裕も無く、背後へ視線を向ける。
するとそこには正体が掴めない程に全身が黒く、ひたすらに禍々しい二足歩行の生き物が千切られた男の腕をさらに半分に千切っていた。その生き物はシルエットだけ見ればドレスを着た何者かがただ巨体になったようにも見えるが、ドレスの裾の部分には無数の顔が浮かび上がり、苦しみの表情で悶えている所を見れば、とてもじゃないが男には人とは思えなかった。
「なんだ……この化け物は……」
男がそう呟くと同時に、その生き物は男の胴体を掴み上げた。
「うわぁあああ!!! 助けてくれええええ!!!」
男はオレゴンとハルシオンに必死に訴えかけるが、二人は動けなかった。
そして空き缶を潰すように生き物は力を込めると、そのまま屋上から地面へ投げ捨てる。
ケタケタと笑い、お腹を押さえる生き物。ドレスの裾も嬉しそうに笑っているように見える。
「に、逃げるぞ……」
オレゴンがぼそっと呟くと生き物は二人の方へゆっくりと振り向いた。
「逃げれるわけないわよ」
青年が立ち上がる。
そして第一歩を踏み出そうとした瞬間、生き物に義足を掴まれて宙づりの状態にさせてしまう。
「何するのよ! 離しなさい! この失敗作め!!」
青年は掴まれた義足を切り離し、転がりながら距離を取る。
その隙にハルシオンとオレゴンは螺旋階段へ向かうが、宙を軽やかに飛び上がった生き物は螺旋階段に先回りをして二人の前へ立ちはだかる。
咄嗟にあるだけの錠剤を口に運ぶハルシオン。
こんな時に関わらずオレゴンはそれを必死に止めようとするが遅く、ハルシオンはがくんと力が抜けたように膝を付いた。
しかしそれも一瞬で次にはハルシオンが生き物の首根っこを掴み、螺旋階段に叩き付け、あろう事か螺旋階段は音を立ててボロボロと崩れ去っていく。
ハルシオンと生き物はその崩れ去っていく螺旋階段と共に地面まで転がり落ちていくが、その状態でも尚ハルシオンは生き物に乗りかかり釘を刺していた。
「やめろ! ハルシオン!」
屋上からオレゴンが必死に叫ぶが当然その声がハルシオンに届くはずも無かった。
また青年もオレゴンの横から、その様子を楽しそうに眺めて居る。
そしてこれまた楽しそうに言いだした。
「あの生き物の正体を君は知っているかしら? んふふぅ」
「知るわけないだろう!」
「まぁ、あの子はあの生き物に殺され、あなたはここで私に殺される運命だから、特別に教えてあげる。あ、でも……その前にあなたとあの子のお名前はなぁに? 一応聞いといてあげるわぁ。」
「お前に名乗る名などない!」
「まぁまぁ。一応、知り合いなら助けてあげられるかも知れないしぃ。ハルシオンって聞いた事あるのよねぇ。それであなたはオレゴンよねぇ?」
「俺たちの事、知っていたのか……?」
「やっぱりね。名前を呼び合ってる時から少し気になっていたのよ。あなたたちはあの生き物の正体を知っているはずよ」
青年はにやにやと嬉しそうに言った。
その間も下ではハルシオンと生き物が激しい戦闘を繰り広げているが、誰が見てもハルシオンが押されているのが分かる。
戦力にならないと理解していながらも助けに行こうとするオレゴンの肩を、いつの間にか付けた義手で押さえ込み青年は続けた。
「……あの生き物の名前は雨芽 エル。聞いた事無いかしら?」
「あるわけないだろう!」
「あらぁん? そうなの? 残念ねー、あなたの驚く顔が見たくてこんな話をしているのに興醒めだわ。もう良いわよ。さようなら」
青年は予め拾っておいた釘をオレゴンの腹部に突き刺す。
口から血を吐き後退りするオレゴンは何かを言おうとしているが声にならないようだった。
「リーダー……?」
生き物に圧倒され大量の釘が散らばる地に這うハルシオンは、屋上で自分の武器が使われた事を感知し最後の力を振り絞って立ち上がり、螺旋階段の辛うじて残っている部分を使い上って行く。
そして再び訪れた屋上でハルシオンが見たものは、無残にも大量の釘が刺さって倒れこむオレゴンだった。
「リーダーっっっ!!!」
ハルシオンはオレゴンの元へ駆け寄った。
しかしその瞬間、既に背後に居た生き物が腕と思われる部位を鋭く尖らせてハルシオンへ突き刺した。
肉を貫く嫌な音が響き渡る。
「そ……そんな……!!」
そう言ったのは、自分の代わりにさらに腹部を突き刺されるオレゴンを見たハルシオンだった。
「生きろ……」
生き物はそのままオレゴンを地面に捨てる様に腕を薙ぎ払う。
ハルシオンは思わず屋上から飛び出した。
そして辛うじてオレゴンを掴み、そのまま抱きしめ、地面に叩き付けられた。煉瓦が隆起する。
薬の効果で痛みの信号が軽減されているとは言え、ハルシオンの全身に激痛が伝わる。
しかしハルシオンはそんな激痛よりもっと苦しい痛みに襲われていた。
「リーダー……! リーダーっ……!」
返事は無い。
胸部に耳を当てるが音もしない。
それは自分が焦っているせいだと必死に思い込むハルシオン。
屋上からは生き物の興味が青年に向かったのか、その青年の叫び声がする。
ひとまずハルシオンは近くの別の建物にオレゴンを引きずって向かい、隠れる事にした。




