唐突に
「やぁ、元恩人。こんな所まで来てくれたんだね」
結局、オレゴンの幻影に攻撃する決意が出来なかったハルシオンは、逃げるように森の中をさ迷っていた。
そして、そんなハルシオンに楽しげに語り掛ける者が一人。
「あなたはー……」
駆けるハルシオンが声のする目前を睨むとそこには、腕を組んでニヤリと笑う桜渦が立ち塞がるように立っていた。
「気軽に桜渦と呼んでくれて構わないよ」
「……リーダーに何をしたのですか」
「……リーダー? あぁ、元オレゴンなら、私の中で眠ってるよ――」
――笑ってそう言う桜渦。しかしその言葉を中断させるように、ハルシオンは躊躇いも無く飛び蹴りを仕掛けていた。
「手荒だねぇ」
そんなハルシオンの蹴りを桜渦は片手で容易く受け止めると、そのまま足首を掴み地面に叩きつける。
「リーダーを返してください」
「……返すも何も、返して貰ったのは私の方だよ。……それにね元恩人。やがて辻風は私と完全な融合を果たし、その体は私の物となる。今更、再会を望んだ所で会う事になるのは私だよ」
「意味が分かりませんねー。だったら、融合とやらをする前に倒してしまえば良いんですよね?」
「……お前にそれが出来ればの話だけどね」
桜渦のその言葉を合図に、ハルシオンは跳び跳ねる。
この森は魔力の濃度が濃いせいか、薬を服用しているような感覚だった。
そしてその手に釘を出現させると、宙でその釘を蹴り飛ばし桜渦へ向けて投射する。
しかし桜渦はそれを最低限の動きで回避すると、ハルシオンに指先を向けた。
「波動魔法『サドマ』」
魔法の詠唱と共に、ハルシオンが盛大に吹き飛ばされていく。
そうしてハルシオンが動きを止めたのは、太い木の幹に叩き付けられた時だった。
肺の空気を一気に吐き出し、ハルシオンはその場に倒れ込んでしまう。
「この森で調子が良いのは、君だけじゃない。私もだよ。ほんと、気分が良くなるよね」
踞ったまま立ち上がろうとしないハルシオンへ、桜渦は歩み寄りながら言った。
ハルシオンは、桜渦を見上げて尋ねる。
「あなたは……リーダーの何だと言うのですかー……」
「……私が辻風の何かではなく、辻風が私の何かなのだよ。知っているはずだろう?」
「……そうですね。あなたの命がリーダーの命とリンクし、共有している事も知っていますよー」
「だったら私を殺せばどうなるか、想像するのは難しくないだろう? まぁ、もっともそれは不可能なのだけどね」
桜渦は、膝を付くハルシオンを蹴り上げて言った。
そうして浮かび上がるハルシオンを片手で幹に押さえ付ける。
「さようなら。ハルシオン」
止めを刺そうと桜渦が余った方の片手を振り上げた所で、異変は起きた。
「ふふふふふふふ……」
甲高い声でそう笑ったのは、ハルシオンだった。
思わず桜渦も眉を潜めて尋ねる。
「何がおかしい? 気でも触れた?」
「……だって桜渦さん。大切な事を忘れているんですからー」
「大切な事?」
「桜渦さんがリーダーと魂を共有させていると同時に、私はリーダーと魔力を……もっと言えば体に刻まれている魔法陣を共有させているんですよー」
「それがどうかしたのかい?」
「やだなーもー。分かってるくせにー。……まだ、今のあなたは魔力が具現化したような存在です。リーダーの魔力を著しく低下させてもリーダーは死にませんが、あなたは消滅してしまいます。そうですよねー?」
「……あぁ、異論は無いさ。けど、私の中で眠っている辻風の魔力を君にどうこうできるとは――」
「――出来るんですよー?」
桜渦の言葉を遮るようにハルシオンは言った。
また、その言葉に腹を立てたのか、桜渦はハルシオンを睨み付けるとそのまま背の方向へ力任せに投げ捨てる。
「出任せが過ぎるよ。そんな言葉で私がうろたえると思ったのかい?」
そうして横たわるハルシオンに桜渦は微笑を浮かべて言った。
ハルシオンはふらふらと立ち上がると、懐から一粒の錠薬を取り出し、それを固く握り締める。
「……私も覚悟を決めてきたんです。あの人を救う為なら、どんな犠牲だって厭わない!」
そしてその錠薬を一気に飲み干した。
笑う桜渦。
「今更、薬なんかのドーピングでなんとか出来ると思っているのかい? 滑稽だねぇ」
対してハルシオンは涙を流して……しかしどこか勝ち誇ったような笑みを浮かべて言った。
「私とリーダーの繋がりはお互いの信用の上に成り立っているんです」
「へぇ、それで?」
「信用関係の破綻は私達の力の破綻を意味する」
「君達の事は見ていたよ。だからそれはよく知っている。美しいねぇ。でも君は辻風を愛している。その辺の心配は要らないと思うけどね? まさか、辻風が君の事を嫌いになるのかい? あ、それとも禁止された薬を飲んで嫌われるシナリオかい? 私と辻風の視覚が共有されて居る事に賭けたとか?」
そう言って桜渦はクスクスと笑う。
ハルシオンもまた、笑みを崩す事は無かった。
「惚れ薬って知ってますか?」
「もちろん。私は好きだよ。その禁断とも言える薬は」
「……今、私が飲んだ薬はその逆の物です」
そこでガクンと力が抜けたように膝を付いて相手を強く睨んだのは、桜渦だった。
「魔力が……失われていく……まさか……」
「さようなら。オレゴン……」
そう呟くハルシオンもその場に膝を付いた。
しかし桜渦はハルシオンへ腕を伸ばし、歯を食い縛り懸命に立ち上がろうする。
「どいつもこいつも私の邪魔をしてくれる……。今貴様を殺せば……まだ間に合う……」
よたよたと足を引き摺るようにして桜渦はハルシオンに近付いて行く。
ハルシオンもまた、その手に釘を出現させて抗う姿勢を見せる。
「……あぁ忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい……! 渦刃『ヴォーテックス』」
桜渦の右手に灰色の刀が握られる。そしてそれを倒れ込むようにハルシオンへと突き刺すが、ハルシオンはそれを間一髪の所で転んで回避する。
そして今度はふらふらと立ち上がるハルシオンが尻餅を付く桜渦へ釘を突き刺すが、それを桜渦は刀でなんとか弾き飛ばした。
そしてハルシオンが次の釘を手に出現させた所で、桜渦が叫んだ。
「このままでは三人とも共倒れだぞ! やがて魔力を完全に失う事になるお前達も死ぬだろう! その前に、お前は最愛の人を嫌いになってしまう事による地獄を見るだろう!」
「覚悟の上ですよー……」
「だったら……私と最後の戦いをしろ」
「最後の戦い?」
尋ねるハルシオンを無視するように桜渦は切っ先をハルシオンへ向ける。
ハルシオンはなぜか、桜渦が何を求めているのか理解できた。
そしてハルシオンもまた釘を桜渦へと差し向けると、そのまま釘の先を刀の切っ先へ接触させる。
その瞬間、ハルシオンは意識を手放した。