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蝕喰(しょくばみ)  作者: 犬丸
蝕喰=♀・ユズキ編
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第一章・3  「僕とタモン」

 早朝。設備が整っている室内を半眼で見渡した。この行為にとくに意味はない。


 さて、おさらいしよう。


 まず始めに、僕はこの世界の者ではない。あの時の年齢は18歳を迎える直前であり、命を絶つ前日に何者かによってここに飛ばされてきた。その相手は獣語を話せることから推測するに、おそらく獣だろう。


 それもただの獣ではない。世界から世界へと移動させることができるほどの、異常な力をもつ生き物だ。


 この世界に来て、僕の年齢は八歳くらいに若返った。袖や裾があまってしまった大きな服はタンスにしまい、今は宿主であるイツキの服を借りている。


 イツキは鼻息をたてながらぐっすりと眠っている。ときおり口をもごもごと動かしながら、寝言を喋っていた。


 痩せ細った身体に、薄汚れた肌。脂ぎった緑色の髪に加えて傷だらけの手足。家はあるのに、まるで捨てられた子どもそのもの。イツキは、大勢の人から嫌われている。


 そんなイツキに誰がこの小屋を用意したのか。


 聞けば、八年前に国を大地震が襲ったそうだ。災害で両親を喪ったイツキは養子にだされたが、そこで問題を起こして家を追い出されたという。しかし、小屋を用意したのは別の者だと言っていた。


 そいつの名はタモンといい、イツキの大好きなおじさんだ。


 かといって、そいつが身の回りを世話しているわけではない。つまり、血縁者ではなく、親切な他人とうことになるわけだが。


 手を打つべくして、そいつのもとへ行こう。ついでに虎雨(こう)という生き物の情報を得られれば一石二鳥だ。


 ところでだ。どうしてイツキは風呂に入っていないのだろうか。言い方は悪いが、とてつもなく臭い。




「起きろ」




 何度か揺すってやると、イツキは閉じていた瞼をゆっくりと開いた。




「ごめんなさい」


「朝起きたらまず、おはようと言うんだ。挨拶の言葉だから覚えておけ。いいな?」


「おは……よう……」


「そうだ。今すぐ風呂に行ってこい。キツすぎる」




 首を傾けたイツキは、僕の言葉を理解できていないようだった。手を引いて風呂場に連れて行っても同様で、頭に手を添えた僕は深いため息を吐いた。




「お前、風呂の入り方を知らないんだな」




 もう驚きもしない。


 一緒に入って、力強くイツキの身体を擦った。初めは泡すらたたず、灰色のぬめりだけが浮きだっていたが、繰り返していくうちに白いふわふわの泡がイツキの全身を覆った。


 その間に溜めておいた浴槽の湯は枠をはみ出して溢れ流れていた。足もとに注意するよう促して浸からせてやると、今よりももっと幼い子どものようにしてはしゃぐ。


 ああ、そうか。こいつは無知に等しいのか。そう勝手に決めつけた。


 湯気が漂う天井を仰ぎながら、独り言のように呟いた。




「どこを捜せばいいのやら……」




 虎雨はまず人間であるのか、あるいは獣なのか。電波が悪い電話のような一方的な会話のなかで、ほとんど聞き取れなかった。


 獣語を話せるという確かな情報だけが僕を動かす原動力となっているが、ここで一つ言っておこう。


 僕は人間が大嫌いだ。


 人間はフィクションには食いつくが、リアルなものを目にすると途端に手の平を返す。普通でない者に向けられる視線は、吐き気のする好奇心と不快感だ。


 仮に、この世界に連れてきた者と虎雨が人間だったら。その時は――。




「死ねばいいか」




 前の世界でやり遂げられなかったことを実行するまでだ。


 こちらに背中を向けながら遊んでいるイツキの体には新しい傷跡がいくつも残っている。なんとなく触ってみた。


 これまでの出来事を思い起こせば簡単に想像できた。かといって、イツキに聞いたところでこいつには伝える手段がなく、知っている言葉数も少ない。


 ところが、思い出すことはできるのか突如として空気が変わった。電球は点灯し、イツキの体からは湯気のようなものが立ち上がる。そして、背中には刺青が浮いて出てきた。




「誰にやられたんだ!?」




 思わず、イツキの腕を強く掴み無理矢理こちらに向かせた。半眼に閉じた目で僕を見るイツキは、なぜだか別人のように思えた。


 ゆっくりと顔を近づけてきて、僕の顔を色んな角度から観察した後、血も凍りそうな冷たい声でこう言った。




「た……すけ……て……」


「その声は……」




 直後、点灯していた電球が割れ、濡れたタイルの上に雨のように降り注いだ。暗闇と化した風呂場では、もたれかかるように音もなくイツキが倒れ込んだ。


 とにかく、急いで風呂からだそうとイツキを抱えた。足の裏にいくつかの破片がめり込み、激痛に顔が歪む。床に血の痕跡をつけながらベッドへと運び、タオルで体を拭いた後、静かに毛布をかけた。




「なんだったんだ? 今のは……」




 声は、森で聞いたあれと同じものだった。

 

 毛布が上下に動いているのを見て、なぜだか胸をなで下ろした。それと同時に別の感情も湧いてくる。

 

 世話になっているし、最低限のことはするつもりでいた。教養がなく無知識のこいつには色々と教えることが山ほどあり、それだけでも時間が勿体ないのに、先ほどの不可解な現象ときた。


 最低限ではすまないとわかり、盛大なため息が漏れる。




「厄介だな……」




 いったいこいつの身になにが起きたというのだろうか。


 しばらくしてイツキが目覚めた。ある約束事をさせて、すぐにタモンのもとへ足を運ぶ。


 人々はイツキを目にするなり小声で話し始めた。無視しているのか、あるいは聞こえていないのか。握られた手は震えていた。イツキは僕の手を引きながら黙々と歩く。


 イツキの心情を他所に盛り上がる大衆。そのなかに、森で死んだ男と同じ服を着ている者たちがいた。一般の人から離れて二人でいる。こちらを眺めている目つきはとても険しい。




「あれからもう八年になるのか。なぜ生かす……。あいつは世界を崩壊させかねん生き物なんだぞ……」


「さあな。王家が考えていることなんて、下級の俺らどころか上級の奴らにもわからんだろうよ。王家は多くを語らん」


「そりゃそうだけどよ……。生まれながらの化け物の近くに派遣しておきながら、なんの説明もないなんて……。あんな大地震、二度とごめんだ……」


「なにも、不平不満があるのは俺らだけじゃねえさ。八年前の生存者の大半がそうだ。重なる実験で、混血者かどうかも判断できず、ましてやあの日以来なにも起きやしねぇ。王家が手出しできないのも頷ける……。体が光ったから犯人だなんて、どう考えても話しがぶっ飛んでるからな」


「どっちの味方なんだよ」


「ありのままを言ったまでだ。敵か味方かだなんて考えたくもねぇ」




 実験――。耳に飛び込んできたその言葉に、思わずイツキの背中を凝視した。

 

 次いで、昨夜聞かされた話しを思い起こす。たしか、混血者についての説明があった。獣と妖の血を引く人間、それが混血者。彼らは容姿を変化させ、爆発的に攻撃力があがるとかなんとか。


 ともかく、そこらの人間と違うとなれば、精神的に隔離された状態ですごしているのだろう。今しがた耳にした会話をもとに考えれば、そうしているのは人間のほうだが。


 やはり、人間は自分のなかにある普通から外れる者を受け入れることは難しいようだ。


 僕の目の前にいる男もそうだろう。


 木の香りで満たされたこの部屋に連れてこられて数十分。胸の奥まで清々しくなるような部屋の空気に包まれながら、男の額にある二つの黒点をジッと見つめる。


 男は僕を上から下まで舐めるように観察し、僕という存在を確かめようとしていた。これがもしそこら辺にいる人間と何も変わらなかったら――。いや、考えるのはやめよう。とにかく、この男は答えを欲しがっていた。




「お前は何者だ……」




 闇のごとく黒い髪を掻きむしり、目を細め、あごに手を当てそう言う。自分と違う存在を認識することは困難であるらしく、考えることを放棄しようとしていた。




「僕に聞くな。自分でもよくわかっていないからな」




 いまだに僕の存在を確かめるこの男――タモンは、僕の背後にいるイツキを見て、また頭を掻きむしっていた。


 しばしタモンは口を閉じていた。


 さて、どうしたものか――。僕の後ろに隠れて俯くイツキを盗み見て、そう思った。もっと詳しく尋ねるべきだったと後悔しているのだ。


 この男は、親切なおじさん、なんていう生易しい存在ではない。机の上に無造作に放り投げられている深い緑色の羽織りには、黒い文字で「玄帝」との文字がある。つまり、タモンは国のトップだ。


 僕の今の態度は喧嘩を売りに来たも同然。


 というのは、タモンが始めにした質問に問題があるからだ。何者かと尋ねてきたその一言は、僕の体質に気づいたことを示していた。


 前の世界で、僕は幽霊だと噂されていたが、髪型や獣語だけが理由ではなかった。細かくいうと、人には感じ取れない、ある体質が備わっているためでもあった。


 それは、気配とニオイだ。僕にはそれが存在しない。人間は何と無しに気づいていたようだが、おそらく本能的なものだろう。気味が悪い程度の大雑把なものだ。しかし、この男は違う。


 今もなお、思索にふけている。間を置いて、ようやく口を開いた。




「イツキ、説明しろ。どこでこんな得体の知れない生き物と知り合ったんだ」




 隠れたままイツキが答える。




「見つけた」




 一瞬、目を見開いたタモンは、顎の前で組んでいる手を強く握り、懐疑の表情をみせた。


 それから、タモンは砕いて聞き始めた。何処で見つけて、いつから北闇にいるのか。住まいの場所や、日頃の行動までも。イツキは、それに対して、ここに向かう前にさせた約束事の通りに説明した。




「夜の公園に倒れていたんだ。俺は家に帰ったけど、お昼に公園に行ったらまだユズキがいて、それで連れて帰った」


「一緒に住んでいるのか?」


「うん」


「世話係にはなんて説明したんだ」




 そこでイツキは黙り込んでしまった。僕自身も、見覚えのない存在に首を傾げる思いだ。




「ここ数日、宿泊させてもらっているが、世話係とは一度も顔を合わせていない。そもそも、あの小屋を用意したのがお前だと聞いたからここに来たんだ。食生活はままならず、ましてや風呂の入り方も知らない。もっとしっかりと身の回りを世話してほしくてな」




 タモンは驚愕していた。きっと、信頼をおける者に任せていたのだろう。見事に裏切られてしまったようだが。




「それと、イツキに関して聞きたいことがある」


「言ってみろ」


「単刀直入に聞くが、化け物とはなんだ」




 途端に表情が変わった。


 タモンが立ち上がると、勢いのよさに椅子が音を立てて倒れる。そして痛いほどの殺気を放った。しかし、口を開かないのはイツキの前では話せないということだろう。




「……先に言っておくが、僕にそれは通用しない。黙らせたいのなら、殺せ」




 すると、今まで隠れていたイツキが急に僕の目の前に飛び出してきた。庇うようにして立っている。




「やだっ! 俺たちは特別なんだ! それにユズキがいなくなったら、また……」




 殴られちゃう――。そう言ったイツキの声は小さいもので。




「誰にも話してなかったのか……」




 タモンにすら暴力のことは黙っていたようだ。


 タモンは特別と言ったナイツキの声を聞き逃さなかった。




「イツキ、特別とはどういう意味だ?」


「化け物……」


「化け物が特別だと!? いいか、イツキ。アレは決して特別なんかではない! そして、その名を二度と口にするな!」




 青筋を立てながら怒鳴ったタモン。イツキはすぐに僕の後ろに隠れた。


 怒りとは裏腹に、僕にはタモンの瞳の奥に恐怖の色がみえた気がした。どうやら、僕が考えている以上に複雑な事情があるらしい。


 しかし、イツキには関係のないことだ。




「どうして俺は国の人から化け物って呼ばれるの? 俺は化け物なの? だから、国のみんなは俺を殺そうとするし、お家に石を投げたりするの?」


「違うっ! あいつは国をっ……」


「なにか隠してる……」


「すまない。話せないんだ」




 そう言って、タモンは静かに目を伏せた。




「――っ、もういい。もう何も聞かない。ユズキが俺のお家にずっといてくれるから……。もう、何もいらない……」


「何を馬鹿なことを!!」




 もうこれ以上話すつもりはないようで、イツキは背中を向けてしまった。




「タモンともう少し話しをするから、お前は外で待ってろ。いいな?」


「うん……」




 扉が閉まる音がする。一息つき、タモンが座り直したのを合図に向き直った。




「上に立つ者とは、難しい立場なのだろうが……。相手はまだ八歳だぞ」




 また目を伏せたタモンは、心憂いそうに言葉を吐いた。




「あいつが悲しむだけだ」


「化け物と呼ばれる理由を知らないイツキは、自分が化け物だと信じ込んでいる。それなのに、頭ごなしに化け物を否定するのは、あいつの存在そのものを否定したも同じだぞ」


「それでも話せないんだ」


「ならば、あいつは死ぬまで化け物だな。でしゃばるつもりはないが、孤独はいずれ人を壊す。早く対策を練らないと取り返しのつかないことになるぞ」




 この件についてはあまり話したくないようだ。とはいえ、僕には関係のないことだし、この世界に来た経緯を誤魔化している。おあいこだ。


 さて、早速本題に入るとしよう。




「僕についてなんだが、いいか?」


「聞かせてもらおう」


「数日も捜されていないところから、どうやら両親に捨てられたらしい。ただ、頭を強く打ったせいか記憶がないんだ。顔も思い出せなければ、なぜ公園にいたのかも思い出せない。でも、一つだけ引っかかる名前があるんだ。それもうろ覚えだが……」


「人の名前か?」


「いや、森だ。ここには、名がつけられている森はあるか?」


「あるにはあるが、知ってどうする」


「行ってみたい。なにか思い出せるかもしれない。僕自身、記憶がないなんて気持ちが悪くて仕方ないんだ」




 真っ赤な嘘だが。




「残念だが、行かせてやるのは許可できん。北闇には迷界の森という森があるが、そこは森の主に加えて妖までいる、いわば死の巣窟だ。精鋭部隊のなかにいる屈強な者でも怪我を負って帰ってくるような場所だ。やめておけ」


「そうか。わかった」


「こちらで調査してみる。それまではイツキの家で世話になるといい」




 礼を言ったものの、タモンの眼は明らかに僕を疑っていた。本当はイツキのそばに置きたくない気持ちが強いのだろうけど、監視するには最適な条件が整っているから折れたのだ。百歩譲ってといったところだろう。


 イツキは化け物と呼ばれている。理由はまだわからないし、初めはイジメかと思っていたが、タモンの態度が決定打となった。あいつは監視されている可能性がある。そこに僕を住まわせるのだ。しかし、それはどうでもいい。


 欲しい情報は手に入った。名のついた森はたしかに存在する。


 僕の顔に浮かんだ微笑は、すでに扉に向けられていた。

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