第二章・22 「王家」
ふと、伝説の昔話を思い出した。
サキを目にするなり片手で前髪を掻き上げたタモン様の額には、唯一の女帝、オウスイの妹とされるトアの額にある黒点と同じものがあった。
眉の上に一つずつ、計二個の黒点。鬼の角の名残と呼ばれるものだ。年齢は三十半ばくらいだろう。
重度と遭遇してパニックになった俺たちと違って、厳かな態度を崩さず堂々としている。
そんなタモン様の傍らに、例の花が生けてある花瓶は置かれていた。ピンク色の花に黒い茎。目にしたことのない珍しい花で、それの効能は記憶の改ざん。
俺の腕から下りるなりサキが花を手に取った。
「もしや、ナオトと犬っころの用とはこの花のことか?」
振り向いたサキは、その質問を俺に投げかけてた。
「ああ。知ってるのか?」
「もちろんじゃ。この花は、北闇と東昇の間にある小国、光影の国にのみ咲く毒花。名をボウキャク花という。記憶を封じる鱗粉を撒き散らすだけでなく、枯れることのない危険な毒花じゃ。花の管理は光影に一任されていて、誰の手にも渡らぬよう、小国周辺では燃やして常に煙を炊き、花の存在を忘れるようされておる。そうして守っておるのじゃが、どうしてここに……」
危なかった。俺とレンはボウキャク花を燃やす気でいた。
「じゃあ、この花はどうやって処理するんだ?」
「こうするのじゃ」
手の平に花をのせたサキは、それを凍らして散りに変えてしまった。すると、今まで黙って話を聞いていたタモン様の堂々たる姿勢が崩れた。両手がだらりと力をなくし、上半身が机に向かって前のめりに倒れる。
なんとか片手を机の上に乗せて、力強く拳を握る。急に記憶が戻って痛みに耐えているのだろうか。握られた拳はギリギリと音を鳴らしていた。
近づこうとしたレンをサキが止めた。
「待つのじゃ。今話しかければ記憶に余計なものが混ざる」
しばらくして、大量の汗を流したタモン様が顔を上げた。先程と同じように前髪を掻き上げたが、手に力はないようにみえる。
サキを捉えたタモン様は振り絞るようにして声を出した。
「俺になにをした」
「忘れていたものが戻ってきただろう? 礼はいらん」
「…………どうなってやがる。なぜ俺は子どもの命令に従ったんだ」
まだ混乱しているタモン様に、サキがボウキャク花について説明した。それから怒りのこもった瞳を向けられたのは俺だ。きっとヒロトとのやり取りを思い出したためだろう。
俺よりも小さなサキが、まるで庇うかのように前に立った。あからさまに舌打ちをしたタモン様は深く座り直して大きく息を吐き出す。
「んで、なにから片付けていこうか。聞きたいことは山ほどあるんだが」
「簡潔にいこう。オイラの名はサキ。重度だ。主であるユズキの命のもとここに参った。言付けを預かっておる」
「あのクソガキ、生きてやがったのか。あいつはなんだって?」
「……十一年前の大地震。アレの犠牲となった子らを解放する手段を得た。よって、今日から二年後、北闇にて上級試験を開催させろ。参加には必ず三人を揃えろ、とのことだ」
タモン様の眉間にいくつものシワがよった。サキを不審に思い、言葉に疑問を抱いているのが一目瞭然である。かくして、俺も同じ思いだった。
その思いは、胸の奥底から湧いて出てくるようにして口から漏れた。
「なあ、サキ。ユズキって何者なんだ?」
国帝の言葉を借りるわけではないけれど、もうどれから手をつけていいかわからなくなってしまった。聞きたいことがそびえ立つ山のように積み重なって、辿り着いた疑問はこの一言に尽きる。
そうだ。そもそもユズキは、なんだ?
「どうしてタモン様は平然としていられるんですか? 俺にはどうしたらいいか……。俺はいったいなにに巻き込まれてるんですか? ずっと答えを探してきたのに、手掛かりを得たどころか、さらに謎が深まるばかりで……」
なんだろう、すごく苦しくて、胸が熱くなる。
ふと、カナデの声が聞こえてきた気がした。隠し事は長引くほど重みになると、洞窟で反響した声のようにして、頭の中で響いていた。
「俺に質問しているのか、そこの生き物に質問しているのか、どっちだ?」
「わかりません」
「……ったく、呆れる」
どこから話せばいい? 誰なら答えてくれる? むず痒くて気持ちの悪いものが全身を這っているようだ。
「走流野ナオト、お前の話は後で聞こう。それよりも先にボウキャク花だ。なんでこんなものが北闇に持ち込まれて、ヒロトの手に渡ったんだ。厳重に管理されているはずじゃないのか?」
サキが答える。
「誰かが持ち去った可能性も考えられるが、しかしそれは不可能に近い。内通者がいるとみたほうがいいじゃろう」
「一理あるな……。ヒロトは北闇に恨みでも?」
慌てて首を横に振った。ヒロトが書いたものだと一言そえて日記を渡す。汚い字だと文句を言いながらもタモン様は最後まで目を通していた。
そして、日記を閉じて、レンに青島隊長と赤坂隊長を呼んでくるように言った。俺たちにこれ以上の勝手な行動はさせまいとしているみたいだ。
渋々、レンが動いた。
扉が閉まって、タモン様が続ける。
「…………最悪だな」
「なにが書かれていたのじゃ?」
「ヘタロウが消えた理由と、その他もろもろだ。赤い面、これは恐らく南光の精鋭部隊のものだ。ボウキャク花に王家が絡んでやがる……」
「妙な名じゃのう。ヘタロウとはナオトの身内のようじゃが、何者じゃ」
「走流野ヘタロウは、前・精鋭部隊総司令官だ。しかし突然消えた。セメルは旅に出たと言っていたが、そういうことか……」
俺を見て、もう隠す必要もないと、そう言ったタモン様に、俺は今どんな顔をしているのだろうか。それを無視してタモン様は言葉を繋げた。
「サキといったな? ユズキはなぜこのタイミングで上級試験の話しを持ち出した」
「全ては王家と距離をおくためじゃ。あやつらは十一年前の犠牲となった子らを始末する気でいる。しかしそうはさせまい」
「お前にならあの子たちを救えると?」
「やるのはユズキじゃ。オイラは二年後の下準備のためにやって来たまでじゃ」
背もたれに持たれてふぅっと息を吐いたタモン様は、それから顎の前で両手を組み、獲物を前にした猛獣のような目つきでサキを捉えた。
「そのユズキなんだがな。あいつは賢い女だ。なんの確証もなく、こんな突拍子もない案を持ち込むとは思えない。だが……」
信じるには値しない。タモン様はそうはっきりと言い放った。俺にはどういう意味か理解できないが、サキには想定内であったらしい。動じることもなく、言葉を聞き入れた。
「ユズキからは、お主が王家を心底憎んでいると聞かされておる。しかし、従順であるとものう」
「だからどうした」
「ユズキとて同じじゃ。立場を理解した上で、国帝を信じてはおらん。だがこれだと話しが一向に進まぬゆえ、ある情報を持ってきた。膨大な量の歴史も踏まえてのう」
「ほう……。では、ナオトには席を外してもらおうか」
サキが首を横に振る。
「ならん。この歴史はナオトにも関係があるのじゃ。だからここまで案内させた」
「……子どもだぞ」
「ただの子だと思うな。お主よりも価値のある子じゃ」
しばらく睨み合いが続いた。はけ口のない耐えがたい圧迫した空気が執務室を漂う。先に折れたのはタモン様だった。
「ヒロトの日記に王家を臭わせる一文があった。聞く価値はある、か。……話せ」
「よかろう」
手始めに、サキ自身の話しから始まった。洋館のような造りをした、王家が住むあの城の地下牢に長年に渡って閉じ込められていたらしい。灯り一つないその場所では様々な会話が繰り広げられていたそうだ。
つまり、情報源は、信憑性のない一般人の噂話などではなく王家の人間からということになる。
それから、重度について詳しく教えてくれた。
とても信じ難い話ではあったが、彼らは前世の記憶をほとんど引き継いだ状態で生まれてくるそうだ。記憶で人格が決まってしまうほどに影響力は凄まじく、彼らはそうして生き抜く術を学んでいるらしい。
だから今まで発見されなかったのだ。
これらを踏まえて、サキの情報は十一年前に遡り、大地震直前のことから始まった。
「王家は重度の者と繋がりを持つようになった。おそらくユキの先代からじゃろう。先代はある生き物の存在を疎ましく思っていた。大陸を支配する「神」の称号を与えられた生き物じゃ。彼らは長い間眠りについておったが、ある日を堺に姿を消した」
それが十一年前の大地震だ。聞くまでもなく、神の称号を与えられた生き物とは、土地神・ジンキのことだろう。
「天高く光が昇ったときじゃ。先代の手により赤子の身に封じられた」
「それには理由があるのか?」
「ただの時間稼ぎじゃ。いつでも始末できる。王家にとってはまたとない絶好の機会であった。お主も耳にしたことはあるだろう? 三十年前、皇帝オウガの弟、エイガが行方知らずになった事件と謎の四体の生き物。戦争を起こすまでに、エイガと四体の接触をオウガは恐れていた」
「なるほど……。確かに王家にとっては逃したくない機会だ。つまりは、目的が同じだったわけだな?」
「そうじゃ。重度の証言によって四体の生き物の存在は明らかとなり、王家は彼らと手を組んだ」
「事は済んだだろう。それなのになぜ今になってあの子たちを始末すると?」
サキが俺を見る。
「どこで情報を手に入れたのかわからぬが、名はイツキだったかのう? あの子とナオトが親密な仲であると知ったようじゃ」
「同班ではあるが……。それと十一年前になんの繋がりがあるというんだ」
ふと、試験帰りに濃霧の被害に遭ったことを思い出した。ハンターと獣が現れ、俺は胸に重症の傷を負ったが、あの時はそれに加えて不可解な出来事が起こった。イツキの変化だ。
そして、俺はヤツの名を口にした。行け、ジンキ――と。
「イツキじゃなくて、俺とジンキの繋がりが問題なんだろ?」
サキが目を見開く。
「まさかすでに知っておったとは……」
タモン様が二回目の舌打ちをした。
「ジンキ、か……。ユズキとこいつの戯言であればいいものを……。姿は見たのか?」
「いいえ。ただ、目が赤く光って声も違っていました……。それと、俺はあの声を知っているような気がします」
あの時、たしかに懐かしいと、そう感じた。
「ナオトの言う通り、王家とユキは、こやつとジンキの繋がりを断ち切りたいのじゃ」
「ヒロトの日記にもあったが、なぜ走流野家にここまでこだわる。人間離れしてるってだけだぞ」
「これには重度が記憶を持って生まれてくることが関係している。今からは歴史の話しになるが、北闇で上級試験を開くことに意味があると、お主も納得するはずじゃ」
タモン様にそう言って、サキはまた俺を見て、ふんわりと微笑んだ。




