第二章・21 「過ち」
初めて日記をつけたのはどれくらい幼い頃なのだろうか。崩れたひらがなで書かれた文章は、レンから聞いた話しも含めて、様々なことが書き記されていた。
最初の内容は夢についてだ。
俺の前の世界を、ふわふわと浮く身体で動き回り、導かれるように俺の元に辿り着いた。相手には自分の姿が見えていないそうで、夢から目覚める度に自分が生きていることを確認していた。
そういえば、ヒロトはこう話していた。眠れない事の方が多くて、よくじいちゃんが昔話を聞かせてくれた、と。
「そっか、怖かったんだな……」
それからまたページを何枚かめくって、シワのあるくしゃくしゃの所で手は止まった。これは涙の跡だ。「ごめんね」と繰り返し書かれ、その後の内容に絶句した。
【おじさんから花をもらった。ピンク色の綺麗な花。おじさんはいつも同じ場所にいて、会う度に花をくれた。幸せになれる花で、誰にも見つからない場所に隠しておかないと幸せは逃げていくんだって。だから、おじさんをお家にいれて花を隠してもらった。お手伝いで知らない女の子も来た】
慌てて次のページをめくる。
【帰るときに、おじさんが忘れろって言った。それは覚えている。だけど、二人の顔と花を隠した場所が思い出せない】
【ナオトが眠ってるときに、赤いお面をつけた怖い人たちと花をくれたおじさんがやって来た。みんなを殺すって言って、じいちゃんは困った顔をしていた。任務から帰ってきた父ちゃんがじいちゃんを守ろうとした。でも、おじさんが父ちゃんの顔に花を押しつけて、また忘れろって言った。ナオトが来た。ナオトも同じことをされた。念のためだって言って、じいちゃんを連れて行くのをやめてくれた】
【大人に助けてって言った。でも、俺は呪われてるから、誰も話を聞いてくれなかった。誰か助けて】
【ナオトがいつも悲しそうな顔をしてる。下を向いてみんなの顔を見ないようにしてる。いつも謝ってくる。次からはもっと俺の背中だけが見えるようにする。俺が強くなる】
しばらく日記をつけなかったのか、字が綺麗になった。
【花のせいで、親父が母さんのことを忘れた。なにを聞いてもはぐらかされる。全部俺のせいだ】
【最近ようやく夢の意味がわかった。俺は大昔の誰かの生まれ変わりで、ガキ一人守れずに死んだらしい。それともう一つ、あの賑やかな場所はナオトの世界だとわかった。ビビってる感じが全く同じだ。俺にはわかる】
【混血者と喧嘩した。ナオトを馬鹿にするから許せなかった。今日じいちゃんと一緒に謝りに行く】
【人を殺して、国帝を脅した。最低だ。でも、ナオトは俺が守る。大人は信用できない】
【あいつらがまた来たようだ。タイミングが悪い。俺が外で奴らを追い払ってる時に、じいちゃんと親父に接触したらしい。家の中に争った痕跡があった。散らばる花の中心で親父が倒れていた。じいちゃんが誘拐された。ナオトは無事だった。安心した。念のために花は残しておこう】
【今日は訓練校入学前に集会がある。人間だけが集まるらしい。そんな場所にナオトを連れて行けない。親父には熱が出てるって嘘をついた】
【帰ってきた。家に居させて正解だった。出産の時にナオトが腹にいなかったことを知った。だから呪われてるだなんて噂されているらしい。親父の顔を見る限りでは真実のようだ。でも親父は俺とナオトにそのことを話していないし、周りの大人もそこまでは口にしていなかった。噂でも耳にしていない】
「じゃあ、なんでナオトは俺に謝るんだろう……。そうか、あいつは生まれた時のことを覚えているんだな。念には念を、ナオトを傷つけないために、親父に集会のことを忘れるように言った。やっぱり家のどこかに花はあるようだ。親父は忘れてくれた……」
ここでいったん日記が終わり、次のページには言霊についてヒロトなりの分析した結果が書き記されていた。
言霊にはいくつか能力があり、ヒロトは四つ発見したそうだ。
父さんの言霊は治癒。ヒロトは記憶操作。じいちゃんは殺傷能力。もう一つは肉体硬化。言霊の能力で、脳細胞の活性化もできるとある。
父さんが任務で大怪我をしなかったのは言霊のおかげで、俺はじいちゃんと同じ能力であることがわかる。では、肉体硬化とはいったい誰のことなのだろうか。
父さんは走流野家の歴史は浅いと言っていた。ヒロトが精鋭部隊にいたのなら、その中の誰かとも考えられるが、わからない。
それと、記憶操作には限界があるらしく、一日たつと全てを思い出してしまうそうだ。そのため執務室に毎夜通い、タモン様の記憶に細工していたらしい。そこでヒロトが残しておいた花の出番だ。
不思議なことに枯れないらしく、「おじさん」と記されている男と同じ方法を使い、その花を執務室の机に花瓶に生けて置いてあるみたいだ。
次のページを読む。ここからはまた日記だ。
【あいつら、花を何処に隠したんだ? ダメだ、母さんの顔が思い出せない。親父と同じ症状がでている】
【ナオトも入学した。そのほうが安心だ】
【ユズキが精鋭部隊の中で話題の中心人物になっている。いわれてみれば、あいつのことをよく知らない】
【ユズキが転校してきた。接触してみる】
【なんであいつの出生記録がないんだ? 北闇じゃないところで生まれたってことなのか? 孤児らしいけど、育ての親は? なんでイツキと一緒に暮らしてるんだ? どうしてタモン様に睨まれてるんだよ。要注意人物だ】
【ユズキとナオトが親しくなった。最悪だ】
【卒業試験前に親父が言霊のことを話した。ナオトが知ってしまった】
【久しぶりに能力を使った。上官に青島ゲンイチロウ、班員にはナオトと親しい奴をおくようタモン様の記憶を操作した】
【混血者の護衛のため、試験はペースを合わせることになった。東昇の奴のせいだ。でも班のこともある。これくらい、やってやる】
【簡単な任務だけ請け負うよう操作してたのに、緊急招集がかかった。ハンターの討伐予定が狂い、でかい大猿と接触、戦闘。ナオトの自己暗示能力は確実に成長していた。ナオトが入院する】
【初の遠征。目的地は孤島。そこでナオトが言霊を開花させた。ナオトも人を殺した】
【ユズキが国を出た。追跡すると、真っ黒なバカでかい狼に邪魔をされた。ユズキと同じ黄金の目をしていて、我の娘に近寄るなと唸られた。狼が人間の言葉を喋った。謎ばかりが残った。ジンキって誰だ? ユマも知らないらしい】
【ナオトが死んだ。俺のせいだ。親父の目が、そう言ってるような気がする。今日は葬儀だ。俺も死にたい。ナオトはまた転生するのかな】
【生き返った。理由はどうだっていい。ここにいる。それだけでいい。もう絶対に前には行かせない】
【最近、ダイチがよく話しかけてくる。ナオトのことを聞かれる。良い傾向だ】
【初めてナオトに睨まれた。なんで先にノルマを達成したんだ。俺はバカだ】
【レンに釘を刺された。俺を心配してくれているのはわかる。事情を知る唯一の存在だ。だけどあいつはナオトが嫌いだ。口を出すな】
【上級試験が終わった。湖に飛び込んできた受験生が邪魔してナオトのそばにいけなかった。レンとデスのおかげで無事だったけど、今度は帰還途中で濃霧が発生。ハンターと獣に襲われた。ケンタが助けを呼んでくれたおかげで死人は少なかった。イツキの様子がおかしかった。とりあえず殴って気絶させた】
【ルイさん、あの人のことが頭から離れない。俺の能力は記憶操作だ。親父やタモン様も苦しんでいるのかな。俺がやってきたことは間違っているんじゃないかって思えてきた】
【最近、妙な噂が広まっている。人間じゃないなにかが壁周辺を彷徨いているらしい。噂の根っこは確かめるべきだけど、ナオトが心配だ。早く仲直りがしたい】
【緊急招集がかかった。ナオトは今、俺の戦闘服に着替えている。噂のせいで嫌な予感がする。だから、今のうちに書いておく】
タモン様の机にある花と、家のどこにかにある大量の花を燃やすこと。この方法が上手くいくかはわからないとあるが、成功すれば色んなことを思い出すはずだ。
それから、最後に脳細胞の活性化についてこう書き記されていた。
【集落から出たあと、じいちゃんが詳しく教えてくれた。俺の顔はナオト似ていなくて、二卵性双生児ってやつらしい。どうやら無意識に能力を使っていたらしく、脳細胞の活性化だと言っていた。二十時間で消えるそうだ。俺は眠っている間に力を解いていた。だから親父もじいちゃんも気づかなかった。俺自身も。じいちゃんによると、この能力を使える人間はごく僅かだそうだ。親父が同じ目をした人間を見つけられなかったのはこのせいなのかもしれない】
そこから先のページにはなにも書かれていなかった。
不安、緊張、ストレス、どれが当てはまるのかわからないけれど、激しい動悸に襲われる。いてもたってもいられなくなり、走ってレンの家に向かった。
大刀華の表札を見つけ、力いっぱい引き戸を叩いた。
「ど、どうしたの?」
荒々しい呼吸に、出てきたレンが驚く。読んでもらった方が早いと思い、日記を胸に押しつけた。
しばらく、整っていない俺の呼吸だけが音をしていた。その隣でレンが日記に目を通し、読み終えたのか大きく息を吐き出す。
「ブラコンにもほどがあるよね。んで、花ってどこにあるの?」
「さあな。屋根裏にはなかった。壁の中とか?」
「さすがにそれは気づかれるから、ないんじゃないかな。それよりも先に執務室に行かなきゃいけないね。タモン様を正気に戻させなきゃ」
「別に狂ってるってわけじゃないだろ」
「そうかな? 本人が全て思い出したら、そう感じると思うけど。とにかく行こう。止められても無視して。説明したって信じてくれないだろうから」
そう言って、レンは右肩の布を外して引っ掻いた。
「こっちじゃないと、ナオトの足に追いつけないだろうしね」
急いで行こうってことだろう。両足に自己暗示をかけて本部を目指した。行き交う人の間をすり抜け、道のど真ん中で楽しそうに会話を繰り広げる主婦の群れを飛び越える。やがて本部に繋がる長い石階段が見えてきた。
速度を落として、曲がろうとした、その時。
「っと?!」
階段に子どもが座っていて、急に足を止めた俺のせいでレンが派手に転ける。だが、身を案じる時間すら与えてくれない生き物が、そこには座っていた。
半獣化を解いたレンが、俺の身体を自身の後ろへ引っ張った。
子どもと同じ大きさの生き物が喋る。
「探す手間が省けたようじゃ。走流野ナオトよ、タモンの元に案内せい」
代わって、レンが言葉を返す。
「なんでナオトの名前を知ってるの? っていうか……、重度に二度も会うなんて……」
そう、階段に座っていたのは重度だったのだ。どうやってここまで侵入してきたのだろうか。
敵意は全くないらしく、しかも余裕すら見せている生き物は、両足を交互にぶらぶらとさせながらこちらを見ていた。
腰まである桃色の髪の毛に、ユキを思い出させる猫に似た顔。しかし、休むことなく動かし続けている両足は、カナデが半妖化した時に肌に浮かばせる蛇のような鱗が模様を描いている。
まるで二体の生き物が合体した、そんな生き物だ。
「重度とは失礼な犬じゃのう。主に与えられた大切な名があるのじゃ。オイラの名はサキ。そう呼べ」
「主、ね。いったい誰のことかな? ユキってちびっ子? それともタマオとかいうやつ?」
レンの問いかけに、サキの表情がとたんに変わった。顔を少しだけ地面に向けたかと思いきや、大きな瞳で上向きに睨まれる。
「やつらの名を口にするでない。普段は優しいオイラでも、……殺すぞ」
本気だった。ぞくりとした寒気を感じる。
サキが言葉を繋げる。
「まあよい、悪気はないとわかっておるからの」
「……主の名前を教えてくれたら、タモン様のところまで案内してあげる。俺とナオトも用があるから」
「いいじゃろう。ユズキじゃ」
咄嗟に子どもを抱き上げた。軽いその身体は力を込めずと持ち上がり、目と目が合う。
「行こう」
「ナオト、本気で言ってるの!?」
数日前にヒロトが殺されたばかりなのだから、レンが警戒するのもわかる。しかし、あの殺気は本物だ。
「ユズキを知っている。タモン様なら食いつくはずだ」
素性を探っていたレンになら伝わるだろう。
「ふむ、どっかの犬と違って話しがわかる奴じゃ。急げ。人目に付く」
抱えたまま、階段を駆け上った。レンの言う通り、本部に入るとすれ違う闇影隊が何度も行く手を拒んできた。真っ直ぐに執務室を目指しているのが丸わかりで、誰もが全力で止めにくる。
レンの働きのおかげで、目の前に執務室を捉えた。ドアを開けると、書類に目を通すタモン様の姿があった。
扉を閉めて、内側から鍵をかける。
「……騒がしい。なんの用だ」
顔を上げたタモン様は、重度を見ても平然としていた。




