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蝕喰(しょくばみ)  作者: 犬丸
第二章
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第二章・19 「また、いつか、どこかで」

 音を立てないように背後に回り、片足に自己暗示をかける。地面についたつま先はみるみるうちに食い込み、粉塵を散らしながら、猛烈なスタートダッシュをきめた。


 単純な攻撃だ。右手にも自己暗示をかけ、石の塊のように硬いものを作る。指と指がこすれ合って歯軋りにも似た雑音が鳴る。そしてそれはタマオの横頬めがけて放たれた。


 見えていないはずなのに拳は、ヒュッ、っと空気を切り裂いた。上体を僅か後ろに倒したタマオは無傷であった。その隙にヒロトが突如として姿を現した。開かれた手はタマオのフードをしっかりと掴む。




「ほお……」




 感心したかのような吐息混じりの声がタマオから漏れた。フードがめくれ落ち、タマオの全身が露わになる。




「私の顔を見た人間はあなたで三人目だ。腹立たしいことに、その者たち全員が走流野家。あなたと、母親と、そして祖父」




 背後にいる俺には顔を確認できないが、祖父と聞こえて、そんなことはどうでもよくなった。




「じいちゃんも……殺したのか?」




 吐き気すら覚える不安と怒り。二つが混ざり合って、問うた声は情けなくも震えていた。




「さあ……。自身で確かめてごらんなさい。それはともかく、情報に誤りがあるようですね」




 組んでいた片方の手を顎に添えたタマオは、ようやくこちらに振り返った。


 彼もまた重度であった。


 口元は白く、その上部から目の周りにかけて黒い。明瞭に対比している。たとえるならイタチのような生き物だろう。


 こめかみに向かってつり上がる細い目が真っ直ぐに俺を捉え、尻に繋がる大きな尾を自身の顔に近づけて、毛繕いのように撫で回す。




「私に触れられるのは、奇跡が起きたとして、兄であるヒロトの方だと予想していたのですが……。まさか、臆病者だと噂される弟のナオトに先手を取られるとは」




 頬には一本の血筋があった。




「しかし、私にとっては無力な子どもと戯れているも同じですね」




 両手に勢いをつけておろしたタマオの手から、太く、先が針のように光った爪がでてきた。それと同時にどこからか複数の声が風に乗って聞こえてくる。




「……時間がありませんね。八年前の目的を果たすとしましょう」




 あと少し、もう少しで増援が駆けつけてくる。俺のそばに移動してきたヒロトと一緒に、タマオを攻撃しながらあらゆる物を殴り飛ばした。こちらの意図がわかったのか、タマオが小さく舌打ちをする。




「こざかしい真似を……」




 絶対にヒロトを殺させやしない。その思いは原動力となり、僅少ながら勇気を与えてくれた。そのおかげあってか、駆けつけた精鋭部隊が俺たちとタマオの間に壁を作る。


 精鋭部隊の一人は総司令官と似た般若の面をつけていた。身体は総司令官と比べてとても低く、違う人物である事がわかる。


 部隊の一人が話しかけた。




「総隊長、あの子どもの言う通りでしたね」




 総隊長が頷き、言葉を返す。




「まさか重度が存在したとはな」


「厄介な相手ですな」


「構うものか。全員、二人を命懸けで死守しろ!!」


「御意!!」




 迅速かつ無駄のない動きに、ユキがタマオの元に戻って来た。精鋭部隊との交戦は避けたいのか、一度引き返すことを提案している。タマオはそれを受け流した。




「僕の命令に逆らうのか?」


「今回ばかりはやむを得ません。みすみす獲物を逃すような失態は繰り返したくありませんので」




 そう言って、総隊長に向く。




「あなたからはイヤなニオイがする。できればこれを最後に二度と会いたくないですね」




 言いながら口の端を上げてタマオが笑った。




「ならば、引き返せ」




 総隊長が言ったのと同時に青島隊長たちが合流した。黄瀬隊長に支えられたケンタと、赤坂隊長の腕の中で眠るフウカの姿もある。数が増え、さすがのタマオも少しずつ後退し始めた。


 安堵の息を漏らした。共に逃げてくれた二人の安否も確認できたし、なによりも心強い味方が俺とヒロトを囲ってくれている。


 深く息を吸い、芽生えたばかりであろう小さな雑草を足もとに見て、そしてもう一度息を漏らした。




「気を抜くとは、やはりまだ子どもだ。その命、もらいましたよ」




 負け犬の遠吠えだ。これだけの人数を前にして、なにを流暢(りゅうちょう)に言っているのだろうか。


 しかし、妙だ。あまりにも静かで、人っ子一人いないような空気に顔を上げる。


 みんなが同じ方向を見ていた。呆然とした表情で、その中の数人は後退りして、ユマやカナデは口元を手で覆っているではないか。


 みんなの視線を追った。




「……え?」




 無意識に零れでた、たった一言。そこから一気に腹や胸、脳や喉が様々な言葉で溢れかえる。ぐるんぐるんと、まるで誰かに身体を振り回されている気分に陥った。


 俺は膝をついた。


 言葉の代わりに目から、視界が霞んでしまうくらいに涙がこぼれ落ちる。


 タマオの片腕が、ヒロトの胸を貫き、背中から見えている血だらけのその手中には、まだ脈を打っている心臓が握られていた。


 理解するのに時間はかからなかった。




「あ……、あぁあああああああ!!!!!!」




 月が優しく周囲を照らしているなかで、俺は絶叫した。


 タマオが高らかに声を張り上げて笑った。




「遅い……、遅すぎる!! なんて鈍間な集団だ!! 誰も私のスピードについてこれないとは……」


「お前が殺したいのは俺のはずだろ!!」




 ヒロトである俺を狙っていたはずなのに。


 ゴミを投げ捨てるかのように、タマオは腕に突き刺さっているヒロトをこちら側に放り投げる。それを見て勝手に身体が動いた。


 ヒロトは自己暗示をかけていた。身体中の皮膚が赤く染まり、必死に意識を繋ぎ止めている。




「誰がいつヒロトを狙っていると言ったのか……。思い込みもほどほどにしなさい。さて、ユキ様、引き返しましょう。アレが向かっているようです。接触は避けなければ」


「そのようだ。……お前たちに次に会うのは戦争の時だろう。それまで哀れに生きるがいい」




 二人がこの場を去っても、先程のような安堵を感じることはできなかった。嗚咽を上げながらただ泣くことしかできず、ヒロトの頭を膝において意味もなく抱きしめる。


 ヒロトも力を振り絞って俺の頭に手を添えた。




「ごめんな……」


「なにがっ……」


「……また……悲しい思いをさせちまったな」




 眉を下げながら、兄は優しく笑った。そして言葉を繋ぐ。




「全部……知ってる。過去も、生まれた時も、何度も何度も夢に見て……。それが夢じゃねぇってわかった……。呪われた兄弟ってクソみてえな言葉が意味することも、俺がやらなきゃならねえことも、頭ではわかっていたはずなのに……」


「過去ってなんだよ……。さっきからなに言ってんだよ!!」


「鉄の塊みてぇのが灰色に染まった道を走ってて、見たこともない色んな光が町を照らしてる。そんな場所を夕暮れがオレンジ色に染め上げて……」




 一人の男の子が、ときおり伝う汗を拭いながらどこかに向かって走っていた。


 ただいま――。元気な声で、まだドアも開けてないのに、そいつは言った。開くと、奥の部屋から女が顔を覗かせた。


 お帰り、手を洗っておいで――。女は母親だった。


 男の子はそれを無視してテレビが置いてある部屋に入った。そこには新聞を広げながら椅子に座る男がいた。


 また母さんに怒られるぞ――? 男は父親だった。


 男の子はそれをも無視して父親の股の間に腰掛けた。


 やって来た母親が無理矢理に手を引いて、だだをこねる男の子の言葉に「はいはい」と適当に答えながら、洗い場へと連れて行く。


 男の子は、眩しい笑顔で、最後まで文句を口にしながら手を洗っていた。




「もっと……見た。そうだ、祭りだ。あんなに楽しそうな祭りは見たことも聞いたこともねえ」




 ヒロトの顔に大粒の涙がいくつも落ちた。


 ヒロトが話してくれたのは、前の世界での俺の日常だったのだ。




「幸せそうだった……。それなのに、死んじまったんだな……」


「うんっ……」


「一人で……暗い部屋で……よく頑張ったな……」


「うんっ……」


「ごめんな、また同じ思いをさせて……」




 なにを言いたかったのか、でかけた声が寸の所で止まり、俺の喉がクッ、と変な音をだした。


 伝えたいことや聞きたいことがたくさんあるはずなのに、ヒロトの赤い身体は無情にも時間がないことを知らせた。


 排水溝を上手く流れることができずに小さな穴から溢れ出る、そんな水のような血がヒロトの口から流れ出す。




「日記……を探せ。全部書いてあるから……。俺がやって来た行いを正してくれ……」


「――っ、一緒に読めばいいだろ!! 勝手に死ぬ気になるなよ!! やめてくれよ、ヤだよ……」


「大丈夫だから……。俺は兄貴だ。また……守るために……生まれてくる。あの時のような失態もうそうだけど、今回のようなミスも犯さない……。だから……、そこには行くなよ……。戻ってこいって言ったら、戻ってこい。もう取り戻せないってのは取り消すわ……」




 意識が朦朧とし始めたのか、ヒロトは支離滅裂なことを言い始めた。フッフッ、と息を吐き出して、最後の力を振り絞って、俺の名を呼んだ。




「ナオト」




 また、いつか、どこかで会おう――。




「約束だ」




 俺の頭に添えられていた手が、地面に落ちた。


 すると、身の毛もよだつ冷気が身を包み込んだ。振り向くと、そこには死神が立っていた。




「間に合わなかったか……」




 片膝をついて俺の隣に座り、ヒロトの口周りを自身の赤い服で拭う。




「死神……」


「名はキトだ。覚えておけ」


「どうしてここに?」


「救うつもりだった。……次は北闇の本部を訪ねる。それまで話しは後だ」




 冷気だけを残して、キトは去った。


 青島隊長がヒロトを抱き上げた。俺はレンに支えられて、誰も言葉を発することなく正門を目指す。


 正門を潜り、ヒロトを目の辺りにした、俺たちを罵っていた彼らは、顔を真っ青にしていた。


 次の日の朝――。




「ナオト!!!!」




 玄関の引き戸を乱暴に開けて、ブーツを履いたままの父さんが居間にやって来た。


 放心状態で座り込む俺を見て、暖かい身体で、汗臭い戦闘服で、抱きしめられた。


 目の周りが火傷したみたいにヒリヒリして、その上をまた涙が流れた。泣いて、泣いて、ようやく落ち着きを取り戻した頃。報告で知っているかもしれないけれど、父さんに話した。


 タマオの部下が母さんを殺し、旅に出たじいちゃんの生死も定かではないこと。あの二人の仲間である「彼女」という存在、そいつが情報を与えていたこと。ヒロトではなく、俺を殺しにやって来たこと。そして、覇王の後継者という言葉。


 父さんは首を傾げた。




「母さんが死んだ? それはあり得ない。それに、じいちゃんが旅に出たって、いったいなんの話しをしているんだ?」


「え? 父さんが言ったんだよ!」


「そんな話をした覚えはないぞ。夢でも見たんじゃないのか?」


「それじゃあ、母さんは?!」


「母さんって、いったい誰のことを言っているんだ……」




 真剣で、本気で心配しているかのような目に、俺は息をのんだ。




「父さん、どうしちゃったんだよ……。母さんはヒロトと同じ金髪の人なんだろ? ヒロトが誘拐された時は助けに行ったって、そんな話しもしてたじゃん……」




 目を見開いた父さんは、混乱した様子で居間をうろうろと歩き始めた。しばらくそうして、ふと立ち止まる。




「そうだ。そうだよな……。どうして思い出せないんだ?」




 父さんの顔色は白く、見えやしない幽霊に怯えている過去の俺みたいな、そんな表情を浮かべていた。

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