第二章・18 「伝説の生き物」
フードの二人組から放たれる異常なまでの殺気。
俺には、それが誰に対してのものなのか見当も付かなかった。なぜなら、二人の目的が俺たちだとしても、こちらから仕掛けたことは一度たりともないからだ。
過去になにか遭って走流野家を恨んでいるのだろうか。だとしたら、恨みを買ったのはいったい誰なんだ?
「(…………母さん?)」
走流野家の歴史は浅いと父さんが言っていた。ならば、理由は限られてくるだろう。仮にそれが、ヒロトの誘拐に関係しているのなら――。
「さてと」
そう言って、ユキが話す。
「北闇の猛犬、三ツ葉一族を筆頭に他含めた配下ども。一人足りないようだが、死んだのかな?」
問いに、ソウジが自身の右肩の白い布を取った。そして強く引っ掻き半獣化する。グルグルと喉の奥を鳴らしながら、ユキに向かって走った。
「貴様っ!!」
「誰が動いていいと許可した。愚犬め」
あっという間の出来事だった。全てを目視するまでもなくソウジが吹き飛ばされる。地面に何度も身体を打ち付けながら、背後に回ったユマに受け止められた。
「ソウジ君!!」
カナデが駆け寄り、半妖化した。
「速い……」
赤坂隊長が洩らした、その時。目の前にいたはずの青島隊長と赤坂隊長が消えてしまった。気がつけばタマオが立っていて、どうしてか俺とヒロトの後ろで砂煙があがる。
いやな汗が、全身の毛穴という毛穴から滲み出てきた。
「君たちは動かないでくれますか? 余計な死人をだしたくはないでしょう?」
逃げることも立ち向かうこともできずにそこに立ち尽くしていた。フードで顔が見えずとも、目が逸らせない。
頭のどこかでダイチの死を思い起こしていた。青島隊長や他のみんなが死んだらと、最悪な想像が身体を蝕み、呼吸は次第に荒くなっていく。
同じような呼吸を隣からも感じた。ヒロトだ。
兄を背中に隠し、俺は生まれて初めて自分から前に立った。
イメージしていたような世界はどこにもなかった。
「……お袋に用があるなら、捜す場所を間違えてるぞ。北闇にはいない」
振り絞って、やっと声が出た。
タマオが口の端で笑う。
「彼女なら八年前に死にましたが」
「…………え?」
脳がズキンと痛み、揺さぶられる。
「殺した……のか?」
「ええ、私の部下が処理しました」
「どうして……、――っ、なんでだよ!!」
「たかが人間の分際で楯突くからです。そういえば、部下から彼女の伝言を授かっています。息子に手を出したら殺す、と」
なにが可笑しいのか、タマオは笑った。
「死んでしまっては、守れないのに」
目の前が歪んで見えた。まるで杭になったかのように身体が硬直して、せせり笑うタマオの口元を開ききった瞼から飛び出そうな眼球で捉えていた。
もう母さんは帰ってこないのだと理解し、父さんの笑顔が割れたガラスのようにして崩れていくかのようだった。
俺はまた家族を喪った。
「二人とも、逃げるんだ!!」
この中で一番最弱のケンタが、怯えきった声で言った。足を震わせながら手を引いてくれて、もつれながらも正門を目指して足を進める。
「君たちが離れれば、きっと他のみんなには手を出さないはずだ!!」
ケンタの推測通り、ユキとタマオが後を追いかけてきている。その行く手をソウジやユマが拒み、立ち上がった青島隊長と赤坂隊長が応戦するも、じゃれてきた子犬を追っ払うかのような優しい手つきで、しかし弾丸のように高速で振り払われていた。
逃げながら、ケンタが言った。
「ナオト君、嘘ついてごめんね。これで許してもらえるとは思わないけど、でも出来ることはなんでもするから」
本来なら、ここでヒロトが答えなければならないのだが、兄さんは知らない。だが察したようだ。こくん、と頷いて黙って逃げ続けた。
ケンタによると、タマオの手で隊長二人が地に叩きつけられたのと同時に、イツキが救援を求めに北闇へと向かったらしい。おそらく精鋭部隊が駆けつけるだろうとのことだが、ユキとタマオの足が速くて間に合いそうにもなかった。
そこにフウカがやって来た。汗を流し、鼻息は荒々しく繰り返される。
「フウカちゃん、追い抜いてきたの?!」
「死に物狂いだっぴ。ってか、ケンタ、馬鹿正直に歩道を逃げるなんてあり得ないよ!!」
「だってこっちの方が……」
「ハンターが潜んでいそうな茂みを突っ切らなきゃダメだっぴ。一か八かの賭けだけど、あいつらに殺されるよりはマシ……かも」
フウカの言う通りだ。こちらも無事では済まないが、確実に足止めにはなる。それに、フウカはハンターの頭部を押し潰すほどの力があるし、たとえ群れに襲われたとしても増援と合流するまでの時間は稼げるかもしれない。
ヒロトも賛成のようで、フウカを先頭に茂みの中へと足を踏み入れた。
いつものように慎重に進むのではなく、迅速に、なおかつ戦闘を避けながらの行動になるため、戦闘服から露出している肌は、葉の側面や枝で切り傷だらけになっていた。
俺にいたっては胸の傷が完治していないため、じんわりとした鈍い痛みを感じていた。傷が開き始めているのだ。
しかしそれよりも痛みを我慢しているのはケンタだった。俺とヒロトに手を引かれながら、フウカのペースに合わせているため両足を引きずられている状態だ。
時折、地面から顔を覗かせた石につま先や膝が当たってしまい、唇を噛み締めながら声を堪えていた。
ケンタの様子を伺いながら、フウカが辺りを見渡す。
「ようやくお出ましだっぴ」
耳を澄ませるまでもなく、ハンターの囁き声が聞こえてきた。近くの茂みから一体、二体とどんどん飛び出してきて、振り返ると、あの二人と少しだけ距離が開いていた。
それは、他のみんなとの距離をも意味しているが、なんとか四人で逃げ切るしかない。
しばらくして、誰の姿も見えなくなった。一分だけ休憩を取る。
フウカがケンタの足を素早く手当てする。
「もうそろそろ正門だっぴ。それまで堪え抜いてよね、ケンタ」
「僕は大丈夫だよ。それにしてもあの二人、いったい何者なんだろう。どうしてヒロト君とナオト君を狙ってるのかな……。身に覚えは?」
ヒロトが横に首を振る。
「さあな。皆目見当もつかないけど、俺たちが目障りな人間だがらじゃないの?」
「それを言ったら僕だって人間だよ。青島隊長や黄瀬隊長だっているし……」
俺とヒロトにはわかっていた。きっとじいちゃんが話していたアレが今になってやって来たのだろう、と。
薄紫色の瞳をもつ者は必ず命を狙われる――。
それを阻止しようとした母さんは殺された。
「――っ、クソ……」
本当に俺は呪われているんじゃないかと思えるほどに、自分の誕生を恨んだ。
「行くよ!! もうちょっと頑張るっぴ!!」
全員が立ち上がり、最後の一踏ん張りだと地を蹴ろうとした、その時。
蚊を叩くようにして、フウカが真横に飛ばされた。衝撃でぶつかった木がミシミシと音を立てながら倒れる。
追いつかれてしまった。
「ハ、ハンターは?」
ケンタの問いに、ユキが答える。
「あんな下等生物、僕たちの敵にすらならない。今頃、君の仲間が喰われているんじゃないかな」
「ユキ様、ここは北闇から近すぎます。さっさと終わらせましょう」
「もう少し遊んでもいいじゃないか」
「ほどほどにして下さい。先程の彼らとの追いかけっこでご満足なされたでしょう」
おもむろにフードから手を出したユキは、真っ赤に染まったソレをぺろりとひと舐めした。
「誰の血だ……」
前夜祭の時のようなレンに発した掠れた声が聞こえた。ヒロトが本気で怒った時の声だ。ケンタが戸惑った顔で俺たちを交互に見る。
無邪気にケラケラと笑うユキ。ヒロトの目がつり上がった。
「さっさと答えやがれ、このクソ野郎が!! ガキが舐めくさった真似してんじゃねぇぞ!!」
「たしかにガキだね。だって僕はまだ三歳だから」
「バカにしてんのか?」
「嘘をつかないことが僕の座右の銘なんだ。まあ、そんなに怒らないで。この血はハンターのだから」
そう言って、ユキがフードに手をかけた。
「ユキ様、素性は隠しておいた方がよろしいかと」
「心配するな、タマオ。どうせみんなここで死ぬ。目撃者は一人も生かしておかない」
ユキがフードを脱ぎ捨てた。そして俺たちは、見たことのない生き物を目の辺りにする。
頭部からは毛のある耳が二つ生えていて、顔には左右対称に髭のようなものが三本。目はレモンのような黄色で眼光を放ち、両手には鋭い爪と手首まで生えたフワフワの毛がある。
自傷行為の痕はどこにもなかった。
ケンタが洩らす。
「そんなまさか……。存在するはずがない……」
ユキは重度だ――。
猫に似た容姿で、尖った八重歯を剥き出しにしながら微笑される。
「メガネ君、お前が知る世界はちっぽけなもんだよ。どうして重度が存在しないと言えるんだ? なぜ目にした生き物だけが当たり前だと思えたんだ?」
「だって……先生が……」
「そう、それは人間による洗脳だ。そいつも、いないと信じ込まされた。僕はね、そんな人間が心底大嫌いで、そろそろ消えてもらおうかと考えているんだ。特に走流野家、お前たちは最優先でね。その薄紫色の瞳を見るだけで本当に腸が煮えくりかえるよ。覇王の後継者め……」
「後継者? なんの話をしているんだ」
俺の問いに、タマオが一歩前に出た。
「ユキ様、いささかお喋りがすぎます。私がやりましょう」
突然として放たれた殺気に、ヒロトとケンタの前に立ちはだかる。もう家族や仲間を喪いたくない――、そんな思いと共に、増援が気づくよう派手に暴れようと覚悟を決める。
「あなたが相手ですか。丁度いい」
ヒロトだと勘違いしてくれているのなら大助かりだ。しかし、当の本人が俺の隣に歩み出てきた。
「二人でやろうぜ」
「こいつの狙いは――」
ヒロトが声を被せてくる。
「わかってる。だけど、一人ではやらせねぇよ」
本当はどこかに突き飛ばしてやりたい。ヒロトだけでも助かってほしいと、そう願っている自分がいる。しかし、それとは逆で、ユキとタマオを一人で抑えられる自信は微塵もなかった。
「いくぞ!!」
ヒロトの声を合図にタマオとの戦いが始まった。拳ひとつくらいなんて考える必要はない。とにかく派手に、地形が崩れるほどに暴れるのだ。
タマオの上に倒れるよう巨木を蹴り倒し、ケンタに近づかぬよう地面を叩き割る。フウカを抱えてケンタに預け、二人と離れるために走った。
巨木の幹から身を乗り出したケンタが叫ぶ。
「ダメだ!! 重度を相手にして二人じゃどうにもならないよ!! ――っ、僕も行く!! 待って!! ヒロト君、ナオ――」
声が遠くなり、聞こえなくなって、身を隠せるほどに木が生い茂る場所で足を止めた。
きっとヒロトも同じ考えだろう。
「ここなら誰も巻き込まれずに済むな。傷一つくれぇはつけてやろうぜ」
「うん。どっちが先にやれるか勝負だ」
勝てる戦いではないことくらい、よくわかっている。
それでもヒロトより真っ先に動いた。どうやらユキは観戦にまわるらしく、少し距離を置いてこちらを眺めている。
余裕の表情を浮かべているであろうタマオは、俺たちからそう遠くない場所で腕を組みながら立っていた。




