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蝕喰(しょくばみ)  作者: 犬丸
第二章
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第二章・17 「三度目」

 お世話になって三日目の夜。あまり長居するわけにもいかず、隊長たちは傷の回復を待たずに今晩の出発を決定した。


 順調にいけば北闇まで一日とかからずに帰ることができる。


 シノギがみんなを集めて宴会を開いてくれた。




「今日会ったばかりやのに、もう行ってまうんかぁ。寂しい気もするけど、闇影隊に暇はないし仕方ない、か」




 そう言ったルイに誰も言葉を返せなかった。


 聞かされたとおり、彼女はその日のことをなにも覚えていなかった。三年間を共にしているシノギですら毎朝自己紹介をしている。俺たちも同じようにして過ごしたけれど、正直とてもつらかった。


 ルイは毎晩酒を口にし、酔っ払う。そして酔いが完全に回ると決まってある話しをしていた。


 例外はなく、今夜もだ。




「なあ、この杖見てみ! バァバの形見やねんけど、これでなにしてたと思う?」




 答えは知っているけれど、問われた相手はわからない振りをして答えた。




「んー……。杖をついて歩いているイメージしか浮かびません」


「せやろ? でもな、わしのバァバはこの杖で人をどつき回してたんや。まあ、チンピラ相手にやけどな」




 初めて聞いた時は腹を抱えて笑ったが、今じゃもう作り笑いだ。


 それからルイは自分について話し始める。彼女は記憶を失ってしまうせいで、毎日のように同じ悩みで苦しんでいた。




「二十年前の戦争の頃、わしはまだ子どもやった。それでな、バァバが死んだ後に誰かが助けてくれたんや。でも、その恩人の顔が思い出されへん。近い存在やった気もするのに、なんでやろな。酒のせいか?」




 シノギが答える。




「姉貴、ほどほどにしときな。飲み過ぎは身体に毒だ」


「アホか。わしから酒を取り上げたら突き落とすで」




 いつものように大口で笑い、シノギの背中を思いっきり叩いた。


 隊長たちが、朝を待たずに、わざわざ危険な夜に出発を決めたのはルイのためであった。記憶が消えてしまう前にと、きちんとお礼を伝えられるようにだ。


 シノギは気を遣わずに安全な時間帯に出発するよう言っていたが、隊長たちの決定に誰も不服を抱いておらず、シノギの提案は丁重にお断りしていた。


 そうして宴会終了後。




「本当にありがとうございました。このことはタモン様にお伝えします。なにかあれば、必ずやお力添えとなるでしょう」




 ルイに深々と頭を下げた青島隊長に、彼女は小さく頷いた。


 運良く霧は晴れている。腹も満たされ、みんな体力も戻っている。




「これから北闇まで休まずに歩く!! 全員離れることなく、周囲の警戒を怠るな!! 出発!!」




 見送られながら、俺たちは母国に足を進めた。

 

 次の日の夕方、無事に帰還し、俺とヒロトは会話を交わすこともなく、それぞれの部屋で就寝した。



 

 **********




 しばらく休みの日が続いた。




「ヒロト」


「ん?」


「ごめん」




 居間に寝転がる兄の背に言葉を投げる。起き上がってこちらに振り向いたヒロトは、いつもと変わらない笑みを浮かべていた。


 昼特有の暖かさに眠気を誘われているのか、緩んだ表情である。




「ダイチから聞いたんだ。喧嘩のことも、俺と親しくなりたかったってことも。なにも知らないのに、俺……」


「そっか、あいつ話したのか。……あのさ、前にも言ったけど俺たちはいつも通りでいいんだ。対抗心も、嫉妬も、なにも感じなくていい。大事な気持ちなのかもしれねぇけど、それで兄弟喧嘩になって気まずい思いはしたくないからよ」




 今ならヒロトが言っている意味がよくわかる。北闇に帰還するまでの数日間、頭が痛くて仕方なかった。


 どうしてこうなってしまったのかと、深く後悔した。




「多分さ、俺ってヒロトみたいになりたいんだと思う」


「隊長じゃなくて?」


「闇影隊としての目標はそうだけど、人として憧れを抱くのはヒロトなんだ。喧嘩が強くて、誰とでもすぐ仲良くなれて、言いたいことははっきりと口にするし。俺にはない良いところがたくさんあるから、ヒロトみたいになれたらどんな世界が待ってるんだろうって……」




 ヒロトが見ている世界を俺も見てみたい。いつか隣に立てるまでに強くなることはできるのだろうか。なんて、無意識にそんなことを考えていたのかもしれない。


 いつしかそれは嫉妬になり、周囲の言葉もあって、憧れているだけの自分を見失ってしまった。


 そんな俺に、ヒロトは提案を持ちかけてきた。




「俺になってみるか?」


「無理じゃん」


「できるって。顔はまったく同じなんだし、髪の色と言葉遣いさえ変えちまえばバレねぇよ。ユマが言ってたけど、俺たちって同じニオイらしいからさ。さすがに親父は騙せねぇと思うけど、任務で今日一日は帰って来ないだろうし」


「つまり、今日限定でってことか?」


「そういうこと。さっさと髪を染めて外に出てみようぜ!」




 そうと決まれば即行動だと、ヒロトは染め粉を買いに行ってしまった。




「俺が……ヒロトの前を歩くのか?」




 独り言は静寂となった居間に吸い込まれていく。しだいに心は羽毛のように舞い、兄の帰りを心待ちにしている自分がいた。


 これをきっかけに、俺たちは互いの気持ちを知ることができ、カナデやレンの言葉の意味を本当の意味で理解できるかもしれない。


 ヒロトが戻り、風呂場で髪を染めてもらった。長く伸びた前髪も切られてしまい、視界はいつもより広く見えて感じる。そして、妙な緊張感を抱きながら外に出た。


 するとそこに予期せぬ人物がやって来た。


 伝令隊だ。




「嘘だろ……」




 そう小さく呟いたヒロト。


 伝令隊が口を開く。




「伝令! 走流野ヒロト、走流野ナオト! 緊急召集! 至急、正門に集合せよ!!」




 走り去って行く伝令隊。


 俺たちは焦りを隠しきれずにいた。


 急いで戦闘服に着替えたが、念のために俺はヒロトの服を身に纏っている。


 正門に向かいながら、ヒロトが小声で焦りを口にする。




「隊長に説明したところで、任務に混乱を招くだろうな。クソ!」




 初の緊急任務のとき、青島隊長はヒロトに道を作らせるため先に行かせたことがあった。もし今回もそういった場面に出くわしたとしたら、そのときは俺が動くことになる。




「大丈夫、やれるよ。っていうか、たまには俺にヒロトを守らせてよ。人間最強ってのも休憩!」


「……だな。だけどもし」




 ヒロトの言葉を遮って、俺が話す。




「俺は弱くない。引き際だってわかってるから」




 本当に自分の力ではどうにもできなかったら、その時はヒロトの命令を受け入れてやろうじゃないか。


 後ろを走る兄を目にして、また前を向く。そこには新人三班の姿があった。




「カナデちゃ……、カナデ、他の班はいねぇのか?」




 血管を流れる血液の尋常じゃない速さを感じながら、カナデに話しかけた。後ろでヒロトが笑いを堪えているのがわかる。




「ヒロト君、ナオト君!! 私も気になって青島隊長に聞いたんだけど、今回の討伐相手がその……妖らしくて……」




 全員が揃ったのを確認して青島隊長が説明を始めた。




「根も葉もない噂ではあるが、多くの民が外壁から近い場所で人ではない何かを見たとタモン様に報告したそうだ。妖とされているも、その者が半妖人であることも否定できん。しかし、それ以外の生き物である可能性も無きにしも非ず。よって、我々に下された任務は、その者を取り押さえた後にタモン様に引き渡すことだ」




 青島隊長と赤坂隊長だけでなく、イツキまでもがこちらに視線を送っている気がした。ヒロトである俺に。


 三人の目を見て、ふと思い出した。


 父さんはこう話していた。




――「ヒロト、お前は一歳の時に誘拐されているんだ。その時、父さんは任務で国外に出向いていたが、代わってお前を救出に向かったのは母さんだ」――




 しかし相手はそれで飽き足らなかったのか、俺たちが八歳の頃にもう一度北闇にやって来た。


 一度ある事は二度あるというが、もしかすると三度目もあり得るかもしれない。そう言っていた父さんだが――。




「三度目が、きたのか?」




 俺の独り言にヒロトが頷く。額には脂汗が滲み出ていた。


 正門から出発し、班ごとに別れて捜索に踏み切った。外壁からおよそ10キロ地点までの広大な面積を調査しなければならないからだ。


 山も、獣道も、茂みも、全て徹底的に調べ上げ、しかしながら痕跡は一つも見つからず日が暮れ始める。


 空を仰いだ青島隊長は他の班との合流を決定し、足早に外壁方面へ向かった。


 青島隊長は、顔のありとあらゆる神経を強張らせているかのようだった。神妙な面持ちでしきりに辺りを警戒するイツキは、俺とヒロトから離れずして動いている。


 そんななか、カナデが呟いた。




「変だわ……」




 声に青島隊長が立ち止まり、カナデに振り返る。




「やはりか。カナデよ、お前の見解はどうだ」


「はい。どんなに優れた混血者でも、力を使えば痕跡を残しますし、例え身を隠しているとしても、それならばユマちゃんたちがすでに発見しているはずです」




 ヒロトが尋ねる。




「なんの音沙汰もないってことは、向こうでなにか遭ったってことなのか?」


「ううん、その逆よ。ニオイを発見したなら誰かが伝えに来るはずだわ。つまり、なにも起こらないから変なの。痕跡がなに一つないなんて……。まるで、ユズキちゃんみたいじゃない……」




 ユズキは誰からも幽霊のような存在に思われていた。




「私が言いたいのは……」




 妖の可能性が高い――。その言葉に息を飲み込む。


 カナデの意見と同感といった様子の青島隊長は、この場で俺とヒロトを任務から外すと決定した。




「セメルが戻るまで自宅から一歩も外に出るんじゃないぞ。いいな?」


「了解」




 イツキとカナデが心配だけれど、この状況だとそう答えるしかない。


 戻る途中、他の二班と合流し、安全のため俺たちを正門まで送ることとなった。そこにたどり着くまでには少し距離がある上に日は沈んでいる。早急に行動に移った。


 しかし――。




「見ぃつけた」




 どこからともなく囁かれた、あまりにも幼い子どもの声に全員の足が止まった。夜風が吹き始め、胸の中は異様な苦しさで満たされていく。


 こんな時間帯に子どもが出歩くなどあり得ない。夜間の外出は禁止されていると、耳が腐るほどに親に言い聞かせられ、運ばれてくる亡骸を見て実感しているはずだからだ。


 では、こいつは誰だ?




「ここだよ」




 そして、いったいなにを見つけたんだ?


 声と共に姿を現したのは、黒いフード付きのマントを着た子どもと、顔が確認できないため年齢は定かではないが、おそらく大人が一人立っていた。


 大人が言う。




「彼女の情報に間違いはなかったようですね、ユキ様。今度ばかりは役に立ったようだ」




 子どもが笑い、答えた。




「タマオ、それではまるであの子が役立たずみたいじゃないか。お前を好いているのに、あんまりだぞ」




 俺たち全員が、大猿や試験の時よりも、それ以上の緊迫した空気に押し潰されそうになっていた。この二人が言葉を発するだけで、まるで頭に刃物を突き付けられているかのような、そんな感触がするのだ。


 いつでも殺せると伝わってくる。




「申し訳ございません。以後、言葉に気を付けます。しかし、彼女がもっと迅速に行動していれば、私たちは十年も苦労せずにすんだのです。多少口が悪くなるのは許してください」


「確かにそうだな。まぁ、僕の先代もこれで浮かばれるさ」




 青島隊長と赤坂隊長が俺とヒロトの前に立ちはだかった。二人の大きな背で相手の顔が見えないけれど、こちらに視線を向けているのはなんとなくわかる。


 ヒロトが誘拐されたのは十年前だ。つまり、あの言葉は走流野家に対してのものだ。


 こいつら――、ユキとタマオは俺たちを狙っている。

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