第二章・14 「動き出した者たち」
凍りついた身体とは裏腹に、脳は目まぐるしく機能していた。あらゆる記憶を掘り起こして、その中から前夜祭の出来事を選択し俺に見せる。
そうだ、俺はヒロトに守られるのではなく、自分の力で戦うと決めた。揺れる金髪を眺めるのは終わりにして、その先にある景色を自分の手で掴み取ると決意したのだ。
今がその時だ。
力がみなぎり、頬の近くに顔を寄せるハンターに視線をやる。目玉のない、ぽっかりと穴のあいたそこと目が合った途端、ハンターは俺の肩から飛び降りて足もとに跪いた。
「サチ……」
不思議な感覚だった。歯を剥き出しにして肉に喰らいつく小さくて凶暴な生き物が、どうして俺なんかに膝をついているのだろうか。
徐々に景色が復活し、この世のものとは思えない絶叫が鋭く鼓膜を突き破った。我に返り、急いでハンターと距離をとる。しかし、ハンターはそこから微動だにしなかった。俺の周りではたくさんの人が本来の姿を失い肉片と化しているのに、なぜだか目が離せなかった。
すると、俺とハンターの間に半獣化した受験生が四つん這いで現れた。
レンだ。
爪を地面に突き刺し、跪くハンターを威嚇している。
「ちょっと待って!! こいつは他とは違うんだ!!」
「黙れ!! 俺に指図するな!!」
あの小型犬みたいなレンからは想像も出来ないがなり声が発せられ、喉の奥を鳴らしながらこちらに振り向いた。いったいどれだけのハンターを殺したのか、口や首は血で真っ赤に染められている。
それを目にして、赤に執着しているとのことを思い出した。立ち上がり、手で首元を撫でたレンはベロリと舐め取る。
「あー……、美味いね、うん」
狂ってる――、そう思った。
「ケンタとフウカは一緒じゃないのか?」
「さあ。喰われたんじゃない?」
声質がいつも通りになり、とりあえず一安心する。正直、殺されるのではないかとヒヤヒヤしていたところだ。
「そっちは? ヒロトとカナデの姿が見えないけど」
「湖に放り投げた」
レンと同時に湖に向くと、そこには大勢の受験生の姿があった。どうやらハンターは泳げないようで、水辺の周辺で待ち構えている。
そこへデスがやって来た。半獣化すると鳥人間になるらしく、驚いたことに宙を舞っている。
「生きてたんだね。どうせ僕のことなんて忘れていただろうけど」
冷静に飛んでいるデスが希望に見えた。彼ならきっと、この状況を打開できるはずだ。
時間がかかってもいい。一人ずつなら安全な場所まで避難させられるのではないか、と案をだすも、デスは考える間もなく首を横に振った。
「半獣化ってずっと出来るわけじゃないんだ。各々の能力や修行次第で継続時間は異なるけど、僕たちみたいな子どもは、せいぜい三十分が限界。それに……」
地上に降りて続ける。
「ハンターの数、尋常じゃない。逃げるなら死体や湖に群がってる今しかないよ」
「逃げるって……。混血者の大半が人間を嫌ってるのはわかるけど、お前、このまま連鎖を続けるつもりなのか? 誰かが動かない限り、溝は埋まらないぞ! ってかお前、百体って言ってたじゃないか!!」
「嘘はついてないよ」
「じゃあ、こいつらは何処からっ……」
「上から見た感じでは、千はいるね。正直、僕たちに勝ち目はない。あの人たちを助ける手段もない。完璧にお手上げだよ」
見える範囲では、湖の中にいる受験生以外はほぼ息絶えている。戦っているのは混血者だけで、どこもかしこも砂埃が立っていた。
そのなかで、ハンターが死体を喰う音と、湖で怯えている受験生の震えた息づかいを全身に感じていた。悩乱してしまい、これといった策は思い浮かばず、しかしだからといって俺に「逃げる」という選択肢はなかった。
「……試験なんてどうでもいい。どうにかして残りのハンターを片付けよう」
「三十分が限界だって言ったよね?」
「その時は湖に避難させる」
強化合宿の時に、タッグを組んだ精鋭部隊はこう言った。
――「囲まれた場合、お前の視界に入っていない対象には全く効果がないだろう。一カ所に集めるか、それとも別の方法で戦うか……。それが今後の課題となる」――
もうこれしかない。
「混血者は変身が解かれると人間が持つ身体能力とほとんど変わらないよな?」
たしか、訓練校の野外授業で、半獣化・半妖化していない混血者は俺とヒロトに追いつけなかったはず。
「まあ、そうだね。認めたくはないけど、少しだけ人間離れするって感じかな。小柄な獣一体くらいなら押さえ込めるけど、千のハンターとなると何の役にも立たないよ。どうする気なの?」
「俺に考えがある。まだ半獣化は保てそうか?」
「あと数分くらいなら」
「よし。みんなと一緒にハンターを連れて俺がいる場所まで誘導してほしい。んで、そのまま後方に逃げてくれ。後は俺がやる」
とは言ったものの、俺の身体は小刻みに震えていて自信のなさが表れていた。大猿に払い除けられたことはあっても、ハンターに肉を噛みちぎられたことは一度もない。俺にはその痛みがわからない。だからこそ余計な想像をしてしまい恐怖心に駆り立てられる。
それに、俺が失敗したらどうなる? 不安や恐怖に邪魔されて言霊が発動しなかったら?
死体はこれだけじゃ済まないだろう。しばらくすれば後半組がこちらにやって来るし、彼らは全員人間なのだ。
そうこう考えている間に、デスは動ける混血者に作戦を伝えて回っていた。レンはというと、頭を掻きながらデスが行った方向をただ眺めている。
「ここに残るのか?」
「なにをする気かわからないけど、そっちに着いていくよ。一人だと死んじゃいそうだし」
意外だった。俺にあまり良い印象を抱いていないはずのレンが、まさか心配をしてくれるだなんて。だが、心強い。
「湖から離れよう。時間がない」
黙ってこちらに着いてくるレン以外に、もう一人後に来る者がいた。跪いていたハンターだ。レンを追い越して、まるで飼い主と散歩しているペットのようにして俺の横を走っている。
「さっきから思ってたけど、そいつなんなの? ハンターにしては変じゃない?」
「俺にもわからない」
気になりながらも、視界が開けた場所を発見したため、隣にいるハンターを無視することにした。そして、こちらに向かってくる足音を感じながら目を閉じて大きく深呼吸をする。
この暗闇では言霊で全ハンターに命令を下すのは不可能だろう。でも、やるしかない。少しでも数を減らすんだ。
一人、また一人と、俺の両隣を通り過ぎていく混血者たちの風が肌に当たった。全員が遠くに行ったのを確認してレンが声をかける。
「行ったよ」
「この場には俺とレンしかいない。ってことは、真っ先に喰われるのは俺たちだ。いいのか?」
「別に構わない」
ハンターの声が次第に大きくなってきた。彼らはもうすぐそこまで来ている。
怖い――。それでも、固く閉ざされた瞼を開きハンターを視界に捉えた。そして、近くにいるハンターと目が合う……はずだった。
しかし相手は違った。俺の予測に反して、ハンターは全員レンに向かったのだ。誰も俺を見ていない。
「――っ、どうなってる?!」
「そうこなくっちゃ、ね」
動揺する俺と違って、レンは冷静だった。口の端にニタリと笑みを浮かべ、左足を後ろに下げて衝撃から身を守る態勢をとる。
ダメだ、このままだとレンが死んでしまう。彼の前に立ちはだかって言霊を口にしようとしたが、レンに邪魔された。津波のようにして襲ってくるハンターを眼前にしているのに口を塞がれたのだ。
耳元でレンが言った。
「ここでソレは使っちゃいけない。……ナオト」
レンが俺の名前を呼んだ。一瞬にして思考が掻き乱された。
「認めるよ。俺はナオトの配下になる」
見たこともないレンの優しい目と見開かれた俺の目が合った。口が解放される。
「ソウジは……? じゃなくて、ヒロトは? いや、えっと……」
「帰ってから話そう」
そう言って、俺を後方に突き飛ばし、ハンターの囮となって森の奥に消えていった。
森は静寂となった。俺はただ呆然と座り込み、空っぽになった心で状況を把握しようとしていたが、それは無意味だった。
混乱した後半組の騒がしい声でやっと我に返った。いつの間にか隣にいたハンターの姿はなく、しばらくして陽の位置が移動したおかげで森は少しだけ明るくなった。
そこは地獄絵図そのものだった。湖の方を見ると、流れた血で水の色が変わっていた。
「ヒロトとカナデを探さなきゃ……」
そう自分に言い聞かせて、歩き出す。人をかき分けながら進み、左右に首を動かして、ふと茂みに目がいった。そこには顔だけを覗かせたダイチが真っ青になって身を隠していた。
「もう大丈夫だ。出てこいよ」
ソウジを守る防御の役目をもつダイチが、こんなにも怯えるなんて。ダイチは一点をみつめたまま動こうとしなかった。
「一緒にソウジたちを探そう。きっと無事だよ」
茂みに腕を突っ込み、戦闘服を掴んで無理矢理にでも引っ張り出そうとした。しかし、どこにもない。
「あれ? どうなってるんだ、これ……」
弄るも、あるはずの身体に手が当たらないのだ。茂みを大きく揺さぶると足もとにダイチの首が転がり落ちてきた。それを拾って両手に持つと、切り口の綺麗な首からポタポタと血が零れる。
「ダイチ……? ――っ!? ひっ、あっ……」
手から滑り落ち、俺は後ろにひっくり返った。腹の底から押し上げてくる汚物をぶちまけ、荒くなった呼吸に酸素を奪われる。
パニックになって、気がつけば無我夢中で兄の名を叫んでいた。
「ヒロ……ト……。 ヒロト!!!!」
金髪が視界に映った。俺の背中には手が回り、強く抱きしめられて、聞き慣れた声が鼓膜を刺激した。
「もう大丈夫……。一人にしてごめん……」
大声を上げて泣いた。目がダイチの頭部へ釘付けになった途端に、頭の中にはこれまでの出来事が映像となって流れた。そこに赤坂班がやって来た。ユマが泣き崩れ、ソウジは唇を噛み締めながら立ち尽くしている。
距離を置いて、クロムとデスがこちらを見ていた。
**********
宿屋に戻り、部屋の隅で俺は膝を抱えて座っていた。そして、各々違う場所に座るヒロトとカナデを交互に見ながら思い出していた。
誰が呼びに戻ったのか、あの後、各隊長と南光の闇影隊、それから精鋭部隊が駆けつけた。安全のため精鋭部隊の護衛のもと、適当に分けられたグループごとに国内へ戻され、生き残った前半組は詳しく事情聴取をされた。
ハンターが現れる前に何か異変はなかったか、誰か三日月の森から出ていないか、などだ。
その時、聴取の最後でこんなことを尋ねられた。
――「三日月の森で一般の女の子を見かけなかったか? 銀と紫の珍しい髪色をした子なんだが」――
俺は何も答えなかった。まだ混乱から抜け切れず、考える余裕などなかったのだ。イツキが追い出されたことや、闇を抱えた歴史、予想を遙かに超えたハンターの群れに、レンの安否やダイチの死。これらの出来事が頭の中でもつれている。
こいつもか――、そう言って解放してくれたのがつい先程のことで、宿屋に戻って冷静になると今度は疑問を抱いた。
きっとその疑問を抱いているのは俺だけではないはずだ。
「ヒロト、カナデちゃん。聴取のことなんだけどさ」
ピクリと肩を揺らした二人は、立ち上がってこちらに来た。腰を下ろして、カナデが小さく息を吐き出した。
「あれってユズキちゃんの事だよね……。他に見たことないもの」
「やっぱそうだよな。あいつ、こんな所で何やってたんだよ。王家に捕まったんじゃねぇだろうな」
銀と紫の髪、それはユズキだった。イツキが追い出されてしまい、彼女の情報収集は全ての試験が終了してからと考えていたのだが、まさか先に南光側から情報をくれるとは思ってもなかった。
ただ厄介なのは、北闇の誰かが喋っている可能性があるということ。
そうなれば、試験を言い訳にして誤魔化すことはできても、何も答えなかった者には確実に疑いの目が向けられるだろう。
聞けば、ヒロトとカナデも俺と同様に何も答えなかったのだそうだ。
「ダイチ君のことがあったばかりだから、赤坂班のみんなにはまだ顔を合わせてないけど、フウカちゃんとケンタ君に確認してみたら二人とも私たちと同じだった。レン君は大怪我で救護テントにいるみたい」
カナデの最後の一言で、少しだけ肩が軽くなる。
こうして、数々の疑問を残したまま試験は中止となり北闇に帰ることとなった。門の外ではイツキが待っていて、その隣には知らない女の子が立っていた。
「リン!!」
声に振り向くと、クロムとデスが彼女のもとへ駆け走っていく。
門で別れる前に、俺はデスに礼を言った。彼がいなかったら第一試験はもっと大惨事になっていたかもしれない。すると、クロムがやって来て耳元でこんなことを口にした。
「走流野ナオト、もしユズキに会う機会があれば伝えてくれ。約束は守った、ってな」
それだ言い残して、彼は仲間のところへ行ってしまった。
俺は彼に自分の名前を教えていない――。




