第二章・13 「試験開始」
早朝――。
「全員、注目!!」
試験官の声で、スタート地点に集合している受験生が一斉に前を向いた。いよいよ上級試験が開始される。
ここから先は隊長たちと分かれることとなり、試験終了までは控え室で待機しているそうだ。
スタート地点の中心には白い線が引かれている。右には混血者を含む班が、左には人間のみの班が立っている。
開始の合図で先に右側に立つ受験生が試験場まで走り、その一時間後に左側がスタートする流れだが、つまりは後半組はこちらが減らしたハンターを討伐するだけでいい。扱いの差に腹が立ったのは俺だけじゃないようで、右側にいる前半組の大半が殺気立っていた。
そんな空気を無視して、説明は始まった。
「この道を直進すると裏門が見えてくる。そこを通過した先にある「三日月の森」がハンター討伐地点だ。ハンターの侵入を防ぐため裏門は五分で閉門するから、受験生は時間内に必ず通過するように。制限時間は二時間だ。それまでに誰か一人でも戻っていなければ不合格となる。では、今から網を配る。各班に三つずつだ」
すると、隣にいる班の一人が鼻で笑った。南光の受験生で、寝不足なのか目元にはクマがあり、半目で試験官の方を向いている。口の端を上げて、人を馬鹿にするような笑みを浮かべていた。右肩にある烙印で混血者であることがわかる。
「懲りずに三日月の森か。やっぱり南光の人間は学習能力に欠けてやがるぜ。あの森にいるハンターを減らしたいんだろうが、ムダだっつーの。王家のクソ野郎め」
我が兄の言葉遣いにそっくりで、思わず盗み見る。そいつは同班の子に同意を求める視線を送った。
「クロム……、王家を馬鹿にしたらまたソウショウ様に怒られるよ? でも君は人の話しを聞かないから、ネチネチ言われるのは僕とガイス隊長なんだ。そして僕は落ち込んで、暗闇に身を潜めながら……」
「いちいち暗いし気にしすぎなんだよ、てめぇは。いいか、デス。こっちはリンがいねぇってだけで痛手だっつーのに、ハンターを二十体も狩らなきゃならねぇんだ。まあ、二時間で一人あたり十体なら余裕だが、これで俺たちが合格したらリンはどうなるよ。置いてけぼりか? 胸クソわりぃ!!」
「クロムはリンが大好きだもんね。痛手とかじゃなくて、隣にいないと落ち着かないんだよね。そうだよね、そばにいる僕よりも、外に追い出されたリンが気になって仕方ないんだ」
この会話にピンときたのはヒロトとカナデも同じらしく、俺たちは目を合わせた。森について詳しく知っていそうだし、何よりもイツキのことがある。
クロムという名の男の子にヒロトが話しかけた。
「ちょっといいか?」
「ああ? んだよ、てめぇ。ガン飛ばしてんじゃねぇぞ。っつーか、双子か? 同じ顔して気持ちわりぃ」
ヒロトが動くよりも速く、俺は二人の間に割って入った。右手をヒロトの胸に置き、ここは堪えるように目で訴える。
大きく息を吐いて、ヒロトが尋ねた。
「リンって子のことなんだけど、外に出されたって話してたよな? 実は俺たちの班員も一人、同じ目にあったんだ。それで、外には獣やハンターから身を守れる建物とかあんのか?」
「バカか、てめぇは。んなもん王家が用意してるわけねぇだろ。どうせなら喰われちまえくらいにしか思ってねぇはずだ。っつーか、てめぇんとこの班員も光の子なのか?」
「光の子……? あ、隊長が話してたやつか。そんな風に呼ばれてんだな」
「いいや、そうじゃねぇ。てめぇらも見ただろ? 光の子がどんな扱いを受けるかをよ。しかも揃いも揃ってお決まりみてぇに「化け物」って呼びやがる。バカの一つ覚えもいいとこだっつーんだ」
「じゃあ、光の子ってなんだよ」
クロムの背後から暗い顔を覗かせたデスは、話しているヒロトではなく、なぜか俺の方に近寄ってきた。
「クロムがそう呼んでるだけだよ。僕よりも、リンのことが好きだから……」
「そ、そうなんだ。ってか、近すぎるから。もうちょっと離れろよ」
虚ろ目なデスが怖くて、思わず一歩後ろに下がってしまう。
「弟に近づくな。……んで、ついでにもう一つ。これだけの受験生で狩りに出れば確実にハンターの数は減るはずなのに、それをムダだって言うのには理由があるんだろ? 地形に問題があるのか?」
「……まあ、光の子に免じて教えてやってもいいか。アレ、見えるか? 山の頂上にあるバカでかい城」
こちらに向きながら、クロムは自身の背後を見るように親指で方向を示した。そこには彼の言う通り城があった。周囲にある木を全て伐採したのか、はっきりと視認できる。外壁は白く、洋館みたいな造りの城は朝日を浴びて光沢を放っていた。
「アレが王家の住む城だ。んで、三日月の森は、あの山裏のふもとに建つ壁のちょうど真後ろらへんにある。森には澄んだ湖と背の高い木しかねぇが、木が邪魔で太陽の光は遮断され、頂上にある城のせいで二重に影がかかちまって暗い上にジメジメしてんだ。そういった場所を好むのか、とにかくハンターの数は年々増えてやがる」
「それを今から俺たちが狩るんじゃねぇか」
「南光は他国よりも国民の数が多い。となれば、ハンターにとって壁の中は餌が溢れる宝庫っつーわけだ。受験生の人数なんて関係ねぇ。どんだけ狩ろうが意味ねぇんだよ。ここに俺たちが住んでるかぎり、また集まってくる。まあ、それだけハンターの数が多いってことだ」
話し終えたのと同時に、前の班から網が手渡された。大きな網で、この中に討伐したハンターを入れて持ち帰らなければならない。
「とにかく、気をつけろよ。森に足を踏み入れればイヤでもハンターの群れが襲ってくるが、一番厄介なのは受験生同士によるハンターの奪い合いだ。デスが集めた情報によると、受験生の数が多すぎてほとんどが不合格になるらしい。だよな、デス」
「うん。毎週の調査ででた平均では、ハンターの数は約百体。それなのに、受験生の班数は百四十五班もあるんだ。リタイア数と死傷者数の予測をするまでもなく、一班で二十体討伐となるとハンターが足りない」
「つまり、第一試験を突破できるのはたったの五組の班で、争奪戦は免れねぇってわけだ。試験が開始されれば確実に潰しに来るぞ。ってなわけで、相打ちで死にたくなきゃ閉門時間ギリギリで通過することだ。お互い外で待つ班員がいる者同士だし、全滅は避けようぜ」
「ああ、ありがとう」
準備体操を始めるヒロトの横で、俺は腹の底から湧いてくる恐怖に身体を支配されていた。
クロムのアドバイスにあった「時間ギリギリ」とは、我先にと森に向かった受験生をハンターの餌にしろという意味だろう。たしかに試験を乗り切るのに確実な方法ではある。
ハンターには、一人の人間に喰らいつくと他には興味を示さない傾向がある。また、身体が小さいことから満腹になるのも早く、そういった時は襲ってこない。
しかし、だからといって、他人を犠牲にしてまで第一試験を突破する必要があるのだろうか。
あちらこちらで切磋琢磨し合う彼らがハンターに喰われる様を想像すると足が震えてしまい、この場から逃げたくなった。
「生き残れるかな……」
「心配すんな。イツキのためにも早く試験を終わらせようぜ」
「開始と同時にスタートするのか?」
「当たり前だろ。クロムって奴の案も一理あるが、それだと闇影隊になった意味がねぇ。国や人を守るのが俺たちの仕事なのに、見捨てるような真似できるわけねぇだろうが。不安になるなって」
「だけど、どうしても想像してしまうんだ。試験中にどれだけの人が死ぬんだろうって……。そうでなくとも、受験生の攻撃に巻き込まれる可能性だってある」
「考えてもキリがねぇだろ。他国と合同のでかい任務だと思えばいい。俺たちはそれを遂行するだけだ」
そうこう話していると、視界の端で試験官が片手を上げていた。
いよいよ上級試験の第一試験が開始される。
「それでは……、始め!!」
開始と同時に膨張していた熱気が爆発し、俺たちは雄叫びを上げながら門に向かって走った。肩がぶつかったり、なかには転倒したところを故意に踏みつけられている人もいる。それを避けるため、ヒロトは俺とカナデの小袖を握り、門めがけて暴走する受験生の群衆から外れて壁に向かった。
「ナオト、カナデ、飛び越えるぞ!!」
横目に門を見ると、追いやられて門を通過することができず壁に激突した人が大勢いた。その後ろからはさらに人がぶつかり、壁に密着している人たちはその分の人の体重で押し潰されていく。
壁を飛び越えている時、眼下にはおぞましい光景が広がっていた。
「ナオト君、アレって……人?」
「――っ、見るな!! とにかく森を目指そう!!」
壁には大量の血と肉片がこべりついていた。
門を通過した受験生に平行して俺たちは森の中を走った。太陽の光をまともに浴びていないせいか、木の幹はくねくねとねじ曲がりながら成長し行く手を阻んでくる。加えて、蒸発しきっていない地面に足を取られてとても走りづらい。そうして、なんとか湖を視界に捉えることができた。
俺たちが到着して間もなくして群衆が合流した。それぞれの班に固まり、互いに背を寄せながら暗い森の中を三百六十度を見渡している。湖に近い場所に立っている俺たちも同じようにしてハンターの襲撃に備えたが、次第に周囲は騒ぎ始めた。
「場所はあってるよな?」
「おい、南光の奴はいねぇのか!?」
「ここにいる!!」
「どこにハンターがいるんだよ……」
「ここは三日月の森で間違いないのか!?」
「そうだ!!」
誰が話しているかもわからぬほどに、一帯には受験生がひしめき合っていた。
落ち着かない様子のカナデが口を開く。
「なんだか怖い……。どうしてハンターは私たちを襲ってこないの?」
「こちらの様子を窺ってやがるのか、それとも数に怖じけづいて逃げたか。とにかく、ナオトもカナデも俺から離れるんじゃねぇぞ」
「俺は大丈夫だ。一人でも狩れる」
しかし、妙だ。ハンターは人を見つけるとすぐにでも襲ってくるはずだが、まるで気配を感じない。ましてや百の大群となれば囁き声が聴こえてきてもおかしくはないのに、受験生の声以外になんの音もしない。
どこか別の場所に行ったのでは? と口にしようとした、その時だ。
冷たい風が群衆の間をすり抜けるようにして通っていった。全員が口を閉ざし、得体の知れない寒気に警戒心が増していく。
森が会話をしているかのようにざわざわとし始め、湖の水面にはいくつもの波紋が広がった。ふと足もとに視線を落とすと、小石がカタカタと揺れ動いていた。
そして――。
「サチ!! サチ!! サチ!!」
空気の塊を投げつけられたみたいに、ハンターの大きな声が身体に衝突してきた。囁き声なんてレベルじゃない。声量からして、百体を超えるハンターがこちらに向かっている。
咄嗟の行動だった。危険を察知した俺は、ヒロトとカナデの腕を掴み湖に放り投げた。その直後、多くの受験生が悲鳴を上げた。目を凝らすと、人の頭上を小さな生き物たちが動き回っていた。
二人が湖に落ちた弾みの水滴なのか、それとも別の液体か。視界の悪い薄暗い場所でそんな事を考えていると、耳元で囁かれた。
「サ……チ……」
一瞬にして思考を奪われた脳は、俺の周りから全ての人を消し去り、俺と、俺の肩にしがみついているハンターの二人だけの空間を作り出した。
俺はこの場所をよく知っている。
ここは、「死」だ。




