第二章・12 「人間と混血者の闇」
イツキは幼い頃から散々な目に遭ってきた。年寄りから子どもまで年齢問わずに陰口をたたかれて、友達なんていないのに公園のブランコに揺られて。思い出すだけで胸が苦しくなる。
もういいじゃないか。そんな扱いは北闇だけで十分だ。それなのに、どうして――。
「どこに行けば、イツキは普通に歩けるんですか!?」
もし、俺やヒロトの目に関する情報が南光全土に知れていたらと思うと、イツキに対する言動は他人事とは思えなかった。
「……どこから話せばいいのか」
「知っていることを全部!! お願いです!!」
畳をジッと見つめながら青島隊長は話し始めた。
「今から三十年前のことだ。現皇帝であるオウガ様の弟、エイガ様が突如として行方知らずになったそうだ。オウガ様は世界よりも自国よりも、なによりも弟を激愛していて、行方不明となった時、四大国全ての闇影隊を総動員し探させた。しかし、発見には至らず、オウガ様は荒れに荒れたそうだ」
その頃、王家内には二つの派閥があった。一方はオウスイ派と呼ばれ、力で世界を統一することを掲げていた。もう一方はトア派と呼ばれ、愛によって世界を統一することを掲げていた。
そして、オウスイ派はオウガを中心に、トア派はエイガを中心にそれぞれの派閥は成り立っていた。
「このことが公になり、闇影隊の混血者たちはエイガ様の捜索を勝手に放棄した。オウガ様に引き渡せば、エイガ様が殺されると思ったからだ。エイガ様の派閥が頂点に立てば、混血者たちは自分たちも救われると考えた。そしてその裏では、また別の噂が流れていた」
エイガ様の捜索中に、多くの闇影隊がそれぞれの大国で人間の姿をした化け物を目撃した、とのことだった。それは、姿が半獣化・半妖化している重度の混血者とは違い、二本の足で歩く別の生き物だといわれていた。
噂を一つに統一すると、その生き物は各国に一体ずつ存在していることがわかり、しかし捕獲にまでは至らなかった。
「そこで、オウガ様は別の命令を下した。その四体の生き物とエイガ様を抹殺せよ、と。トア派の筆頭であるエイガ様と謎の四体との接触を避けたかったのだろう。いつの間にか弟への愛は消え、己の玉座を死守することに徹底した。混血者を恐れる人間は、全てがオウガ様の言いなりだった。血眼で探し回り、それから十年の月日が流れ……」
戦争が勃発した。派閥の噂が広がったせいで混血者と人間の溝は深まり、その奥底でくすぶっていた火はやがて燃え上がり、人々は爆発したのだ。
「タモン様はトア派につき、北闇の闇影隊はオウスイ派と衝突することとなった。もちろん、北闇国内の人間はほとんどがオウスイ派であったが、国帝の命令には逆らえん。しかし、そのせいで予想以上の死者をだしてしまった。手を抜いて戦った彼らのせいで、先代のリーダーと配下は全滅し、その他の混血者だけが生き残った。ソウジやユマに祖父母はおらず、あの子たちは墓石を見て初めてその存在を知った。二十年前の戦争で得た物はなにもなかった……」
そもそも、なぜ二十年前の戦争がオウガを筆頭に起こったのか――。それは、オウガの執念にあった。戦争を始めれば、エイガについたであろう四体が姿を現すと睨んだのだ。
「愚かな考えだと、そう思った。だが、十一年前……。あの大地震が北闇を襲った。その直前、世界中の人々が天高く上る光の柱を目撃した。その場にいたのは生まれたばかりのイツキだった。おそらく、南光から出された女の子も同じ状況にあったのだろう。光の柱は三つの国で一本ずつ確認されているそうだ」
「え? それじゃあ……。大地震は北闇と東昇だけじゃなかったってことですか?」
「あの地震は同時に四大国で起きている。光の柱が目撃されたのは西猛の国を除いた三国だ。オウガ様は、その光と謎の四体になんらかの関係があると睨んでいるのだ」
だからイツキは南光を追い出された。エイガの側についているのではないかという、恐怖からだ。女の子が誰なのかはわからないが、とにかく自国に二体がいるのは避けたかったのだろう。
「でもそれって、あくまで憶測ですよね? 四体の生き物だって噂にすぎないし、エイガ様が南光を出て行った理由も明らかになっていないようだし……」
「ああ、そうだ。王家に関する情報は、今も昔も、なにも表に出てこない」
そう言った青島隊長は、ここにはいないオウガを睨み殺す勢いだった。黙って話を聞いていたヒロトが口を開いたのはそんな時だった。
「くだらねぇ……。オウスイ派とトア派なんてよ……」
「知ってるのか?」
「じいちゃんから聞いたことがある。昔話かなにかだと思ってたけど、まさか王家が関わっていただなんてな」
「昔話って……。俺は聞かされてないけど」
「それはナオトが無駄に早寝早起きだったからだ。俺は眠れない事の方が多くて、よくじいちゃんが話してくれた」
現代の皇帝・オウガ――。それよりも千年以上も昔の皇帝、それがオウスイだといわれている。唯一の女帝であり、しかしながら彼女は玉座には座らず戦士出ある事を貫き通した。そしてその妹がトア。彼女は慈愛に満ちた化け物だったそうだ。
「オウスイは人間に好かれ、トアは人間以外の生き物に好かれていた。でも、姉妹の仲は頑丈な鎖のように簡単に切れるものではなかった。化け物だと罵られ幾度となく人間に命を狙われた妹を、姉は死ぬまで守り続けた。俺たちもそうであれ、ってな」
「それの何がくだらないんだよ」
「姉妹の仲は良かったんだ。それなのに勝手に派閥にしやがって……。俺の目標に泥を塗るなってんだ」
ヒロトがこんな性格になったのは、じいちゃんの昔話が原因だったようだ。それはさて置き、青島隊長の話を聞いて、俺の胸の中にはまた別の疑問が浮かんでいた。
訓練校入学と卒業の時に見たタモン様はとても若く、俺の予想では二十代後半くらいなのだが、たとえ三十半ばだったとしても、やはりおかしいのだ。
「……二十年前の戦争の時、すでにタモン様は国帝だったんですよね?」
「そうだが?」
「なんでそんなに幼い頃から国帝の座についてるんですか?」
俺の年齢前後で国帝だなんて、どういった基準で選ばれているのだろうか。
「そんな事も知らねぇのか?」
「なんでヒロトが答えるんだよ。まあ、知ってるなら聞いてやってもいいけど」
嫌味を込めて言ったのに、ヒロトはモジモジとしながら膝がくっつくまで近寄ってきた。冷たくしすぎたらしい。少しだけ胸の奥が痛む。
「四大国にいる国帝は全員が南光出身、しかも王家の生まれで、王家には毛嫌いされる存在なんだ。さっき話したトアって人、覚えてっか?」
「うん。妹の方だろ?」
「そう。妹が化け物って呼ばれていたのは額から二本の角が生えていたからで、国帝はその子孫だっていわれてる。鬼の子孫、ってな」
「鬼は存在しないんじゃ……」
「王家が伝説を重んじてるのはもうわかるだろ? 派閥を作るぐれぇだしさ」
「まあ、そうだな」
「前髪で隠れてるけどタモン様の額には二つの黒点があって、角の名残だっていわれてる。つまり、選ばれて国帝になったんじゃなくて、王家から追放されたんだ」
「……――っ、ビゼンが鬼の化身って言ってたのは、そういう事だからか……」
「王家の生まれで、しかも鬼の子孫が国帝になったんじゃ誰も逆らおうなんて考えねぇ。王家からすれば一石二鳥ってところもあるんだろうけど、戦争の時は違ったみてぇだな」
王家に都合の悪い存在は南光から閉め出される。イツキやタモン様のように――。
その日の夜、イツキの安否や王家が気になって寝付けなかった俺は外の空気を吸いに宿屋を出た。背伸びをして夜空を仰ぐとそこにはたくさんの星が輝いていた。
「ナオト君、何処に行くの?」
言いながらやって来たのはカナデだ。横に立ち、空を見上げる。
「眠れなくてさ……」
「私も……。王家が怖くて……」
同じ心境だった。
「ねえ、ナオト君は幽霊って信じる?」
「いきなりどうしたの? まさか、部屋にいるとか言うんじゃ……」
「ち、違うよ!! そんなものがいたら、また青島隊長が気絶しちゃう」
幽霊島に向かった時のことを思い出し、二人で声を潜めて笑った。こんな状況でも笑えるんだと、まだ余裕がある自分に安堵する。
「幽霊、ね。信じたくはないけど、もしそれが亡くなってしまった自分の大切な人なら会いたいかな……」
「……ナオト君?」
「あ、いや、なんでもない。それで、幽霊がどうしたの?」
危うく、前の世界の父さんと母さんを思い出して泣いてしまうところだった。
「私ね、試験が終わったら船乗り場の親子にお礼を言いに行こうと思ってたの。幽霊島から南光に戻った時、いなかったじゃない?」
「そうだっけ……」
あの時の俺はそんな事すら気づかないほどにどん底にいたから、申し訳ないけど途中で舟を下りた親子のことなんて頭の隅にもなかった。
「ごめん、あまり覚えていない」
「そっか……。船乗り場に舟を置いて、私たちはそのまま北闇に戻ったの。無事に試験が終わったらみんなでって考えてたんだけど、宿屋の受付の人に、いつ頃行けば会えるか聞いたら……」
親子で経営している人なんて、いませんよ――。
「そう言われちゃって……。ミツル君や海賊のことがあるから、安全のため、舟の運営は任務が入っていない闇影隊の人たちがやってるらしくて……。これってどういう事なのかな?」
綺麗な夜空が霞んでしまうほどの怪談話に、全身に汗が流れるような不気味さを感じて両腕をさすった。頬が引きつっているのが自分でもわかる。
「い、いやさ、もしあの親子が幽霊だとしたらユマがいち早く察知するはずだろ? 潮のニオイが染みこんでるミツルにだって気づいたくらいだし!!」
「そ、そうだよね!! 親子揃って闇影隊の人なんてどこにでもいるもんね!!」
「そうだよ!! 俺たち家族がそうじゃん!!」
すると、背後になにか気配を感じ、急いで後ろに振り向いた。そこに立っていたのはダイチだ。
「な、なんだ?」
「別に幽霊だとか思ってないし!!」
俺の発言に吹き出したダイチは腹を抱えて笑う。他所を向いて人差し指で頬を掻くも恥ずかしさが消えることはなかった。とにかく、今しがたカナデから聞かされた怪談話をダイチに説明する。
「なるほどな、そりゃビビっちまうのも仕方ねぇ。それでも俺は幽霊じゃねぇけどな」
「悪かったって!! んで、なんで外に?」
「いやな、ソウジ様にカナデの様子を見てこいって言われたんだが、部屋を覗いたらいなくてよ。なにかあったんじゃねぇかって探し回ってたとこだ」
なんだろう、とても不愉快だ。
「俺が連れ出したんだ。二人とも眠れなかったから、こっそりデートしてた」
「ナ、ナオト君!?」
「デートっておめぇ……。ソウジ様が聞いたら半殺しじゃすまねぇぞ?」
言いながらも、わたわたと慌てているカナデの横で、ダイチはにんまりと笑みを浮かべていた。
「ソウジがなんだってんだ。婚約者だからってこの先どうなるかわからないし、カナデだって望んで北闇に来たわけじゃない。その裏で例え何かあったとしても俺には関係のない話しだ」
「言うねぇ。どうやらもう一つの噂の方はでっち上げだったみてぇだな。今のおめぇの目、すげぇギラギラしてっぞ。そんなにソウジ様が嫌いなのか?」
「別に……。俺はただ、自分の人生を他人に牛耳られるなんて、そんなの許せないっていうか……。やっぱさ、誰だって好きに生きたいじゃん。夢だってあるだろうし、どこでも笑っていたいじゃん。だろ?」
イツキもタモン様も、カナデも。もっと自由に生きる道があったはずなのに、それを他人に邪魔されて、厄介なことに巻き込まれて。俺の身に降りかかった災難ではないけれど、やはりどうしても他人事には思えないのだ。
薄紫色の瞳を持つ者は、必ず命を狙われる――。
俺やヒロトだって、自由に生きていけるわけじゃないのだから。
「……おめぇ良い奴だな。ユマが親身になるはずだ」
言いながら、ダイチは口元を緩める。
「あいつはよぉ、暇さえあればおめぇの話しをするんだ。きっと、ハンター討伐の任務前に、おめぇが上官に言ったあの言葉が嬉しかったんだろぉよ。俺ら混血者は知っての通り嫌われ者だ。道を歩けばすんなりと進めるし、どこに行っても俺らの周りだけ静かで、任務の時なんてほとんどが先頭だ。慣れってのは怖いもんで、気がつけばそれは当たり前のことになっていたけど、心のどこかではいつも孤独を感じてた。だけどよ、初めてだったんだ。混血者を背にして、混血者のために人間が人間に怒鳴ってくれたのは……」
「思った事を言っただけじゃん……」
「おめぇにとってはそんなもんでも、俺らにとっては違う。おめぇは混血者に希望を与えたんだ。混血者と人間の亀裂は縫い直せる、ってな。でもよ、俺らはおめぇをビビリってこと以外は何も知らねぇから、困惑させねぇために手始めにヒロトと関わりを持つことにした。本当ならもっと早く親しくなるべきだったが、なんだか照れくさくて、卑怯かもしれねぇが俺はレンとの一件を利用させてもらうことにしたんだ」
「だから色々話してくれたのか」
「まあ、そういうこった。おめぇみたいな人間は貴重な存在だし、俺らも態度を改めなきゃならねぇ。なかでもユマは人一倍関わりを持とうとしている。ああ見えて、優しい奴だからな」
思い起こすは、ユマの言葉だった。
幽霊島では、「上官への言葉が偽善でない事を願う」と言われ、ユズキの話しをしてくれた時は、「混血者の味方であるお前だから」と言っていた。
あれはきっと、ユマにとっては確認だったのだろう。俺がまだ混血者の事を思ってくれているのか、それとも心変わりしているのか、確かめたかったのだ。
そのこととは別に、俺は複雑な感情を抱いていた。
「とにかくだ、もう夜も遅い。……明日の試験、お互い生き残れるように全力でやろう。カナデを頼んだぞ」
「お、おう」
先に宿屋に戻ったダイチの背中を見送り、しばらくして俺とカナデも部屋に戻った。普段の俺なら、デートなんて口にした自分の発言を思い出して今頃焦っていたんだろうけど、そうはならなかった。
俺はとんだ思い違いをしていた。ヒロトの周りに友達が多いのは、俺のためだった。そうとは知らず、膨れあがった嫉妬でヒロトを責めて傷つけてしまったのだ。
それでも、俺を守ろうとするのはまた別の話しだが。
そして、夜が明けていく。




