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蝕喰(しょくばみ)  作者: 犬丸
第二章
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第二章・8  「イツキと柚姫の関係」

 訓練終了まで残り五日を残し、ようやくノルマを達成する事が出来た。


 木の幹に力を抜いた身体をあずけると、頭上から雪の塊が降ってくる。しかし、それすらも気にならないほどに達成感と疲労が心と全身を包み込んでいて、同時に湧き上がるのはヒロトに負けた悔しさだった。


 ヒロトは俺よりも十日も早く終了し、達成し終えた同期と親しげに過ごしていた。ヒロトに対してこんな感情を抱くのは初めてだった。


 いつもなら、ヒロトが俺の目の前を走るのも俺より強いのも当然の事であり、そんな兄さんを尊敬しているし自慢でもあった。


 幼い頃から、ヒロトの後ろに隠れていた当たり前の日常を素直に受け入れていたのだ。俺の立ち位置はここだと、自分が一番良くわかっていた。


 それなのに、今回の合宿で何度もヒロトと比べられたせいか気持ちに変化が起きてしまったのだ。




「なんでこんなに差がでるんだよ……」




 ヒロトはまだ言霊の能力を開花させておらず、ハンターとの戦闘では俺よりも苦戦を強いられたはずなのに。

 

 少し離れた場所で同期と談笑するヒロトを見ていると、嫉妬にも似た感情は大きく膨れあがっていった。


 そこにイツキがやって来た。




「ナオト、お疲れ様」


「終わったのか?」


「うん、さっきね。……それよりも、どうしたの? 何かあった?」


「別に、なんでもない。俺たちが最後?」


「ううん、あと一人残ってる」




 イツキの視線を追うと、背中を丸めながら走る華奢な男の子の姿があった。ずり落ちてくるめがねを何度も直し、今にも顔から転けてしまいそうだ。どう見ても、体育会系ではなくガリ勉タイプである。




「あいつにとってこの合宿は誰よりも過酷かもな」


「あいつって……。名前覚えてないの?」



 

 黙って頷けば、イツキは呆れたように苦笑を浮かべた。


 カナデの婚約者の名前やユマのことですら最近知り、他の人のことを未だに何も知らない俺は全員を「同期」と呼んでいる。それほどまでにカナデ以外に興味がなかったともいえるが。




「彼の名前は高橋(たかはし)ケンタ。卒業した人間三名の内の一人で、黄瀬班に配属された子だよ」


「ケンタ……? あ、思い出した! たしか、体力測定順は毎度のことビリだけど、筆記試験順では常にトップにいた奴じゃん! 失礼なのわかってて聞くけど、あいつがどうやって卒業したんだ?」


「ユマから聞いた話では、同じ班の女の子に助けられたんだって。ルールに助け合いの禁止はないから、ケンタはその子のおかげで卒業できたって感じかな」




 しかし、今回は同期からの助けはなく、精鋭部隊とタッグでの行動になる。罵声を浴びながら下山していくケンタは何度も涙を拭っていた。




「……そうだ、イツキに大事な話があるんだった。場所を変えよう」


「いいけど、良い話しじゃなさそうだね」




 雪合戦を楽しむヒロトたちを背に、俺はイツキを連れて野営地を離れた。


 しばらく歩き、周囲に誰もいないか念入りに確認してさっそく本題へと入る。


 総司令官との会話の内容を話し、ジンキの存在やユズキの言葉の意味について説明した。イツキにとっては酷だろうが、ジンキの存在を認めなければ話は進まない。




「……つまり、タモン様や総司令官は土地神の存在を知っていたってこと?」


「あの大地震がきっかけなのか、それはわからないけど、ただ総司令官もユズキも似たようなことを言ってるんだ」




 俺を見舞いに来てくれたユズキは「イツキとの関係には事情がある」と言い、総司令官も「イツキには少し事情がある」と言った。


 その事情とはジンキを意味しているのではないだろうか。




「ナオトの仮説が正しいとして、残る疑問はユズキの最後の言葉だね……」


「僕はジンキの味方だ……だろ? 俺もそこが引っかかってるんだけど、本人は北闇を出たし、死神も現れるかは不明だ。結果的に死神の言葉通りユズキを探さなきゃいけないわけだけど、どこから情報を得たらいいのか……」




 色々と模索してみたが、これといった方法が思い浮かばない。すると、イツキは何か閃いたように言った。




「上級試験なら……」


「試験中はほとんど班行動じゃないのか?」


「そうだけど、他国から人が集まるし情報を得られるかも」




 お腹を撫でながらそう言ったイツキは、俯き、小さく息を吐き出した。


 自分の体中に得体の知れない生き物が封印されているとなれば、誰だって平常心ではいられない。現に、イツキの肩は上下に震えている。




「大丈夫だって。封印できたなら、解放する手段だってあるはず。その時に何が起こるのか想像も出来ないけど、許されるなら俺も立ち会うから」




 俺の言葉に顔を上げたイツキは、驚いたことに泣いていたのではなく笑みを浮かべていた。




「なんで笑ってんだよ……」


「だって、ジンキが封印されてるって確信が得られたから」


「二カ国に及ぶ大地震の根源だぞ!?」


「だからなに? それは俺に関係のないことだ。大事なのは、体内にジンキが封印されてるという確かな情報だけだよ。ナオトのおかげで、俺はまだ特別なんだってわかったし……」




 ジンキを外に出したいなんて少しも思わない――。そう言葉を続け、イツキはまるで己の命よりも大切だと言わんばかりにお腹に優しく両手を添えた。


 特別――。俺はその言葉に聞き覚えがあった。

 

 あれはたしか、イツキになぜ化け物と呼ばれているのかを尋ねたときだ。


 イツキは、理由をわからずとも気にしていないと言い、最後に特別だからと答えた。


 なぜ身に起きた惨事を特別だと言い切るのか定かではないが、とにかくイツキが気になっていたのは、大地震の根源がジンキという生き物なのかどうかではなく、本当に体内にジンキが封印されているのか。これだけだったのだ。




「……なんでそれが特別になるわけ?」




 俺は知っている。地震が起きた直後の北闇がどれだけ復興に時間をかけ、どれだけの怪我人が本部に運ばれてきたのか、この目で全てを見ているのだ。


 あの惨劇は決して特別なんかではないし、歴史に残る災害の一つだ。

 

 ジンキの情報を得るためだけに利用された気がして、俺は怒りを隠しきれないでいた。




「そんなに怒らないでよ。悪気はなかったんだ」


「質問の答えになってない。特別ってどういう意味かって聞いてんだ」


「……俺の中にジンキが封印されているなら、ユズキは必ず戻ってくる。またあの日みたいに過ごせるんだ。もう二度と奪わせない……。俺は……ユズキを奪った北闇が大嫌いだ」




 言い終えた途端に表情を変えたイツキは、後ろを振り返って、返事も待たずに急に俺の目の前から走り去ってしまう。


 呆然と立ち尽くす俺の前に入れ替わりで現れたのはユマだ。イツキが走って行った方に目を向け、突然胸ぐらを掴み上げてきた。




「な、なんだよ……」


「イツキに何を話した!!」


「何をって……」




 イツキの最後の言葉がまったく理解出来きずにいるのだ。説明すると、服から手を離したユマは大きなため息を吐いた。





「まあ、お前が理解出来ないのは当然だ。イツキと親しくなったのは最近のようだからな」


「だとしても、あの日みたいにとか、もう二度と奪わせないとか……。北闇が大嫌いだとか、意味がわからないんだけど」


「二人が一緒に住んでいた事は?」


「それは知ってるけど……」


「イツキに親がいないことも知ってるな?」


「噂になっていたからな。それとあの発言になんの繋がりがあるんだ?」


「ユズキはイツキの親代わりのような存在だ。時に教師となり、友達となり、無知であったイツキに多くのことを教えた。つまり、イツキにとってユズキの存在と、己の一部であり人生そのものなんだ。だが、ユズキの存在は国に疑われ、それに気づいたあの子は北闇を去った。……私が話している意味がわかるか?」


「――っ、わかる」




 元々どこに住んでいたのか、なぜ北闇に来たのか、その理由は一緒に住んでいたイツキすら知らず、俺自身あいつの存在を「幽霊」だと思ったこともあった。




「……まさか、北闇も把握していないのか?」


「そうだ。ユズキは突所として現れ、タモン様に目をつけられていた。それどころか、私たち旧家の間でもあの子は話題の中心人物だった」


「どういう意味だ?」


「……混血者の味方であるお前だから話すが、この事は他者を含め今後一切私の前でも話題に出すな。いいな?」




 頷いた俺を確認したユマは鼻を動かしてその場から移動し始め、野営地からかなり離れたところで足を止めてこちらに向き直った。人のニオイがしない場所を探していたようだ。




「んで、他言無用の話しって?」


「私たち旧家は「犬」に変貌を遂げる。犬は犬でも容姿は異なり能力にも差があるが、全く違うというわけではなく、どの一族も嗅覚だけは同じように発達するんだ。その力で戦場では敵のニオイをいち早く察知したり、血のニオイを感じ取り安全なルートを導き出すなど、とにかくニオイに関しては敏感だ」




 幽霊島に向かっているとき、ミツルが海に潜っているにも関わらず「人間のニオイがする」と言っていたユマを思い出した。たしかに嗅覚は優れているし、俺のような人間にはない力だ。




「それとユズキになんの関係が?」


「人間や獣には必ずニオイがあるのに、ユズキにはそれがないんだ。それどころか気配すら感じないときた。最初は妖ではないかと疑われたが、ニオイや気配を感じないだけでたしかにそこに存在する……。まるで……」


「幽霊?」


「それだ。旧家の誰もがあの子のニオイを感じ取ることが出来なかった」


「そこまでする必要があったのか?」


「タモン様の要望で始まった調査だ。私たちの親は、すれ違う振りや尾行などでユズキのニオイを探るも発見出来ず、いつの間にかユズキは北闇を去り、そしてまた戻って来た」


「転校か……」


「ああ。そこで今度は訓練校に通う私たちが確かめることとなったのだ。だが、結果は同じで進展はなく、ついにタモン様は痺れを切らせた。あらゆる監視をつけ、徹底的に見張ったんだ。そして……」




 あいつは捨て台詞を残して北闇を出て行った。




「あの時、お前は心身共に参っていて大変な時だったから知らないだろうが、ユズキの追跡には精鋭部隊まで出動した。あの赤坂隊長もな……。しかし、あの子は誰の言葉にも耳を貸さず、一緒に住んでいたイツキまで突き放した。そのイツキは、どこから情報を得たのかタモン様の監視が原因だと知り北闇を恨んでいる。だから、お前を頼ったんだ」


「聞いていたのか?」


「途中からな……。お前が怒る気持ちもわかるが、イツキはあの場にいなかった者に頼りたかったんだろう。イツキにとって私たちは役立たずにすぎない。あれ以来、誰もあの子を探そうとしていないのだからな」




 そこまで聞かされていなかった俺は、イツキの大雑把な説明や嘘の仮説に呆れて言葉もなかった。


 ユマの話しでわかったのは、イツキにとってユズキが出て行くまでの過程はどうでもよかった、ということだ。


 大事なのは、ユズキとジンキの存在の二つだけであり、求めているのはユズキの帰りのみ。親代わりであったならかなり依存しているだろう。でなければ、病院でたてた仮説で嘘をついた理由が分からない。

 

 イツキは、俺の目の前に現れた死神が原因で北闇を出たのではないか――、そう言ったのだ。

 

 きっと、俺が死神の存在を気にしていることを察して結びつけたのだ。そうすれば、ユズキやジンキに関する情報が手に入ると考えたのだろう。


 見事にイツキの策略にはまってしまったが、だからといって腹が立つことはなかった。イツキには家族がおらず、そこに突然として現れたユズキが面倒を見てくれたなら依存してもおかしくはない。

 

 北闇の当主、「青空一族」に養子として引き取られているとはいえ、名前を呼んではいけないなんてルールを作るくらいだ。親子関係を築いているとは考えにくい。




「探そうとしているのはイツキだけなんだな」


「私もそうしたかったが、タモン様から禁止令がでた。私たち旧家は国帝に忠誠を誓っている。命令は無視できない」


「もしかして、ヒロトと親しくなったのはユズキの情報を得るためなのか?」


「最初はな……。私の仲間を傷つけたヒロトを許せなかったが、原因はこちらにあると知ってそれから壁はない。ソウジ様は別だがな」




 その名前に過剰に反応してしまったのは、カナデの婚約者だからだろう。自分でもわかるほどに眉間に力が入っている。




「ソウジなんて無視だ、無視。仲良くなりたい奴と仲良くなればいいんだ」


「親しくなる事にとやかく言われているわけではない。ただ、ソウジ様がヒロトとユズキを嫌っているだけだ。ヒロトに関してはライバル心からだろうが、ユズキは……」


「ユズキと何かあったのか?」


「ソウジ様はいずれ旧家のリーダーとなる。だから結果を残したかったんだ。だが、あの子のニオイを察知出来ず、そんな自分に今でも腹を立てている。タモン様からの要望という事もあって、その悔しさから今ではユズキという名は禁句だ。手に負えないほどに暴れてしまうからな」




 ユズキに関する調査は極秘に行われた任務であり、ユマは最後にもう一度他言無用だと言った。


 それにしても、タモン様に忠誠を誓っている割にはイツキの肩を持つような発言が多いような気もする。野営地に戻りながらそんな事を考えていた俺は、なんとなくユマにこんな質問を投げかけた。




「もしかして、イツキが好きだったりする?」




 返答の変わりに飛んできたのは剛速球の雪の塊だ。顔を滑り落ちていく雪を拭うと、そこにはいつの間にか半獣化したユマが立っており顔面を真っ赤に染めている。


 男勝りだと言われる彼女はどこにもいなかった。




「た、他言無用だよな」


「当たり前だ!! 噛み殺すぞ!!」




 緩みそうになる頬を隠しながらユマに謝り続けるも、頭のどこかではユズキの存在がちらついて仕方がなかった。


 北闇を出たのは監視から逃れるためだったとして、いったい何をしでかしたのだろうか。

 

 ニオイや気配がなくても妖ではないとわかっている。では、タモン様は何を思って監視したのか――。多くの疑問が残るなか、ヒロトの姿が視界に入った俺は、考えるのをやめて未だに走り続けているケンタを目で追った。

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