第二章・7 「合同強化合宿」
明くる日、一ヶ月にも及ぶ合同強化合宿が実行された。
参加しているのは、青島班・赤坂班・黄瀬班で、監督には総司令官と精鋭部隊十名が任命された。この合宿は、混血者がいる班と人間のみで構成される班を別にしての合宿である。
総司令官という役職や精鋭部隊という小隊を初めて目にした俺は、合宿場所に移動しながら、前を歩く彼らの後ろ姿に好奇な視線を向けていた。
格好は珍しく、首から下は俺たちと同じ戦闘服を着用しているが、顔の下半分を隠すために手拭いで口を覆っていて、その上からは動物の面を着けている。素性を知られまいとしているようだ。
闇影隊にそういった役職があると知らず、青島隊長に詳しく聞いてみる事にした。すると、青島隊長が口を開く前にヒロトが興奮気味に話し始める。
「大猿がどこかに消えて、ハンターの集団に襲われた時、あの部隊が救援に来て助けてくれたんだぜ!!」
たしか、見舞いに来てくれたユズキも同じことを言っていた。
精鋭部隊と呼ばれているだけあって、彼らにほとんど休暇はないらしく、あの時の救援も奇跡だったそうだ。やけに詳しいヒロトに、どこでそんな情報を仕入れたのかと尋ねると、イツキからだと答えた。
幼い頃から本部に出入りしていたようで、闇影隊そのものに詳しいのだという。
「精鋭部隊の事はなんとなくわかったけど、青島隊長、あの総司令官って人は何をする人なんですか?」
「総司令官とは、闇影隊の頂点に立つ人の事で、任務の振り分けや総指揮をとるだけでなく、国帝であるタモン様の側近も務めている。よって、滅多に北闇を出る事はないのだが……。それ以前に、合同強化合宿に精鋭部隊が派遣されるなど聞いたことがない。今回はどうやら特別のようだ」
総司令官の隣にはなぜかイツキが歩いていて、二人は精鋭部隊に囲まれていた。イツキの体内に封印されているジンキが関係している可能性も考えられるが、青島隊長は異様な光景だと言い、俺とは違った視線を向けていた。
それからしばらくして、先頭を行く総司令官は道を外れて山の中に足を踏み入れた。外からだと、木の葉が一面に広がっているように見え、表面に木の葉の層が出来ているせいで森の中はとても薄暗い。
木の葉の層は、太陽の光を遮断するほどに空を覆い隠し、そのせいか森に充満する湿気が肌にまとわりつき、奥深くに進むにつれて体力を奪っていった。
卒業試験で使われた山とはまた違った空気に、あえて過酷な環境が整う山を選んだのではないかと思えた。というのは、森に足を踏み入れてから、奥に進むにつれて冷気を肌に感じるのだ。
やがて眼前には白い層が広がりはじめ、その正体がわかった俺は思わず足を止めて白い物体を手に取った。
「雪だ……」
春夏秋冬がないはずのこの世界で、初めて雪を目の当たりした俺は、あまりの懐かしさに思わず頬が緩んだ。
「どうしたんだ?」
立ち止まる俺にヒロトが声をかけてくる。
「なんでもない。行こっか」
「おう」
元気だけではどうにもならない寒さに、俺たちは身体を摩りながらまた足を進めた。
少し開けた場所で足を止めた総司令官は、隊列を組むこちらを振り返った。般若の面に角が四本あり、恐ろしい面に思わず息を飲む。
「この場所を野営地とする。訓練は明日の早朝から開始だ。なお、食料の調達は各班で行うこと。今日はゆっくりと休んでくれ」
解散を告げようとする総司令官に右手を挙げたユマは、なぜ精鋭部隊がいるのかと尋ねた。上級試験を想定したこの合宿は、毎回の事、監督は各部隊長が務めるのだと聞かされていたと言う。
少しの間を置いて、総司令官はユマの前に歩み出た。
「……この森がどこだかわかるか?」
「いえ、存じ上げません」
「ここは、北闇の領土内にある森の中で唯一名がつけられた森だ。迷界の森と呼ばれ、三種全てが生息する森でもある」
「獣やハンターはわかりますが、妖は滅多に遭遇しないのでは?」
ユマの問いに、総司令官は雪を手に取った。そしてそれを強く握りしめ、石のような塊になった物をユマに待たせる。
「これは雪といい、冬という季節に空から降るものだが、この森は季節に関係なく雪が降る。迷界の森に巣くう妖が原因とされており、そいつは己の気分で雪の降る量を決めているそうだ」
「つまり、総司令官も見た事がない……という事ですよね?」
「ああ、そうだ。だが、前総司令官はその妖と交流があり、その報告は俺も聞かされている。こちらから危害を加えない限り、向こうから接触してくる事はない……とな」
その言葉に背筋を伸ばしたユマは、何を想像したのか顔を強張らせていた。かくして、俺も同じだった。
総司令官が見た事がなくても、妖は確かに存在し、しかもそいつには雪を降らせる能力がある。いかにして人間や他の生き物を殺すのか安易に想像が出来るのだ。
それから、総司令官はユマの最初の問いに話を戻し、白い息を吐き出しながら不定期に開催される上級試験の事について説明し始めた。
「試験は二つ用意され、第一試験は毎度のこと変更がない。そして、この試験では少なくとも受験者の半数が命を落とす。過去には全滅した国もあるほどの過酷な試験だ。その試験内容は……」
各班、ハンター二十体の討伐――。
これには、さすがの混血者も動揺を隠しきれないでいた。なぜなら、臨時授業の黄瀬隊長の説明で「自由参加」とあったからだ。
もし班の内、一人だけが参加となった場合、二十体を一人で討伐しなければいけない事になる。
想定内の反応だったのか、総司令官は淡々とした口調で続けた。
「ハンター討伐で王家が主に注目するのは混血者の生存率だ。今ここにいる混血者は八人だが、仮に三人が殺されたとしよう。その時点で、北闇からの受験生は第二試験の資格を剥奪される事となる。つまり、この上級試験とは、混血者が闇影隊として育っているかどうかを見定める試験であり、人間は評価対象に入っていないという事だ」
その内容に我に返った俺は思わず口を開いてしまった。
「じゃあ、俺たち人間は何の為に受験するんですか?」
今までの修行が無意味に思え、何のために努力してきたのかと怒りすら感じる。混血者の合格のためだけに命を張るのか――、そう思えて仕方がない。
「これはあくまで王家の評価基準だ。北闇も同じだという事ではない。薄々気づいているだろうが、混血者は王家の監視下にある。そのため、評価も厳しいという事だ」
「それは理解していますが……」
「北闇の評価基準は、チームワーク、これだけだ。どのみち班員同士の意思疎通が成されてなければ全員死ぬ。そうさせないために、今回の強化合宿場所にあえてこの森を選び、監督に精鋭部隊を任命したのだ。それ以前に、お前たち人間は試験に限らず今後も混血者に合わせて行動していかなければならない。どのみち体力の強化は不可欠だ」
「でも、北闇が合格を出せるわけではありません」
「今は、な。……さて、この合宿期間中に第一試験と同じ内容をクリアしてもらう。一日でとは言わん。合計で二十体を討伐する事が目標だ」
一人につき二十体、だがな――。最後にそう言葉を紡いだ総司令官は、解散を告げ、各班野営の設置に取りかかる事となった。
次の日から、総司令官の監督のもと、各自精鋭部隊とタッグを組んでの上級歩兵隊の試験を想定した訓練が開始された。
山を来た方向とは別の方向に下山すると、そこには一面に広がる雪原があるのだが、うさぎ跳びで何往復もさせられた時は気が狂いそうになった。
しかも、雪原への行き帰りには、雪で滑る山道をダッシュで登山と下山をしなければならないのだ。それは毎日繰り返され、心身共に疲労は蓄積されていった。
登山や下山の途中では、何度もハンターや獣の襲撃に遭った。死にそうになると精鋭部隊が間に入り助けてくれたが、その代わりにまた野営地や雪原に戻され、もう一度ダッシュからやり直しとなる。
それだけでも気が滅入るのに、さらに追い打ちをかけたのは精鋭部隊の罵声だった。
「貴様!! そんな走りで生き残れると思っているのか!! 他の邪魔をするのならハンターの餌にしてやるぞ!!」
「旧家の力はそんなものなのか!? たかがダッシュごときで息を上げるな!! やる気がないなら今すぐ帰れ!!」
「どうしてお前が卒業出来たんだ!? お前のように亀よりものろまな人間は初めて見たぞ!! 訓練校に戻されたくなかったら死ぬ気で走れ!!」
「走流野ナオト!! 兄に負けてるぞ!! いつまでも臆病者でいれると思うな!! 地に手をつく暇があるなら足を動かせ!!」
などと、あちこちから聞こえてくる。その声に苛立ちを感じるものの、言い返す気力すら残っていなかった。
訓練学校に通っていた頃、俺の目の前にはいつも混血者の背中があったのを思い出す。しかし、この合宿では、体力や能力を誇る混血者ですら精鋭部隊に命を救われ、背中を見る事はほとんどなかった。
そんなある日、不思議な事に、酷烈な合宿のせいか妙な錯覚に陥るようになった。あれは精鋭部隊の人と一緒に雪原に引き返している時だ。ふと、こんな事を質問してみた。
「実際の試験でも雪が降っているんですか?」
すると、精鋭部隊の人は首を横に振り、森に大きな湖がある場での試験だと答えた。視界は開けており、そこに数多くの受験者が集まる事によってハンターが寄ってくるのだという。
ということは、今の環境よりは良い方だといえる。これを乗り越えれば、試験は少しでも楽に感じるのではないかと思えてきたのだ。
それからというもの、俺は楽に試験を受けるために訓練をするようになった。
ハンターに対する恐怖を拭うのには時間がかかったが、言霊の効力を発揮するには他の感情を抱くわけにはいかず、ハンターに慣れようと自ら近づくこともあった。
そのせいで死にかけた回数は数知れず、しかしながら確実に慣れていった。
そうして今日、二体のハンターが目の前に現れた。
「お前の敵は俺じゃない。隣にいる奴だ」
そう口にすると、ハンターは精神が錯乱したかのように互いを攻撃し始める。これには精鋭部隊の人も褒めてくれたが、弱点を指摘された。
「囲まれた場合、お前の視界に入っていない対象には全く効果がないだろう。一カ所に集めるか、それとも別の方法で戦うか……。それが今後の課題となる」
「ですよね……」
「そう落ち込むな。コントロールできるようになったようだし、前回のようなミスは犯さないだろう」
「聞いたんですか?」
「組む相手の情報は事前に把握している」
「そうですか……。俺にも精鋭部隊の人たちみたいに力があればいいんですけど。あんな簡単にハンターを倒すだなんて……」
突然の出現にパニックになる俺と違って、この人があっという間にハンターの首を切り裂いたのはつい最近の出来事だ。気がつけばハンターの首から噴水のように血が吹き出ていて、何事もなかったかのごとくそこに精鋭部隊の人は立っていた。
思い起こし、鳥肌がたつ腕をさする。
「俺のようになるのは無理だ。なぜなら、精鋭部隊は混血者のみで構成される特殊部隊だからな」
「……え? じゃあ……」
片手を目の前に見せた精鋭部隊の人は、俺と変わりない爪をかぎ爪へと変化させた。その爪は鳥のもののように見てとれる。もともとは白かっただろう爪は赤黒く変色していた。
「そういうことだ。戻るぞ」
言いながら、歩き始めた精鋭部隊の後に続き、お互い傷つきながらも未だに攻撃し合うハンターを横目に野営地へと引き返した。
こうして、身を削られるような訓練を重ねて半月が過ぎた。
その日の夜、精鋭部隊の一人にある場所に行くように言われ、向かうとそこには大きな岩の上に座る総司令官の姿があった。
隣には冷風に揺れる般若の面が置かれていて、口布がめくれるたびに桜色の花で作ったネックレスのような物が見え隠れしている。なんとも意外な趣味だ。
そんな総司令官の後ろ姿を見つめながら、話しは始まった。
「急な呼び出しですまないな。確認したいことがある」
「なんでしょうか?」
「幽霊島での一件の報告を青島から受けた時、イツキの体に異変が現れたとあった。走流野ナオト、お前も確認していると聞いているが、それは本当なのか?」
そんな事があっただろうか――、と記憶を掘り返す。
北闇を出発し、任務の説明を受け、南光の国に入国して、それから小舟で幽霊島に渡った。数日して、海賊の襲撃に二度も遭い、そして――。
「……あ、はい。たしかに異変が起きていました。夜だったので見間違いかもしれませんが、身体中から蒸気のような煙が立ちこめていたような気がします。でも、一番近くでそれを見たのはイツキを押さえつけていた青島隊長ですので、そちらの報告の方が正しいかと思います」
「そうか……。あれから今日に至るまで、特に変化は? 何か聞いたりしているか?」
「いえ、何も。というか、イツキは全ての任務に関わっているわけではないので、その時に何か起こったとしても知りようがありません」
大猿の任務の時もそうだが、イツキは度々任務から外されている事があり、青島隊長も班員も誰もその理由を知らなかった。
この人なら何か知っているだろうか――とも思ったが、聞けるような雰囲気ではないため堅く口を閉ざし次の言葉を待つ。
立ち上がり、面を着け、岩から飛び降りて俺の隣に立った総司令官は小さな声で言った。
「イツキには少し事情がある。もし何か異変が現れたら、すぐに本部の執務室にいるタモン様か俺に報告しろ。いいな?」
「わかりました……」
ひやりと背中を伝った汗を感じ、俺の目は白い大地を見つめたまま体は硬直していた。
総司令官の言い方から察するに、おそらくイツキは監視されている。
ユズキは「ジンキの味方だ」と捨て台詞を残して北闇を出たらしいが、きっとあの言葉は真実で、イツキの体内にはジンキが封印されている。
総司令官の最後の言葉は、おそらくそれを意味している。だとしてだ。なぜユズキはあんな事を言ったのだろうか。
「(北闇や東昇を襲った大地震の根源じゃん……)」
俺が思っている以上に事は重大で、一刻も早くユズキを探し出さなければいけないのではないか――、と得体の知れない不安を抱え、冷たくなった手を摩りながら野営地に足を進めた。




