第二章・5 「再会」
リビングに通し、お茶を出して赤坂隊長の真向かいに腰を下ろした。赤坂隊長は、頬杖をつきながらテーブルの上に広がる戦闘服を見ている。赤坂班でもない俺に何の用があるのだろうか。
卒業試験以来、言葉を交わしたどころか交流すらなく、俺だけが気まずい雰囲気を感じていた。
改めて間近で見る赤坂隊長は、高身長で笑顔がとても似合う男性だ。男らしいというよりは中性的な顔立ちであり、温かい表情で微笑む姿は女性の心を鷲掴みにするに違いない。
なんとなく真似して笑ってみようとすると、赤坂隊長は飲んでいたお茶を吹き出してしまった。
「お前さ、変わってるね」
言いながら、手甲を取り外し小袖を捲る。
赤坂隊長の戦闘服は他の混血者と少し作りが違っていた。混血者なのに、右肩から下の小袖があるのだ。
視線に気づいた赤坂隊長は、クスリと笑う。
「気になる?」
「いえ……」
失礼だっただろうか。誤魔化すように背筋を伸ばし、早速本題に入った。
「……それで、何か用ですか?」
「幽霊島の任務が邪魔して、臨時授業で俺の話し聞いてなかったでしょ? それだけじゃなくて、別件の用もあるんだけどさ」
また微笑んだ赤坂隊長に、俺は背筋にぞくりとしたものを感じていた。イツキのような作り笑いではないが、その笑顔の向こうにとんでもない濃さの闇が垣間見えたような気がしたのだ。
この人は怒らせてはならないタイプだ。
「えっと……、はい、聞いてませんでした。すいません……」
「あの一件で、お前が心身ともに参っているのはわかるよ。俺も初めて人を殺した時は同じような状態に陥ったからね。とはいっても、自殺しようなんて思わなかったけど」
「誰から聞いたんですか? 父さんにすら話していないのに……」
「お前たち兄弟の事は上から報告を受けてる。その目、セメルさんと同じ力があるんでしょ?」
それに加えて、俺とヒロトの性格の違いからその後の行動パターンを推測した――、と言葉を紡がれ、俺はじんわりと広がる汗を手に握っていた。
俺からすると、その言葉は誰が口にするかで意味が大きく違ってくるのだ。
なぜ青島隊長ではなく赤坂隊長が話しに来たのか、どうして別の班の隊長であるこの人が走流野家の体質を報告されたのか。
気になるところはあるが、卒業試験のときに、体が赤くなっていると指摘してきた理由はこれでわかった。
「脱線したな。今日の臨時授業で俺が話したのは、上級試験を想定した合同強化合宿についてだ。参加希望者に挙手を頼んだところ、新人のなかでお前だけが手を挙げなかった。そこで、もう一度確認しに来たんだ。……本当に参加しないのか」
「……わかりません」
「人を殺したから?」
「――っ、はい……。繰り返したくないんです」
胸の内を覗くような赤坂隊長の視線に、俺は目を伏せた。
いくら前向きに考えようと試みても、やはり怖いのだ。
鮮明に記憶されたあのシーンを忘れる事など不可能であり、不確かではあるが、過去に惨い拷問をしていた男だと知っても俺が罰を与えていいはずがない。
ましてや、上級試験を受ける以前の問題で、言霊を持つ俺が闇影隊であっていいのかもわからなくなってしまった。
そんな事を考えていると、赤坂隊長は怒りを含めた口調で言葉を返す。
「それでもお前はまだ闇影隊だ。すぐに着替えろ、本部に行くぞ」
テーブルにある戦闘服を投げ渡され、有無を言わさぬ瞳に急いで着替える。なぜ本部に行くのか尋ねたい気持ちをおさえ、先頭を行く赤坂隊長の後ろを黙って歩いた。
商店街に入ると、カナデが話していた通り、俺が生き返ったと噂する人が大勢いた。好奇の眼差しや罵倒の声が風に乗って聞こえてくる。俺が生きていることが残念であるかのように。
その囁き声を無視し、商店街を抜けると、赤坂隊長は見上げるほどの長い石段に足を向けた。
本部は丘の上にあり、行くにはここを通るか裏山の墓地を抜けるしかない。上り終えて鳥居を潜ると、立派な和風の庭が出迎えてくれた。その奥には平屋のような二階建ての立派な本部が見える。
初めに言っておくが、この場所に下級歩兵隊が来ることはほとんどない。大きな任務の時は伝令隊が伝達に来るし、班での任務の時は青島隊長が事前に伝えてくれる。
原則として、本部へは、国帝であるタモン様に用のある人だけが出入りを許可されているのだ。
例えば、青島隊長や赤坂隊長のような上級歩兵隊が任務の報告を行うときや、一般人が他国へ出向くときの許可証を受け取るときなどだ。例外として、災害時に病室が定員を超えた場合に本部の一室が解放されたが。
庭園を通過し、本部を見上げた俺は小さく息を吐き出した。
息苦しさを感じるのは、生まれた時のことを思い出してしまうせいだ。
俺の第二の人生はここからスタートした。
中に入り、客室の前で足を止めた赤坂隊長は先に行くよう促してきた。覗いてみると、八畳ほどの広さにテーブルと差布団だけが置かれている殺風景な部屋だった。
どうやら先客がいたようで、顔を見た俺は思わず一歩後ろに下がってしまった。
「どうしてここに……」
座っていたのは、タカラとミツルだったのだ。幽霊島でのことが頭を巡り心臓が激しく行動し始める。
「ブーツを脱いで早く座れ」
赤坂隊長の声で我に返りミツルの向かい側に腰を降ろす。およそ一ヶ月ぶりに顔を合わせたが、気まずいなんてものじゃない。別れ際の二人を思い出して、頭がどうにかなりそうだ。
赤坂隊長が座ったのを合図にタカラが口を開いた。
「入院していたと聞いたが、もう大丈夫そうだな」
「はい……。島を出たんですか?」
「いや、今も変わらずあの島に住んでる。そんなことより、お前に用があって北闇まで来たんだ」
タカラの瞳の奥に死んだ海賊の顔が見えたような気がした。
ごくりと生唾を飲み込み、膝をついてテーブルと距離をとり土下座をした。そして、畳に額をこすりつけて許しを乞う。
「ごめん……なさい……。本当に……。あの時は殺すつもりなんて……」
俺はいったい誰に謝っているのだろうか。
心の底から湧き溢れる後悔とともに胃の中の物がせり上がってくる。そんな俺に、タカラは頭を上げるように言った。
「ガキのくせに、やつれてんじゃないよ、まったく。うちらにも、あの男にも、海賊にも謝る必要はないんだ」
「――っ、でも……」
「あんたの気持ちは痛いほどわかる。しつこい油汚れみたいに瞼の裏にこびりついてるんだろう? だが、それは今は忘れてくれ。うちらが北闇に来たのは、あの男について情報を得たからだ。あいつはとんでもない奴で、そもそも東昇の国民ではなかった」
俺に代わって、赤坂隊長が話す。
「青島さんからも報告は受けていますが、ただの海賊ではなかったということですか?」
「ああ。あんたらが帰った後、ビゼンからこんな話を聞かされた。ミツルを殺そうとしたあの男は、東昇に住む前は南光に住んでいて、混血者を相手に拷問を職としていた男だったそうだ。その残虐さに王家も黙っていられず、男は罰を受ける前に東昇に逃亡したらしい」
「しかし、住むには国帝の許可が必要になります。身元を調べ上げられたはずですが……」
「賢い男でね。門番に大金を払って国の南側に身を潜めていたそうだ。そこは本部からもっとも遠い場所で、農家が一軒と畑や牧場があるだけの広大な土地だ。闇影隊の目もほとんど届かない」
「なるほど、それが裏目にでたわけですか」
「大地震で土地ごといかれるとは誰も思わないさ。うちもその一人だ。当時、不法入国者がいるとのことで捜索任務に就いたうちは南側を請け負っていた。そこにあの大地震がきた」
「捜索対象は、死んだ男ですか?」
「そうだ」
それから、タカラはこう続けた。
「大地震の後、救出はないと悟ったのか、南光での行いを武勇伝のごとく話されたそうだ。その内容に恐れたビゼンは聞き流す他なかった。最近になって真実を打ち明けてくれたが、今でも恐ろしく思うそうだ」
赤坂隊長からこちらに視線を移したタカラに、背筋を伸ばして手に握る汗をさらに強く握る。
「……ナオト、あんたがやった事を見て初めは混乱したが、今思えば、あれは天罰だろう。正しい事をしたとは言えないが、王家が手を下したところで結果は同じだったはずだ」
「そうでしょうか……。俺にはわかりません」
「あんたがどう思おうと、うちは礼を言いたい。王家云々の前に、あの場にあんたらがいなくとも、事情を知ればうちが殺していた。忘れないでくれ、あんただけじゃないんだ」
テーブルに幾つもの涙が溢れ落ちた。肩の荷がおりたように緊張が解け、いつの間にか胸からはもやもやしていた雲が消えていた。
ユマと同じことを口にしたタカラだが、ユマの場合、人間に対する憎しみからのものだった。しかし、タカラは違う。あの男に俺が抱いた感情を自分も抱いたと、そう言ってくれたのだ。
何度も感謝の言葉を呟く俺に、タカラは手を伸ばして優しく頭を撫でてくれた。
「さっきも言ったが、あんたの気持ちは痛いほどわかる。だが、その戦闘服は絶対に脱ぐんじゃないよ。うちはもう闇影隊じゃないが、代わりにあんたが人を救うんだ。うちとミツルが救われたようにね」
「はいっ……」
その後、赤坂隊長と共に正門までタカラとミツルを見送った。護衛はいらないと言っていたが、そもそも幽霊島に住んでいて、大蛇のせいで島から出られないと話していたはずが、いったいどうやって北闇まで来たのだろうか。
正門に向きながらそんな疑問を抱いていると、場の空気にそぐわない、無邪気さがふわりと散るような屈託のない笑みを浮かべている赤坂隊長に顔を覗かれた。
「な、なんですか?」
「別件って言ったの、忘れた?」
民家が並ぶ方へ歩みを進めながらそう言った赤坂隊長の隣を歩き、そういえば家に来た時にそんな事を口にしていたと思い出す。
「覚えてます」
「ユズキちゃんの事なんだけどさ、あれってどういう訳なのよ」
「意味がわからないんですけど……」
「妹だったら……って話し。ユズキちゃんから聞かされた時の俺の気持ち、知りたい?」
「……はぁ? ていうか、知り合いなんですか?」
驚いたことに、赤坂隊長はユズキが北闇に来たばかりの頃から付き合いがあるらしく、あまりの可愛さに妹のように扱ってきたそうだ。
本人いわく、ユズキは照れ屋さんで、妹として接すれば接するほどに毒舌を吐かれたが、俺との会話を聞かされた時は毒舌を吐いたどころか「嬉しかった」と言っていたという。
「この差はなんなのよ」
「年の差……ですかね?」
俺の言葉にあからさまに落ち込む赤坂隊長の足取りは重くなり、まるで絶望に引きずり込まれているかのようだった。
それよりも気になるのは、幽霊島の件になぜ赤坂隊長が出てきたのか、そこだ。走流野家の体質についてもそうだ。察したのか、赤坂隊長は口元に笑みを浮かべた。
「俺が家に来た時から色々と疑問に思っているようだけど、答えを知りたい?」
「教えてください」
「セメルさんに引き取られるまで護衛するのが任務だったから。つまり、青島隊長よりも俺の方が詳しいってことかな。ナオト、お前の成長は俺の喜びでもある。お前がどこまで伸びるのか、ちゃんとこの目で見届けてやるから」
「え……?」
「じゃ、俺は帰るよ」
手を振って去って行く赤坂隊長の背中に、俺は慌てて大きな声で言葉をぶつけた。合同強化合宿に参加する意思を伝え、深く頭を下げる。
記憶を掘り返すも、本部で暮らしていた頃、近くに赤坂隊長がいたことは全く思い出せなかった。転生や、その直後の大地震、復興作業。どれも気移りすることばかりで気がつかなかった可能性もあるが、とにかく驚きを隠せずにいる。
父さんは言っていた。
ヒロトは誘拐されたが、三歳まで本部で育った俺は、タモン様や闇影隊が近くに居たから身に危険が及ぶことはなかった、と。闇影隊とは、きっと赤坂隊長のことだ。
家について、大きく息を吐き出し、何をするわけでもなくただリビングに立つ。全身から力を抜いて、俺はこの戦闘服に初めて手を通した夜を思い出していた。
「死を恐れるのではなく、誰かを守れるようなそんな闇影隊になりたい……」
夜の公園でユズキと話したあと、俺はそう夢を抱くようになった。
両手を見て、もう一度闇影隊として闘う覚悟を決めた俺は、強く拳を握り一人リビングで奮起した。
その日から、やがて行われる合同強化合宿に向けて日々鍛錬に励み、もう二度と同じ過ちは繰り返さないと自分に誓ったのであった。




