第二章・3 「訪問者」
「あの、入ってもいいかな?」
扉を少しだけ開けて声をかけてきたのは女の子だ。そして、俺はこの声をよく知っている。
「カ、カナデちゃん!?」
隙間から顔を覗かせたのは、五桐カナデ。片思いの相手だった。
「なにもないけど、どうぞ!!」
急いで丸椅子を用意して、病衣をきちんと整える。それから姿勢正しくベッドに腰掛けて、互いに向き合った。初めての至近距離に目は忙しなく泳いでいる。
「前は手紙だけだったから今回はお見舞いに来たの。さっきイツキ君と会ったけど、同じ目的かな?」
黙って頷き、少しずつカナデに視線を戻すと、彼女は耳に髪の毛をかけながら続けた。
「ナオト君が生き返ったって、国中で噂になってるよ」
そう言ったカナデの声は、いわくありげな言い方に聞こえた。原因はわかっている。
「呪われた兄弟……だろ?」
「うん……。それでヒロト君が怒って、暴れちゃって……。今頃、タモン様にお叱りを受けてると思う」
「なにをしたかまでは言わなくていい。なんとなくわかるから」
きっと、退院した時に備えて前もって伝えに来てくれたのだろう。いまだに囁かれている噂に、胸は締め付けられていくばかりだ。
「それよりも、ここに一人で来てよかったのか? その……ソウジが怒るんじゃない?」
「話があってきたの」
立ち上がり、扉の鍵を閉めたカナデは、また丸椅子に座ると膝の上で両手を握った。
話したいこととは、婚約者であるソウジに「首を突っ込むな」と釘を刺されてしまうほどのものであるらしく、鍵を閉めたということは、どうやら他人に聞かれてはまずい内容のようだ。
一息おいて話し始めたカナデは、訓練校に入学する前まで遡った。
「ナオト君は、人間の集会に参加したことがある?」
「そんな集まりがあるなんて、俺は知らないけど」
「やっぱりそうだったんだ。その集会はね、子どもはある年齢になると参加が義務づけられているの」
その年齢とは、八歳である。しかし、俺は一度も参加したことがない。
「父さんからはなにも聞かされていない……」
「集会のことを隠していたのはヒロト君だと思う。ナオト君が八歳の時に一度だけ集会があって、今のところはそれを最後にまだ行われていないみたい」
「集まってなにをしたんだ?」
「訓練校に入学するかどうかの話し合い。聞いた話では、その時の集会でナオト君のお父さんとヒロト君は、当主に噂のことを問いただされたんだって……。……出産の時、ナオト君はお腹の中に存在していなかったんじゃないかって……」
肉を突き破って出てきそうなほどに、心臓が強く鼓動した。すでにあのことをヒロトは知っているのだ。その事実に息を吸うことすら忘れてしまう。
「……カナデちゃんはどうしてヒロトが隠してるって気づいたんだ?」
「幽霊島の任務で、依頼人のタカラさんが、海賊の船長は大地震が起こる前までは東昇の当主だった男だって話してた。だから、青島隊長や他のみんなはタカラさんとミツル君の扱いを見るまでは、ビゼンさんに敬意を払ってなにも行動に移さなかった。でも、ヒロト君の場合、当主って聞いた途端に表情を変えた。後ろにいるナオト君を気にしながら、ね……。それとは逆に、ナオト君は当主という言葉になにも反応を見せなかった」
「それは……」
「うん、ナオト君は当主がなんなのかもわかってない。そうだよね?」
口の中の水分を一気に失い、俺はカナデの言葉に対してなにも返せなかった。
たしかに、俺は「当主」と呼ばれる人がどんな立場にあるかを知らない。あの時も話しをそのまま流れるように聞いていた。しかし、カナデの言い方から察するに、どうやら当主とは地位の高い人のことのようだ。
思い返せば、タカラはビゼンについて、なんの不自由もなかった暮らしが一変し、自分の存在価値を思い知らされ怒りに狂ったと言っていた。
「なんで隠す必要が……。当主って何様なんだよ……」
「北闇だけでいえば、混血者をまとめているのは代々三ツ葉一族で、これと同じように、人間にもそういった一族がいるの」
「それが当主ってわけか」
「そう。……青空一族。イツキ君の家族よ」
「え……?でもあいつは……」
ユズキと二人で暮らしていたはずだ。それに、生まれた時から両親はいない。
混乱し始めた俺は、詳細の目をカナデに向けた。
「……養子らしいわ。だけど、イツキ君にも噂があるでしょう? 当主から受けた扱いはとても酷いもので、イツキ君は家から追い出されているみたい。それともう一つ、人間には幼い頃からイツキ君にだけ知らされていない決まりがあった……」
それは、イツキの名前を口にしてはいけない――。当主が決めたルールだ。
公園でイツキが虐められていたことや、「化け物」と呼ばれていたのは、ジンキとかいう生き物のせいだけではなかったようだ。
そもそも、大人ならともかく、俺よりも少し年上なだけの奴らがジンキの存在を知っているはずがないじゃないか。きっと、大人の真似をしたのだろ。
「あいつ、それで化け物なんて呼ばれていたのか……。当主ってそんなに偉い奴なのか?」
「混血者と人間が国内で争わないために双方にリーダーがいるの。偉いなんて言葉じゃすまないわ。話しは戻るけど、ヒロト君がその存在や集会のことを隠していたのはおそらく噂のせい……。彼って、なんだかナオト君を守るのに必死に見えちゃって、どうしてもそう思えるの」
そうだとしても、いったいどうやって父さんを言いくるめたのだろうか。
「なんで俺にバラしたんだよ。黙っていればなにも知らずにすんだのに」
「知るべきよ。仮に私の推測が当たってるとして、いずれナオト君の耳に入ることだわ。隠し事は長引くほど重荷になる」
「たしかにそうだな……」
それは痛いほどよくわかる。俺が抱えている秘密を家族に打ち明けることができたら、どれだけ気持ちが楽になるだろうか。
この件に関して、カナデは誰にも言わないようにと約束させてきた。もちろんヒロトに話すつもりはないが、彼女には彼女なりの考えがあっての行動であるらしく、それは俺たち兄弟が仲違いすることを心配してのものだった。
カナデが言うように、父さんにしろヒロトにしろ、隠しているのが誰であっても今回の件は遅からず俺に知れることだ。仮にそれがヒロトだった場合、班内で揉めては任務に支障が出る。
だけど、カナデが話してくれたことで、俺は心構えができるしその時の対応も変わるはずだ。
しかし、なぜカナデは今になって話したのだろうか。
「集会の件でなにかあったのか?」
「ううん。ただ、私にとってはそれが重荷だったってだけ。二人はすごく仲が良いから、喧嘩なんてしてほしくないの」
その優しさに、思わず口元が緩んでしまう。
「それと、私の話を聞いてもらいたくて……。ソウジやユマちゃんたちには話せないことなんだけど、幽霊島の任務以来、苦しくて仕方ないの……」
先程とは一転して苦渋の表情を浮かべるカナデ。思うに、本題はここからのようだ。
「当主について話したのは、今から話す内容にもでてくるワードだからなんだな」
先に本題から入っては、当主がなんであるかを知らない俺にとっては理解し難いものだったはずだ。そうなれば、確実に父さんかヒロトに聞いていただろう。
しかし、ソウジに釘を刺されるくらいだ。話した内容が他に知れるのは避けたいはず。
図星だったようで、彼女は小さな声で謝罪を口にした。
「それで、幽霊島でなにがあったんだ?」
「……東昇の大地震を機に、私の母国では「当主」という存在が消えた。今では混血者が人間を率いていて、国帝と旧家で国を築いていると言っても過言ではない。そう話してくれたのは私のお兄ちゃんで、ソウジと同じくリーダーになる宿命なの。……当主が消えて、そうなったけどね」
「ちょっと待って、東昇出身なのか?!」
幼くして嫁いで来た――。
訓練校に通っていた頃、たしかにそう噂では聞いていたが、まさか東昇の国出身だとは思いもしなかった。
俺の驚きをよそに、カナデは静かに話しを続ける。
「私は、お兄ちゃんが言った通り、消えた……。つまり、失踪したものだと思い込んでいたの。でも違った。当主は、海賊となって生きていた。東昇の国は、大地震で遭難した仲間を見捨てた。幽霊島の任務でその事実を知って、自分の国に対する信用が全て失われて……。それから色々と考えて、わかっちゃったの」
「なにが……?」
「……私は貢ぎ物だってこと。国帝やお兄ちゃんは私を捨てたの。タカラさんたちと同じようにね」
慰めの言葉すら出てこなかったのは、貢ぎ物という言葉の意味がわかったからだろう。
よく考えてみれば、八歳で嫁ぐなんてあまりにもぶっ飛んだ話しじゃないか。
「タモン様もそれを許したってことだよな?」
「北闇の国帝は何も悪くないわ。東昇が私を寄こしたってことは、母国に非があるってことだから。なにをしたのかはわからないけど、きっとソウジは事情を知ってる。私を見るときの目に恨みがこもってるから……。最初はどうしてそんな目で私を見るのかわからなかったけど、今は違う。ただ、私にはそれを聞く勇気がない。これ以上、母国を憎みたくない」
「どうして俺に……」
「私を他人のように扱わないからかな……。ナオト君と話していると、自分はよそ者じゃないんだって、そう思えるの」
ユマがカナデの隣を歩くのは護衛で、ソウジがカナデを気にかけるのは東昇との繋がりがあるから。旧家の人たちが良くしてくれるのも同じ理由だ。そう淡々と口にし、ゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ帰るね。暗い話しばかりでごめんなさい……」
「カナデちゃんが楽になったならそれでいいよ。また任務の時に」
「うん、おやすみ」
眠気はどこにいったのやら。目が覚めてしまった。
土地神という生き物や、カナデが貢ぎ物であることも心に引っかかるが、なによりも――。
「別に隠す必要なんてないのに……」
力なくベッドに倒れ込みながら無意識に漏れた独り言は、静寂と化した病室に物寂しく響く。
やはり、隠していたのはヒロトだとしか思えないのだ。
ただ、なぜそうする必要があったのか、誰がカナデに集会のことを話したのか、その疑問だけが残る。後者に関しては、イツキにだけ伏せられていたルールが人間のあいだにだけあったことから、カナデに話したのは人間だと推測できるが。
考えるのはやめにしよう。今日は混乱することばかりだ――。




