第二章・2 「生還」
ぼんやりと霞む目路に真っ白な天井が見えた。
ここはどこだろうか。
白い毛布に白いベッド、その横には台があり、俺は薄い上掛けを着ていた。深く息を吸うと、薬品の独特なニオイが鼻の奥を突いてくる。
「またか……」
どうやら俺は、二度目の入院をしているようだ。
上体を起こそうとすると、長い夢を見ていたせいか身体は石のように硬くなっていた。
思えば、幽霊島の任務から戻って何も口にしていない。そのせいで倒れて、病院に運ばれたのかもしれない。
だからあのような夢を見たのだろう。
色んなことが一気に起こったから、見た夢はこれまでの出来事が入り交じっていた。
「死神、か……」
人を殺してしまい、自身の能力に恐怖を抱き、ついに俺の精神状態は限界にまできた。そんななか、イツキに助けを求められても、自殺を考えていた俺に救いの手を差し伸べることはできない。
どうにか起き上がり、ベッドに両手をついて、もたれるように上体を反らせて、天井を仰ぎながら大きく息を吐き出した。
なんて都合の良い夢だろう。言霊にあんな原理が備わっているわけがないし、ましてや父さんが知らないはずがない。
「最低だな……。こんな奴、さっさと死ねばいいのに……」
そう呟いて、慌てて口を閉じた。病室に誰かがやって来たのだ。扉が開き、そこに立っていたのは父さんだった。父さんの腕のなかには俺の着替えがある。
「あ、ありがとう!! ってか、ごめんなさい……。卒業試験前に言われたことを忘れていたわけじゃないんだけど……。その……」
「……ナオト? お前っ……」
目が合うと、父さんの手から服が滑り落ちた。
「どうして……」
言いながら、俺の体をベッドに押し倒す勢いで抱きつかれ、背中の骨が軋むくらいの力で締め上げてきた。そして、俺の頬に父さんの大きな手が添えられ、父さんの目からは真珠のような涙が溢れだす。
「どうしてなにも話してくれなかったんだ!! 青島さんから報告を受けるまで、父さんはっ……」
頬に添えられていた手は両肩に置かれ、地面に膝をついた父さんは俺の膝で子どものように泣いていた。俺の身に何が起きたのか、それを聞けたのは父さんが落ち着いてからだった。
予想通りというべきか、家で倒れた俺はこうして病院まで運ばれ、挙げ句の果てに、どんな治療も効かなかったそうだ。それは俺が自己暗示で自分に「死ね」と言い続けていたためで、父さんにそれを説明する事は出来なかった。
堅く口を閉ざし、静かに話に耳を傾けていると、衝撃的な言葉が出てきた。父さんの口から俺の死を告げられたのだ。
「心臓は止まり、やがて体が冷たくなり、二日前にこの世を去った……。すぐに執り行われた葬儀には同期の子も参列してくれて、みんなでナオトを見送ったんだ」
ところが、全てが落ち着き病室の片付けのために再び病院を訪れると、いきなり医療隊の人に俺の生還を告げられ、病院の前で気を失っていたと知らされた。
「本当に驚いたよ。まさか、墓から這い出てくるなんてな」
そう言って、父さんは眉を下げながら笑みを浮かべる。
「あまり覚えてないけど、そうだね……」
悟られぬよう表情を誤魔化すのに苦労しながら、俺の元に現れた死神が夢でない事を理解し、嫌な汗が毛穴から噴き出た。
なぜなら、訓練校の授業で、先生が「鬼は存在しない」と断言したからだ。
胸の内を知らず、父さんは「墓は壊されていた」と言い、それによって俺の頭はさらに混乱し始めた。
それから、父さんは青島班の現状を話してくれた。しかし、俺の耳には全く届いておらず、それよりも死神が現れてからの出来事が現実であった事ばかりを考えていた。
しばらくして、父さんは仕事に行ってしまい、そのすぐ後にイツキが訪ねてきた。噂を聞いて駆けつけてくれたようで、俺の容体を確認すると丸椅子に座りほっと息をつく。
イツキは別人のようにやつれていて、憂鬱な影が漂っていた。ユズキが北闇を出て行ったと思い出したのは、その影が死神と重ね見えたからだろう。
あの時、邪険に扱った事を謝った俺は、それからどうなったのかを尋ねた。すると、太ももの上で拳を握ったイツキは、唇を噛み締めて悔し涙を浮かべた。
察するに、止める事が出来なかったようだ。ユズキが出て行った理由はわからないらしく、突然の出来事であったという。
「ヒロトとユマが一緒に追いかけてくれて、ユマは半獣化してまで止めようとしていた。でも、ユズキは……」
僕は、ジンキの味方だ――。
そう言い残し、手の届かない場所に行ってしまった。それからまた唇を噛み締めたイツキは、嗚咽を上げて泣いてしまった。
「あのさ……、ジンキって誰?」
北闇にそんな名前の人がいただろうか。
俺が知る限りでは一人も思い当たらず、また自分が知らない所でヒロトに友達が増えたのかと少しだけ嫉妬を覚える。
だが、それよりも、俺の問いに表情が強張り始めたイツキの方に思考は持っていかれた。
焦りだし、言い訳を探しているであろうイツキは必死に言葉を模索しているようだった。
「ヒロトは知ってる人なの?」
「ううん……。巻き込みたくないから……」
いったいイツキは何を隠しているのだろうか。どうにか誤魔化そうとする振る舞いにしだいに腹が立ってきた俺は、一段階低くなった声で問い詰めた。
こうなれば交換条件だ。ユズキに関して情報があると伝え、イツキの出方を窺う。やがて、観念したのか、固く閉ざしていた口を開いたイツキはある生き物について教えてくれた。
「ジンキは、北闇の土地神の名前だよ」
「……土地神? なにそれ……」
「ジンキという名の巨大な獣で、ユズキはそいつが北闇の土地を守る神様だって言ってた……。俺は姿を見た事はないけど、十一年前、北闇の大地震を引き起こした生き物で、そいつは俺の中に封印されているんだって……。きっと、他の人たちもこの事を知ってると思うんだ」
一瞬耳を疑った。
開いた口が塞がらないとは、まさに今の俺をいうのだろう。
赤ちゃんの頃から窓越しに全てを見てきた俺は、あの地震で北闇にどれだけの被害が及んだかを知っているし、それを機に民家や壁が頑丈に建築されたのも耳にしているが、自然災害ではなく、生き物が関与してるとは予想外だったのだ。
ましてやその生き物がイツキの中に封印されているとは、どういう事だろうか。
そこで、俺は幽霊島に向かう際に、青島隊長が地震について話していた内容を思い出した。
当時、東昇の国という他国でも地震が起きていたのだと知り、規模の大きさに驚いたのはつい最近のこと。
だからイツキは、みんなから「化け物」と呼ばれているのだ。
「じゃあ、そのジンキって獣が北闇と東昇に地震の被害を与えたってことなのか?」
「多分……。前に、ナオトが化け物って呼ばれる理由を聞いてきた事があったよね? 俺は理由はわからないって答えたけど、その訳は、北闇に地震が起きた時、ジンキが姿を現したわけじゃないからなんだ。もしかすると、本当は存在しない生き物で、ユズキは俺が落ち込まないようにそんな嘘をついたんじゃないかって考えた事もあるけど……。でも、ユズキははっきりとジンキの味方だって言った。だとすると、ユズキしか知らない情報があるのかもしれない」
話しながら、落ち着きを取り戻したイツキはまた影を漂わせた。
それにしても、仮にジンキが地震を起こしたとして、だ。土地を守る神様だと言われている生き物が、なぜ土地を破壊するような事をしたのだろうか。
つじつまが合わない。
それから俺は、約束通り交換条件としてユズキに関する情報を教えた。とはいっても、信じ難い話ではあるし、俺が墓から出てきたのがその証拠だとしか言い様がないのだが。
「ユズキを探せ。お前が求める答えを、あいつが持っている。その言葉を最後に姿を消した。……要するに、ユズキの後を追えって意味なのかな?」
「……勘違いじゃないの? 鬼は存在しないんだよ?」
「じゃあ、どうやって墓から出てきたんだよ」
「俺が言いたいのは、鬼じゃなくて妖の可能性はないのかってこと」
そこまで推測していなかった俺は、イツキの言葉に安心感から肩を落とした。
妖は滅多に遭遇する事のない生き物だけど、鬼は存在しないと言われているだけに、どこか恐ろしい気持ちがあったのだ。
しかし、イツキが言うようにあいつが妖だとしたら、それはそれで大問題だ。イツキも考えている事は同じなのか、俺の目を指さしながら言葉を紡いだ。
「一応、幽霊島の件があるから一通りヒロトから事情は聞いてる。……その目、狙われてるんでしょ? もしかすると、それが狙いでナオトの前に姿を現したんじゃ……」
たしかにあの死神は言霊の事を知っていたが、狙うどころか、むしろ原理について教えてくれたくらいだ。ただ単に今はまだ狙えなかったのか、あるいはユズキを追わせたい理由があるのか。
その真意は定かではないが、俺には悪い奴に見えなかった。
それからイツキはユズキの正体が不明であると言った。
元々どこに住んでいたのか、なぜ北闇に来たのか、一緒に住んでいたがその理由はわからないという。それだけでなく、驚いた事に、公園での一件がそもそもの始まりだったそうだ。
「年上の人たちに虐められているところを助けられて、それからの付き合いなんだ。でも……」
しばらく北闇にいたユズキは、一緒に住んでいたイツキになにも言わずに他国へと旅立ち、そして三年後に戻って来た。それがあの転校してきた時の事だ。
イツキが飛びついた理由がわかったのと同時に、彼女の行動範囲に驚きを隠せなかった。
それから色々と話し合って、一つの仮説をたてたイツキは帰って行った。その仮説とは、十一年前の大地震から始まる。
あの地震を起こしたジンキは、何らかの理由でイツキに封印された。それから八年後に北闇にやって来たユズキは、ジンキの存在やイツキに封印された事を知っており、タイミングを見計らって接触。
後に他国へ行きまた戻って来た彼女は、その後の変化を窺った。しかし、俺の前に姿を現した妖が原因で再度北闇を出たのではないか――、と。
ベッドに深く体を沈め、天井を見つめながら死神の最後の言葉について考えた。
「俺が求めている答えって、どの事を言ってるんだろう……」
今のところ答えが出ていないのは、何度も見る夢や転生した原因、走流野家だけが持つ体質についてだ。
この三つのどれかにユズキが関わっているとしたら、妖の出現と照らし合わせると走流野家に関する事だとしか思えないが、それを確かめるには妖の言葉通り彼女を探す他ない。
「あいつ、何者なんだよ……」
大猿の任務で重傷を負った俺を見舞いに来てくれたユズキを思い出し、天井にまで届きそうな盛大なため息をつく。
もしユズキが妹だったら――、と他愛のない会話をしたのは偶然ではないと思えてきたからだ。
ユズキは、家族はいないと言っていた。となると、あいつの理想の中での家族は俺だけだ。
「兄ちゃんが探しに行かないとな……」
一言そう漏らした俺は、重たくなってきた瞼に逆らわず目を閉じる。どうやら普段使わない脳みそを使いすぎたらしい。
そこに、また誰かがやって来た。




