第一章・最終話 「折れた心」
「取り乱すな、ユマよ」
「――っ、隊長!!!!」
「任務はまだ終わったわけではない。そのことを忘れるな。……さて、と」
武器庫にあった斧を手に取り、タカラとミツルを拘束する太い鎖をいとも簡単に断ってしまった青島隊長は、瞬く間に船長との間合いを詰め、斧の刃先を首にあてがった。
先程までの勢いはどこにいったのか、恐れ戦いた海賊たちは武器がなければ無力で非力な男たちばかりだったようで、両手を挙げて降参の意を示している。海賊のなかに混血者はいないようだ。
殺さないでくれと拝み倒すのは、坊主頭に血管を浮きだたせる青島隊長が鬼のように見えたからだろう。青島隊長の俊敏な動きを初めて目にした俺だって、今は同じように映っている。人間ではない、怒気を顔に貼り付けた鬼そのもの。
青島隊長が濁った太い声で問いただす。
「なぜ二人を狙う……」
「あの地震が起きてからというもの、こうやって海での生活を強いられたが、それは母国の闇影隊が俺たちを見捨てたからだ!! みっともねぇ話しだが、上級歩兵隊であるこの女を見ていると怒りを抑えることができなかったんだよ!!!!」
船長は怖ず怖ずとそう答えた。
そこから青島隊長の強烈な尋問で新事実が浮上し、さらに話はこじれていく。
それはビゼンが言っていた、「船の残骸だけが岸辺に打ち上げられていた」とのことに関するもので、タカラとミツルに仲間が殺されたと思っていたらしい。
しかし、犯人にされた二人にはなんの話だか全く理解出来ていないようで、その様子から推測するに犯人は別の人物だと考えられた。
「この女じゃなきゃ誰なんだ!? こいつらは孤島に住みながらなんの不自由もしてないんだぞ!? 俺の仲間の物資を奪ったんじゃなきゃ、いったいどこから手に入れやがったんだ!! この海にはあの化け物がいて、南光まで行くのも命がけだっていうのにっ……」
物資の入手は困難であり海賊をする他に手段がないなか、タカラとミツルの暮らしぶりを見ていると二人が犯人だとしか思えなかった。そう話すビゼンに、青島隊長の尋問はさらに続いた。
「船はどこから手に入れたのだ」
「いつの間にかこの島にあった物だ! 言っておくが嘘じゃねぇからな! 地震があった次の日、起きたらこの島にあったんだ!」
青ざめながらそう怒号するビゼンの目は、青島の片手に握られる斧に向けられていた。その怯えようから嘘を話しているとは考えにくい。しかし、いったい誰がなんのために船を置いたのだろうか。
「まさか、タカラさんと殺し合わせる為に置かれたんじゃねぇだろうな……」
そう呟いたヒロトの声は、場を静めるのに最も適していた。続いて、右手を挙げたミツルは腫らした顔にも関わらず無表情でこう言った。
「物資のことだけど、同じく島に置いてあった。毎日じゃないけど、たまに打ち上げられてるんだよね。どうせ信じないと思って黙ってたけど……。海賊も同じならもういいや。……ね?」
「……ったく、勝手に話すんじゃないよ。いまいち状況が飲み込めないが、そんな事よりもビゼン……。あんた、うちとミツルに頭下げなきゃいけないんじゃないのか? あの日の夜、こっちは片足を失って、ミツルは死にかけたんだ……」
「触れないようにしていたが、双方に何があったのだ……」
それに答えたのはビゼンだった。あまり思い出したくない記憶なのか、生々しい傷跡に触れるように話し始める。
それは、数年前にタカラと対峙した日の夜の事だった。
「初めて船の残骸が岸辺にあった時だ……」
二人を捕らえ、この島に向かっている最中、船底に何かがぶつかり前に進めなくなった。しだいに波が震え、船は左右に大きく傾いたそうだ。
何人もの仲間が暗い水中世界に放り投げられ、鎖で繋がれたタカラとミツルは帆柱にしがみつき事なきを得た。揺れが小さくなったとき、そこに現れたのは見たこともない巨大な大蛇だった。
この時、島の場所を知られまいと二人は目隠しをされていて、何が起こったのかわからずにいたという。
海賊は大蛇と戦い深手を負わせることに成功したが、刺し網を投げ捕獲したのと同時に、今度は騒ぎのおかげで鎖から脱したミツルと一戦交える事となった。
「海水で松明の火は消され、真っ暗闇のなかで誰が仲間かもわからなくなっちまって……。実のところ、そのガキに手を出した奴が誰なのかも俺にはわからねぇんだ」
これを聞き、タカラは義足がないことを忘れ立ち上がろうとした。一戦も何も、当時まだ五歳だったミツルは海に沈められ、そのせいで死にかけたのだという。
「あの時はすぐそこにあの化け物がいたんだ! パニックになってたんだよ!!!!」
「そんな言い訳が通用するものか! 勝手な思い違いで巻き込んでおいて、何ふざけた事を言ってんだ!!!! かりにも船長だろうが!!」」
肩で荒々しい呼吸を繰り返すタカラの青い目は、激しい怒りで充血している。やがて涙を浮かべ、それは静かに頬を流れた。
「あんたらにはわからないさ。うちがどんな気持ちでミツルを育て、母国を恨んだか……。ビゼン、あんたの気持ちに気づいた時、うちは闇影隊である自分を恥じた。ミツル一人で手がいっぱいになって、すぐ近くにいる同じ国の仲間を救えない不甲斐なさに怒りすら覚えた。でもね、あの夜の一件以来、うちの考えも変わったんだ。ミツルの悲鳴を思い出すたびに、芽生えた殺意は大きく膨れあがっていった。あんたらは、うちの子を殺そうとしたんだ!!!!」
そこに一人の男が前へ出てきた。腰に片手を置き、気だるそうに立つその振る舞いは、まるでタカラの声が届いていないように見える。
それから、ミツルを見て鼻で笑った男はとんでもない事を口にした。
「……それでも生きてるじゃねぇか。こっちはな、連続して大勢死んでんだよ。それに比べたら、そんなガキ一人死んだとしてもどうってことねぇ。こっちの気も知らねぇで喚いてんじゃねぇぞ」
そう言い、唾を吐いた男に俺は怒りで腹の底がぐらぐらとし始めた。それはやがて興奮に変わり、抑えきれない何かが喉元まで押し上げてくる。
男はさらに言葉を紡いだ。
「そのガキが大蛇に喰われていれば、お前は足を失わず、俺たちの仲間も死なずに済んだかもしれねぇな。……ならばいっその事、あの時、もう少しガキを沈めておけばよかった」
顎をあげ、男は蔑み笑う。
ミツルの身体を抱き寄せたタカラは、男の表情に身を震わせた。
「お前……なに言ってんだよ……」
俺が口にした言葉は、今のタカラの感情そのものだろう。
自分の一言で怒りが爆発し、それが勢いとなって俺の体は動いてしまった。
男に走り寄り、顔を思い切り蹴り飛ばして、倒れ込んだ男の上半身に馬乗りになった。そして胸ぐらを掴み上げ、自分の顔に寄せて、鼻先がくっつきそうになるくらいのところで喉元まで来ていた言葉を吐いた。
「お前が死ねよ。クソ野郎」
すると、男の目がカッと見開き痙攣を起こし始めたではないか。俺の体まで揺れる激しいもので、男の目の周りの皮膚が波打つよにうねり始める。
「このガキ……、俺に……何をしたんだっ……」
あまりの不気味さに慌てて男から離れると、男は俺の足もとで悶え苦しみ、足で何度も岩場を蹴った。両手で喉を押さえ、壊れた笛のような音を出しながら必死に酸素を求める。
「パンッ」と何かが弾けた音が鼓膜を貫いた。
直後、絶叫した男は喉を押さえていた手で目を覆い、膝立ちになると、すぐそばにいた俺の右腕にしがみついた。男が顔を上げたその時、俺は細い悲鳴を上げた。
「見えねぇ……、見えねぇよ……。俺の目、どうなったんだ? ……なあ、答えてくれよ!」
弾けたのは男の両目だったのだ。血と共に流れ出る異物が岩場の上にこぼれ落ちたのを感じたのか、男は手探りで確かめようとしていた。
しだいに呼吸は乱れ始めた。足りない酸素を補おうと上半身は前後に揺て、喉の奥からは聞いた事のない呼吸音が音となって聞こえてくる。息が詰まり、今にも顔が破裂しそうなほど赤くなっていた。
と、その時だ。
「あっ……、ああぁぁぁあああああ!!!!」
空を仰ぎながら絶叫した男は、文字通り顔を破裂させ絶命し、頭から灰となって風に吹かれながら海の方へと消えていった。
場が静まりかえり、少しの間を置いて、海賊たちは一斉にパニックとなる。膝から崩れ落ちた俺は、ある事を確信していた。
「言霊が……発動しやがった……」
怒号、悲鳴、金切り声、あるいは罵声。色んな声が飛び交う中、父さんの言葉だけが頭を埋め尽くす。
――「例えば、絶対に人を死に追いやるような言葉を口にしてはいけない……。言霊は、使い方を間違えると簡単に人を殺してしまう。相手に対して少しでも哀れみや同情といった感情があれば別だが、もし仮に本気で死んでほしいと口にした時……。相手は灰となり、この世から跡形もなく消え去る……」――
父さんの言葉通りじゃないか。
その後、船を一隻渡された俺たちは、海賊の島から追い出され幽霊島に戻ってきた。
青島隊長とタカラが話し合っている間、俺は一人変わらず穏やかな波音をたてる浜辺に座り込んでいる。そこにやって来たのはユマだった。隣に腰を下ろし、一発背中を叩かれる。
「丸くなるな。それでもお前は闇影隊なのか?」
「……人を殺したんだぞ」
「お前がやらなければ私がやっていた。それだけの話だ」
「――っ、あの人には国で待つ家族がいたかもしれないんだぞ!?」
「……結果はどうであれ、これが私たちの仕事だ。……仮に、前回の任務でお前が誤って大猿を討伐したとしよう。お前は私に同じ言葉を吐いたか? 家族がいるから、などと、甘ったれた感情をぶつけてきたか? 今は非難の目で私を見ているが、いずれお前にもわかる日が来る。人間からの混血者への扱いは、獣や妖の扱いとそう違いはない、とな」
「だからなんだよ……」
「……私があの男を殺したとしても、互いにやっている事は同じだ。だから私はあえてお前を称賛する。よくやった」
上官への言葉が偽善でない事を願う――。そう言い残して、ユマはタカラの家に足を運んだ。
青島隊長とタカラの話し合いで、青島隊長は今回の任務を破棄すると決定した。
そもそも、島から出られないと話していたタカラが北闇に依頼する事は不可能である。
その事に気づいた青島隊長が問いただすと、海に出て船乗りの話を盗み聞きしたミツルが手に入れた情報を元に、海賊が自分の名前を使っていると知り、自分が依頼したのだと嘘をついた――、と自供した。
その結果、タカラと海賊の双方による依頼の奪い合いが生じ、さらには俺が殺人を犯してしまった為、任務続行は不可能だと判断された。
大蛇討伐は取りやめになったものの、こんな孤島に置き去りにするわけにもいかず、青島隊長は一緒に南光まで行く事を提案したが、俺を見たタカラは静かに首を横に振った。
それから数日かけて北闇に帰還した青島班は正門で解散となった。帰宅して、父さんに今回の任務での出来事を話そうとした矢先、伝令隊がやって来た。
「走流野セメル、本部からの呼び出しだ。我々と共にご同行願おう」
きっと、言霊の件で色々と事情を聞かれるのだろう。
どこか他人事のようにそんな事を思いながら部屋に足を運んだ。しばらく呆然としていたが、ふと我に返り慌てて戦闘服を脱ぎ、それを袋に詰め込んで押し入れの奥に封印した。
それから自室に引きこもり、毎晩うなされるようになった。
繰り返し何度もあの男の死に様が夢に出てきて、俺の叫び声に飛び起きた父さんとヒロトが部屋を訪ねてくるけど、俺は一言も喋らずに二人を追い返していた。
ある晩の夢で、岩場に立つ男は言った。
「前の世界では、平気で死ねと口にしていたのにな。誰も死なずに済んだとは奇跡だ。なぜだろうな、俺はお前に殺されたのに」
すると景色が変わり、度胸試しで幽霊を探していた頃の俺が出てきた。こっそりと俺から離れていく友達に気づき、取り残された俺は急いで後を追いかける。
「置いていくな! 死ね!」
「早く来いよー!」
その時の光景は、リピートされたように何度も繰り返し映し出された。
男の言う通り、俺は平気で「死ね」と口にしていたし、周りの奴らもそうだった。だけどそれは冗談で、本気で言っていたわけじゃない。
俺の心が読めるのか、いつの間にか目がなくなっている男は、追い打ちをかけるように言葉を紡ぐ。
「それは偶然にすぎねぇ。……お前の言葉を本気で受け止めるような奴がそこにいたら、きっとそいつも死んでいただろうよ。冗談だと主張しても、お前が人を傷つけ殺した事に代わりはねぇんだ」
そう言い、灰となって消えた男の夢を見て、大量の汗を噴き出しながら飛び起きた。体は冷水を浴びたみたいに冷たくて、寒くもないのにガタガタと震えている。
重力に逆らった胃は汚物を押し上げ、ゴミ箱に転がり込み勢いよく吐き出した。
そんな時、誰かが窓を叩いた。
視線だけやると、そこには屋根に立つイツキがいて、なぜだか頬にはたくさんの涙の跡があり、目が合うとその上からさらに涙を被せた。
何も食べていないからか、あまり力の入らない足取りで移動し窓を開けると、イツキは嗚咽を上げながら口を開いた。
「ナオト、助けて……。ユズキが北闇を出て行った……」
そう言って、涙を拭うイツキを見ても何の感情も湧き上がってこなかった。言葉を返さずに窓を閉め鍵をかけると、イツキは窓を叩きながら何度も俺の名前を呼ぶ。全身を毛布で覆い隠し横になると、諦めたのか、部屋はまた静寂と化した。
俺の体は、死んだ魚のようにピクリとも動かなくなった。隣にはあの男が毎晩寝ていて、ずっと目を合わせたまま俺が死ぬのを待っている。そんな俺もまた、自分に「死ね」と自己暗示をかけていた。




