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蝕喰(しょくばみ)  作者: 犬丸
蝕喰=♂・ナオト編
17/47

第一章・16 「幽霊島」

 無事、退院して一週間が過ぎた。

 

 退院日には父さんが迎えに来てくれて、任務での活躍を褒めてくれてた。


 その後に少しだけ説教をくらい、自分の体質をもっと考えながら行動しろと注意を受けたが。


 そうして今日、青島班は長期任務に就く事となり、まだ日も昇っていない時間から準備をしている。前回の任務で汚損した戦闘服は、父さんのおかげで綺麗になっていた。




「ナオト、置いてくぞ!」


「今行く!」




 傷だらけになったブーツに足を通して、外に出た俺たちは門に向かって足を進めた。初の国外任務には最適の天気だ。今はまだ肌寒いけど、晴れそうな空をしている。


 正門に全員が集合して門から一歩踏み出した。歩きながら、青島隊長は任務について説明する。

 


「穂波タカラという女性からの依頼で、海に潜む大蛇の討伐というものだ。今から話す内容には、お前たちが初めて聞く国名も出てくるが、しっかりと記憶するように」




 まず初めに、目的地は「幽霊島」と呼ばれる島で、そこに行くには北闇から南に位置する「南光(なんこう)の国」の船乗り場から向かう事になるそうだ。




「その島は、十一年前の大地震が起こる前は東にある東昇(とうしょう)の国の南側にあった領土だ。いくつか孤島があるうちの一つで、幽霊島に行くには一度南光の国に入国しなければならん。なにせ、あの地震が原因で東昇の南側は断崖絶壁と化してしまったからな……」




 青島隊長の言葉に全員が首を傾げたのは、「大地震」という名詞が出てきたからだろう。確かに十一年前に北闇は大地震に襲われたが、北闇以外の国も地震に見舞われているとは初耳だ。




「南光に向かうルートは、北闇の領土を南東に向かうという少し遠回りな道のりだ。半円に添う形で進んで行くのだが、南下出来ない理由は地形にある。簡潔に言えば、この世界のど真ん中には常に濃霧が立ちこめている巨大な湖があり、その霧が晴れたことは今までに一度もない。つまり、湖を渡るのは不可能だという現実的な理由からだ。かといって、湖を避けるこのルートも安全というわけではない」




 なぜなら、湖を拠点にする山賊がいるらしく、ハンター並に危険だというのだから気が滅入ったのは言うまでもないだろう。


 それと、今回の任務には一人助っ人が来ている。(あおい)ユマという女の子で、北闇にいる混血者の旧家の子だ。彼女は同期であり、卒業した混血者八名の一人である。


 北闇にいる混血者の旧家は三ツ葉家を筆頭に結束していて、その三ツ葉の一人息子が恋敵のソウジだ。


 ソウジは旧家のリーダーになる宿命にあり、ユマはソウジを護衛する配下で、配下はユマを含め四人いると聞いた。


 ユマ以外の三人と喧嘩になった事のあるヒロトは散々殴りまくった挙げ句、勝った証拠に下唇に三つのピアスを着けた。


 その件があったからか、ヒロトはユマをしきりに警戒していた。あの時の仕返しをされるのではないかとひやひやしているのだ。


 一方ユマはというと、ヒロトの背中を睨みつけてはいるが、ソウジの婚約者であるカナデを護衛するために彼女から離れないように並んで歩いていた。

 

 ヒロトいわく、ユマは男勝りで豪勇な性格みたいだ。女である一面を見せまいと強気で、半獣化するとソウジよりも力を発揮するらしい。

 

 訓練校時代、俺はカナデばかり目で追っていたから他の人の情報は全く手元になく、詳しいヒロトに感心の声がもれる。

 

 ユマの視線から逃げるように俺とイツキの肩に手を回したヒロトは、珍しく俺に弱気なことを口にする。




「俺が殺られたら、あとの事は頼んだ……」


「なんで喧嘩なんかしたんだよ」


「売られたからだ! 買うしかねぇだろ!」




 そんなことがありながら、出発して数日後――。


 日干しレンガ造りの巨大な壁を見上げながら正門を通過し、受付で入国手続きを済ませた。


 赤を基調に建築された、ここ南光の国の街中を歩きながら、初入国のため目が一点に集中することはなかった。北闇とは違った風景に気分は高まっている。


 北闇よりも国を囲う壁は高く、レンガで造られた豪華な家の並びは一際目を引き、商売が盛んのようでとても活気のある国だ。さらには、水に恵まれており、数多くの小川のような水路が引かれいて歩くのではなく小舟を利用する人もいる。


 それでもどこか物足りなさを感じるのは緑が少ないからだろう。レンガばかりで他の色が全く目立たない国でもあった。


 そんな風景を堪能しながら、親子で経営している船乗り場にやってきた俺たちは、高い運賃を払って小舟に乗りゆっくりと東に向かった。


 その間、漕ぎ手の男と青島隊長の会話は尽きなかった。長い時間をかけて南光まで徒歩で向かい、その間ほとんど休憩はなかったというのに、いったいどこにそんな元気が有り余っているのだろうか。


 青島隊長の体力に感心しながら、船にもたれ掛かる俺は温かい風に眠気を誘われていた。

 

 船が進むにつれ徐々に潮の香りが近づいてきた。海がすぐそこであることを告げているが、突然、水路の分かれ道で親子は舟を漕ぐ手を止めてしまった。


 娘が申し訳なさそうに頭を下げる。




「この水路を左に行くとすぐ海に出ます。私たちはここで降りますが、島はすぐに見えますので……あの……」


「……は?」




 無意識にでてきた言葉に焦って口を塞ぐ。高い金を払った青島隊長も驚きを隠せないようで、任務遂行のためにも頭を下げ続けているが、親子は首を横に振り続けた。




「何か事情があるんですか?」




 ユマの問いに黙って頷き、娘は目的地である幽霊島についてこう洩らす。




「孤島ができる前は、南光と東昇の国境代わりになっていた大きな川があったんですが……。十一年前の地震で東昇の国が領土南側の三分の一を失ったことにより幽霊島のような島が出来たんです」




 ここまでは入国する前に青島隊長から聞いているが、話にはまだ続きがあった。




「いつからかその島には幽霊がいると噂されるようになり、ただの噂ならよかったのですが、父と私もその幽霊を見たことがきっかけで……その……」



 

 何を思い出したのか、沈黙してしまった娘に代わって父親が口を開く。




「前にも何度かあの島に隊の方を乗せて海に出たが、わしらの舟は奇跡的に無事だったからよかったものの、奴は時に舟を沈めることもある。船乗り仲間がどれだけ犠牲になったことか……。あの島に用があると頼まれても、残念だがわしらはここまでだ。大事な一人娘を危険な目に遭わせるわけにはいかんのでな」




 よっぽど恐ろしい体験をしたのだろう。父親のくぐもった声に寒気がする。


 不憫に思った様子のユマは、深いため息を吐いて青島隊長に向き直る。




「隊長、私たちだけで行きましょう。事情がどうであれ、一般人を巻き込むわけにはいきません」


「それしかないな。幽霊島はどの辺りに?」

 



 天気は良いし風もない。舟が流されることもないだろう。


 こうして、交代で慣れない舟を漕ぎ続けて海に出ると、幽霊島を視界に捉える事ができた。南光とは打って変わり、緑に恵まれた自然豊かな島に見える。


 ここに来るまでに、話に聞いたような事は何も起きず、周囲には何の気配も感じられなかった。しかし、半分来たところでその手は止まってしまう。


 首の骨が軋むような感覚がするのは、すぐ真横に見えるなにかに体が硬直しているからだ。


 そこに浮かんでいたのは人だった。青白い顔を半分だけ水面から覗かせ、じっとこちらの様子を伺っている。奴は、静かにこちらへと近づいてきた。




「すんっ……」




 気絶した青島隊長の安否など気にならないほどに、俺は焦っていた。


 あれは人間だと自分に何度も言い聞かせるが、水深を測らずとも海面の濃さでなんとなくわかる。幽霊島まではまだ距離があり、こんな深いところまで人間が泳げるはずがないのだ。


 少しずつ寄ってくる幽霊に、俺とイツキは咄嗟にヒロトの後ろに隠れ、カナデはユマの腕にしがみついた。


 どうやら、親子が話していたことは事実だったらしい。すると、音も立てずに水面下に潜った奴は舟を揺らし始めた。転覆させようとしているのだ。




「――っ、どこにいる!?」

 



 言いながら、半獣化したユマは警戒しながら奴を探す。しかし、どこにも姿は見当たらず、その間も舟は激しく揺れていた。


 目を細めたユマは拳を船の底に突き刺した。そっとそれを引き抜くと、なぜだか爪には血がついていて幽霊でないことを確認する。




「私の嗅覚を舐めるな……。奴からは人間のニオイがぷんぷんする……」




 開いた穴から入り込んでくる海水を青島隊長の巨体で塞ぎ、とにかく島に向かって急いで舟を漕いだ。ところが、奴は諦めが悪いらしく後ろから着いて来るではないか。


 その姿に恐怖した俺は、久しぶりにビビリを発揮した。ヒロトとユマからオールのような物を取り上げ、しっかりと握り締め、物凄い勢いで漕ぎながらお経のように自己暗示をかけていく。




「俺の漕ぎの速さに勝てる奴はいない。俺の漕ぎの速さに勝てる奴はいない。俺の漕ぎの速さに勝てる奴はいない!!!!」




 自己暗示が利いたのか、船は波しぶきをあげながら猛スピードで前に進んでいった。いくらユマが人間だといっても、自分の目で確認していないものを信じることは出来なかったのだ。だが、ここに空気が読めない者が一人。




「しつこいんだよ、カスが」




 そう言って、奴の顔に唾を吐きかけたヒロトは、口角をつり上げ犯罪者のような笑みを浮かべていた。




「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ……」


「この馬鹿! なにしてんだ! お前のせいでイツキが変になったじゃん!」


「なにビビってんだ、ナオト。ユマが一撃お見舞いしたわけだし、もうそろそろ……」

 



 振り返ると、そこに奴の姿はなかった。


 無事に島に辿り着き、青島隊長を起こした俺たちは、やっとのことで依頼人の家に辿り着いた。留守のようで、しばらく外で待っていると、大きな網を引きずりながらこちらに向かってくる女性の姿が見えてくる。漁に出ていたみたいだ。




「彼女が依頼人の穂波タカラさんだろう」




 深々と頭を下げた青島隊長は、タカラの姿に目を細くした。その身に何が起こったのか、彼女の両足首には酷い傷跡があり、もう片方の足は膝から下が義足だったのだ。


 家の中に案内され、青島隊長が詳しく話を聞けば、孤島の一つを拠点にしている海賊から受けた傷だと教えてくれた。


 ユマと同じくかなり男勝りな性格のようで、こんがりと焼けた肌に栄える青目が印象的の女性だが、胡座に肘を置きながら話すその姿勢は女性らしさを微塵も感じさせなかった。




「海賊……ですか。依頼内容にそのようなことは一文も記載されてなかったが……」


「有名な奴らだから知っているとばかり思っていた。でも、今回は海賊のことで依頼したんじゃない。この海に巣くう化け物退治でだ」


「その化け物というのは、いったいどんな生き物なんですか? 大蛇だとは聞いていますが……」




 ユマの問いに、部屋から出た女性は何かを手に持って戻ってきた。青みがかった透明の物で、それは人の顔の四つ分くらいある。




「これは奴の鱗だ。デカさはわかったな?」




 あまりの大きさに俺たちは衝撃を受けた。小隊だけでコレを討伐してくれと頼まれても無理がある。察したのか、タカラはこちらが何かを口にする前に言葉を紡いだ。




「断らないでくれ。依頼したのはこれで四度目なんだ。北闇は距離があるから最後となったが、もう他にあてがない……」


「しかし、我々だけでは……」


「人が大勢いると奴は姿を現さない。すまないが、これが最善の策だ」




 他の国の闇影隊が依頼を引き受けたこともあったそうだが、人数が多く、姿を見せなかったらしい。


 切羽詰まった状況に参った様子の青島隊長は、対策を練ると言い残し一人外へと出て行った。




「……まだ若いのにもう下級歩兵隊か。そこの女の子二人は事情がありそうだが、あんたら三人はどうして入隊したんだ?」


「人間最強になりたいから」


「友達を危険な目に遭わせたくないからです」


「……兄さんが入学したから、流れで……」




 何が面白いのか、それぞれの答えにタカラは腹を抱えて笑った。




「なかなか面白い。特にあんたはずば抜けて良い。……人間最強ね。だが、うちの息子に勝てるかな?」

 



 涙目のタカラは、扉を見ながら薄笑いを浮かべる。そこには、同じ年だろう全身濡れた少年が立っていた。




 「お帰り、ミツル」




 太い鎖を南京錠で繋げた、見るからに重く高圧的な物を首からぶら下げているのに、締まりのない顔をしたこの少年。見た目との差に笑いをかみ殺した。しかし、ヒロトだけは違った。ミツルに近づくと、いきなり突き飛ばしてしまったではないか。




「貴様っ……」


「あー、俺の顔に唾を吐きかけたよね、君」




 驚いたことに、船を転覆させようとした幽霊の正体はミツルだったのだ。


 睨みつけるヒロトを無視し、タカラの隣に腰を下ろしたミツルは、なんとも抜けた声で「痛かった」と口にする。


 左腕にはユマが負わせた傷があり血が滲んでいた。


 拳を一発お見舞いしたはずが、なぜ血が出るほどの怪我をしているのだろうか。そう思い、ユマに視線を送ると、「どこでもいいから掴もうとした」と言われてしまった。


 半獣化したユマの手に捕らえられたと思うと、ミツルに少しだけ同情してしまう。


 タカラは、ミツルの肩に包帯を巻きながら口を開いた。




「うちの息子は文字通り最強だ。あんたらのように訓練など受けなくともな」


 


 この島からあの水深まで泳ぎ、ましてやその正体を幽霊だと勘違いされるほどに気配がなく、混血者とから受けた傷にも無表情となれば、さすがのヒロトも言い返す言葉が見つからないでいる。


 まだ謎の多いミツルだが、人間最強を目指すヒロトと、人間よりも遙かに力を持つユマは強く奥歯を噛み締めていた。

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